【開催報告】2026/9/19~21【3日間】「石棺王国」播磨の古墳めぐり <第233次 AICT>

※本現地講座は無事終了しました。本ページでは、現地講座の開催内容を振り返ってご報告します。

目次

 

講座概要

 AICTでは、2023年3月に播磨の古代史現地講座を開催しました。そのときは、西摂津を含めて西播磨までの広い範囲で開催しましたが、今回は播磨のみに絞り、かつ播磨の中でも概ね姫路駅近くを流れる市川流域からその東の加古川流域あたりまでの比較的狭い地域をめぐります(播磨の東端にある五色塚古墳はAICTでは過去に4度訪れたので今回は訪れません)。

美しい加古川

 

 播磨は現在の兵庫県の一部です。兵庫県は日本で最も古墳が多い都道府県として有名ですが、石棺の数も飛びぬけています。例えば、比較的ポピュラーな家形石棺は、全国で1200以上見つかっていますが、その3分の1以上が兵庫県にあり、しかもほとんどが播磨なのです。

 播磨は「石棺王国」なわけですが、それを支えたのが石棺材の最高級ブランドである竜山石の存在です。本現地講座では、竜山石の産地近くにある「石の宝殿」という謎の巨大石造物も訪れます。

 ※本現地講座を企画した段階では、各館の休館予定はチェックしていますが、もし臨時休館になってしまった場合は、他の箇所で代替させていただきます。

 ※各館に展示してある遺物に関しては、タイミングによっては他館へ貸出している可能性がありますが、その場合はご了承ください。

 ※本現地講座は自動車でめぐります。

 

本講座のテーマ

 AICTの掲げるテーマの内、本講座は主として「◎」に該当します。

旧石器時代日本人のルーツと列島文化の始まりを探る
縄文時代土器と土偶を楽しもう・列島各地の多様な縄文文化に触れる
〇弥生時代列島各地における国ぐにの発生と邪馬台国の謎を追う
〇古墳~飛鳥時代リアル日本書紀・ヤマト王権の確立と古代国家成立への軌跡を探る
◎古墳~飛鳥時代列島各地の古墳をめぐろう・諸国古墳探訪 播磨編
〇奈良~平安リアル続日本紀・列島各地に残る律令国家を見る

 

開催日

2026年9月19日(土)~21日(月・祝) 

 

参加メンバー

 皆さま、ご参加ありがとうございました。

 ・沖永さん
 ・勝衛さん
 ・葉っぱさん

 以上、女性2名様、男性1名様、合計3名様。

  

探訪レポート

 

【0日目・9月18日(金)】

 


北条鉄道

 今回私は現地講座開催日より1日早く現地入りをします。

 クリティカルな理由があって前乗りするわけではないのですが、宿が安く取れたこともあり、明日からシルバーウィークが始まり新幹線がとんでもないことになりそうなので、1日早く動くことにしました。

 新横浜駅6時24分発の「のぞみ111号」に乗車。

 姫路には9時ちょうどに到着し、まずはホテルに荷物を預けに行きます。

 

 今回は、姫路駅前ユニバーサルホテル南口に連泊でお世話になります。

 本日は、レンタカーを借りず、列車で加西市へ向かいます。

 姫路駅に行き、新快速のホームに上がるとちょうど向こうから播但線の103系が入ってくるところでした。

 

 この顔を見て「懐かしい!」と思った方もいることでしょう。

 むかーし、山手線をはじめとして関東地方でも走っていた103系です。

 ただしこれは3500番台と呼ばれる車種です。

 回送列車でしたが、このあとお客さんを乗せるんだと思います。

 普段は2両編成で走っていますが、これは4両編成で、お客さんを乗せる気満々です。

 姫路は相変わらず外国人観光客が多くて、今朝も賑わっていますが、あんまりこれに乗ろうと思う観光客はいないかもしれません。

 でも、城も鉄道も両方好きなら、これに乗って隣の京口駅まで行って、そこから姫路城を目指すのも良いかと思います。

 関西人にはお馴染みの225系100番台と並びました。

 

 

 これは普通電車なので、この次に来る新快速に乗ってまずは加古川まで行きます。

 新快速は、私が子供の頃は117系が走っていて、当時は関西に行く機会などはなく、憧れの列車でした。

 姫路駅から加古川駅までは新快速だと1駅で、10分です。

 新快速って普通の(?)快速なんですが、長距離を豪快にぶっ飛ばして敦賀まで行けちゃいます。

 姫路から京都までは1時間半くらいですから、私が都心へお出かけするくらいの感覚で、姫路市民は京都へ行けるんですね。

 姫路から加古川へ向かう途中、市川を渡ると左手に播磨国分寺跡が見えますが、あっという間に通過しました。

 加古川に到着したら、今度はJR加古川線に乗り換えです。

 125系いた。

 

 着席して待っていると、向こう側ホームに緑色の車両が入ってきたので撮りに行きます。

 これは珍しい!

 103系の3550番台。

 

 冒頭に登場した播但線も103系でしたが、これも103系なのです。

 随分と顔が違いますが、元々中間車両だった車両に運転台を設置したので顔がまったく違うのです。

 78~79年に製造された103系を改造して、加古川線の電化に合わせて2004年にデビューしたので、もう50年近く頑張ってるんですね。

 私と年が近いので親しみを感じます。

 さっきは「珍しい」と言いましたが、基本的に加古川線の加古川駅~西脇市駅間でのみ運用されている車両ですので、珍しいどころか初めて見た車両でした。

 では、元の125系に戻って着座します。

 単線の加古川線に揺られていると、右手に日岡山や日岡神社が見えます。

 日岡山には日岡山古墳群があり、加古川線の日岡駅から歩いて行ける距離です。

 日岡山古墳群と日岡神社は、また改めて3日後に来ますよ。

3日後に日岡山公園の展望台から見た加古川線

 

 25分ほど乗車して粟生(あお)駅までやってきました。

 ここからは第3セクターの北条鉄道が出ており、それに乗り換えて終点の北条町(ほうじょうまち)駅まで行きます。

 事前に乗換案内で調べたところでは、列車は1時間後でした。

 そのため、どうやって時間を潰そうかと思っていたのですが、北条鉄道のキハ40形がプラットホームに停まっています。

 変だなあと思いつつ、プラプラしていると、キハ40形から運転士さんが走って来て「乗りますか!」と声を掛けられました。

 「発車はいつですか?」

 「すぐです!」

 「え、乗ります!」

 ということで、乗り換え時間が2分だったため、乗換案内で「乗り換え不可能」と判断され、その次の列車が表示されていたようです。

 ともかく、運転士さんが親切だったお陰で、1時間早く現地に着くことができるので助かりました。

 しかし懐かしい車内だ!

 

 ディーゼルエンジンの音も良いし、振動がまた堪らない。

 片扉(1枚扉)を見ると異様に興奮します。

 車内を見渡すと、「楽しい旅行はJR東日本で」と書かれ、五能線の路線図が貼ってあります。

 「あれ、俺は今どこにいるんだっけ?」

 Webで調べてみると、北条鉄道では3両の客車が運行を担っていましたが、本数を増やすために、JR東日本から五能線で走っていたキハ40形の中古品を購入したそうです。

 長(おさ)駅には、「駅ナカ婚活相談所」というプレートが貼られています。

窓ガラスの状態の関係で変な色になっています

 

 調べたところ、北条鉄道では各駅を「テナント」のような形で貸し出し、市民の皆さんが活用しているとのことです。

 粟生駅から20分ちょっと揺られて、終点の北条町駅に着きました。

 楽しかったー。

 粟生駅では慌ただしくて車両を撮っていなかったので改めて。

 

 隣にいるのは、北条鉄道の主力車両であるフラワ2000形です(フラワ2000-1号)。

 

 加西市内には兵庫県立フラワーセンターがあり、そこから採った形式名だそうです。

 ※そのフラワーセンターにはこの2日後に訪れたのですが、驚くべき場所でした。

 

 キハ40形の反対側も撮影。

 

 五能線のプレートを付けたままですね。

 塗色も敢えて五能線のままですし、こういうところが鉄道マニアに喜ばれる所以なのです。

 2022年から営業運転を始めましたが、この子も五能線で40年以上走った車両なんですよね。

 五能線の木造駅では、この子の兄弟の写真を何枚か撮っています。

木造駅にて2018年8月撮影

 

JR五能線・木造駅のしゃこちゃん

 

 播磨には亀ヶ岡文化はほとんど伝わっていませんから、しゃこちゃんに会えなくなって寂しいかもしれませんが、新天地では人気者として頑張っています。

 実は、今回北条鉄道に乗るまでは私はまったくこの鉄道会社のことを知らなかったのです。

 ただ単に北条町駅から歩いて行ける場所をめぐるために乗っただけだったのですが、すんばらしい鉄道会社でした。

 結果オーライで鉄道も楽しめることができたわけです。

 駅名表示の右下には、「ねっぴー」という加西市のキャラクターが書かれています。

 

 「ねっぴー」は、「播磨国風土記」に登場する根日女(ねひめ)という国造のお姫様から取っており、2人の皇太子から求婚され、どちらとも結婚することなく老いて亡くなり、玉丘に葬られた人です。

 玉丘というのは、地元では墳丘長109ⅿの前方後円墳である玉丘古墳のことだと言われており、玉丘古墳は明後日、改めて探訪します。

 

 

 

ランチ:七福

 それでは、北条町駅を出発しますよ。 

 意気揚々と歩き出しましたが、時刻はもうすぐお昼です。

 丸亀製麺があったので食べようかと思ったのですが、もう少し歩くと札幌味噌ラーメンの「七福」というお店があるようです。

 あった!

