2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年5月7日に投稿した記事です。
2017年5月3日(水)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】みそ岩屋古墳|千葉県印旛郡栄町 ~岩屋古墳の縮小版のような方墳~【下総古代史探訪⑧】
浅間山古墳の探訪に失敗し、みそ岩屋古墳を見た後は、高尾へ戻るべく雷電號に乗り込みましたが、実は風土記の丘資料館を見学していて、どうしても龍角寺を見てみたくなったのです。
なので母と妹にはもう少し我慢してもらいましょう。
房総のむらから車で数分走り、龍角寺へやってきました。

母と妹はまったく興味が無いため、車の中で待機しているということだったので、「ちょっと写真だけ撮って5分くらいで戻ってくる。もし友達に会ったら長くなるけどね」と言って、まさか友達と会うことは無いと思うのですぐに車へ戻るつもりで探訪を開始します。
参道を塞ぐように車が留まっていますが、ここからまっすぐ参道が伸びており、さきほど歩いた「白鳳道」に接続しています。

龍角寺の創建は何と和銅2年(709)と伝わっており、東日本でもっとも古い寺なのです。
仁王門跡には礎石が残っており、古代寺院マニアであれば、まずここでほくそ笑むと思います。

では、ざっと説明板で龍角寺のプロフィールをご紹介。



浅草の浅草寺も東京一古い寺と言われており、龍角寺と同じくらい古いのですが、残念ながら浅草寺の場合は証拠がありません。
ところが、龍角寺の場合はかなり確度が高いのです。
その証拠の一つが金堂跡の基壇。

礎石らしきものも見えます。

さきほど訪れた風土記の丘資料館には金堂の礎石が展示してありましたね。
そして三重塔跡の礎石のうち、柱を立てる芯礎が残っているのです。




さて、境内をフラフラしていると、ガイドボランティアの方に声を掛けられました。
当初は写真を撮ったらすぐに車に戻るつもりだったのですが、ガイドの方の解説が面白く、会話が弾んでしまったので境内を案内していただきながら、ついつい長話。
ガイドの方の解説によると、三重塔の芯礎に開いている柱を差し込む部分の直径は80cmあり、それに40を掛けた数字が塔の高さを表しているとされ、そうするとこの塔は32mはあったはずで、三重塔としてはちょうどいい高さになるとのことです。
中世の頃、龍角寺の北を流れる利根川は周辺の湖や沼を合わせて「香取海」という広大な内海を形成していたのですが、対岸の常陸側からもここの三重塔が見えたそうです。
さらにもう一つ、龍角寺の古さを表しているのは本尊である銅像薬師如来坐像でしょう。
国の重要文化財に指定されています。

これだけ立派な白鳳仏は関東地方にはあまりありません。
有名なのは東京都調布市の深大寺にある銅像釈迦如来像です。


これは今年の2月12日に東国を歩く会で深大寺を訪れた時に撮影したものです。
実は深大寺の仏像の方は、上の写真の説明の通り、私たちが深大寺を訪れた時は重要文化財だったのですが、つい先月、国宝に格上げされたとガイドさんに教えていただきました。
ガイドさんは国宝格上記念の展示を見に行ってきたそうです。
私たちも深大寺を拝観しながら、「これだけの仏像は国宝級だよね」と話していたのですが、国もそれを認めたということですね。
ガイドさんの希望としては、龍角寺をもっと整備して大勢の観光客に来ていただくとともに、貴重な白鳳仏の存在を世の中に知って欲しいとのことでした。
そうすれば、こちらの仏像も国宝になることもあるかもしれません。
地元の方でも龍角寺の歴史について知らない方が多く、ガイドさんも定年を迎えてから龍角寺の歴史を知りガイドを始めたとのことです。
そしてもう一つ龍角寺についての面白い話は、やはり雨乞いの伝承でしょう。
聖武天皇の在世(8世紀前半)に日本中が疫病の蔓延で大変なことになったことがありました。
最初の方にお見せした説明板にも書かれていますが、そのとき雨もまったく降らなくなってしまったため、朝廷からの指名で龍角寺で雨乞い祈祷をすることになったのです。
すると、身長が2m40cmもある龍の化身が現れ、「望みを受け入れるが、そのために私は死んで身体が3つに分断される」と言い姿を消しました。
それからすぐ、雨が降り注いできたのですが、龍の化身が言った通り、龍角寺には龍の頭の部分が空から落ちてきたのです。
それまでお寺の名前は「龍閣寺」と書いていたのですが、この時以来「龍角寺」としました。
そして、その龍の頭は何と、今現在もお寺に保管されているのです!
以上、ガイドの方から聞いた話なので私が聴き間違っていたらゴメンナサイ。
さて、その問題の龍の頭ですが、普段は見ることができないので写真を見せていただきました。
何かの動物の骨のように見えます。
以前その骨を専門機関で分析してもらったそうです。
ところが、結局何の動物の骨か分からなかったそうです。
おーっ、こういう話しって面白いですねー!
河童のミイラとか、これに類似した話って他にもありますよね。
こういうのは謎のままにしておいた方が良いのかもしれません。
なお、龍角寺は現役のお寺です。

徳川時代には20石の寺領を持っていたこともあり、広大な寺域を形成していました。
末寺も多かったそうで、少し前まではお寺の方が駅に行くまで他人の土地を踏むことはなかったそうです。
駅というのは下総松崎駅でしょうか、それとも安食駅でしょうかね。
いずれにしても相当広い土地です。
往時の復元イメージ。

最後に栄町の案内図。

ガイドさんとの話がつい長くなってしまったので、5分のつもりが30分になってしまいました。
母と妹が待ちくたびれていると思うので、急いで車へ戻ります。
ガイドさん、どうもありがとうございました。
またお会いすることがありましたら、今度はもっとお話しをお伺いしたいと思います。
それではいよいよ帰途に付きたいと思いますが、やっぱり浅間山古墳は見てみたい・・・
⇒ 【gooブログから】龍角寺浅間山古墳|千葉県印旛郡栄町 ~2秒の間に走って戻ってくることはできなかった~【下総古代史探訪⑩<最終回>】
