茨城県の遺跡・関連施設一覧

最終更新日:2025年10月14日

目次

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

阿見町


阿見町 予科練 平和記念館

阿見町廻戸5-1
029-891-3344

日本海軍の飛行予科練習生(予科練)について解説した資料館。予科練は昭和5年から教育を開始し、全国から集まった試験によって選抜された14才半から17才までの少年飛行兵の基礎訓練を行った。終戦までの15年間に入隊した約24万人のうち1割が飛行練習生課程を経て実戦に参加。そのうち8割が戦死し、特攻隊員として亡くなった方も多い。零戦21型の実物大模型も展示している。

館内は撮影禁止。

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絶賛工事中だった

 

 

 

 

 

 

 

 

石岡市


宮平遺跡

みやだいらいせき
石岡市染谷

常陸風土記の丘は、縄文時代の宮平遺跡の上にあり、出土遺物は風土記の丘の展示研修施設に展示してある。土器を始めとして優品が多い。

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常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影

 

常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影

 

常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影

 

55m
丸山古墳(丸山1号墳)

まるやまこふん
丸山古墳群
石岡市柿岡4123

集成編年4期。

崇神天皇皇子・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の墓の伝承がある前方後方墳で4世紀後半の築造。昭和27年に後藤守一が発掘調査を行ない、後方部粘土床から銅鏡、鉄剣、鉄槍、銅鏃、玉類などの豊富な副葬品が出土。遺骸頭部と推定される場所には水銀朱がまかれていた。

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46m
長堀2号墳

ながぼり
長堀古墳群
石岡市柿岡4691

集成編年4期以前。昭和47年と平成22年に測量調査が行われたが、発掘調査はされていないようだ。

説明板には、佐自塚古墳より後出するとあるが、平面形を見ると前方部が短いため、むしろ丸山古墳よりも古い古墳に思える。ただし、説明板にあるように前方部の高さは前期にしては高めのため微妙。

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58m
佐自塚古墳(佐久2号墳

さじづか
佐久古墳群
石岡市佐久170

集成編年3~4期。昭和38年に発掘調査が行われ、後円部の粘土槨+木棺と思われる主体部からは玉類などが見つかっている。三日月形や水滴形といった非常に珍しい透かし孔の円筒埴輪も見つかっている。

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佐自塚古墳の前方部側の小円墳

石岡市佐久

詳細不明。

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丸山5号墳

詳細不明。

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丸山6号墳

詳細不明。

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37m
長堀6号墳

ながぼり
長堀古墳群
石岡市

前方後円墳DBによると墳丘長37m。時期不明。

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舟塚山古墳群

 舟塚山古墳群は、霞ヶ浦の高浜入りに展開する41基からなる古墳群。5世紀前葉には墳丘長186mの舟塚山古墳(16号墳)が、6世紀初頭には墳丘長97mの府中愛宕山古墳(6号墳)が造られ、周囲には舟塚山古墳の陪塚のほか、後期・終末期の小円墳が築造され群集墳を形成している。

『石岡を掘る 文化財調査報告会関連展示・発掘調査速報展』(石岡市教育委員会 文化振興課/編)より転載

 

舟塚山古墳群出土・底部穿孔壺(常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影)

 

舟塚山古墳群出土・猿形埴輪(常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影)

 

186m
舟塚山古墳(舟塚山16号墳)

舟塚山古墳群
石岡市北根本597

🅿あり
🚻なし(以前はあったが撤去された)

東日本で2番目の規模を誇る墳丘長186mの前方後円墳。5世紀初頭の築造で西向き。3段築成で、前方部の北側には斜めの道があるが、後世の改変で、それを無視して眺めると段築の様子が良く分かる。葺石は施されておらず、茨城県の霞ヶ浦沿岸の古墳は全般的に葺石が見当たらない。

現在の見た目では造出は分からないが、昭和47年に行われた初の発掘調査の際に、北側くびれ部で造出が見つかっている(周溝中心の発掘調査で、墳頂は掘っていない)。墳丘図を見ると南側くびれ部にも張り出している部分が見られるため、掘ってはいないが、そこにも造出があったと想定されている。

主体部の発掘調査はされていないが、平成24~25年に明治大学考古学研究室を中心にした測量調査と物理探査(地下レーダー探査と磁気探査)が行われ、地下レーダー探査によって、後円部墳頂に東西14m×南北6mの主体部の反応があり、木棺+粘土槨の可能性がある。磁気探査では、鉄製品の副葬が想定されている。前方部墳頂でも8m×2.5mの埋葬施設らしい反応があった。

周溝は盾形35~55mあり、現地で見ても広い印象を受ける。

ただ、これだけ大きな前方後円墳であるのにも関わらず、主体部は粘土槨が想定されており、周溝も一重であるのが奇妙と言えば奇妙である。主体部は、この規模の古墳であれば西日本なら長持形石棺が採用されるだろうが、関東では明確な長持形石棺は、群馬県・太田天神山古墳と同県・お富士山古墳の2例しかない。

出土した埴輪は、常陸風土記の丘 展示学習施設に展示している。

なお、舟塚山古墳は国史跡だが、大正8年に「史蹟名勝天然紀念物保存法」が制定され、その第1号として大正10年3月3日に指定された48件の一つで、同期の古墳には吉備の造山古墳や播磨の五色塚古墳などの錚々たる古墳がある。その後、昭和38年に明治大学考古学研究室がおこなった測量調査が最初の調査らしい調査である。

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前方部出土・朝顔形埴輪(常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影)

 


鹿島神社(舟塚山古墳)

舟塚山古墳の後円部に鎮座する。

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10m
舟塚山13号墳

舟塚山古墳群
時期不明

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11.5m
舟塚山14号墳

舟塚山古墳群

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23.8m
舟塚山17号墳

舟塚山古墳群

短甲・直刀・盾などの副葬品が多数出土し、一部は常陸風土記の丘 展示研修施設に展示。

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常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影

 

96.6m
府中愛宕山古墳(舟塚山6号墳)

舟塚山古墳群
石岡市北根本694

🅿あり
🚻なし

6世紀初頭に築造された墳丘長96.6mの南南東向きの前方後円墳。形象埴輪が出土したというが詳細不明。また、明治30年に坪井正五郎が発掘し、無文の壺7個を見つけたと伝わっている。

地元の人びとは古墳を船に見立てて、舟塚山古墳の入舟に対してこちらを出舟と呼んだ。

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後円部から前方部を見る

 

前方部から後円部を見る(左側<北西側>に筑波山)

 

 

35
二子塚古墳(丸山4号墳)

ふたごづかこふん
丸山古墳群
石岡市柿岡4118-2

丸山4号墳。主軸は筑波山を向いている。昭和29年の発掘調査で円筒埴輪列が検出され、人物や馬などの形象埴輪を含めて合計60個以上の埴輪が見つかった。平成19年には測量調査が行われた。

横穴式石室墳としては、県内では初期のものと考えられている。横穴式石室の開口部は見えているが入室はできない。

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常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影

 

現地説明板の墳丘図よりも新しい墳丘図(常陸風土記の丘 展示研修施設にて撮影)

 


染谷古墳群

常陸風土記の丘に隣接して存在する群集墳で、かなりの広範囲に古墳が散在。

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ふるさと歴史館の展示パネルを撮影

 

舟塚山9号墳の箱式石棺

舟塚山古墳群

ふるさと歴史館の横に設置してある。古墳自体は終末期の一辺約10mの方墳。

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古墳跡?