 

 つけ麺があるのでそれをチョイス。

 

 北海道産の2種の小麦粉をブレンドして製麺したとのことで、確かに麺はとてもよい風味と食感です。

 じっくり味わって食べました。

 お店の方の感じも良くて、また来たいなあと思う店でした。

 腹ごしらえもバッチリできたので、もはや憂うことは何もありません。

 最初の目的地である加西市埋蔵文化財整理室へ向かいますよ。

 


加西市埋蔵文化財整理室

 おっと、市民会館の前に石仏の模造品らしきものが置かれている。

 

 私に何かを伝えようとしているのだろうか・・・

 着いた。

 

 この施設は当初、現地講座の行程に組み込むつもりだったのですが土日祝が休みです。

 今回は開催日に平日が一日も含まれなかったため行程から外したのですが、個人的にどうしてもここの展示が見たかったのです。

 目当ては、玉丘古墳群の出土遺物。

 

 埴輪の展示が多いなか、目玉は玉丘古墳から出土した長持形石棺です。

 

 長持形石棺については、このページの後の方にも記載していますが、主として5世紀の大王や畿内とその近傍の最重要有力者の古墳の石棺として使用されました。

 そのため「王者の石棺」の異名を取ります。

 組合せ式で、6枚の部材からなっており、底の部分はまだ玉丘古墳に置かれたまま(埋もれたまま)です。

 それ以外の部分もすべてが見つかっているわけではないのですが、大きさが分かるように展示されています。

 見たかったものが見れて一安心です。

 


笹塚古墳(44.8ⅿ)

 今日は古墳を2基見ようと思います。

 2基ともに国史跡・玉丘古墳群の中の1基です。

 最初は、5世紀前葉から中葉頃に築造された復元墳長44.8ⅿの帆立貝式古墳である笹塚古墳。

 笹塚公園の中に奇麗な状態で存在しました。

 

 2段築成で葺石・埴輪あり。 

 墳丘に登れるように階段が設置されており、墳頂には主体部の表示があります。

 

 前方部を見下ろします。

 

 造出を見下ろします。

 

 両者の位置関係。

 


マンジュウ古墳(46ⅿ)

 つづいて、マンジュウ古墳へ行きます。

 マンジュウ古墳は、墳丘の損壊が激しいとのことですが・・・

 あ、「マンジュウ古墳」と書かれた看板が見える。

 

 ありゃりゃ、これはひどい。

 

 説明板はありません。

 墳丘に登ってみます。

 

 なんだかよく分かりませんね。

 マンジュウ古墳も5世紀に築造された帆立貝式古墳ですが、笹塚古墳よりも後出で、5世紀中頃から後半の築造と考えられています。

 平成14年から翌年にかけて発掘調査が行われましたが、その時点で主体部はすでに無くなっていました。

 調査の結果、46ⅿの帆立貝式古墳で、2段築成と考えられ、造出を備えていることが分かり、築造時期は上述の通りとされました。

 笹塚古墳とそっくりな古墳ですね。

 


山伏峠石仏

 今回の現地講座に関連する遺跡について文献調査をしていたら「石棺仏」が気になりだしました。

 石棺仏とは、古墳に埋納された石棺を主として鎌倉時代や南北朝時代に再利用して仏像を彫って拝んだものです。

 なんで棺を使ったのかと言うと、一つは古墳が盗掘されたあと、ほっぽられていた石棺がたくさんあったことが挙げられるでしょう。

 私は過去に他の地域で2つくらいしか見たことが無いのですが、播磨には数多くの石棺仏があるというのです。

 それでいくつかの場所を調べてみたのですが、 山伏峠石仏という石棺仏マニアがお勧めしているものがこの近くにあるとのことです。

 それを見に行きたいと思います。

 「玉丘交差点」に来ました。

 

 右へ行くと玉丘古墳へ行きますが、石棺仏は直進です。

 坂を登ると右手に「アラジンスタジアム」が現れました。

 ※この時は「アラジンって何だろう?」と思っただけでしたが、この2日後、「アラジン」の意味が判明し驚愕します。

 おっと、ここにも石仏出現!

 

 この写真の左側の石棺仏を拝みに行きたいのです。

 この先にあるのだな?

 

 あった!

 

 これだ!

 

 石仏は、3基あります。

 まずは一番手前。

 これは完全に家形石棺の蓋ですよ。

 

 後ろに回って確認します。

 

 うわーヤバい。

 現在は判読不能ですが、建武4年(1337)の銘があるそうです。

 真ん中の1基は石棺仏ではないようです。

 

 裏側はこうなっています。

 

 そして先ほどの看板にも登場した石棺仏。

 

 長持形石棺の蓋です。

 

 こちらは暦応元年(1338)の造立です。

 説明板によると、この2基は、加西市域における南北朝時代前期の基準作例となっているとのことです。

 こういった石仏は、普通の石仏ファンにも喜ばれると思いますが、古墳マニアからするとまた違った感慨を受けることになると思います。

 古墳マニアにこそ見て欲しい石棺仏だと思いました。

 蚊の大群に好き勝手されているので、そろそろ去ります。

 


大年神社

 石仏関連ではもう一つ、北条の五百羅漢なるものも見てみたいと思うので、元来た道を戻って西へ向かいます。

 事前に調べていて、山伏峠の石棺仏までだと時間が余ると思って、Geminiさんにお勧めの場所を聴いたら五百羅漢をお勧めされたので行ってみます。

 「ホテルルートイン加西 北条の宿」の前を通り過ぎると、大年神社がありました。

 

 

 境内からはルートインが見えます。

 

 もし加西市のホテルに泊まる際、迷ったらルートインが良いんじゃないでしょうか。

 


酒見寺

 大年神社を出て昔風な道を歩きます。

 

 

 うわ、立派な楼門出た!

 

 酒見寺(さがみじ)。

 泉生山(せんしょうざん)と号する高野山真言宗の寺院で、 天平17年(745)の行基開創伝承を持つ古刹です。

 本尊は十一面観世音菩薩。

 立派な伽藍だ!

 多宝塔は国指定重要文化財です。

 

 鐘楼は県指定文化財。

 

 本堂。

 

 本堂や先ほどくぐった楼門などの計7つの建物は、市指定文化財です。

 町中を歩いていて突如としてこんな立派な伽藍が現れると驚きます。

 


住吉神社

 酒見寺の西側に隣接しています。

 

 養老元年(717)に生じた神社で、酒見神のほか、住吉三神や神功皇后、大歳神、八幡神を祀っています。

 

 なんか、墳丘のようなものがあって大切に守られていますよ。

 

 気になりますねー。

 

 式内社にして播磨国三宮!

 

 隣に見える酒見寺の伽藍。

 

 本殿は3つに分かれています。

 


羅漢寺(北条の五百羅漢)

 本日の行程の特徴は、石仏を積極的に取り入れたことです。

 今まではついでに石仏を拝むことはありましたが、今回は石仏を目的的に訪れています。

 県指定史跡・北条の五百羅漢は、羅漢寺というお寺さんの境内にあります。

 境内に入るとすぐに金剛力士座像がお出迎え。

 

 こういった石仏も少し前から気になっており、薩摩に行くと似たようなものが見られます。

 もちろん、たまたま私がこれを見て薩摩の石造金剛力士像を思い出しただけであって、作風も違いますし、時代も異なるでしょう。石造金剛力士像は、最近の私にとっては「気になるあの子」ですので、それがお出迎えしてくれて嬉しかったわけです。なお、薩摩の場合は明治の廃仏毀釈によってかなりの数が破壊されました。

 拝観料を払って見学。

 本堂には薬師如来が祀られています。

 

 羅漢寺は、元々は酒見寺の塔頭のひとつだったと言われている天台宗寺院です。

 そしてこちらが五百羅漢。

 

 459体で構成されており、17世紀前半の酒見寺の再興に合わせて造立されたと考えられています。

 

 

 

 

 江戸期に禁教とされたキリスト教を信奉していた人びとが造立したとの説もあり、確かにそう言われるとそう言う雰囲気を感じます。

 

 

 良い御仏を拝むことが出来た・・・

 北条鉄道は日中は1時間に1本しかないので、急いで北条町駅へ戻ります。

 15時39分発に間に合いました。

 帰りもキハ40形だ!

