2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2019年6月19日に投稿した記事です。
年月日()の探訪レポート
つづいて、光善寺薬師堂へ向かいます。
雷電號を走らせていると、大多喜街道沿いに案内板が見えました。
その通りに進むと、お寺というか、お堂がありました。
ここですね。

社殿の背後は土塁で囲まれているのですが、既述した市原城の遺構だと考えられています。
あれ?
鈴?

薬師堂なのに鈴があるって素敵ですね。
エンジョイ・ザ・神仏混交。
お寺と神社を明確に区別するのは、明治以降の新しい信仰感でそれ以前の日本の伝統ではありませんよ。

説明板にも書かれている通り、光善寺は蘇我稲目の子孫である曽我上総太郎光善という人が建立したと伝わっています。
蘇我氏ファンとしては押さえておきたい場所なわけです。
千葉には蘇我という地名があり(今日は蘇我ICで降りた)、飛鳥の蘇我氏と千葉県との関わりはこれから調べていこうと思っているのですが、まずはその端緒として光善寺薬師堂へ来ました。
なんか、石燈籠が妙な存在感を醸し出しています。

千葉県最古!

石燈籠というと近世以降の物というイメージがありますが、これは室町時代のものと推定されているわけですね。
こちらは何でしょう。


この説明板には先ほど訪れた飯香岡八幡宮の「柳楯神事」との関連も書かれていますが、柳楯神事についてはまた後程。
境内には子安神社も鎮座しています。

なお、こちらには薬師堂しかありませんが、光善寺廃寺と呼ばれている古代寺院が7世紀末以降にあったと考えられています。