佐自塚古墳の南側の田んぼの中にポツンと田んぼ化されなかった一画があり、横穴式石室の天井石のような巨石や裏込めに仕えそうな石がまとめておいてある。土器片も落ちているので古墳の残骸ではないだろうか。

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染谷佐志能神社

そめやさしのじんじゃ
石岡市

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柿岡佐志能神社

かきおかさしのじんじゃ

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鹿島神社と佐久の大杉

さくのおおすぎ

樹高28.6m。推定樹齢1300年。物凄い存在感を醸し出している。

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常陸國總社宮

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常陸国府跡

石岡小学校の校庭がまさに国庁跡だが目で見られる遺構はなく、復元も全くない。学校敷地内にあるふるさと歴史館内に詳しいパネル展示がある。

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常陸国分寺跡

浄瑠璃山東方院国分寺の境内が古代国分寺の伽藍中心。現在薬師堂が建っている場所が金堂跡で、その北側には講堂跡、反対側の駐車場側には中門跡が残る。塔跡は住宅街の中に推定場所があるが、こちらの境内に塔心礎が安置されている。

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常陸国分尼寺跡

ひたちこくぶんにじあと

西に筑波山を望む心地良い空間に金堂、講堂、中門、南門の基壇が復元され、回廊も位置が分かるようになっており、北方建物跡は短い柱列によって表示されている。ただし、説明板は全体をまとめるものが一基のみで、各ポイントには設置されていない。桜が美しい時期に訪れるのがとくにお勧め。

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瓦塚遺跡

かわらづかいせき

説明板には茨城県史跡とあるが、平成29年に国史跡になった。

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鹿の子遺跡

かのこいせき
石岡市

律令時代に朝廷が東北へ進出する際にその武器などを生産した工房などが見つかっており、長屋形式の連坊式竪穴遺構は非常に珍しい。

現地には目で見られる復元などは何もないが、常陸風土記の丘に建物の復元展示があり必見。

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常陸風土記の丘 鹿の子史跡公園

常陸風土記の丘内に鹿の子遺跡の一部を復元。

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府中城跡

石岡市

常陸国府跡は戦国時代には大掾氏の府中城となり、大規模な土塁が残っている。

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柿岡城跡

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片野城跡

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高友塁跡

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千代田の一里塚

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石岡の一里塚

多少削られてはいるは、両側の2基とも残っており貴重。

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石岡市立ふるさと歴史館

石岡市総社1-2-10(石岡小学校敷地内)
0299-23-2398
10:00~16:30
月曜休館
公式サイト

石岡市内の郷土資料館的な位置づけの施設で、石岡市の歴史を知るためには必ず訪れるべき施設。係の方から地元の方ならではの話を聴くことができるため、時間に余裕をもって訪れよう。

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常陸風土記の丘 展示研修施設

石岡市染谷1646
0299-23-3888
9:00~16:00(11月~2月)
9:00~17:00(3月~10月)
月曜休館
公式サイト

有料エリアに遺物の展示室である展示研修施設や鹿の子遺跡を復元した鹿の子史跡公園などがある。

展示研修施設は宮平遺跡出土品を中心に縄文時代の遺物の展示が豊富で、舟塚山古墳群などの古墳から出土した遺物も展示している。

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【蕎麦】お食事処曲屋

常陸風土記の丘にあるので、同施設を見学する際はここで美味しい蕎麦を食べよう。

 
 

 

【和食】家族レストラン坂東太郎 石岡総本店

味噌煮込みうどんで有名な「ばんどう太郎」の本店。他の店とは違う高級感溢れる店構え。

石岡市東田中1062-4
0299-56-7751

 

【洋食】オリーブの丘 石岡店

お手頃価格で美味しい洋食が食べたいときはお勧め。とくに平日ランチはお店の経営が心配になるほどの低価格。店内が広いため、グループでの遺跡めぐりでは重宝するだろう。

石岡市八軒台4-1
0299-57-3950

 

 

 

潮来市

71.5m
子子前塚古墳(大生西部1号墳)

まごまいづかこふん
潮来市大生

110基以上の古墳からなる大生古墳群を構成する4つの支群の一つ・大生西部支群の盟主墳的古墳。「子子」と書いて「まご」と読ませる昔の人のセンスがいい。

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58.1m
鹿見塚古墳(大生西部2号墳)

潮来市大生

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63m
天神塚古墳(大生西部4号墳)

潮来市大生

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大生西部8号墳

潮来市大生

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大生神社

おおう/おうじんじゃ
潮来市大生

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稲敷市

【洋食】レストラン吉野

稲敷市内だが、美浦村の陸平貝塚からも近い。美味しい洋食がリーズナブルな価格で食べられて、お店の方も親切でお勧め。

稲敷市佐倉1360-4
029-892-1118

 
 
 

 

茨城町

39.3m
宝塚古墳

茨城町野曽東郷886

4世紀後半の築造か。町内最古の古墳で、涸沼川流域の最初の首長墓。

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28.5m
上ノ山古墳

茨城町前田

6世紀後半の築造。茨城町内唯一の前方後円墳。主体部の調査はされていない。小幡北山埴輪製作遺跡で製造された埴輪が見つかっている。

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小幡北山埴輪製作遺跡

茨城町小幡2735-45

涸沼川の南岸台地上に所在する日本最大の埴輪製作遺跡。埴輪窯59基、工房跡8棟、粘土採掘坑2か所などが確認されたが、その大半が部分的な調査。操業時期は6世紀後半を中心に7世紀にまで及び、町内上ノ山古墳や小美玉市の舟塚古墳に供給したことが分かっている。

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【ランチ】食事館 八幡太郎

在地の老舗レストラン。味もヴォリュームもバッチリだ。小幡北山埴輪製作遺跡のすぐ近く。

茨城町小幡702
029-292-1600

 
ご飯大盛は本当に大盛だぞ!