 

 車内にはこんな広告が。

 

 千葉県の小湊鐵道です。

 この子の兄弟は、JR東日本では2021年3月、JR北海道では2026年3月をもって定期運用が終了しましたが、西のJRではまだ活躍していますし、私鉄に移って活躍している子もいます。

 千葉県の小湊鐵道でも人気者ですね。

 私は「首都圏色」は撮影していませんが、他の塗色は撮っています。

東北地域本社色(五井駅にて2022年3月25日撮影)

 

東北地域本社色+小湊鐵道色(五井駅にて2022年3月26日撮影)

 

 17時前には姫路に戻って来て、充実した歴史探訪でした。

 今日は、ランチを食べた時間を考えると、こちらに着いてから歩いていたのは3時間くらいです。その間、10㎞も歩いていないのですが、最近の私はあまり歩かないため、たったこれだけで足が釣りそうになりました。

 年齢に関係なく、歩かないでいると急激に衰えますので、皆さんも積極的に歩くようにしましょう。

 

宿泊:姫路駅前ユニバーサルホテル南口

 今日と明日は姫路駅前ユニバーサルホテル南口に連泊です。

 南口から歩いてすぐのナイスなロケーション。

 夕食と朝食が無料で付いていて、大浴場もありますが、その割には宿泊料が安く、例えばこの日は4,990円です。

 翌日はシルバーウィーク初日と言うことで8,000円くらいですが、他のホテルと比べるとコスパが良い。

 ただし、車で来る場合は、立体駐車場(有料)はあるもののすぐに一杯になると思われ、近くのコインパの場所はあらかじめ探しておいた方がいいでしょう。

 建物の構造はたまにありますが、元々マンションかな?と思われるような外廊下から部屋に入る造りです(暴風雨の時はきっと大変なことになって大浴場にも自販機にも行けないと思う)。

 部屋にはソファーもある!

 

 枕元にコンセントがあるのはナイス。

 テレヴィを見ない私には関係ありませんが、画面サイズは大きくはないです。

 

 ユニットバスは最小サイズで、出入り口の段差は大きい。

 個人的には値段の割には十分に快適な部屋だと思います。

 サーヴィス夕飯は、定食形式で、ドリンクとサラダはお替り自由。

 この写真に写っているのは、缶ビール以外すべて無料です!

 

 アジフライは肉厚で食べ応えあるし、カボチャの煮物も甘くて美味しい。

 本当にありがたい。

 こういうのではなくて、カレーを選択することも可能です。

 夕飯を食べながら、こういうテイストのホテルって以前泊まったことがあるなあと思ったのですが、振り返ったら2025年4月に米子で泊まったホテルも同じユニバーサルホテルで、FBに「素晴らしい!」とか書いていました。

 ちなみに、朝食はビッフェ方式です。

 

 夕飯を食べた後、最上階の15階にある大浴場へ行ってみました(女性は14階)。

 ルートイン規模の「中浴場」ですが、空いている時間を狙って行けば問題ないでしょう。

 湯船で身体を伸ばすと気持ち良いですね。

 時期にもよりますが、姫路は結構ホテル代が高いので、もし旅行の予定が早めに決まっているのであれば、このホテルはお勧めです。

 

【1日目・9月19日(土)】

 


姫路城

 本日は現地講座の初日です。

 お客様には、「東京駅8:00発 姫路駅11:00着 のぞみ61号」に合わせて、姫路駅の中央改札口を出たところに11時10分集合と伝えています。

 それまで私は何をしようか。

 珍しくホテルの朝食をゆっくり摂って、姫路城へ向かいました。

 

 プラプラとあてどなく彷徨います。

 

 あ、そうだ!

 動物園へ行こう!

 

 動物園は9時オープンです。

 あと5分で開きます。

 入園料は200円。

 1番乗り!

 

 オープンと同時にやってくるなんて随分と積極的なお客さんですね。

 近世城郭にはたまに動物園がありますね。

 でも、普通の城マニアの人は行かないと思います。

 私もこの動物園には初めて入りました。

 フラミンゴって本当に色鮮やかですね。

 

 こんな鳥が縄文後期の水場遺構に群れをなして居たらビックリすると思います。

 いないけど。

 動物園から見る姫路城天守。

 

 園内にはミニ遊園地があり、ミニ観覧車があります。

 

 子供用あるいは親子連れ用のようなので、少し遠くに居た係の方に「乗っても良いですかー」と尋ねると「いいですよー」と返ってきました。

 250円払って搭乗します。

 

 私がぶらさげているカメラを見た係の人は、「ここから見る城もなかなか良いんですよ」と言いました。

 ギシギシ、ガタガタ言いながら観覧車は上昇します。

 ちょっとしたスリル(笑)

 お、見えた見えた。

 

 心地よい風が吹いて爽快です。

 小さな観覧車なので2周してくれます。

 2周目は動画を撮りました。

 面白かった!

 係の人に「よく見えました!」と伝え、動物園内をさらに散策します。

 ライオンとかトラみたいな猛獣はいませんが、改めて見る動物たちは面白いというか不思議というか、たまには人間さんや犬さんや猫ちん以外の動物も見たほうが柔軟な発想を得られるようになると思います。

 先日、日高で見たお馬さんとは文様が異なりますが、やっぱり馬だなあと思います。

 

 中々凛々しい子です。

 キリンさんって優しい表情をしていますね。

 

 少し前に福井の恐竜博物館で見た首が長い恐竜のレプリカを思い出しました。

 ちいちゃな動物もいます。

 ボリビアリスザル。

 

 モノレールもあります。

 

 降りてきたママが子供に向かって「なんか今日、速かったね」と言ったので、もしかしたら係のおじちゃんの裁量でその日によってスピードが変化するのかもしれません。

 「よし、今日は時速300キロの新幹線気分を味合わせてやるぜ!」とか。

 姫路市立動物園、十分に楽しめました。

 

 今度来るときは彼女を連れてきたい。

 いないけど。

 まだ時間はあるので、城内をプラプラします。

 

 

 城内には姫路神社があります。

 

 

 明治12年に酒井藩の祖・酒井正親(松平清康・広忠・家康三代に仕えた)を祀る神社として創建され、この地には昭和2年に遷ってきました。

 その後、昭和36年に酒井藩主歴代を配祀しています。

 

 兵庫県立博物館に行きたいのですが、あそこは10時オープンですから、今日は行ったとしても20分くらいしか見学時間が取れないので諦めます。

 

 

 桜門橋に戻ってきました。

 

 11時10分集合とはしていますが、シルバーウィークということで、新幹線は少し遅れているようです。

 皆さん無事に集まりました。

 東京駅は物凄い人で、ホームに行くどころか、改札を通ることすら困難だったそうです。

 こんな沢山の人が外出する日に旅に行く人の気が知れませんね。

 私たちもその一味です。

 

ランチ:食べ亭

 姫路市御国野町御着702-11

 今日の昼はどこへ行ってもめちゃ混みだと思うので予約しておきました。

 個人経営の小さな洋食屋さんです。

 いつも姫路駅周辺は道路が混みますが、今日も想定通り渋滞しています。

 何とか辿り着きました。

 

 お店の向かいの駐車場に4台分の無料スペースがあるのですが一杯で、500円の有料スペースに停めました。ただしその場合は、ソフトドリンクを1杯いただけるというありがたいサーヴィスがあります。

 店内は満席。

 私たちみたいな遠くから来たお客さんもいるようですが、地元の方々から愛されているお店のようです。

 ランチメニューもいろいろあって悩みますが、私は日替わりランチにしました。

 

 彩り鮮やかでいいですね。

 メインはポークの煮込みとイカフライで、サーモンのマリネも付いています。

 おいちい。

 メインも美味しいのですが、ピリ辛のピクルス(写真左上)が特筆すべき美味しさ。

 近所にあったら通いたいお店です。

 お腹いっぱいになりました。

 これで安心して遺跡めぐりができますね!

