2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2021年5月26日に投稿した記事です。
2019年1月23日(水)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】塚廻り4号墳|群馬県太田市 ~墳丘の埴輪樹立の様子がほぼ完ぺきに再現された帆立貝形古墳~ 【太日川・利根川流域古代史探訪 ⑨】
塚廻り4号墳の傍らでしばし休憩した後は、栃木県足利市に入り、前方後方墳の藤本観音山古墳を目指します。
足利市と言っても歴史的に見るとこの辺は上毛野の範囲なんですよね。
墳丘の近くまで来たため、空いている場所に雷電號を停め、墳丘へ向かいます。
おや、お出迎えですか?

古墳に行くとたまにいらっしゃる現地ガイドの方でしょうか。

何か「ニャーニャー」と独り言を発しながら近づいてきます。

でも近づいてきたと思ったら、古墳の方へ向かってしまいました。


あーなるほど、まずは墳丘に登れということですね。

解説する前に身体を砂にスリスリしてコンディションを整えています。


いやいやちょっと待ってよ。

解説する気満々なのは分かりますが、私は先に説明板を読みたいのです。

墳丘長117.8mの大型前方後方墳です。
「浅間C軽石」という言葉が出てきますが、上毛野周辺はとくに火山の噴火によって積もったものが古墳の時代を決めるときに役立つのです。
ただ、その噴火の年代は研究者によって少し幅があって、例えば「浅間C軽石」は3世紀末から4世紀初頭の幅があります。
噴火の年が実年代でちゃんと分かると面白いんですがね。
墳丘図を見ると周堀の形がかなりいびつですが、古墳時代の人は上空から見ていないですし、とくに関東の古墳の周堀の造りは現代人が見ると雑に思えることがあります。

古代人は大らかなのです。
前方後方墳だけあって、東海系の土器が出ていますね。

では、墳丘へ取り付こうかな。

と、その前に全体を撮りたいのでちょっと引いてみます。

おや、先ほどのガイドさんが墳丘から降りてきましたよ。

説明したくて仕方がないようです。

こういった種族のガイドさんとはスキンシップも欠かせません。




今度は雷電號の方に行きました。

多分もう帰りたくなったのでしょう。

家まで送ってくれということでしょうか。
それならそれで、私は一人で古墳を見てきますよ。
では、後方部の階段を登ります。

墳頂には小祠が仲良く3つ並んでいます。

墳頂からの眺望。

かなり破壊されている前方部を見下ろします。



前方部の損傷は激しいですし、また前期古墳らしく前方部との高低差が激しいので、墳丘上を降りて行くことはせずに階段から下に降りて側面を見てみようと思います。
あれ、さっきのガイドさんとは違う猫ちんがいますよ。

あ、あいつ、あの子を追いかけていく・・・

これは問題行動ですぞ。
まあ、しつこくすると嫌われるから程々にしておきなさい。
前方部の方に回ってみます。

下から見ても前方部は全然原型をとどめていないのが良く分かりますね。

タケノコはむしろ採った方がいいと思うのですが、確かにタケノコを掘るときは結構深く掘りますから、史跡の場合は違反になってしまいますね。

しかしこの辺はだだっ広いなあ。


前方部側からのいつものアングルで撮ってみます。

でも前方部が大きくえぐられているので、全然画になりませんね。

周堀跡。
それでは雷電號に乗り込みます。
ちょっと離れて遠景を撮影。

藤本観音山古墳はこのように墳丘がかなり破壊されており残念な現況ですが、歴史的に見ると非常に重要な前方後方墳ですから、古代史を探求している方はぜひ一度訪れてみるのがいいと思います。
クラツーでも来れないかなと思って墳丘近くの道幅や駐車できそうなスペースを調べてみましたが、大型バスで近くまで寄ることは無理そうです。
では、この次も前方後方墳へ行ってみましょう。