 

 

大洗町

29.4m
姫塚古墳

磯浜古墳群
大洗町磯浜町3551

磯浜古墳群で最初に築造された古墳で、3世紀後半頃と考えられる。墳丘
の形状からして弥生墳丘墓の面影を残す出現期古墳と見られる。

現在見ることができる墳丘の形状と実際の形状はかなり異なるため、説明板の図をよく見ながら往時の様子を想像してみよう。

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五本松古墳跡

磯浜古墳群
大洗町

墳丘はすでに存在していなかったが、周溝跡を検出。前方後方墳あるいは前方後円墳説と考えらえているが確定はしていない。時期的には姫塚古墳のつぎに築造された。

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五本松下古墳跡

磯浜古墳群
大洗町

墳丘は存在しない。墳形・規模不明だが、五本松古墳と同じころの築造と推定されている。

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63m
坊主山古墳

ぼちゃのやまこふん
磯浜古墳群
大洗町

墳丘長63mの前方後円墳で、五本松古墳・五本松下古墳の次に築造。普通のお宅のお庭にあるため注意。道路からも鳥居と墳丘が見える。

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103.5m
日下ヶ塚古墳

ひさげづかこふん
別称:常陸鏡塚古墳
磯浜古墳群
大洗町磯浜町字日下ヶ塚2865-8外

坊主山古墳に続いて4世紀末に築造された墳丘長103.5mの大型前方後円墳。

昭和24年の発掘調査で後円部に粘土槨が確認され、人骨のほか、銅鏡2面や石製模造品などが出土した。

墳丘には円筒埴輪以前の壺形埴輪が並べられていたが極めて長胴化した面
白いデザインのものだ。

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ひたちなか市埋蔵文化財調査センター「第18回企画展 海、古墳」にて展示されていた日下ヶ塚古墳の石製模造品

 

88m
車塚古墳

くるまづかこふん
磯浜古墳群
大洗町磯浜町字諏訪2883-1外

径 88mという超大型の円墳で、円墳としては全国で6番目の大きさを誇る。3段築成で平坦面には石が敷き詰められていた。列島各地には大型前
方後円墳と隣接して大型円墳が築造されるケースがあり、本件もそのひとつ。

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大洗磯前神社

おおあらいいそざきじんじゃ
大洗町

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磯浜海防陣屋跡

大洗町

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【ランチ】お魚天国

大洗には魚料理のお店が多く、美味しい海鮮丼や煮魚定食などが食べられる。例えば「お魚天国」の海鮮丼はいかがでしょうか。

 
 

 

 

小美玉市


南坪貝塚

みなみつぼかいづか
小美玉市与沢

縄文時代後期の大規模貝塚。現地には説明板も標柱もない。

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部室貝塚

へむろかいづか
小美玉市上玉里

縄文時代中期後葉~後期中葉の頃の貝塚。現地には説明板も標柱もない。玉里史料館に遺物の展示がある。

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100m
大井戸古墳

小美玉市下玉里

小美玉市は、平成18年(2006)3月27日に東茨城郡小川町と同郡美野里町、それに新治郡玉里村(たまりむら)の2町1 村が合併して発足し、それぞれの1文字を取って小美玉市と命名された。

その旧玉里村には、「六井六畑八館八艘」という言葉があり、湧水が多く、地味は肥えており、中世領主が多く存在したことをいい、そして「八艘」というのは、船に見立てた8基の古墳のことを言い、そのうちの一艘が大井戸古墳である。

現在は径16.3mの円墳状になっているが元々は南西向きの前方後円墳で100mほどの大きさがあったという。明治と大正の築堤工事のため盛土の多くを失った。

築堤工事の際に箱式石棺が発掘され、また、墳丘上には人物埴輪が出土したと伝えられるが、坪井正五郎が副葬品の一部を持ち帰り、それらの品は現在行方不明。

他の多くの小美玉市の古墳と異なり、台地上ではなく、沖積地の自然堤防上に立地。現在は小舟神社の境内となっている。

築造時期を決める要素に欠け、大雑把に言って5世紀後半から6世紀半ばの範囲に収まると考えられている。

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89.5m
権現山古墳(権現平5号墳)

小美玉市下玉里

「八艘」の一基で、5世紀末から6世紀初頭に築造された墳丘長89.5mを誇る小美玉市内で最大の前方後円墳。平成8年に玉里村教育委員会が明治大学の協力のもと発掘調査を行った。

南向きで、前方部西側のくびれに近い部分に造出を備え、そこからは多数の形象埴輪や土師器や須恵器が出土。須恵器の直口壺(TK47に比定)と筒形器台(TK47~MT10に比定)は、県内唯一の完形品で、玉里史料館に展示されており、同館のスター遺物のひとつである。円筒埴輪はⅣ式。

主体部は2基見つかっており、後円部墳頂のものは石棺直葬、前方部墳頂のものは木棺直葬。それら以外に、発掘調査の際には横穴式石室の存在が予想されたが発見には至っていない。

現在の墳丘に登ると前方部と後円部との差はあまりないが、後円部は1.5~2mほど削られている。周溝は盾形でその外側には小円墳が3基あり、陪塚の可能性が有る。

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直口壺(玉里史料館にて撮影)

 

筒形器台(玉里史料館にて撮影)

 

8.4m
権現平8号墳

権現山古墳の周溝の外側には3基の小古墳があり、陪塚の可能性が指摘されている。

そのうち、説明板の近くにあるのが一辺8.4mの方墳である8号墳(築造時期は不明だがアイコンは後期にしておいた)。

他に、南東側には径4.2mの円墳である6号墳が、北東側には径17.5mの円墳である7号墳があるが未確認。

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70m
雷電山古墳

小美玉市上玉里

別名亀塚古墳。6世紀の築造。墳丘長70m、後円部径50mの前方後円墳との説がある一方で、測量調査では全長55.8mとされた。いずれにせよ、北を向いた帆立貝形の様相を呈している。墳頂には鎌倉時代に造られた経塚がある。

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72m
玉里舟塚古墳

小美玉市上玉里

「八艘」の一基。舟塚古墳は、6世紀前半に築造された墳丘長72mの南東向きの前方後円墳。昭和40年代に5次に渡る発掘調査が行われた。主体部は珍しい二重石棺で、唐草文銀製圭頭大刀や挂甲の小札、それに馬具などが出土している。円筒埴輪は6条突帯を持つ大型のもので、他に家形埴輪、馬形埴輪、武人埴輪などの形象埴輪も見つかっている。遺物の一部は小美玉市玉里史料館に展示。

権現山古墳と同様、前方部に片側のみ造出を備える。

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60m
愛宕塚古墳

別名愛宕山古墳。60mの前方後円墳でいわゆる帆立貝式。墳頂に愛宕神社がある。

円筒埴輪が出土。また、南北朝時代の愛宕館跡であると言われている。

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主体部のパーツか

 