 


① 壇場山古墳(143ⅿ)|姫路市

 姫路市御国野町国分寺

 美味しいランチを食べたあとは、壇場山古墳の前方部側にやってきました。

 

 壇場山古墳は駐車場はないのですが、運転が苦手でなければ下図の「現在地」と書かれている手前の陸橋になっている部分まで車を突っ込むことができます。ただし、出るときはバックですから、落っこちないように注意しましょう。

現地説明板を撮影(県下第2位とありますが第3位です)

 

 壇場山(だんじょうざん)古墳は、「壇場山古墳 第1・2・3古墳」の名で周囲の3基の古墳とともに国史跡に指定されています。

 壇場山古墳は、5世紀前半に築造された墳丘長143mで北北西向きの前方後円墳。兵庫県で3番目に大きな古墳です。後円部は3段築成。埴輪と葺石を備えます。

前方部から後円部を見る

 

 後円部墳頂では、竜山石製の長持形石棺の蓋が露出しています。山之越古墳とともに、今回の現地講座では貴重な「生」の長持形石棺が2基も見られるのです。

 

 こちらの長持形石棺は直葬と見られます。後円部の中央に位置していないのが注意され、明治36年(1903)の新聞に蓋が開けられた記事が掲載されているそうです。ただし、副葬品については知られていません。

中軸線上から後円部を見ると石棺の現位置は左側にある

 

 長持形石棺は、概ね中期の古墳に使用された石棺で、「王者の石棺」とも呼ばれる最高グレードの石棺です。それを備えた古墳は、兵庫県立考古博物館の集成によると、判明している古墳だけでも50基以上ありますが、生の物を見られる場所はそう多くはありません。

長持形石棺編年図(堺市立博物館にて撮影)

 

 ところで、播磨には石棺仏と呼ばれる石棺の部材に仏像を彫りこんで祀る風習の濃い場所で、おそらく路傍や墓地などにあるものは知らないうちに見過ごしている可能性があります。今回は車移動ですが、もし街歩きをする機会があったら注意深く見てみると面白いでしょう。

 全国的に見ると、古墳に収められた棺で最も多いのは木棺です。そんな中で異様に石棺が多い理由としては、今回の現地講座で訪れる生石神社周辺が竜山石の著名な産地であることも関連します。上図を見ても分かる通り、長持形石棺の多くは竜山石で作られています。

 なお、長持形石棺に関しては、本サイト内のこちらのページに少し詳しく書いています。

 


② 山之越古墳(60m)|姫路市

 姫路市御国野町国分寺

 「壇場山古墳 第1・2・3古墳」の中の「第3古墳」が山之越古墳です。

 山之越古墳にも駐車場は無いですし、壇場山古墳からは近いので歩いて向かいます。

 

 右側にブロック塀がありますが、その際が古墳への進入路です。

 

 山之越古墳は、5世紀中頃に築造された一辺60mの方墳。方墳としては全国で11位タイの大きさです。

 墳丘に登ると竜山石製の長持形石棺が露出しているのが見えます。 

 

2022年5月26日撮影

 

 山之越古墳の長持形石棺は編年では最後の方に位置します。

 長持形石棺は、石棺としては最高グレードですが、山ノ越古墳の場合も直葬のようです。明治30年(1897)に開けられて、河原石が敷かれた棺内に被葬者は北向きに安置されていました。獣帯鏡や勾玉・管玉・刀剣などが副葬されており、その一部には朱が付着していたと言われています。 

 壇場山古墳は墳頂からの眺望は一切きいていませんが、こちらはとても良い眺望です。

 

 南側に見える森は壇場山古墳で、前方部をこちらへ向けています。

 

 下の写真は東側から撮ったものですが、今は民家が建っており、このヴューは見ることはできません。

2022年5月26日撮影

 

 なお、「第1古墳」は、林堂東塚古墳と呼ばれ、詳細不明の古墳です。民家の敷地内にあって見学はできません。

2022年5月26日撮影

 

 「第2古墳」は、櫛之堂古墳と呼ばれ、墳丘の形状などは不明ですが、埋葬施設は長持形石棺の直葬とされています。

2022年5月26日撮影

 

 「第1古墳」と「第2古墳」は今回は訪れませんでした。

 


③ 播磨国分寺跡|姫路市

 姫路市御国野町国分寺(ふるさと歴史の広場公園)

 壇場山古墳まで戻り、車に乗ってやってきました。

2022年5月26日撮影

 

 27次に及ぶ発掘調査(2022年現在)によって、寺域は方2町(一辺218m)で、南から南大門・中門・金堂・講堂が一直線に並び、南東側に七重塔を置く、国分寺ではポピュラーないわゆる「東大寺式伽藍配置」であったことが分かっています。

現地説明板を撮影(2022年5月26日撮影)

 

 東側の公園入口から入って、国分寺跡めぐりのセオリー通り、南門(南大門)を目指します。

 ちょうど南東側に塔跡があるのでまずはそこから見てみます。塔跡には、塔心礎を中心に礎石が現存しています。

2022年5月26日撮影

 

 塔心礎は中央が凹んでいるものが多いですが、ここは「出枘式(でほぞしき)」と呼ばれる出っ張っているタイプです。

2022年5月26日撮影

 

 国分寺の塔は全国すべて七重塔であったわけではありませんが、さすが播磨は大国だけあって七重塔だったようです。青銅製の水煙(塔の天辺の装飾)も見つかっており大変珍しいです。

 塔跡から中心部を見ます。

 

 南側の築地塀は植栽で表現されています。

2022年5月26日撮影

 

 南大門跡に着きました。

2022年5月26日撮影

 

 柱の跡の表示が12個あります。

 12個あったら「八脚門(はっきゃくもん)」ですよ。

 八脚門はその名の通り、8つの脚がある門ですが、4つ×3列のうち、真ん中の列の4つは門の柱としてはカウントしないため、八脚門になります。

 八脚門は地方の寺院や役所の門としては、最上級です。

 国分寺は他の古代寺院と一緒で、原則正方位かそれに近い方位で伽藍を配置し、正門となるのが南大門で、単に南門と呼ぶケースもあります。

 ちょうどこの場所は正門をくぐった場所ですから、いよいよ国分寺の内部に入ってきたのと一緒なわけですね。

 

 つぎに中門に来ました。

2022年5月26日撮影

 

 中門には回廊が取り付いており、その跡も表示されています。

2022年5月26日撮影

 

 中門をくぐると国分寺のコアゾーンです。世が世なら気軽に出入りできる場所ではないですよ。

 播磨国分寺の場合は、中門をくぐると金堂がありました。

 ただし、播磨国分寺跡の面白い特徴として、金堂の手前で燈籠跡が見つかっていることが挙げられ、その位置に再現された燈籠が建てられています。 

2022年5月26日撮影

 

 燈籠跡は他の国分寺跡では見ていないような気がするので調べてみたら、遠江・備前・下野でも見つかっているようで、それらには私は行っているので、私の記憶がないだけのようです。ただし、現地に再現されているのは播磨だけで、遠江では復元計画があるそうです。

 再現燈籠の向こうには、現代の国分寺である播磨国分寺の山門があります。

2022年5月26日撮影

 

 播磨国分寺は牛堂山と号する真言宗の寺院で、寛永16年(1639)に姫路城主となった松平忠明が中興しました。

2022年5月26日撮影

 

 山門の両脇にそれぞれ大きな石が置かれていますが、金堂の礎石と推定されています。

 基壇や礎石位置の表示があります。

2022年5月26日撮影

 

 金堂というのは、今のお寺で言うところの本堂で、本尊が祀られていました。奈良時代に全国に建立された国分寺の本尊は、ほぼすべて現在に伝わっていませんが、聖武天皇の「国分寺建立の詔」を見る限りでは、丈六の釈迦如来像か脇侍を加えた釈迦三尊が安置されていたはずです。

 境内西側の築地塀は一部が復元されており、南側は現代の工法によって作られています。

2022年5月26日撮影

 

 築地の基壇までありマニアックです。

2022年5月26日撮影

 

 北側は古代の工法によって復元されました。

 

 

 今回の現地講座では行きませんでしたが、牛堂山播磨国分寺の本堂は講堂跡になります。

2022年5月26日撮影

 

 播磨国分寺跡は各所に説明板が設置されており、説明板を読みながらゆっくり歩けば30分ほどの見学時間を要します。

 なお、今回は訪れませんが、播磨国分尼寺跡は僧寺跡の北方約600ⅿの場所にあって、過去の8次に及ぶ発掘調査の結果(2024年現在)、寺域は東西約134m・南北約180mと推定され、金堂・講堂・回廊などの跡が検出されています。現地には石碑と説明板が立っています。

播磨国分尼寺跡(2022年5月26日撮影)

 

 ところで、播磨国府はどこにあったと思いますか?

 姫路城からその東側の射楯兵主神社周辺にかけて、ちょこちょこと発掘調査が行われており、国府跡と考えられる遺構や遺物が見つかっています。

姫路城(本現地講座では訪れません=2023年3月27日撮影)

 

播磨国総社 射楯兵主神社=2023年3月27日撮影)

 


④ 見野の郷交流館|姫路市

 姫路市四郷町964-5 8:35~17:20 079-252-6659 月曜休館(祝の場合は翌平日休館)

2023年3月26日撮影

 

 交流館ですので、考古専門の施設ではありませんが、見野古墳群から出土した遺物を展示する常設展示コーナーがあります。

 ところがです!

 今回行ってみたら様相が一変しており、子供たちの作品で溢れかえっていました!

