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講座概要
10月の行楽シーズンは、私たち古代史好きにとっても最適な遺跡めぐりシーズンです。
今回は関東平野のど真ん中の栃木県小山市や茨城県筑西(ちくせい)市に繰り出して、縄文遺跡や古墳、そして郡衙跡や古代寺院跡、瓦窯跡をめぐりましょう。それぞれ特徴があって楽しめる遺跡ですよ。
栃木県と茨城県の県境はどこでどうなっているんだろう?という興味を持っている方は現地を見れるチャンスです。
博物館やガイダンス施設では縄文土器や古墳から出土した玉類などの考古遺物も見れます。縄文土器は、東京近辺で見慣れている南関東の土器と似ているけどちょっと異なる風合いのものもあれば、「同じじゃん!」と感じるものもありますので、それも楽しんでいただけると思います。
いろいろな種類の古代遺跡や考古遺物を見ることができて、好奇心が旺盛な方に特にお勧めです。
※本現地講座を企画した段階では、各館の休館予定はチェックしていますが、もし臨時休館になってしまった場合は、他の箇所で代替させていただきます。
※各館に展示してある遺物に関しては、タイミングによっては他館へ貸出している可能性がありますが、その場合はご了承ください。
※本現地講座は自動車を使用します。
本講座のテーマ
AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。
| 旧石器時代 | 日本人のルーツと列島文化の始まりを探る | |
| ◎ | 縄文時代 | 土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる |
| 弥生時代 | 列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う | |
| 古墳~飛鳥時代 | リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る | |
| ◎ | 古墳~飛鳥時代 | 列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪 常陸編 |
| ◎ | 奈良~平安 | リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る |
開催日
日程調整案件ですが、10月25日(日)を催行とさせていただきます。
他に、10月17日(土)あるいは18日(日)は、もう1名様のお申込みで催行にさせていただきますので、よろしくお願いいたします(9月2日追記)
日程調整案件です。以下の日程から希望日をお知らせください(いずれも2026年です)。
・10月17日(土)
・10月18日(日)
・10月24日(土)
・10月25日(日)
複数の希望日を教えてくださると催行や参加可能の確率が高まります。
8月31日22時現在、以下のエントリーをいただいています。
・10月17日(土) ・・・ 1名様
・10月18日(日) ・・・ 1名様
・10月24日(土) ・・・ 1名様
・10月25日(日) ・・・ 2名様
お一人様で複数の可能日をお知らせくださった方がいらっしゃるので、実際にエントリーしてくださった方は上の合計人数よりも少ないです。
また、検討中の方もお一人いらっしゃいます。
集合場所と出発時刻
小山駅 東口ロータリーに9時10分集合でお願いします。
普通列車で来る場合は、以下の「快速ラビット」を想定しています。
・東京駅7:37発 小山駅8:54着
※途中、上野、赤羽、浦和、大宮、東大宮、蓮田、久喜、古河に停車します。
新幹線で来る場合は、以下の列車を想定しています。
・東京駅8:26発 小山駅9:07着 なすの253号
解散場所と帰着時刻
小山駅に18時15分までに戻るようにします。
新幹線は、小山18:33発 東京19:16着があります。
探訪箇所

小山市立博物館|栃木県小山市
「小山の文化のあゆみ」と題した常設展示があり、原始・古代・中世・近世・近現代・民俗で構成されています。ナウマンゾウの化石から始まる時代ごとのオーソドックスな展示なので安心して見学することができます。

縄文時代の遺物の展示もありますが、弥生時代の遺物に関しては、牧ノ内遺跡の第17号方形周溝墓(弥生後期)から出土した赤彩された壺の優品を展示しているほか、関東地方でおそらく十例ほどしか見つかっていない小銅鐸(西浦遺跡出土)のレプリカを展示しています。
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古墳時代の遺物としては、帆立貝式古墳の桑57号墳から出土した蛇行剣や天冠などの貴重な遺物を展示。


小山市には有名な前方後円墳である摩利支天塚古墳や琵琶塚古墳があり、そのすぐ西側には飯塚古墳群がありますが、飯塚古墳群から出土した遺物や下泉古墳群から出土した武器類・玉類の展示もあります。
7世紀に築造された乙女雷電神社古墳(博物館の敷地北側にあった)は、群馬県の古墳と同様に角閃石安山岩を使用して構築した複室構造の横穴式石室を備えていました。古墳はもうありませんが、出土遺物の展示のほか、石室の実物大の模型を展示しています。

当館は下記の乙女不動原瓦窯跡に隣接しており、当該遺跡から出土した瓦などの遺物も展示しています。
小山市乙女1-31-7 0285-45-5331 9:00~17:00(16:30) 祝以外の月・祝の翌日・第4金曜休館

乙女不動原瓦窯跡|小山市
下野薬師寺や下野国分寺に瓦を供給した瓦窯跡。昭和52年に確認調査がなされ、昭和63年から5年に渡って発掘調査が行われました。瓦を焼いた4基の登り窯が検出され、当時の様子がイメージできるように復元整備がされています。