後円部から前方部を見下ろすとかなりの比高差を実感できる

 

 

 

83.6m
山田峰古墳

小美玉市下玉里

「八艘」の一基で、別名舟塚山古墳。6世紀中葉に築造された墳丘長83.6mの北西向きの前方後円墳。舟塚古墳と同様な6条突帯の円筒埴輪のほか馬形埴輪が出土。

西側の道路側に説明板があり、その周辺は墓地になっているが、その直上は墳丘図にあるように墳丘を切って平場を造成している。墓地を拡充しようとしたのかもしれない。後円部の墳頂は平らな面がほとんどなく、この傾向は周辺の前方後円墳でも見られるため、尖らせて構築するのがこの周辺の流儀なのかもしれない。

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83.4m
滝台古墳

🅿車を止めるスペースはある
🚻なし

6世紀中葉に築造された南南東向きの墳丘長83.4mの前方後円墳。

墳丘の形状が細長く、不明瞭な東側を除いて、細かく4段の段築が施されているが、こういったデザインは全国的に見ても異例。ただ、後世に改変したとしてもそうする意味が分からない。

舟塚古墳と同様な6条突帯の円筒埴輪が出土しており、造出は認められないが、墳丘西側くびれ部分から形象埴輪や須恵器が出土しいることから、その部分は造出のような役割を持った箇所であったのかもしれない。

80m級の大型前方後円墳を立て続け手に造っていた旧玉里村地域であるが、本墳をもってそのサイズの古墳は終わり、つぎの桃山古墳からサイズダウンされる。

現地は古墳公園になっており、遊具なども置かれているが、あまり稼働しているようには見えない。

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段築が明瞭に残る

 

西側墳丘裾から見る霞ヶ浦と筑波山

 

 

53.3m
桃山古墳

6世紀後葉に築造された墳丘長53.3mの北向きの前方後円墳。墳頂に桃山御陵(明治天皇陵)の遥拝所があるというが、2度訪れて、2度とも墳丘に登ることはできていないので確認できていない。

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68m
富士峰古墳跡

6世紀末頃に築造された墳丘長68mの南南西向きの前方後円墳であったが、昭和63年から平成元年にかけての築堤のための採土で削平された。その際に、後円部からは3基の箱式石棺が検出された。出
土遺物は玉里史料館に展示。

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玉里史料館にて撮影

 


小美玉市玉里史料館

小美玉市高崎291-3(生涯学習センター コスモス内)
0299-26-9111
9:30~18:00
月曜休館
公式サイト

「生涯学習センター コスモス」内にあって、見学できるのにオープンしていないことがあるため、その場合はセンターの受付に行って開けてもらおう。

旧玉里村内の遺跡から出土した遺物を展示している。縄文時代や弥生後期の土器などを展示。古墳時代に関しては、権現山古墳から出土した須恵器の筒形器台や直口壺、それに舟塚古墳出土の大型の円筒埴輪などを展示している。

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小美玉市小川資料館

小美玉市小川1664-2
0299-58-5828
9:30~20:00(祝日は17:00まで)
月曜休館
公式サイト

図書館の2階にあって、図書館の閉館時間まで見学できるためありがたい。

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鹿嶋市

90m
大塚古墳

宮中野古墳群

宮中野(きゅうちゅうの)古墳群は、茨城県最大規模の古墳群。前方後円墳19基、帆立貝式古墳2基、方墳3基、円墳103 基が確認されている。

114号墳の大塚古墳は、90mの帆立貝形古墳。帆立貝形としては全国屈指の規模の古墳。

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107.5m
夫婦塚古墳

めおとづかこふん
宮中野古墳群

73号墳の夫婦塚古墳は、宮中野古墳群最大の古墳で、6世紀に築造された墳丘長107.5mの大型前方後円墳。

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鹿島神宮

かしまじんぐう

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鹿嶋市どきどきセンター

茨城県鹿嶋市粟生2242
0299-84-0778
9:00~16:30
土日休館

鹿嶋市の埋蔵文化財整理事務所。考古遺物展示コーナーがあり、第1展示室は旧石器時代から古墳時代、第2展示室は奈良・平安時代、第3展示室は平安時代から近世までの遺物を展示。

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【蕎麦・うどん】
志まむら本店

鹿嶋市平井1295-42
0299-82-9002

鹿嶋市どきどきセンターの近く。
カレー蕎麦を「定食」にしたら、ライスとコロッケが付いてきて、ヴォリュームも価格もバッチリ。また行きたいお店だ。

 
コロッケも最高レヴェルの美味さ

 

 

かすみがうら市

68m
熊野古墳

かすみがうら市市川

墳丘長68mの東向きの前方後円墳。後円部に熊野権現が祀られている。

説明板には5世紀前期の古い形式に属すると記されているが、墳丘を見ると遅くても4世紀後半の築造に見える。二重口縁壺が出土している。

墳丘の形がとても奇麗に残っており、古墳の造形の美しさを追求している方にはぜひ見て欲しい。

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80.2m
富士見塚1号墳

かすみがうら市柏崎

5世紀末から6世紀初頭の頃に築造された墳丘長80.2mの南東向きの前方後円墳。丘陵尾根上に立地。南側に造出(現地説明板では張出と表記)を備える。

発掘調査の結果、後円部からは木棺(の形跡か?)、前方部からは石棺が見つかったが、すでに盗掘を受けていた。後円部からは武器類や馬具、管玉などが出土。周溝からは多数の円筒埴輪や形象埴輪が出土。注目すべきは、説明板に猿形埴輪が出土したと書かれていることだ。

墳丘の復元を見ると、段築がなくて異様。

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25m
富士見塚2号墳

かすみがうら市柏崎

富士見塚1号墳の東側に所在。築造時期は、1号墳と同じ頃。

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18m
富士見塚3号墳

かすみがうら市柏崎

富士見塚2号墳の東隣に所在。築造時期は、1号墳や2号墳から遅れて6世紀末とされる。箱形石棺からは女性と考えられる遺骨を検出。

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富士見塚古墳公園展示館

2025年3月末に閉館

かすみがうら市柏崎1553-3

富士見塚古墳群を始めとしてかすみがうら市内の古墳から出土した埴輪などを展示してあり、パネル展示も丁寧なため見ごたえがあって楽しい。鹿の埴輪がとくに可愛い。

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60m
太子古墳

たいしこふん
かすみがうら市安食

終末期の築造。元々は墳丘長60mの東向きの前方後円墳だったが、現在は石室周囲の墳丘が残るのみとなっており、横穴式石室が随時開口している。

玄室左右の壁面には、朱色の丸紋が描かれてお、装飾古墳の一つとして数えられる。現在でも赤い模様のようなものは見えるが壁画かどうかは分からない。明治23年に発見され、大正時代に大野雲外が装飾古墳として発表し有名になった。