 本来はこれは横穴式石室について説明しているスペースです。

 

 まあでも、可愛くていいですね。

 以前訪れたときはこんな感じでした。

2023年3月26日撮影

 

 ただし、見野6号墳から出土した有名な猫の足跡の付いた須恵器のレプリカはちゃんと展示されていましたよ。

2023年3月26日撮影

 


見野古墳群|姫路市

 見野古墳群和光公園(姫路市四郷町見野587-21) ※トイレあり

 

 麻生山(小富士山)から派生する尾根の東斜面に展開する後~終末期の群集墳。南北300ⅿの範囲に15基ないし16基の古墳が確認されており、いくつかの開口した横穴式石室を見学することができます。今回はすべての古墳をくまなく巡るのではなく、歩ける範囲で見学します。

現地説明板を撮影

 

 この図を見ると分かる通り、1号墳と2号墳は他の古墳と少し距離があるので、別の支群とする考えもあります。

 ほとんどの古墳の墳丘が削られており、すべての古墳の形状は不明で、大きさも分かりません。ただし、すべての古墳が横穴式石室を内蔵していたと考えられています。

 なお、見野古墳群の写真はすべて2023年3月26日に撮影したものです。

 

⑤ 見野3号墳

 3号墳は盛土が僅かに残り、石室が貫通してしまっています。

 

 南南東に開口する左片袖式の横穴式石室を備え、石室全長は東側壁11.8ⅿを測り、姫路市内の石室では有数の規模を誇ります。玄室奥には奥行1.8ⅿ、高さ0.3ⅿの範囲に石材を敷き詰めた石組壇状遺構が検出されています。石室内には小型石棺が2基安置され、須恵器や金環、玉類、馬具などの副葬品が見つかっており、7世紀前半に築造されたと考えられています。

 古墳は中世まで再利用されていました。今見ると天井がかなり低いですが、発掘調査のあとに埋め戻しているようです。

 見野古墳群は、平成17年から19年にかけて姫路市と立命館大学が発掘調査および測量調査を行いました。このとき内容が明らかになった6号墳のほか、3・4・10号墳の合計4基が県史跡に指定されています。それ以外の古墳は市史跡と無指定が混在しています。

 

⑥ 見野4号墳

 4号墳は、古墳群中最も残りの良い古墳といわれています。

 

 南南東に開口した左片袖の横穴式石室を備えています。 

 貫通しておらず、石室らしい石室。

 

⑦ 見野6号墳

 猫の足跡の付いた須恵器が出土した6号墳は夫婦塚(めおとづか)古墳と呼ばれています。一つの墳丘に2つの横穴式石室を備えた双室墳と呼ばれる珍しい古墳です。

 

 東石室(上の写真の向かって右側)は、左片袖式で、全長は9.5ⅿ。河原石が敷き詰められており、石室内の南西部に小型箱式石棺が1基据えられていました。写真の通り奥壁が抜かれており、今は貫通しています。須恵器や金環、玉類などが出土しています。猫の足跡の付いた須恵器はこちらから見つかっています。

 西石室は、無袖式で、全長8.5ⅿ。検出された遺物の組成は東石室と似ており、小型箱式石棺が2基みつかっています。こちらも貫通しています。

 2基の石室から出土した遺物は両方とも6世紀末から7世紀初頭のもので、大きな時間差はないとされています。

 説明板には、双室墳は全国で他に25例しか知られていないとあり、別の説明板にはこの古墳の例は姫路市内で唯一の例で、全国でも約30を数えるに過ぎませんとあります。私的にはちょくちょく遭遇しているような感覚なので、時間があったら自分が訪れたことのある双室墳の数を数えてみようと思います。

 

⑧ 見野10号墳

 10号墳は封土が無くなり、石室のみが残っていることから「姫路の石舞台」呼ばれています。

 

 絶妙なバランスで石室を保っており、ある種のアートに見えないこともないです。 

 古墳は他にもありますが、県史跡になっているこの4基はバッチリ見学しました。

 ただ、今回は前回(2023年3月26日探訪時)と違って石室入口にチェーンが張られていたり墳丘の周辺がかなりモシャ子ちゃんだったりしたので、前回よりも見学しづらくなっていました。

 


⑨ 石の宝殿(生石神社)|高砂市

 高砂市阿弥陀町生石171

 姫路方面から石の宝殿を目指した際、この崖が見えてきたら目的地はもうすぐです。

 

 前回AICTで訪れた時は、誰もいない寂しい場所でしたが、今回はなんか沢山参拝客がいる。

 人が沢山いるだけで随分と雰囲気が違うものです。

 駐車場には新しい説明板が設置されていました。

 

 生石神社(おうしこじんじゃ)は、大穴牟遅命と少毘古那命を主祭神とする神社です。

 

 祭神だけ聴くと普通の神社に思えますが、「石の宝殿」と呼ばれる巨大な石造物が御神体なのが特異なのです!

2023年3月26日撮影

 

 裏へまわると突起があるのが分かり、明らかに人工物であることが伺えます。

 

 8世紀前半に成立した『播磨国風土記』には、石の宝殿に関する記述があるので、その頃にはこの場所にあったことは確実ですが、それを祀った神社の成立は、確実なところでは、治承5年(1181)の『播磨国内神名帳(はりまこくないじんみょうちょう)』に「生石大明神(おうしこのだいみょうじん)」の記載があり、これが最古例と思われます。

 神社の北側へ階段で登っていくと、その上は「宝殿山 山上公園」になっていますが、形状を観察しながら登っていくと良いです。

 

 ちょうど下に沖永さんがいました。

 

 石の宝殿が巨大な物体であることが伝わるでしょうか。重さは465トンあると推定されています。

 写真ではいまいち迫力が伝わらないかもしれませんので、実際にモノを見ていただくことを強くお勧めします。

 

 道路(谷)を挟んだ南側には竜山石の名の通り、竜山があります。そちらには古代から脈々と竜山石を切り出した採石所跡があり、駐車場に設置された説明板に記されている通り、石の宝殿とともに「石の宝殿及び竜山石採石遺跡」として国の史跡に指定されています。

竜山(竜山石採石遺跡)

 

 西側の木々の向こうでは今もなお採石が行われており、時折大きな音が聴こえてきました。

 

 南西方向には海が見えます。

 

 前回来たときは気づきませんでした。

 

 

 竜山石は実はカラフルで、ピンクや青、黄色があります。

2023年3月26日撮影

 

 

 ピンク色がハッキリとした帯状になっていますね。

 

 大正天皇も来ていた!

2023年3月26日撮影

 

 大正天皇が行幸したことを示す石碑はあんまり見ない気がします。

 大正天皇が「石の宝殿見たい!」と言ったんですかね。行幸の行程を考える際には、宮内省の職員が地元の有力者と相談して、面白スポットを組み込んでいたのでしょうか。

 

 

 

 この周辺で採れる竜山石は、宝殿石とも呼ばれますが、流紋岩質溶結凝灰岩を石材とした際の呼称で、白亜紀後期(約1億年前)の火山活動によって噴出した火砕流堆積物が厚く堆積してできたものです。

 凝灰岩と聴くと、すぐにボロけてしまうのでは?と思うかもしれませんが、竜山石は水分を吸いにくく、強い耐久性を持っています。石に粘りがありますので、丈夫な割に加工しやすい。この辺は私は石工ではないので、何とも説得力のある説明ができないですが、例えば縄文時代の磨製石斧に使う石材もポイントは「粘り」です。そして、大きな塊を切り出しやすいのも石棺材として使った場合に具合が良かったようです。

 そんな竜山石で作った(作ろうとした)石の宝殿とはいったい何だったんでしょうか?

 諸説ありますが、私は斉明天皇の古墳に使用するための横口式石槨という説に魅力を感じます。形をよく見ると家形の物体がコロンと転がった状態なのです。石の宝殿は推定465トンありますが、完成した暁には、当時はここは海から近かったですから、海まで転がしていき、瀬戸内海に浮かべて船で引っ張って大阪湾まで持っていき、最終的には飛鳥に運ばれるはずだったと考えています。

 そんなことができるのか?

