2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2020年7月25日に投稿した記事です。
2017年11月23日(木)の探訪レポート
黒塚古墳の下見を終え、これ以降はツアーの予定には入っていませんが、もう少し近辺の古墳を見てみようと思います。
なんか、大きな標柱がありますよ。

道標でした。

新しめの古墳の道標ですが、古墳と言っても陵墓の道標ですから、神々しい感じがしますね。
国道169号線を渡り、行燈山古墳の入口まで来ました。
案内板があります。


では行きますよ。
前方奥に見える森がそうですね。

おっと説明板発見。

まさか、天下の行燈山古墳ですから、説明板がこれだけってことはないですよね?
拝所への階段を登ります。
行燈山古墳へ向かって左手にはアンド山古墳。

こちら側が前方部です。
行燈山古墳と同時期に築造されたと考えられる前方後円墳で、墳丘長は120mですから、関東地方では普通に「大型古墳」ですね。
しかも、120mもあるのに行燈山の陪塚とされているところが流石ヤマトという感じがします。
一方、右手には南アンド山古墳が見えます。

こちらは墳丘がはっきり見えますが、同じく行燈山古墳と同時期に築造されたと考えられている前方後円墳で、墳丘長は65mあり、やはり「飛地は号」とも呼ばれる陪塚です。
手前側が前方部になります。
こんな見事な前方後円墳を2基も従えているのが行燈山古墳です。
拝所に到着しました。

鳥居があり、水濠の向こうに巨大な墳丘が見えますね。

陵墓は大概、前方部の底辺側に拝所があり、行燈山古墳もそうなっています。
少し脇を見ます。

墳丘を眺めていると、やはり私と同じような古墳見学で歩いていると思しき初老の夫婦が近づいてきました。
挨拶をすると、旦那さんから「宮内庁の方?」と聴かれ、普通に「旅行会社の者なんですけど、ツアーの下見に来たんです」と答えました。
※後から思ったのですが、私が宮内庁の人に見えるわけはないので、あのおじさんは多分わざとボケたのじゃないでしょうか。それに対して私が突っ込まなかったので、「関東人はつまらんなあ」と思われたかもしれません。
しばらく立ち話していて、副葬品の話になり、私が「大概の古墳は泥棒さんがすでに暴いていますからね」と言うと、「泥棒を”さん”づけしちゃあかんよ」と窘められました。
※その後畿内によく行くようになってから感じたのは、畿内の人が「さん」を付けた時は関東人がそうするよりも尊敬や親しみの念が多く含まれており、天皇のことも「天皇さん」と呼ぶ人が多いですから、泥棒に「さん」を付けたら畿内の人に怒られますね。
夫婦と分かれ、古墳散策の続きをします。
南アンド山古墳の向こうには国道169号線によって「東半身」を破壊されてしまった大和天神山古墳が見えます。

行燈山古墳の名称の由来はその字面のとおり、形状が行燈に似ているからですが、アンド山と南アンド山古墳の「アンド」も行燈のことです。
「行燈山&アンド山&南アンド山」って早口で3回言ってみてください。
なんか気持ちよくなりますよ。
再度、南アンド山古墳。

そしてアンド山古墳。

少しだけ北側へ行ってみます。

アンド山古墳の形状がさっきよりよく分かります。

国道方面。

では、南側へ行ってみます。
今度は南アンド山古墳がよく見えますよ。

真横からも見える。

前期古墳なのに前方部と後円部の高さが同じくらいというのは奇妙ですが、まあこういうものなんでしょう。
行燈山古墳の南側の長辺の周堤上を歩きます。

行燈山古墳の墳丘長は242mあるので、東日本で最大の太田天神山古墳(210m)よりも一回り大きいですよ。
南側遠くには渋谷向山古墳(現・景行天皇陵)が見えますね。

あっちは300mなのでさらにでかいです。
はい、またまた大和天神山古墳。

あとで行ってみる予定ですが、103mの前方後円墳です。
関東の古墳は水濠を備えたものがほぼゼロですので、こういう風に満々と水を湛えた水濠のある古墳もまた素敵です。

あそこにも古墳が。

「飛地ろ号」という行燈山の陪塚とされている古墳です。
後円部南側の渡り土提まで来ました。

ここから先は行けません。
古墳は墳丘に登れないと楽しみが半減しますが、こういう立派な古墳だと外から眺めるだけでもいいですね。

遠くには二上山も見える。

大和し、うるわし。
東の山側の風景。

ようやくちゃんとした説明板に巡り合いました。

航空写真で今まで見てきた古墳の位置を確認してください。

箸墓古墳はモデル体型ですが、行燈山はポッチャリ体型です。
可愛くていいですね。
後円部の径は158mですから、墳丘長の242mからすると後円部径の割合は65%となり、完全なポッチャリ型ですよ。
いろいろな古墳でこの比率を確認して行くと面白い法則が浮かび上がるので、お時間がある方は古墳のスペックを見て片っ端から電卓を叩いてみてください。
説明板にも書かれていますが、江戸時代に柳本藩が修造し、墳丘自体も手を加えられていますが、とくに周濠の形は大きく変わっています。

奈良盆地で水田を営むときは水の確保が一番ネックになったようで、こういった陵墓の周濠は軒並み灌漑用の池として利用されました。
でも、近世・近代の人たちも古墳時代の王たちが造ったものを利用して農業をしているわけですから、そう考えると古代の王は偉大ですね。

つづいて珍しい形状である「双方中円墳」の櫛山古墳を見てみたいと思います。