登り窯以外にも工房や粘土採掘坑・粘土の保管場所・瓦の集積場、それに灰原などの関連する遺構も見つかっており、現地はその場所が分かるように整備されています。全国的に見ても律令時代の「瓦工場」をここまでリアルに再現している遺跡はあまりないと思います。
35m
船玉古墳|茨城県筑西市
終末期に築造された一辺35ⅿの方墳。全長11.5mの横穴式石室は複室構造で、茨城県下最大級の雲母片岩の板石を使用して構築しています。実は玄室の奥壁と側壁に壁画の描かれた装飾古墳なのです。現在ではほとんど消えていて確認することが難しいようですが、鳥居龍蔵も調査しており、同じ茨城県のキトラ古墳程の大作ではないとしても、靭・武具・船・円文などが赤や白の顔料を使い描かれていたようです。
現在は石室内に入ることはできませんが、墳丘を眺めながら「凄い装飾古墳なんだ!」とロマンを感じましょう。一辺35ⅿの方墳ですからそこそこ大きいですよ。
鳥居龍蔵ファン必訪!
141m
葦間山古墳|筑西市
前方部が削られていますが、筑波大学の測量調査によると復元長は141ⅿを測り、茨城県では3番目の大きさの古墳です。全国ランクは、稲用調べでは兵庫県朝来市の池田古墳と並んで84位です。築造時期は、中期初頭との説がありますが、本格的な調査は行われておらず分かりません。個人所有ですが、墳丘の一部分に登ることができます。

新治郡衙跡|筑西市
AICT内でも地味な人気を誇る(?)郡衙跡シリーズです。郡衙(ぐんが)というのは郡家(ぐうけ)と呼ばれることもありますが、8世紀以降の郡の役場のことです。
新治(にいはり)郡衙跡は、昭和16年と18年の2度に渡って発掘調査が行われ、4つのまとまりに分けられる建物跡が合計50棟も見つかりました(51棟とする資料もあります)。
列島各地にあった郡衙の内部構成を大きく2つに分けると、役人たちが政治を行う政庁と納められた税を保管しておく倉庫群である正倉院から構成されます。西部群からは9棟の建物跡が見つかりましたが、そこが政庁です。それ以外の北部群24棟、東部群13棟、南部群4棟の建物群が正倉院です。
全国の郡衙跡を見ると、意外と政庁と正倉院の両方の遺構が確認されている遺跡は多くありません。
また、興味深いのは六国史の『日本後紀』の記事と符号する遺構が認められたことです。
『日本後記』の弘仁8年(817)10月7日条には、「常陸國新治郡災。焼不動倉十三宇。穀九千九百九十斛」とあります。新治郡衙が火災に遭って、不動倉(緊急時に使うため滅多に開けない倉)が13棟焼けて9990斛の穀物が焼失したとあるわけですね。実際の発掘調査からは、東部群の13棟がこの内容と合致しました。東部群からは炭火した建物の用材とともに焼き籾が見つかっているのです。
この時代は郡衙の正倉が火災で焼失することが度々あり、それは「神火(じんか)」といって、神様が怒って火をつけたとして中央に報告されていました。しかし、神様は放火魔ではありませんから、実際のところは役人が税を着服していて、それがバレそうになると放火して証拠を隠滅していたのです。
ところで、新治郡衙は常陸国に属します。律令時代、茨城県石岡市にあった常陸国府は東海道に属し、栃木市にあった下野国府は東山道に属しており別ルートでしたが、新治郡衙は位置的にその中間にあるため、関東地方を横断する常陸国府と下野国府との連絡路(伝路)も近くを走っていたはずです。実際、現地を踏査した方は、新治郡衙跡の北東側で古代の路(伝路)跡の可能性が極めて高い直線状の窪みを見つけています。
瓦は、新治廃寺跡に附指定されている上野原瓦窯跡で焼かれたことが分かっています。
現地には説明板があるだけですが、関東平野の郡衙の立地の特徴が分かるので、現地の景観を眺めて律令時代に思いを馳せてください。
なお、郡の長官のことを大領(たいりょう)と呼び、国府を司る国司が中央から派遣されてくるのに対し、大領は地元の有力者が世襲しました。郡衙ができる前の飛鳥時代には国造(くにのみやつこ)が各地を治めていましたが、新治郡衙は国造の系譜を引く新治直(にいはりのあたい)一族が代々世襲していたと考えられています。