 いや、あの不可能を可能にする女帝・斉明天皇ならやりかねないです。

 残念ながらプロジェクトは頓挫してしまいましたが、そのお陰で現代の私たちは大変面白い物体を拝むことが出来るのです。

 飛鳥の益田岩船(ますだのいわふね)も同じく斉明天皇の横口式石槨という説も私は支持します。あれは途中でヒビが入ってしまって完成しませんでした。結果的には、いま牽牛子塚古墳に内蔵されている石槨が完成品と言うことになります。

友情出演:牽牛子塚古墳(石の宝殿は本当はこの中に内蔵されるはずだった?本現地講座では訪れません=2023年9月3日撮影)

 


⑩ 竜山1号墳

 生石神社の駐車場から登った場所には、墳形や規模が不明な竜山1号墳という古墳があって、横穴式石室も現在では良くわからなくなっていますが、竜山石製の刳抜式家形石棺が1つ置かれています。

 

 縄掛突起が無いタイプですね。

 

 現地説明板に掲載されている発掘調査時の写真を見ると、身と蓋がバラバラになっています。

 

 1号墳と言うことは近くに複数の古墳があったということだと思いますが、詳細は分かりません。

 

飲み:宴ん屋一代 姫路店

 私が今回連泊で泊まっているユニバーサルホテルは夕食も無料で付きますが、今日は昨日と打って変わって物凄い数の宿泊客がいるため夕食会場は激混みになるでしょう。

 そんなわけで、皆さんと飲みに行きました。

 飲みに行くと言ってもどの店もこれまた混んでいると思うので、素早く南口(姫路城とは反対側)の「宴ん屋一代」に入りました。

 

 地方の飲み屋は喫煙OK店が普通です。

 私のようなタバコ大っ嫌い人間からすると不愉快ではありますが、郷に入っては郷に従えです。地方に来たときは気にしないようにしています。

 でも、今はどこへ行っても意外と吸う人は少ないですね。

 もはやタバコは富裕層の嗜好品ですから、吸っていると周囲の人たちから「あの人は金持ちだ」と思われることでしょう。

 私たちが入ったあとはすぐに満席になったので危ないところでした。

 たくさん食べて飲んで大満足です。

 

 播磨の地酒も飲めますし、料理はどれも美味しかった。

 播磨はしっかりと味を付ける印象があります。

 出汁がよく染み込んだおでんが特に気に入りました。

 

【2日目・9月20日(日)】

 


⑪ 御輿塚古墳(15ⅿ)|姫路市

 姫路市北平野町1109

 分かりづらい場所にありますが、GoogleMapに行き方を丁寧に書いてくださった方がいて、そのお陰ですんなり辿り着きました。

 

 

 兵庫県が設置した説明板。

 

 もうひとつ、姫路市が設置した説明板も立っており、言っていることが微妙に違います。

 

 仲が悪いんでしょうか?

 

 姫路市の説明板には日付が書いておらず不親切ですね。

 さて、神輿塚古墳は、市説明板によると径15ⅿの円墳です。

 築造時期は、県説明板では後期としています。

 横穴式石室が南側に開口していますよ。

 

 奥の方の天井石が一部分無くなっているようで光が差し込んでいます。

 

 横穴式石室の全長は市説明板によると12ⅿで、室内には組合式家形石棺が安置されていますが、手前と奥の2枚が無くなっています。

 

 装飾化した縄掛突起。

 

 「主」がぶらさがっていました。

 

 横穴式石室内ではよくコウモリを見ますが、面白いことに大抵1匹なんですよね。

 市説明板には、片袖に近い両袖式とあり、県説明板には両袖式とあります。

 

 両袖式だけと片方の袖が短いということはたまにありますね。

 安土桃山時代の文献にも載っており、市説明板によると石棺が「神の乗る輿」だと伝わってきたことが古墳の名前の由来です。

 


⑫ 塩野古墳(7ⅿ)|姫路市

 それでは続いて、珍しい六角墳へ行きますよ。

 ナヴィの指示通りに走らせ、美しい姿形の山に近づくと、「塩野六角古墳公園」と記された大きな看板が見えました。

 

 すごくアピールしてる!

 

 石室が開口した古墳が見えるので、きっとあれに違いない。

 公園の下は墓地になっており、ひとまず墓地の駐車場に停めます。

 見上げると先ほど遠くから見た古墳がありました。

 

 

 もう1段上がるとトイレがあって、その横が少し広くなっているので、車は墓地の駐車場ではなく、こちらに停めるようになっていますね。

 トイレも駐車場もあるなんてとても親切。

 おっと、したり!

 塩野六角古墳ではなく、円墳の塩野古墳だった!

 

 横穴式石室はコンクリートで完全に塞がれています。

 

 終末期特有の山寄形の古墳ですね。

 

 六角古墳はこの公園の最上部にあるということなので登りましょう。

 


⑬ 塩野六角古墳(6.8~7.3m)|姫路市

 姫路市安富町塩野664-3

 意外と登ります。

 でもとても良い景色ですよ。

 

 王者の古墳を築造するのに相応しい場所ですね。

 円墳から3~4分登ると、ちいちゃな墳丘が見えました。

 

 説明板があります。

 

 

 塩野六角古墳は、終末期に築造された珍しい六角墳です。平成2~3年に発掘調査が行われ、本邦初の六角墳であることが判明しました。

 対辺長は、6.8~7.3mです(説明板では約7ⅿとあります)。

 古墳の前まで登りましょう。

 

 終末期の古墳なのに墳丘を版築せずに従来通りの盛土で作っています。

 古墳の前面には外護列石を積んでいますが背面には無いという割り切った設計。

 

 横穴式石室の全長は4.4ⅿで無袖式です。

 玄室奥に5個の角礫を使った棺台が設置されているとのことですが、現況ではそれらしいものはありません。

 

 古墳からの眺めはまた素晴らしい!

 

 これでAICTで訪れた六角墳は、奈良のマルコ山古墳についで2基目になりました。

 


⑭ 妙徳山古墳|福崎町

 福崎町東田原1886-2

 天台宗の古刹・妙徳山神積寺(じんしゃくじ)の境内南側の斜面に所在するとのことなので、神積寺を目指します。

 駐車場があったので停めさせてもらいますが、ここから古墳は少し歩くようです。

 神積寺は境内地が広いのです。

 神積寺の本堂の下に到着すると、古墳の説明板が現れました。

 

 さらに林の中を進むと今度は大きな墳丘が!

 径35ⅿとのことなので、これくらいの大きさになると、でかいと感じます。

 

 段築もあったんじゃないかな?

 

 築造時期は6世紀末頃と考えられており、南側に横穴式石室が開口していますよ。

 

 あれ、でもちょっと入口狭いな・・・

 カメラを突っ込んでみます。

 

 中の状態は良さそうですね。

 入口部分は土砂でだいぶ埋まっているため、急なスロープを降りて中に入る感じになっています。

 斜面は見たところ絶対に滑る質感ですが、しゃがんだ姿勢でずずーっと降りて行きます。

 降下完了。

 

 おー、思った通り、中は快適だ。

 つづいて沖永さんが降下してきました。

 

 降下ってまるで空挺団だな。

 しかし降りたのは良いですが、帰りどうしよう(笑)

 右片袖式の横穴式石室の全長は12.4ⅿもあります。

 このくらいの長さになると播磨で最長級とされます。

 奥壁1段目の右側の石は白いのですが、これは石室入口から覗き込んだ時に光ってよく見えていました。

 

 天井石。

頑張ったけどピンボケ

 

 良い物件ですね。

 帰りはスロープが滑るので、さすがに手を衝きつつ踏ん張って登りました。

 でも手以外は汚れなかったので上出来です。

 今日はコンディションが良かったから入室しましたが、雨が降っているときや雨が降った後などは入りたくないですね。

 


⑮ 神積寺|福崎町

 神積寺(じんしゃくじ)は、妙徳山と号する天台宗寺院で、正暦2年(991)に創建されました。本堂は、県指定重要文化財です。

 

 


⑯ 阿弥陀種子板碑|福崎町

 車に戻ろうと思い神積寺の石段を下りると、少し離れた場所にある石仏のようなものが気になりました。

 うわ、何だこれは。

 

 板碑じゃないですか!

 板碑というと埼玉・東京近辺の人間は「武蔵型板碑」を思い出すことでしょう。

 武蔵型板碑は、緑泥片岩を使って作った薄い板碑で、本場の埼玉では2~3ⅿものドでかい板碑もあり、最大の物は何と5.35mもあります。

 列島各地の板碑を見ると、板碑といいつつも全然「板」になっていないものもありますが、これは分厚いながらも「板」です。

 

 いいものを拝むことが出来ました!

 


⑰ 愛染古墳(18m・移築復元)|加西市

 玉丘史跡公園内に、7世紀中頃に築造された円墳の愛染古墳の横穴式石室が移築されています。

2025年9月6日撮影

 

 ここより北の佐谷町にあった古墳ですが、ゴルフ場建設により破壊されるところをこちらに移築されました。

 無袖式の横穴式石室を備え、中に入ることはできませんが、組合式家形石棺が安置された石室内を覗くことができます。

2025年9月6日撮影

 

 兵庫県立考古博物館の集成によると、冒頭で述べた通り全国では1200を超える家形石棺が確認されています。そして何とその3分の1以上が兵庫県にあるのです。しかも兵庫と言ってもほとんどは播磨国で、石材が判明している家形石棺のほぼ全てが竜山石製!