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78m
風返稲荷山古墳

かぜかえしいなりやまこふん
かすみがうら市安食

6世紀末から7世紀初頭に築造された墳丘長70mの西向きの前方後円墳。西向き。

昭和39年に発掘調査が行われた。複室構造の横穴式石室を備え、玄室内には3基の箱式石棺が安置されていたほか、くびれ部からは箱形石棺も見つかった。石室の副葬品は馬具や頭椎大刀など。

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松山瓦窯跡

まつやまかわらかまあと

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志筑城跡

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かすみがうら市歴史博物館

かすみがうら市坂1029-1
029-896-0017
9:00~16:30
月曜休館
公式サイト

新しい時代の霞ヶ浦の歴史がメインで、考古系はあまりない。写真撮影は館内すべてNG。水族館もある。

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古河市

40m
駒塚古墳

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許我の渡り

万葉集に現れる古代からの渡良瀬川の渡河地点

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川戸台遺跡

平安時代の製鉄遺跡。砂鉄はすぐ近くの渡良瀬川河床から採取。兵士が携行する鉄鍋などを製造していたが、時代的には元慶の乱の時期に重なるため、征討軍が使用した物資を製造していた可能性が高い

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古河公方館跡

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長谷観音

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松月院御所塚

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古河城 獅子ヶ崎の土塁

近世古河城のジオラマが古河市博物館にあるのでそれを見ると全体のイメージが掴めるだろう

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古河城 桜門跡

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古河城 本丸跡

本丸周辺の中枢部は渡良瀬川の川岸にあって今はまったく形跡が残っていない

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頼政神社

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古河市歴史博物館および古河城 諏訪曲輪跡

古代・中世の展示は僅かしかないが、近世・近代は充実している。古河の歴史を知る上では必ず訪れるべき施設だが、今時写真撮影NGなのが残念。

敷地内周辺は古河城の諏訪曲輪跡で土塁が残る。

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鷹見泉石記念館

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【食事】うどん茶屋 俵屋

古河市茶屋新田50-4
0280-48-6611

歯ごたえのある美味しいうどんが食べられるお店
唐揚げで白いご飯を食べたいときは唐揚げ定食がお勧め(味噌汁を小うどんにチェンジできる)

 

 

桜川市


爪黒神社

永享12年(1440)3月3日(4日説もある)、持氏の遺児春王丸と安王丸が持氏の遺臣たちとともに常陸国の木所城で挙兵し、安王丸が総大将に奉じられた。

木所城の場所は判明していないが、桜川市の橋本城(別名吉所城)ではないかと言われており、爪黒神社はその麓にある。

爪黒神社の祭神は磐長姫命。神社の由緒によると、地頭太田伊勢守貞経が応永年中(1394~1427)に橋本山に城郭を構え、応永32年(1425)にその鬼門に当る大手先に静岡県松崎町の雲見浅間神社の磐長姫命を奉遷し城の守護神とした。

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鴨大神御子神主玉神社

祭神は主玉神、太田々根子神、別雷神。

挙兵した安王丸らは、同月4日には木所城にほど近い当社で戦勝祈願を行った。

奉納した人物の名は「御代衆景助」で、景助という名前の武士が代理を務めたことが分かるが、「助」を通字に持つ簗田氏の人物であると考えられている。簗田氏は、のちに古河公方の有力家臣となる一族。

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長方南の鎌倉街道

地元で鎌倉街道と呼ばれている古道跡。中世古道の雰囲気が残っている。

結城合戦の前段、春王・安王らはここを通過して西へ向かったはず。

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【蕎麦】魚勝

桜川市西小塙845-2
070-4105-4564

名前の通り海鮮関係もあるようだが、安くて美味しい手打蕎麦が食べられる。ただし、ご主人一人でやっており提供まで時間が掛かるため気長に待とう。

 
鴨つゆせいろそばの特盛

 

城里町

37.8×30m
頓化原古墳

7世紀後半に築造された古墳で、長辺37.8m、短辺22~30mの長方墳。方墳は微妙に正方形でないことが多いが、あからさまな長方形は珍しい。石室の見学はできない。

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茨城県埋蔵文化財センター いせきぴあ茨城

城里町北方1481
029-289-3300
9:00~17:00
土曜、祝日休館
公式サイト

数は少ないが茨城県内の遺跡で出土した考古遺物を展示してあり、係りの方が丁寧に解説してくださる。建物裏には頓化原古墳があるため、併せて見学しよう。

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筑西市


小栗城跡

桓武平氏の小栗氏は、12世紀からこの地で代を重ねたが、応永30年(1423)、14代満重のとき、鎌倉公方持氏と戦い没落。

永享12年(1440)の結城合戦の前段では、木所城に10日間滞在した春王丸・安王丸らは、周囲にその存在を知らしめながら、4月13日には小栗城へ移動した。

タイミング的に、小栗氏没落の後なので、小栗城は空き家状態だったのだろう。

結城合戦後、小栗助重が結城城攻めの勲功により小栗城を回復した。

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伊佐城跡

『吾妻鑑』によると、文治5年(1189)8月の奥州藤原氏討伐における阿津賀志山の戦いで、常陸入道念西は、子息である常陸冠者為宗・同次郎為重・同三郎資綱・同四郎為家らとともに活躍しており、伊達家では、この確実に実在人物であることがわかる念西の名を朝宗とし、高祖としている。

念西の本貫地は、伊佐郡だと思われ、念西は伊佐を名字としていた可能性がある。伊佐氏は、平安時代には常陸国の在庁官人を勤める家系であった。

南北朝時代、伊達行朝は南朝側として戦ったが、伊佐城は興国4年(1343)に落城した。

結城合戦の前段で、春王丸・安王丸らが小栗城の次に移った場所が伊佐と伝わるが、それが今の伊佐城跡であったかは分からない。

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勸音寺

施無畏山延命院と号する天台宗の寺。

寺伝によると、中国梁の時代の580年頃に渡来した法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)が、この地に観音菩薩像を祀ったのが始まり。

646年には、阿部倉梯麻呂の姫の熱病を平癒させた霊験により孝徳天皇から「延命」の称を賜った。

源頼朝の平泉征伐の際に、当地の豪族・中村常陸介が武運を祈願。南北朝の戦いが激しかった1336年には、南朝方の伊達行朝が武運を祈念して本堂、仁王門、経蔵、鐘楼、五層塔を新たに造営し、比叡山より実相坊心海(じっそうぼうしんかい)が招かれ、中興開山された。

