2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年5月3日に投稿した記事です。
2017年5月3日(水)の探訪レポート
私の母方の祖母は2002年の暮れに亡くなり、千葉県白井市の墓地に埋葬されました。
その墓地が所在する場所は、なだらかな起伏の上にある森と小川、そして水田という、実に下総らしいとても良い環境なのですが、とんでもなく交通の便が悪いのです。
以前はみうらじゅんさんが言うところの「地獄表」のようなバスがあったのが、それさえも廃止となり今は完全なる陸の孤島と化してしまいました。
なので私たち家族もなかなか墓参りに行けなかったのですが、我が家に雷電號が配備されたこともあって、母が久しぶりに墓参をしようと言い出したのです。
ところが今度は私が日々やることが多すぎて(決して「忙しい」とは言いたくない)なかなか日程が調整できず、ようやく今日(5月3日)であれば終日時間が取れたので、GWの最中ですが、本日墓参に行ってきました。
道が混んだらイヤだなあと思い、母と妹を乗せて6時15分に出発、中央道、首都高、京葉道路を乗り継ぎ、渋滞にも巻き込まれずに無事に8時には現地に到着しました。
さて、ただの墓参りであればここに記事をアップすることは無いかもしれません。
ここに記事をアップしたのには実は理由があって、なんと祖母の眠る霊園は縄文と古墳時代の遺跡なのです!
霊園と遺跡の地図。

こんな感じで霊園の中に遺跡があり、古墳時代の住居跡は植栽されて保存されているものもあります。



祖母の墓は古墳時代の住居跡のすぐ隣で、その区画は生前から祖母が買っていたのですが、孫のために狙ってそこにしたというわけではないと思います。
でも私は非常に嬉しいので墓前で祖母に感謝しました。
ところで、休憩棟にはミニ展示コーナーまでありますよ。

そう、申し遅れましたが、遺跡の名前は「河原子台Ⅱ-3遺跡」といいます。

この遺跡で出土した遺物の中で、特に私が興味を持ったのは「滑石製剣形品」です。

こういった古墳時代の祭祀用品が住居跡から見つかるのは大変珍しいのではないかと思います(あ、西日本のことは知りません!)。
展示をじーっと見ていると、管理人の方が声を掛けてきたのですが、その方も発掘作業を手伝い、この遺物はその方が掘り当てたそうです。
単なる石だと思って放り投げたら、横で一緒に掘っていた専門家が驚いて拾い上げ「これは貴重なものなんです!」と教えてくれたということです。
発掘作業はとても楽しかったそうですよ。
実はこの霊園がこんな遺跡だったというのは以前から知っていたのですが、当時はまだ古代史にはあまり興味が無く、いただいてきた発掘調査報告書もほとんど読んでいませんでした。
ところが祖母の死から15年経ち、今では私も立派な古代史マニアです。
私の成長を祖母もきっと喜んでくれていると思います。

さて、墓参りを済ませると時刻はまだ9時です。
実は今日は墓参りが主目的で来たのですが、せっかく来たわけですから、これから少しだけ下総の古代史探訪をして帰ろうと思っています。
目指すは日本で最も巨大な方墳がある龍角寺古墳群!
⇒ 【gooブログから】旧御子神家住宅&旧平野家住宅 ~古墳群に来たのに初っ端は古民家~【下総古代史探訪②】
