2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年4月29日に投稿した記事です。
2017年4月29日(土)の探訪レポート
本日の一発目として、相模国の一の宮である寒川町の寒川神社へ向かいます。
今度も下道で行きますよ。
走り出してほどなく、信号で止まると左前方に説明板のようなものが見えました。

何だあれ!?
本陣だと!

横がコインパだったので一瞬車を止めようか考えましたが、今日は素通りにします。
今日は土曜日ということもあり、道路は結構混んでいて、なおかつ雷電號に搭載しているマツダの純正ナヴィは無難な大きい道を示して、近道とかを教えてくれないのです。
ですから、地図を見て自力で探そうとするのですが、変に冒険して引っかかってしまっても嫌なので、大人しくナヴィの指示に従って走ります。
結局、大さん橋から1時間45分もかかって、11時半に寒川神社に到着。
しかも結構参拝客が多いようで、第1と第2の駐車場に入れず、第3駐車場へ誘われました。
では、探訪開始!
駐車場を出て横っちょから境内に入ると、いきなりでかい建物が現れました。

でもこれは社務所なんですね。
さっきのダイヤモンド・プリンセスもでかかったけど、寒川神社の社務所もでかい。
左をみると門がありました。

門をくぐると拝殿です。

おー、広々としていますねー。
一旦戻ります。
門から参道を見ると遠くの方に鳥居が見えます。

実は寒川神社の下調べはまったくしてきていないので、予備知識はゼロに近いのですが、この神社の参道は長そうな予感がします。
あ、それはそうと、由緒書きを探そう。
あった。

相模国の一宮ですよ。
と、それも重要ですが、祭神をご確認ください。
祭神となっている寒川比古命と寒川比女命は、もしかするとヤマトの勢力がこの地に完全に定着する前に相模川流域を治めていた王とその妃かもしれませんよ。
「さむかわ」と「さがみがわ」は何となく音が似ていて、「さがみ」は「さがむ」と呼んだかも知れず、そうすると、「さむかわ」というのは「さがむかわ」のことかなあなんて思います。
ところで、古代国家の国司は赴任してくるとまっさきにその地域の神様にご挨拶をして回ります。
私も今後相模国の歴史調査を本格的に実施するに当たり、一宮に詣でたのは至極自然なことなのです。
おや、道路を挟んだ向こうには小さな神社がありますね。

寒川神社の末社である宮山神社です。

元々この辺りに合った神社を合祀したようですね。

ではもう一度寒川神社の境内へ戻ります。
鳥居まで来ました。

まだまだ参道は続いていますね。

もう少し境内を散策。




気が済んだので次へ行きましょう。
駐車場へ戻ると、大山がよく見えるじゃないですか。

私が普段お掃除の仕事でグルグルと多摩地域を周っていると、西側に見える山並みの一番南側にある目立つ山が大山なので、私にとっても実は馴染みがある山なのですが、ここ相模ではさらにポピュラーな感じがします。
では、雷電號のナヴィにはとりあえず平塚市博物館をセットして駆動開始。
先ほどの参道を走っていると、もう一つ鳥居がありました。
しかもでかい。

そして参道はまだ続いている模様です。

さらに進むと踏切で止まってしまいましたが、気付くとここにも鳥居が!

鳥居のシーケンスの降り方には二通りあり、境内から遠い方から一の鳥居、二の鳥居、と呼ぶ場合と、反対に社殿に近い側から順番に呼ぶ場合があります。
私的には、お城の場合は本丸・二の丸・三の丸とか、Ⅰ郭・Ⅱ郭・Ⅲ郭といったように、中心部に近い方から番号を付けてるので、神社の場合も同じように呼びたい気持ちです。
寒川神社には長大な参道に3つの鳥居がありましたが、私の個人的な好みで呼ぶと、この鳥居は三の鳥居です。
ところで交差点名は「大門踏切前」ですよ。

ということは、踏切が「大門」と呼ばれているように思えますが、それが神社の参道入口にまつわる命名なのか、神社とは関係なく大きな門があったことによる命名なのか、今のところは分かりません。
ちなみに八王子市下恩方の浄福寺の近くには「でーもん」という地名があり、最初「悪魔か!」と思ったのですが、「だいもん」が訛っただけでした。
何だかんだでもう12時20分。
急がなければ。