江戸時代になっても伊達家から篤く信奉されている。

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下館藩主 石川総管の墓

観音寺境内にある。

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八幡神社(諏訪八幡宮)

伊達氏の祖・伊佐氏の創建といわれる八幡と諏訪の両神を祀る神社。

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つくば市

90m
沼田八幡塚古墳

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沼田八幡古墳西側の古墳

詳細不明

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金田官衙遺跡(河内郡衙関連遺跡)

説明板なし

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小田城跡

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つくば市桜歴史民俗資料館

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土浦市


上高津貝塚

土浦市上高津

縄文時代後~晩期の集落を伴う貝塚。明治39年に小説家・江見水蔭によって初めて発掘調査が行われ、昭和43年から46年にかけて慶応大学や東京大学により発掘調査が行われた。

長径190m×短径120mの馬蹄形を呈し、A~D地点の貝塚と、製塩遺構がみつかったE地点の計5か所
からなる。

A地点には貝層展示室がある。上高津貝塚の人びとは、とくにヤマトシジ
ミをたくさん食べていたことが分かる。

B地点には展望デッキがあり、デッキに登ると貝殻の散布を見ることができる。

C地点では、住居跡や墓壙などが見つかっており、3軒の住居が復元されている。墓は土饅頭で復元されている。

E地点では製塩が行われており、製塩用の大型炉の復元がある。製塩遺構の復元が見られる遺跡は珍しい。

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56.2m
后塚古墳

きさきづかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町

墳丘長56.2mの南西向きの前方後方墳。前方後円墳との説があったが、王塚古墳とともに平成30年から4か年に渡って土浦市と筑波大学が発掘調査を行った結果、前方後方墳であることが確定した。霞ヶ浦沿岸の前方後方墳としては、小美玉市の勅使塚古墳(64m)とともに最大級。

土浦入りを南に臨む台地辺縁部に王塚古墳と隣接して築造されており、一般的なセオリーからすると、后塚古墳の方が築造時期が早いと考えられるが、両墳は4世紀中葉にほぼ同時期に築造されたことが判明した。

前方部は地山削り出し、後方部は地山削り出しに盛土で構築。墳丘図を見ると段築らしきものはない。主体部は地下レーダー探査を行ったが未発掘。後方部墳頂から高坏・器台・壺の破片が出土し、周溝からは底部穿孔壺が出土。

説明板無し。

参考:『王塚古墳・后塚古墳』

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83m
王塚古墳

おうつかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町

4世紀中葉に築造された南東向きの前方後円墳。墳丘長は83m。後円部は2段築成で前方部は段築無し。前方部と後円部の下段は地山削り出しで、後円部上段は盛土。後円部墳頂から底部穿孔の小型丸底鉢や壺形埴輪片が出土し、周溝は後円部先端部分にのみめぐり、鉄鏃が出土した。

主体部は不明だが、陥没している箇所の観察結果に地下レーダー探査の結果をあわせて考えると、
墳丘主軸に並行した長大な木棺が直葬あるいは粘土槨で埋められている可能性が高い。

説明板無し。

参考:『王塚古墳・后塚古墳』

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90m
常名天神山古墳

ひたなてんじんやまこふん
土浦市常名町字西根

説明板では5世紀初め頃の築造とあるが、土浦市の最近の見解では前期の築造とする。桜川に面する台地縁部に立地する西向きの前方後円墳。現在の墳丘規模は70m程だが、本来は90m程であったと考えられている。

後円部には常名神社が祀られていたが、2023年5月7日午前0時過ぎに発生した不審火によって社殿と倉庫が全焼した。

前方部には、安土桃山時代に造られた土浦市指定文化財の宝篋印塔が建つ。

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60m
今泉愛宕山古墳

いまいずみあたごやまこふん
土浦市今泉町原田
愛宕山古墳群

6世紀後半に築造された墳丘長60mの北西向きの前方後円墳。愛宕神社が祀られているのは前方部側。周溝のような浅い溝は後円部先端付近から南西部側にのみ見られる。平成元年から翌年にかけて茨城大学人文学部考古学研究室によって測量調査が行われた。説明板は設置されていない。

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東台13号墳の箱式石棺

土浦市考古資料館の駐車場の隅にひっそりと置かれており、生垣に囲まれているため気づきにくい。

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22~23m
武者塚古墳

土浦市上坂田

終末期に築造された方墳。昭和58年(1983)に筑波大学考古学研究室が発掘調査。箱形石棺と横穴式石室の特徴を併せて持つ特異な石室が見つかり未盗掘だった。合計6体の遺体が認識でき、口ひげや顎ひげ、それに美豆良の状態の頭髪が見つかり、唐草文の銀帯状金具や、銀装圭頭大刀、銅装三累環頭大刀、鉄柄銅杓などの豪華な副葬品が添えられていた。出土品は国の重要文化財に指定されており、土浦市考古資料館に出土遺物の写真を展示している。

令和4年の筑波大学と土浦市の調査により、一辺22~23mの方墳であることが分かった。石室は覆屋の外から窓越しに見学できるが、網を張っているので写真を撮ると石室にフォーカスできない。

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土浦市考古資料館にて撮影

 

22~23m
武者塚2号墳の箱形石棺

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土浦城跡

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土浦市立考古資料館

土浦市上高津1843
826-7111
9:00~16:30
月曜休館

上高津貝塚について詳しく解説しているほか、土浦市内の遺跡から出土した遺物を展示している。基本的には縄文関連の展示で、霞ヶ浦沿岸は貝塚が多いため、貝塚という遺跡の特徴について理解が深められるようになっている。

上高津貝塚から出土した土器に関しては、元の形まで接合しての展示は少ないが、土偶の優品をいくつか展示している。また、上高津貝塚では製塩が行われていたため、それについての説明も詳しい。

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探訪レポート

 

 

 

【ホテル】ホテル フィット

土浦市港町1-8-26
029-822-4111

土浦駅東口から徒歩5分もかからない。廉価なビジネスホテルと比べて部屋が広く、サウナ付きの大浴場があり、無料のマッサージチェアも置いてある。朝食、駐車場ともに無料。宿泊料は時価だと思うので、たまたまだったかもしれないが、最高のコスパで泊まれた。

ホテル内に酒類の自販機を置いていないが、すぐ近くにコンビニがある。

 
生憎の天気だったが4階の部屋から見た桜川方面
無料朝食も十分な内容(カレーも食べた)

 