 良い石に恵まれた結果ともいえますが、それにしても播磨の人は石棺が大好きなようです。

 


⑱ 玉丘古墳(109ⅿ)|加西市

 国史跡・玉丘古墳群は、主墳の玉丘古墳のほか陪塚2基、笹塚古墳・マンジュウ古墳・逆古墳・北山古墳・壇頭山古墳・クワンス塚古墳・実盛塚古墳の合計10基から構成されています。その多くが、玉丘史跡公園内にありますが、公園の外にある笹塚古墳とマンジュウ古墳については、本ページの「0日目」でご紹介しました。

 公園の別名は「根日女(ねひめ)ロマンの郷」ですが、根日女とは女性の名前でこれについては後述します。

現地説明板を撮影(2025年9月6日撮影)

 

 玉丘古墳は5世紀前半に築造された南東向きで墳丘長109mの前方後円墳です。この地域最大の古墳で、兵庫県全体で見ても6番目に大きな古墳です。埴輪と葺石が認められます。

2025年9月6日撮影

 

 周囲は水堀で囲まれており、前方部側に通路があってそこから墳丘に入ることができます。

 おっとところが今日は入ってはいけない設定みたいです。

 

 どうも近々発掘調査が始まるようですから封鎖しているのでしょうか?

 以下は、昨年ひとりで探訪した際の様子です。

2025年9月6日撮影

 

 墳頂には長持形石棺の石棺材が散乱しているそうですが、後円部墳頂は大きく陥没しており、その中には入っていないので確認できていません。

2025年9月6日撮影

 

 『日本書紀』によると、履中天皇の子である市辺押磐皇子(いちのべのおしはのみこ)は、雄略天皇に政敵としてマークされ殺害されましたが、市辺押磐皇子と葛城氏出身の荑媛(はえひめ)との間には、億計(おけ)と弘計(をけ)という2人の皇子がおり、兄妹は父が殺害された後、播磨に逃れ、身分を隠して縮見屯倉首(しじみのみやけのおびと)のもとで牛馬を飼育する仕事をして生計を立てていました。

 兄弟はその後、中央に返り咲いて、弟の弘計が即位して顕宗天皇となり、そのあとに兄の億計が即位して仁賢天皇になりました。

 これのサイドストーリー的な話が『播磨国風土記』に載っています。

 美嚢郡(みなぎのこおり)の志深里(しじかのさと)にいた兄弟は、国造・許麻(こま)の娘・根日女命(ねひめのみこと)に使者を送り求婚しました。根日女命は承諾したものの、そのあと兄弟で譲り合って、ついに根日女命は老いて亡くなってしまいました。

 それを悲しんだ兄弟が根日女命のために作った墓は玉丘と呼ばれ、地元ではそれを玉丘古墳のことだと言い伝えているのです。

 でも、玉丘古墳は中期初頭の古墳ですから全然時代が合いません。

 中国の歴史書に親しんでいる人は、貴種が都落ちしたあと野に隠れて、やがて復権を果たすという話があることを知っていると思いますし、兄弟で譲り合う話は儒教では美徳です。

 ただ、日本書紀と播磨国風土記の話を比較すると背景に大きな違いがあり、日本書紀は中国の史書風な貴種復活譚になっていますが、播磨国風土記では、兄弟は決して惨めな身分ではないのです。というのは、一介の牛飼いが国造の娘に求愛できるはずがないからです。

 もしかすると、まだ市辺押磐皇子が存命中の兄弟の身分が高かった頃に播磨に赴いた話が播磨国風土記に採用されたのかもしれず、国造・許麻という人物は、国造制度ができる前のそれに相当する地方の王のことを指していると考えてもいいでしょう。

 そう考えると、根日女命と兄弟をめぐるロマンス(三角関係)はあったかもしれず、そもそもここは「根日女ロマンの郷」ですから、夢を壊すのはやめようではありませんか!

 ※自分で壊しておいて自分で修復パターン。

 兄弟は没落時に元々仲が良かった播磨勢力に匿われ、やがて播磨の有力者の力を借りて、雄略天皇の跡を継いでいた清寧天皇の政権を打倒して皇位を簒奪した・・・。というようなストーリーも面白いですね。

 5世紀後半の雄略天皇の死後から6世紀初頭の継体天皇の即位までの間の歴史は不明瞭で、日本書紀の記述にも異様に不審な点が多い時代です。

 雄略天皇死後の中央の混乱に乗じて、兄弟を奉じた播磨の勢力が、迫害されて凋落していたものの中央の事情に詳しい葛城氏(兄弟の母方親族)と手を結び、一時的に勢力を盛り返した歴史があったのかもしれません。

 なお、公園内には農水省選定「ため池百選」に選ばれた長倉池もありますよ。

2025年9月6日撮影

 

ランチ:和食さと エルズモール加西店

 2日目のランチは和食ファミレス「さと」です。

 「さと」は東京近辺ではほとんど見られなくなった印象がありますが、本社のある関西では頑張ってますよ。ファミレスならキャパが広いのですぐに食べられると思ってチョイスしました。

 15分ほどの待ちで個室に通されました。

 松茸フェアをやっており、私は松茸ご飯の付いたセットをチョイス。

 

 久しぶりのマツタケ美味い。

 天ぷらもちゃんと揚げたてです。

 確保していた食事時間を大きくオーヴァーしてしまいましたが、連休中ですから仕方がありませんし、急いで食事をしなければならないほどのクリティカルな探訪個所は今日の午後はありません。

 午後は残り時間に応じて行程を考えます。

 


⑲ 古代鏡展示館|加西市

 加西市豊倉町飯森1282-1(兵庫県立フラワーセンター内) 0790-47-2212 9:00~17:00(16:30) 水曜休館

 県立考古博物館の分館。中国古代の青銅鏡を中心に青銅器などを展示した博物館です。加西市在住の美術品蒐集家・千石唯司氏所有が自身のコレクションを兵庫県に寄贈したのが契機となり、平成29(2017)年4月に県立フラワーセンター内に開館し、その後、寄贈が増え、所蔵数は約500点に及びます。

 千石唯司氏は、お洒落で可愛らしいデザインの高級トースターをはじめとする家電で有名な「アラジン」を展開する株式会社千石の社長で、2023年2月18日に74歳で亡くなりました。

 というのを本日知ったので、一昨日歩いたときに見た「アラジンスタジアム」の名前の意味が分かったのです。

 さて、フラワーセンターの入園料は550円で、それを支払わないと古代鏡展示館へ辿り着けません。

 

 今回は花は見ませんので、皆で「高いなー」と言いながら、広い園内を歩き、古代鏡展示館を目指しました。

 

 入口から3~4分歩き、古代鏡展示館に辿り着きました。

 

 ここでもさらに100円払います。

 第1展示室に入りました。

 

 うわっ!

 先ほどまでの「高い」という不平が一気に払拭され、反対に感動へと切り替わりました。

 古代史ファンにはお馴染みの方格規矩鏡が鍍金されるとこうなるんだ!

 

 王莽の新の時代の所産です。

 ここでは300面以上の中国古代の青銅鏡を所蔵しており、その中から選ばれた約100面を常時展示しています。

 中国では、最古の王朝である夏王朝(二里頭文化)の時代から鏡の製造が始まっており、緑松石象嵌鋸歯縁鏡(りょくしょうせきぞうがんきょしえんきょう)という背面にトルコ石(緑松石)をモザイク状に象嵌した鏡が作られました。

 

 これが銅鏡のルーツですぞ!

 3700年前のものですから、日本だと縄文晩期ですね。

 ともかく凄いとしか言いようのない展示です。

 古代鏡展示館の公式サイトでは、「千石コレクション」についても詳しく紹介しているので、銅鏡好きの方はぜひご覧ください。

 つづいて第2展示室へ入ります。

 あらまあここも凄い!

 

 こちらは唐の時代の所産で、金透彫禽唐草紋釵(きんすかしぼりきんからくさもんさい)という髪飾り(かんざし)です。

 

 「釵」という装飾品は初めて聴きました。

 古墳時代の遺物で双魚佩(そうぎょはい)というのがありますが、ここにも金双魚文四花形皿という双魚関連がありました。

 

 唐以降の所産です。

 説明によると、「魚」は音が「余」(yu)と通じるため、「有余」(余裕のあること)を意味し、豊かさに通じる吉祥紋様だそうです。

 当初は30分でササっと見学するつもりだったのですが、倍かかりました。

 いや、1時間でも足りないので、こういうのが好きな方は時間を多めに確保して行ってみてください。

 「これだったら650円は安いですね!」と話しつつフラワーセンターを後にしました。

 


⑳ 山伏峠石仏

 一昨日、一人で歩いて来て「ここはAICTのメンバーが喜ぶはずだ」と思った山伏峠石仏をご案内します。

 石棺仏さん、また来ちゃいました。

 

 本日は昼食時間が想定以上にかかったことと古代鏡展示館がこれまた想定以上に素晴らしく、予定よりも長い時間見学したことにより残り時間が厳しくなりました。そのため、西脇市郷土資料館と岡ノ山古墳を割愛し、近くにあってすぐに見学できる山伏峠石仏に変更しました。

