最終更新日:2025年9月21日
※一つのページに記載できる分量には限りがあるため、本ページでは、下図のうち、川越比企地域・西部地域・秩父地域について記します(ただし、秩父地域は未踏)。
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

※埼玉県内の他の地域に関しては、以下をご覧ください。
小川町(おがわまち)
32m
穴八幡古墳
🅿なし
🚻なし
7世紀後半に築造された2段築成の方墳で二重周溝を備える。大きさは、現地説明版では一辺32mとするが、『山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』では、一辺28.2mで、周溝の外周は一辺61.4mとする。二重周溝を備えた終末期方墳は珍しく、格の高さが伺え、二重周溝の一部は復元されている。
複室構造の横穴式石室は、地元の下里地区産の緑泥片岩を組み合わせて造られているが、床面に敷き詰められていた白い玉石は地元で産出しないものだ。羨道および玄室の床下は、掘込地業によって強化されていた。石室は開口しているが柵が設置されており入室はできず、内部の観察もしづらい。
20141228
20240320A
川越市(かわごえし)
47m
牛塚古墳
的場古墳群
説明版では墳丘長42mとするが、『山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』では、47mとする。
当初は6世紀末頃に在地首長が両袖式の横穴式石室の古墳として築造したものを7世紀初めころに渡来系氏族の首長が片袖式に改造して葬られた。出土した金銅製指輪は、後者の副葬品。
20161010
20230304A

仙波日枝神社古墳
喜多院多宝塔古墳
6世紀後半の築造。日枝神社西側の土の高まりが古墳の一部で、西側の道路によってほぼ壊滅状態。もとは前方後円墳だった(『埼玉の古墳』)。
20161010
20230304A
69.1×70m
山王塚古墳
令和5年3月20日に国史跡に指定された。墳丘の大きさは、『山王塚古墳 上円下方墳の謎に迫る』によると、推定で東西69.1m、南北70m。上円下方墳としては日本一の規模を誇る。
20161010
20161012
20171203C
20180113C
20190420
20230304A
40m
山王塚西古墳跡
山王塚古墳のすぐ西側にあったが調査時にはすでに墳丘は隠滅していた。山王塚古墳とは、お互いの周溝が接するような近さ。河原石積み横穴式石室を備え、複数回の埋葬が行われていた。築造時期は6世紀末から7世紀前葉。
20161010
20161012
20171203C
20180113C
20190420
20230304A
坂戸市(さかどし)
狭山市
【ラーメン】いただき
狭山市下奥富610-7
04-2954-3544


ときがわ町
所沢市
飯能市
東松山市(ひがしまつやまし)

富士浅間神社古墳
諏訪山36号墳
東松山市西本宿
墳丘の上に富士浅間神社の社殿が乗っている。現状では円墳状だが、もともとは前方後円墳だった。
『東松山市史 資料編第1巻 原始古代・中世 遺跡・遺構・遺物編』によると、昭和42年の分布調査時には、諏訪山古墳群には3基の前方後円墳を含む37基の古墳が確認されていたが、その時点でほとんどが損傷を受けていた。
3基の前方後円墳とは、こちらの富士浅間神社古墳(36号墳)、29号墳、諏訪山古墳(35号墳)の3基のことだが、29号墳はのちに前方後方墳であったことが判明している。
富士浅間神社古墳は神社境内ということもあってか発掘調査が行われていないようで、埼玉県の古墳を調べる際に最も頼りになる塩野博著の『埼玉の古墳』でもほとんど触れられていない。
なお、富士浅間神社の由緒は分からないが、『新編武蔵風土記稿』によれば、元宿村の鎮守で、常安寺の持ち。地図で確認すると、常安寺は関越自動車道の向こう側にあり、現在も法灯を伝えている。
標柱・説明板等なし
20150201
25m
根岸稲荷神社古墳
3世紀中葉(東松山市は4世紀前葉とする)の築造と考えられ、埼玉県最古級の古墳のひとつ。関東の出現期古墳の出土品を見ると、在地系の土器より濃尾や畿内などの影響の強い外来系の土器の方が多く目につくが、この古墳からは在地の吉ヶ谷式の系譜に連なる壺が出ている。
鳥居に向かって右側(東側)に前方部があった。
現在は西側に市野川の支流の新江川が流れていて台地を分断しているが、明治40年の地図を見ると新江川はなく、台地の先端近くに築造されていることが分かる。
説明板なし
20200126T
20231129A
29.5×31m
根岸裏4号墳
説明板なし
『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著)によると、東西29.5m、南北31mを測る円墳で、築造時期は6世紀前半としている。また、調査の結果わかった周溝跡から、前方後円形の可能性を示唆している。墳丘はテラス部分が明瞭。
20200126T
20×18m
根岸裏14号墳
説明板なし
『埼玉の古墳 比企・秩父』(塩野博/著)によると、現存する墳丘の規模は、長径約20m、短径約18m、高さ約3mを測り、比較的形状をよくとどめた円墳とある。また、発掘調査の結果、14号墳の周溝は4号墳の周溝にぶつかっており、全周はしていないことが分かっている。築造時期は7世紀中葉から後葉。
20200126T
86m
雷電山古墳
20200126T
20231129A
62m
おくま山古墳
柏崎古墳群
過去、3度の発掘調査が実施されているが、周溝の調査のみで主体部は不明。
周溝内からは、円筒埴輪や朝顔形埴輪、それに消えかかった説明版に掲載されている盾持人埴輪が出土。盾持人埴輪4人衆は、東松山市埋蔵文化財センターに展示している。
周溝内ではFAが検出されたため、築造時期は、5世紀末と推定(以上、東松山市HPより)。
20200126T
【食事】和食そば きごころ
東松山市埋蔵文化財センターのすぐ東側
東松山市下野本1044-2
0493-24-3147


【ラーメン】マルキン本舗 東松山店
吉見百穴の北、国道407号線沿い
東松山市松山1552-12
0493-81-7636


日高市(ひだかし)
毛呂山町(もろやままち)

大類古墳群
毛呂山町歴史民俗資料館の展示パネルによると、2基の前方後円墳と41基(現存35基)の円墳からなる。行政界を挟んだ坂戸市の塚原古墳群(3基の前方後円墳と10基の円墳)とは一体の古墳群であり、両古墳群を総称して苦林古墳群と呼ぶことがある。隠滅した古墳を含めると合計56基となるが、苦林古墳の説明版によると100基以上ある模様。
前方後円墳の数は5基となるが、まったく大きさは違うものの埼玉県内では埼玉古墳群についで前方後円墳が集まっている古墳群である。
20190303T
吉見町(よしみまち)

三ノ耕地遺跡
28基の方形周溝墓群と3基の前方後方墳が見つかっており、周溝を含めると1号墳は69mという大型のもので、2号墳は40m、3号墳は27m。
ここは沖積地で、自然堤防上ではあるが低地なので、縄文時代晩期の水場遺構も見つかっている。
20200126T
嵐山町(らんざんまち)




























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