2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2018年10月10日に投稿した記事です。
2018年10月1日(月)の探訪レポート
⇒【gooブログから】造山古墳|岡山市北区 ~5世紀前半の時点でキビの王の権力がヤマトの王と伯仲していたことを示す古墳~ 【備前・備中古代史探訪 ⑬】
造山古墳の見学を終え、最後に作山古墳を見てから広島へ向います。
あ、しまった!
途中、国分尼寺跡があるではないか!
頭の中は作山古墳のことで一杯で、国分尼寺の存在を忘れていましたが、道路端にある標識で思い出してしまったのです。
思い出した以上は「国分寺er」としては寄らずにいられません。
標識に従って国分尼寺跡へ向かいます。
・・・おっとー。
ここはいくら何でも右折できないな・・・
近くにはうまい具合に道端に停められる場所があったので、路駐して徒歩で尼寺跡へ向かいます。
5分も歩かずに到着。

見渡すと国分尼寺跡は林になっていて、説明板がいくつか望見できます。
こちらには全体の説明が。


それでは、まずはセオリー通り、南門跡から行きますよ。


南門には築地塀が接続されています。


西側には池が見え、このあたりの地表は少し湿っています。

南門をくぐると中門が現れます。

そして中門の中はコアゾーンとなっており、仏様が安置されていた金堂跡があります。


礎石が残っていますね。

東側には「建物跡」と書かれ場所があります。


なるほど、位置的には塔跡でいいようにも思えますが、規模が小さいとなるとなんでしょうか。
塔心礎が見つかれば規模の小さい塔と考えることもできますが・・・
国分寺跡はたまに塔跡が見つからないことがあるので、全部が全部、塔があったと考えなくてもいいかもしれませんが、寺院は本来的には塔がもっとも重要な建物なので、国分寺に関してもまだまだ謎は多いです。
金堂の後ろに講堂があるという、これまた基本的な伽藍配置です。


礎石です。

尼寺跡は南北に細長い丘陵上にあって、東側は地形が落ちているのが木々の間から見えます。

また建物跡。


講堂の背後には、通常僧侶が生活する場である僧房がありますが・・・
どうやらここが境内の最北端のようです。
もと来た道を戻りましょう。
西側も地形が落ちているのが見えますが、西側は湿地帯でしょうか。

お堂があります。

石柱。

これで備中国分尼寺跡はざーっと見ましたので作山古墳へ行こうかと思いますが、さきほど「こうもり塚古墳」という標識を見てしまいました。
標識によるとここから1㎞ちょっと西にあるようです。
本日の最初のころに牟佐古墳を見学したときに、説明板に「三大巨石墳墓」としてこうもり塚古墳も挙げられていましたので、これは無視していくわけには行けませんね。
残り時間からするとやや遠い場所と言えるかもしれませんが、走ってみてくることにします。