東海村

87m
村松権現山古墳

むらまつごんげんやまこふん
東海村

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取手市

32m
糠塚1号墳

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取手市埋蔵文化財センター

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行方市

64m
勅使塚古墳

ちょくしづかこふん
行方市沖洲

高浜入り北岸の台地上に築造された墳丘長64mの南東向きの前方後方墳。前期後半の築造。霞ヶ浦沿岸では、土浦市の后塚古墳と並んで最大級の前方後方墳。

明治36年に大塚初重率いる明治大学が発掘。後方部で見つかった主体部は木棺直葬。仿製の重圏文鏡やガラス小玉、管玉などが出土。墳頂部からは底部穿孔の二重口縁壺や器台が見つかった。

昔、勅使がこの地で病没し、村人たちが塚を築いて手厚く葬ったという伝承が残っている。

古墳は個人の敷地内にあるため、見学には古墳所有者の許可が必要。説明板無し。

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85m
三昧塚古墳

さんまいづかこふん
行方市沖洲467-1

🅿あり
🚻なし

5世紀後半に築造された墳丘長85mの北西向きの前方後円墳。沖積地上に立地。発掘調査により、後円部墳頂の埋葬施設は、箱式石棺と木棺。箱式石棺から金銅製馬形飾付冠・金銅製垂飾付耳飾・変形四神四獣鏡などが見つかった。

墳丘には円筒埴輪がめぐっており、形象埴輪では人物・鹿・牛・犬などが見つかっている。

石岡方面から国道355号線を走っていくと道路左手に大きな前方部が現れるので見逃すことは無い。

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40m
大日塚古墳

だいにちづかこふん
行方市沖洲

6世紀中頃に造営された西向きの前方後円墳。墳丘長は40mで、後円部径が30mあるので、平面形は帆立貝式のようになっている。

後円部に大型の雲母片岩の一枚岩によって造られた横穴式石室が南向きに開口している。茨城県の古墳で横穴式石室に入れる古墳は少ないので貴重。円筒埴輪が出土したほか、東京国立博物館に展示している国重文の猿形埴輪は、本古墳から出土したと伝わっている。

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後円部から前方部を見る

 

 

 

 

伝大日塚古墳出土・猿形埴輪(東京国立博物館にて撮影)

 

 

【食事】ばんどう太郎 玉造店

茨城県に多い和食ファミレスで、三昧塚古墳から車ならすぐの場所に玉造店がある。冬でなくても味噌煮込みうどんは最高。

行方市玉造1824-1
0299-55-3971

 
 

 

 

坂東市


島広山 石井営所跡

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石井の井戸

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國王神社

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常陸太田市

151m
梵天山古墳

ぼんてんやまこふん
常陸太田市島町2317
梵天山古墳群

梵天山古墳群の主墳で、県内で2番目の規模の前方後円墳。4世紀前半の築造で、星神社古墳と同じ頃とされる。

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円塚

常陸太田市
梵天山古墳群

梵天山古墳の墳丘のすぐ近くに造られている。

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90m
高山塚古墳

たかやまづかこふん
常陸太田市
梵天山古墳群

5世紀に築造された径90mの円墳で、円墳では国内3位タイの大きさ。

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阿弥陀塚古墳

あみだづかこふん
常陸太田市
梵天山古墳群

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12号墳

ぼんてんやまこふん
常陸太田市
梵天山古墳群

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西天塚古墳

常陸太田市
梵天山古墳群

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宝蔵塚古墳

常陸太田市
梵天山古墳群

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富士山塚古墳

常陸太田市
梵天山古墳群

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円塚古墳跡

常陸太田市
梵天山古墳群

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100m
星神社古墳

常陸太田市
梵天山古墳群

4世紀後半に築造された前方後円墳。墳丘は神社や墓地などによって削られている。墳丘からは特殊器台型埴輪の破片が見つかったとされ誤認でなければ偉いことだ。

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80~90m
常光院古墳

じょうこういんこふん
常陸太田市
梵天山古墳群

説明板なし。前方後円墳データベースによると墳丘長は80~90m。

前方後方墳の可能性が指摘されている古墳。もしそうだとすると、墳丘長80~90mは全国的に見ても大型の前方後方墳となり、茨城でナンバーワンとなる。

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70m
中野冨士山古墳

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常陸大宮市


泉坂下遺跡

常陸大宮市泉

再葬墓に使用された人面付きの壺が出土

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「発掘され日本列島2014」にて撮影

 

 

 

ひたちなか市

56.5m
虎塚古墳

とらづかこふん
ひたちなか市中根

7世紀前半の築造で、前方後円墳としては最終段階。後円部の横穴式石室内部には、凝灰岩の表面に白色粘土を塗りベンガラで壁画を描いている。男性一体分の遺体を検出。

石室は毎年春と秋に一般公開される。

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十五郎穴横穴墓群

じゅうごろうあなよこあなぼぐん
ひたちなか市中根3490-イ

古墳時代終末期から奈良時代にかけての横穴墓群。周辺を含めると300基ほどの横穴墓群が形成されていたと考えられている。遺物は、ひたちなか市埋蔵文化財調査センターに展示している。令和6年2月21日、国史跡に指定された。

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馬渡埴輪製作遺跡

まわたりはにわせいさくいせき
ひたちなか市馬渡2881-3

5世紀末から6世紀にかけて操業していた埴輪窯跡。昭和38年に地元の中学生がヤマユリの球根を掘っているときに馬形埴輪片を見つけ、それがきっかけとなって調査が始まった。その記念すべき馬形埴輪は、ひたちなか市埋蔵文化財調査センターに展示してある。

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ひたちなか市埋蔵文化財調査センター

ひたちなか市中根3499
029-276-8311
9:00~17:00
月曜休館
公式サイト

虎塚古墳の壁画のレプリカが目玉だが、埋文センターだけあって、旧石器時代以降の遺物が展示され、縄文土器を始めとして各時代の素晴らしい遺物が堪能できる。点数は決して多くは無いが、じっくり見る価値があるため、考古好きなら最低1時間は確保して見学しよう。

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虎塚古墳石室レプリカ 

 

 

【焼肉】風林

ひたちなか市枝川2194
029-227-7606

ひたちなか市内で美味しい焼肉が食べられるお店と言えば「風林」。お肉のクオリティに妥協せずにお値打ち価格で食べるには土日限定のランチがお勧め。平日はランチ営業はしていない。

 
 

 

水戸市


大串貝塚

おおくしかいづか
水戸市

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牛伏(うしぶし)古墳群

 前方後円墳6基、帆立貝形1基、円墳9基からなり、「くれふしの里古墳公園」(水戸市牛伏町201-2)のなかで9基が見学できるようになっている。もちろん駐車場もあるので、気軽に出かけてみよう。

現地説明板を撮影して加筆転載

 

 狭い範囲に前方後円墳が6基も密集しているのは面白いですし、それ以外にも帆立貝形が1基と円墳が9基あり、発掘調査をされたのは4号墳のみなので、各古墳の築造時期や築造順は分からないものの、中期の後半から後期末にかけて築造された古墳群であると考えられています。

