2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2018年2月3日に投稿した記事です。
2017年4月15日(土)の探訪レポート
車を運転していて踏切の一時停止を忘れてしまったら、渡った先にお巡りさんがいて「はい、こっち」みたいに駐車スペースみたいなところに誘導されました。
私は「あー、やっちゃったー」とガッカリしつつ、車を止めます。
そうしたら女性職員が来て、「あら、窓が汚れているわね」と言って雑巾で車の窓を拭き始めました。
すると、あまりにも力強く拭いたせいか、「パリン!」と運転席側のドアの窓ガラスが割れてしまったのです。
もう一人の男性職員は「あーあー」と呆れたあとに、私にファミレスのメニューのようなものを差しだして、「とりあえず、処理が終わるまで食事でもしていて待っていてください。好きなのを選んでいいですよ」と言い、行列になっている他の人たちもメニューを見ながら料理を選んでいます。
私はウニ・イクラ丼を頼もうとしたのですが日本酒もセットになっています。
まだこれから車を運転するのに日本酒飲んでいいのかな?
しかも警察がそれを勧めるなんて・・・
子供のころと違って今は寝ているときに夢を見ても起きたら内容を忘れているか、そもそも夢をあまり見ない気がします。
ところが昨夜見た夢はこんな感じで内容を覚えていました。
実際の私はゴールド免許で、踏切や一時停止で油断することはありませんが、いつも気にしているから夢を見たのでしょうか。
また、先日レンジフードの清掃をしていたときに、脚立を具合よく立てることのできない狭いスペースだったのですが、清掃が終わって組み立てるときに、立ち位置が悪くなかなか部品を付けれなかったので、足をガス台の上にかけたら、誤ってガラストップを踏んでしまい、「パキパキ!」という音とともにヒビを入れてしまったのです。
ガラストップの交換は5万円くらい掛かります・・・
これを気に病んでいるからこんな夢を見たのでしょうか。
IHのときは気を付けているのですが、普通のガスコンロだったので盤面の材質をよく確かめずに上に養生をしてしまった私の完全なミスです。
というわけで話は変わりますが、今週の土曜日はクラツーで古代のお役所である国府や郡衙についての講座をします。
そのため、そろそろレジュメ作りをしようかと思っているのですが、昨年訪れた官衙関連の遺跡のルポルタージュをアップしながら構想を練ろうと思います。
今回は昨年4月15日に訪れた常陸国の国府跡をアップします。
ちなみに、この日の探訪レポートはすでに途中までですが書いています。
* * *
常陸国分寺跡を見学し、つづいて国府跡の現状を見てみたいと思います。
といっても、何も残っていないことは事前の調査で分かっていますよ。
常陸国府跡がある石岡小学校に到着しました。
車から降りて散策開始です。
「常陸のみやこ一千有余年の地」の碑がありますよ。


土塁が残っていますね。

でもこの土塁は国府のものではなく、中世の府中城の遺構です。

この説明板に書かれている通り、中世の石岡は大掾氏が治めていました。
大掾氏の「大掾」というのは国府に勤める役人の職位の一つで、大掾氏の先祖が常陸国大掾に任じられていたことから、それを苗字にしたのでしょう。
国府の幹部は国司(こくし)と呼ばれ、以下の四等官からなっていました。
・守(かみ)
・介(すけ)
・掾(じょう)
・目(さかん)
さらに書記官である史生や博士などの役職があり彼らは中央から派遣されてきます。
国のトップである守は下級貴族が任じられるのですが、常陸国の場合は「親王任国」といって、守は皇族が任じられたので現地には下って来ず、親王任国の場合は介が実質トップとなります。
大掾氏の先祖はある時期に中央から下ってきた人物だと考えられ、系譜上では将門によって殺害された平国香が祖となっており、その孫である維幹が常陸大掾職に任じられています。



これは何でしょうか?

石仏なんですね。

こちらには古墳の石棺がありますよ。


この石も石棺のパーツでしょう。


さて、常陸の国府跡にはとくに復元展示などもありません。
石岡小学校の校庭。

ここに往時、国府の中枢部構成する建物群が建っていたのですね。
では次に、敷地内にある「ふるさと歴史館」を訪ねてみましょう。

中はそれほど広くないですが、遺物とパネルが濃密に配置されています。
1階は企画展のような内容でしょうか。
本日訪れてきた国分尼寺関連です。


これから訪れる予定の常陸総社宮の随神像は250年ぶりに修復されたそうです。

右大臣は半壊状態、左大臣は全壊状態から修復されたのですね。

2階へ上がります。

2階は常設展のような内容だと思われ、旧石器時代から近世までの遺物が並んでおり、石岡市の通史を実際の考古遺物を通して学ぶことができます。
充実した内容ですので、全部を紹介することはできないため、今回の探訪に関係があるものをピックアップしてご紹介しましょう。
石器の素材となる岩石で、珍しい「メノウ」が展示されています。

石岡に持ち込まれた石材。

岩手県の久慈はヒスイの産地として有名で畿内の古墳からも出土していますが、茨城県の久慈はメノウの産地なんですね。
宮平遺跡出土の縄文時代中期の土器。

私は講座やツアーで古墳のルーツについて話すことがありますが、そういうときは必ず弥生時代中期以降の方形周溝墓の話もします。
ところが何と、茨城県内では弥生時代の方形周溝墓が見つかっていないそうです。

不思議ですねえ。
弥生時代の茨城県域では弥生時代の中期から末期にかけて「有角石器」というものが造られます。

これは茨城県のほか、千葉県からも出土され、他の地域からの出土例が非常に少ないという不思議な石器です。

こういう地方色が強い独特なものに出会えるととても嬉しいです。
今日はこの後、茨城県で最も大きい古墳である舟塚山古墳を訪れようと思っていますが、舟塚山古墳は41基の古墳からなる舟塚山古墳群を形成しているのですね。

舟塚山古墳(16号墳)は墳丘長186mの巨大古墳ですので、見学するのが楽しみです。
16号墳ではありませんが、8号墳出土の埴輪があります。

そしていよいよ、古墳の造営も終わりへと向かい、代わって仏教に伴う寺院の建築が地方でも始まるようになります。
石岡市内にも茨城郡の郡寺が造営され、遺跡は茨城廃寺跡と呼ばれています。



7世紀後半には国府が整備されてきます。

先ほど見た、石岡小学校の校庭に国庁正殿(国の政治を行う中心建物)があったのです。
さすがに校庭を史跡整備するわけには行きませんね。
瓦が出土しています。


国府周辺のツアーをクラツーでやりたいです。

つづいて、国分寺関連の展示に移ります。

常陸国の国分寺跡は、こちらに書いてある通り、国分寺跡としては珍しく国の特別史跡になっています。

七重塔はどこにあったのでしょうね?


つぎに国分尼寺。

そして中世の石岡。



ここ、ふるさと歴史館がある場所は、府中城の本丸の位置です。

さきほど見た供養塔の全体写真がありました。

確かに、他では見たことが無いような供養塔です。
ふるさと歴史館の近くにある陣屋門関連。


見応え十分な資料館でした。
1階では資料の販売もやっていますので、面白そうな本は買って行こうっと。
つづいて、陣屋門を見てから総社宮へ行ってみます。