新治廃寺跡|筑西市
8世紀に造営された古代寺院跡。4つの基壇が残っており、多くの古瓦が見つかることで昔から有名でした。それが昭和14年の発掘調査によって古代寺院であることがきちんと確認されたのです。
興味深いのは伽藍配置で、残存する4つの基壇のうち、3つが東西方向に並んでおり、真中が金堂で、その左右が塔という独特な配置です。金堂跡の北側の基壇は講堂跡です。礎石に関しては、金堂跡の礎石にはすべて柱座が造り出されており、東日本の古代寺院の礎石としては造りが丁寧な方です。また、東側の塔跡の基壇には塔心礎が残っています。
律令時代、郡衙の建設にあたっては郡寺と呼ばれる公的な寺院を同時に建設することが多く、新治廃寺跡は新治郡の郡寺です。新治郡の場合は、郡衙跡と郡寺跡の両方が確認されていて、しかも両者ともに国指定史跡という恵まれたケースです。さらに言えば、上野原瓦窯跡という瓦を焼いた遺跡まで見つかっていますからこれは偉いことです。

寺野東遺跡|栃木県小山市
栃木県を代表する縄文遺跡の一つ。ここを訪れないことには栃木県の縄文時代は語れません。
工業団地造成に伴い、平成2年から5年間の発掘調査が行われ、旧石器時代から平安時代に至る複合遺跡であることが分かりました。各時代の中で、特に縄文時代の遺構が注目され、中期前半から後期にかけては、径約190ⅿの範囲に及ぶ集落が形成されていました。見つかった竪穴住居跡の数は74軒で、いつものごとく、大量の土坑(穴)が見つかっています。縄文人は穴が大好き。土坑は木の実などを保管する貯蔵穴(袋状土坑)が多いです。
集落は中期が全盛期で、後期初頭を迎えると規模が小さくなり、その位置も低い場所に移動します。列島各地では後期の水場遺構が見つかりますが、気候の寒冷化によってクリなどのすぐに食べられる木の実が減少し、あく抜きが必要な木の実を食すようになったことと関係していると考えられています。寺野東遺跡の水場遺構からは、木の実を水にさらしてあく抜きをするための施設が見つかっています。

後期前半から後半の村は谷の東西に分かれて営まれるようになりますが、こういう「分村化」も後期の特徴です。東側には、巨大な環状盛土遺構が作られ、現地でもそれを見ることができるのですが、実は関東地方で初めて確認された環状盛土遺構なのです。後期前半に盛られ始め、晩期前半まで盛られ続けました。また、谷の小川からは、主として後期後半から晩期にかけて造られた木組遺構が検出されています。
寺野東遺跡ガイダンス施設|小山市
寺野東遺跡について詳しく説明したガイダンス施設です。出土した各時代の土器などの遺物を展示し、模型や映像によって遺跡について分かりやすく解説しています。
小山市大字梁2075-4 0285-49-1151 9:00~16:30 祝以外の月・祝の翌日休館

環状盛土遺構からは土偶や耳飾りなどの遺物も見つかっています。

また、環状盛土遺構からは珍しいものとしては土面も見つかっています。

国立文化財機構のサイト「e国宝」によると、現在までに見つかっている縄文時代の仮面は140点ほどで、土製(土面)が約120点、貝製が約10点、石製が数点ということです。土面に関しては、東日本の後晩期の遺跡から見つかったものが大多数で、岩手県一戸町の御所野遺跡から出土した「鼻曲り土面」のように、優れたものは国の重要文化財に指定されていることもあります。
土面は、一般的には祭祀の際にシャーマン(?)がこれを顔に被って「何かをした」とされており、ひもを通せる穴も開いています。ただ、土面と言われているものがすべて顔に被ったものであるとは言い切れません。それに、そもそも「何をしたのか」さっぱりわかりません。縄文時代の「祭祀」を見たことがある人は寡聞にして存じません。
寺野東遺跡出土の土面は、祭祀の際に実際に人間が顔に付けたと考えている研究者がいますが、各地で見つかっている土面は、サイズ的に人間の顔と合わなかったり、人間の鼻がぶつかって装着できないものが多いので、人間が被る以外の用途も考えられます。例えば、集落の入り口に建てた木の棒に吊り下げられ、村に「邪悪な何か」が入ってこないようにしていたとする考え方もあります。
縄文時代の遺物は用途の分からないものが多いです。それを偉い先生が「これの使い道はこうだ!」と断言してしまうと、それが弟子に引き継がれて定説化します。その説が正しい可能性も充分あるわけですが、使い方を一つに限定した考え方は危険ですし、縄文人が何を考えていたのか、現代人の発想で考えても彼らの発想はその斜め上を行っている可能性が高いです。柔軟に考えましょう。
参加費
参加人数に関わらずお一人様15,000円
キャンセル料と発生時期
キャンセル料は、開催一か月前に発生し、7,500円となります。
※前日・当日のキャンセル料は、15,000円となります。
催行人員
最少は2名様、最大は5名様。
参加予定メンバー(9月2日現在)
【10月25日(日)】
・MTさん
・えりさん
以上、男性1名様、女性1名様。
※10月17日(土)あるいは18日(日)はもう1名様のお申込みで催行決定です。
※ニックネームは掲載を許可してくださった方のみ掲載しています

10月17日か18日を希望します。
ゴンさん
エントリーありがとうございます。
他の方々からの反応を待ちますので、もう数日お待ちください。
よろしくお願いいたします。