 前方後円墳の向きがあっち向いたりこっち向いたりで、まるで仲が悪かったように見えますが、決してそうではなく、台地の下から見上げたときに見える台地縁の部分だったり、後期だと横穴式石室が普及してきますから、石室開口部の向きを考えた結果こうなってしまったのでしょう。

 公園内には日本最大の人物埴輪である(?)はに丸タワーがあります。

 

 上に登ることができますぞ。

 

60m
牛伏17号墳(お富士様古墳)

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30m
牛伏6号墳

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18m
牛伏7号墳

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20m
牛伏10号墳

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28m
牛伏1号墳

未整備

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45m
牛伏2号墳(十二所神社古墳)

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44m
牛伏3号墳

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52m
牛伏4号墳(唐櫃塚古墳)

牛伏古墳群の中で唯一発掘調査がされた古墳
6世紀後半の築造

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28m
牛伏5号墳

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80m
内原舟塚古墳

水戸市

説明板無し

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28m
鹿島塚古墳

水戸市

説明板無し

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団子塚古墳

水戸市

説明板無し

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右側に小さく写りこんでいますが分かりづらくてすみません。

 

136.5m
水戸愛宕山古墳

みとあたごやまこふん
水戸市愛宕町

6世紀初頭に築造された前方後円墳で、県内4番目の大きさ。円筒埴輪(Ⅲ式)と須恵器壺が見つかっている。

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14m
馬塚古墳

水戸市

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30m+
吉田古墳

水戸市元吉田町345

6世紀末以降に築造された八角墳。横穴式石室
は南側に開口し、全長は
3mほど。奥壁には線刻
画が施されているが、現
在石室は埋められてい
る。

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台渡里官衙遺跡群

だいわたりかんがいせきぐん
水戸市

古代那珂郡の郡衙跡と郡寺跡

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水戸城跡

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水戸市埋蔵文化財センター

みとしまいぞうぶんかざいせんたー
水戸市

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茨城県立歴史館

水戸市緑町2-1-15
029-225-4425
9:30~17:00
月曜休館
公式サイト

県立の歴史博物館だが、考古系は弱く、むしろ水戸藩関係などの新しい時代の展示が充実している。写真撮影NGのものが結構多く残念。

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美浦村


陸平貝塚

おかだいらかいづか
美浦村馬見山

縄文時代早期から後期にかけての貝塚を伴う集落跡。貝塚の形状は環状で、南北150m×東西200mの舌状台地の上に展開し、全国的
に見ても有数の大きさ。

A~G、Iの8地点からなり、A・B・D貝塚は、それぞれ単体でも100m×50m以上ある。海進が進んだ中期には遺跡のある安中台地は島となっていた。

見つかった貝は、ハマグリ・オキシジミ・サルボウ・アカニシなど内湾海水域に生息する貝が主体。

学史的に特に重要な発掘地点は、石碑の後ろにあるA貝塚。大森貝塚を掘ったモース博士から直に教えを受けた佐々木忠次郎と飯島魁(いさお)が明治12年に発掘した地点で、日本人だけで初めて近代的な学術発掘が行われた場所と紹介される場所だ。

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興津貝塚

おきつかいづか
美浦村興津

縄文前期貝塚。東関東における前期後半の興津式土器の標式遺跡。

昭和32年と昭和41年に早稲田大学が発掘。南北の2地点の谷頭部斜面で貝塚を検出。住居跡は見つかっていないが、貝塚の台地上にあったのではないかと推定されている。

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81m
愛宕山古墳

美浦村木原

木原台6号墳。5世紀に築造された墳丘長81mの北西向きの前方後円墳(前期の100mの前方後円墳との説もある)。墳丘には愛宕神社が鎮座し、石棺の部材と思われる石材が石段に使用されている。後円部は2段築成。埴輪が見つかっている。

霞ヶ浦北岸に比べて南岸は後期の大型古墳は見当たらないが、前~中期は北側から西、南にかけて一定の支配領域をもって満遍なく築造されていた様子がうかがえる。

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53.4m
大塚1号墳

美浦村大塚

別名弁天塚古墳。5世紀末頃に築造された径53.4m、高さ11.8mの大型円墳。築造された場所は、往時は湖畔の水際のような場所であるため、盛土して造ったのだろう。

『常陸国風土記』逸文の茨城郡の条には、黒坂命が陸奥の蝦夷征討から帰還する途中、多歌郡の角枯山(つのかれやま=現在の日立市十王町黒坂の竪破山)で病没したと記されており、地元では、黒坂命の棺が空を飛んでこの地に参り、大塚古墳1号墳に葬られたと囁かれている。

黒坂命は、常陸南部に伝承を残す大(多)氏の一族で、神八井耳命(第2代綏靖天皇の同母兄)の流れとされる。

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美浦村文化財センター

美浦村土浦2359
029-886-0291
9:00~17:00
月・祝休館

陸平貝塚の麓にあり、特に陸平貝塚について出土遺物とともに詳しく解説している。それ以外にも村内の遺跡から出した遺物を展示。縄文時代中心。

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探訪レポート

 

 

 

 

結城市


結城城跡

永享12年(1440)4月21日、春王丸・安王丸らは結城氏朝に迎えられ結城城に入り、盟主の安王丸は、結城城から各地へ檄を飛ばした。世に言う、結城合戦の始まりである。

結城氏は、藤原秀郷の子孫・小山政光の三男・朝光に始まり、鎌倉時代は代々結城を本拠地とた。

結城氏は南北朝時代には南朝側として戦い、その頃に結城城を築城したが、築城当時は本拠地ではなく、純粋な軍事的拠点だったと考えられる。

朝光以来の本拠地は、結城城の南南西約4㎞の地点にある「城の内」と呼ばれる館跡の可能性が高い。

1360~70年頃になると、結城氏は結城城を本城としたことが、周辺の寺院の創建年代から推測できる。

平城で、現在は周囲との高低差があまりなく、防御力は高そうには思えないが、実際には要害堅固な城だった。

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聡敏神社

そうびんじんじゃ

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結城蔵美館

ミニ郷土資料館的な展示で、結城市内の遺跡から出土した考古遺物も少し展示してあり、意外と良いものがあるので考古系が好きな人もぜひ訪れよう。

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探訪懸案遺跡

新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡
新治郡衙跡
広畑貝塚
鹿島神宮境内 附 郡家跡
結城廃寺跡 附 結城八幡瓦窯跡
長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡
芦間山古墳
長辺寺山古墳
要害山1号墳
桜川市歴史民俗資料館
つくば市出土文化財管理センター
那珂市歴史民俗資料館
高萩市歴史民俗資料館
日立市郷土博物館

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