 AICTではこのように臨機応変に行程を変えます。ただし、現地講座のテーマ的に重要な場所や参加者がどうしても行きたい場所は割愛しませんので、参加する方は、もし絶対に行きたい場所があったら予め私にお伝えください。そういう積極性がないと、行けると思っていた場所に行けないこともあります。

 


割愛:西脇市郷土資料館|西脇市

 ※時間の都合で割愛しましたが、参考までに募集ページに記載した内容をそのまま掲載します。

 西脇市西脇790-14 0795-23-5992 9:00~17:00 月曜休館(祝の場合は翌平日休館)

 

 西脇市の歴史について解説した施設。旧石器時代と縄文時代の遺物の展示はほぼゼロで、弥生時代から普通になります。

 

 弥生時代の遺物としては、土器や石包丁、大陸系磨製石斧などを展示していますが、珍しいものとしては、鹿野宮ノ前遺跡出土の弥生時代中期後葉の銅剣形磨製石剣の欠片を展示しています。

 

 4世紀前半に築造された一辺13ⅿの方墳である滝ノ上20号墳は、立派な竪穴式石室を備えており、発掘調査によって雲雷文帯八連弧文鏡のほか様々な副葬品が出土しました。出土遺物からは出雲地方の影響が強いと考えられています。

 

 また、古墳時代の「珍し遺物」としては、大伏南山古墳出土の鹿角製刀剣装具を展示しています。

 

 鹿の角を使うなんてまるで縄文時代だと思われるかもしれませんが、鹿の角は硬く、しかも奇麗な白色をしています。そのため、古墳時代になっても稀に刀剣に使用されました。これの場合は、直弧文が描かれていますので、僻邪の意味があったのでしょう。

 須恵器などを豪快にバーン!と展示。

 

 このように写真パネルが多いのがいいですね。

 その他、考古系では律令時代の廃寺に関する遺物も展示しています。

 戦前に活況を呈した播州織についてはとくに詳しく展示・解説しています。

 


割愛:岡ノ山古墳(51.6ⅿ)|西脇市

 ※時間の都合で割愛しましたが、参考までに募集ページに記載した内容をそのまま掲載します。

 西脇市上比延町334-2(日本へそ公園)

 岡ノ山古墳は、「日本へそ公園」の東側の独立した丘の上にあります。

西脇市郷土資料館にて撮影

 

 4世紀前半に築造されたとされる墳丘長51.6ⅿの北向きの前方後円墳。上のジオラマには段築はありませんが、実際は後円部が2段築成で、前方部が段築無しです。前方部は柄鏡形を呈しており、ひょろーっと長い。北播磨では前期の前方後円墳は、この岡ノ山古墳のみです。

 10分ほどの山登りですが、素敵な形状の古墳が見られるので頑張って登りましょう。

 

 主体部の発掘調査はされておらず、出土遺物は知られていません。そのため形状から4世紀前半の築造と推定されていますが、3世紀後半に食い込んでも良いんじゃないでしょうか。石垣状の葺石が見られると言うことですが、私はそれを目で見て確認できていません。石垣状の葺石は前期の古墳でたまに見られます。

 ちなみに、日本へそ公園の駐車場に車を停めて向かいますが、駐車場の西側にはポコポコと墳丘が並んでおり、それらは滝ノ上古墳群です。西脇市郷土資料館の展示によると27基からなり、2基が方墳で他は円墳です。

西脇市郷土資料館にて撮影

 

 その駐車場の近くに本ページの西脇市郷土資料館の項で述べた滝ノ上20号墳があったのですが、今は消滅しています。

 


㉑ 村東山古墳家形石棺(移設)|多可町

 那珂ふれあい館(後述)の駐車場の隅の方に移設しています。

 7世紀後半の組合式家形石棺で、竜山石で造られた幅91㎝、長さ208㎝、高さ90㎝という堂々たる大きさの石棺です。

 


東山古墳群|多可町

 播磨最奥の古墳群。丹波や但馬にほど近い場所にある終末期の群集墳です。兵庫100山の一つである妙見山の南側に展開する古墳群で、素晴らしい横穴式石室を備えた古墳が多いことが特徴。15基以上の古墳が造られ、そのうちの5基が全長10ⅿ以上の石室を内蔵しています。今なお、とても素晴らしい景観の場所です。

右手の高い山が妙見山(2025年9月6日撮影)

 

那珂ふれあい館にて撮影

 

 横穴式石室の入口には扉が設けられ施錠されていますが、那珂ふれあい館にお願いすると一部の横穴式石室の鍵を開けてくれます。ただし、解説をお願いする場合は原則的に事前の予約が必要です。今回は、安平館長が15号墳、10号墳、1号墳、そして9号墳の順で解説してくださいました(昨年9月に一人でフラッと訪れたときは、たまたま安平館長がご在席でラッキーでした)。

 

㉒ 東山15号墳

 15号墳は、7世紀中頃の築造と推定される径25ⅿの円墳で、墳丘にはテラス部分があり、その周囲には周溝があります。

2025年9月6日撮影

 

 横穴式石室の全長は12.4ⅿあり、両袖式です。長さは1号墳に匹敵しますが、15号墳の玄室高は1号墳よりも低い2.4ⅿで、玄室自体が小振りです。その代わり羨道を長く作っているのが特徴です。

2025年9月6日撮影

 

 玄室には、埋葬状況が分かるように木棺などのレプリカが置かれています。

2025年9月6日撮影

 

㉓ 東山10号墳

 10号墳は、7世紀前半頃の築造と考えられる径20ⅿの円墳です。

2025年9月6日撮影

 

 両袖式の横穴式石室の全長は12ⅿあり、多数の遺物が検出され、国内で数例しか見つかっていない斧状鉄製品が出土しています。

2025年9月6日撮影

 

 

㉔ 東山1号墳

 1号墳は、6世紀末頃に築造された径30ⅿの円墳で、古墳群で最初に築かれた古墳です。古墳群内の北側に位置し、他の古墳たちを睥睨するように君臨しています。おそらく、被葬者はこの地域で古墳を造営するようになった時の最初の権力者で、「始祖王」的立場の人物でしょう。

2025年9月6日撮影

 

 東山古墳群の造営が始まった頃、町内の他地域でも多くの古墳の築造が始まります。古墳造営ラッシュが始まったわけですが、それらの中で最大の規模を誇るのが東山古墳群です。

 1号墳の横穴式石室は左片袖式で、全長は12.5ⅿ以上あり、古墳群内最大、そして県内でも最大級です。玄室の高さは3.25ⅿあり、広々とした快適な物件。7世紀末まで何度も木棺による追葬が行われました。

玄室から外を見ると左片袖の様子が分かる(2025年9月6日撮影)

 

 玄室奥には木棺と須恵器のレプリカが置かれています。向かって右側の側壁はほぼ垂直に立ち上がっていますが、左側は持ち送っていますね。後世に孕んでしまったわけではなく、最初からこういう造りなのです。写真だと迫力が伝わらないので、実際に目で見て楽しんでください。

1号墳石室(2025年9月6日撮影)

 

 出土した須恵器は那珂ふれあい館に展示されています。

那珂ふれあい館にて撮影(2025年9月6日撮影)

 

㉕ 東山9号墳

 9号墳は、7世紀前半に築造された径20ⅿの円墳で、横穴式石室は破壊が著しかったのですが、調査の結果、全長8.7ⅿの両袖式であることが分かりました。玄室の側壁下部を復元して展示しています。

2025年9月6日撮影

 

参考:東山12号墳

 12号墳は、7世紀前半に築造された径21ⅿの円墳で、無袖式の全長11.1ⅿの横穴式石室を内蔵しています。

2025年9月6日撮影

 

 石室内に入ることはできませんが、12号墳から出土したナイスな遺物が那珂ふれあい館に展示されています。ひとつは、須恵質家形陶棺。

那珂ふれあい館にて撮影(2025年9月6日撮影)

 

 関東人からすると陶棺は珍しいのでとくに関心を示してしまうでしょう。また、珍しいトンボ玉も出土しています。

那珂ふれあい館にて撮影(小さい遺物なのでうまく写真が撮れない=2025年9月6日撮影)

 


㉖ 多可町立那珂ふれあい館|多可町

 多可町中区東山539-3 0795-32-0685 9:00~17:00 月火休館(祝の場合は水休館)

 

 東山古墳群について詳しく解説し、同古墳群から出土した遺物をはじめとして町内の遺跡からの出土品を展示しています。古代の多可地域のことが良く分かる施設です。

 

 安平館長が古墳の解説に引き続き、館内の遺物について説明してくださいました。

 今回の現地講座では縄文時代の話題がほとんど出てきません。縄文遺跡が無いわけではないのですが、播磨の平野部では東日本と比べると縄文時代の遺跡は桁違いに寂しいのです。ただし、多可町くらい内陸に入ってくると様相は変化しますので、播磨の縄文時代については、この施設と兵庫県立考古博物館で確認してください。

 多可町では、有舌尖頭器が見つかっていることから(西安田・東の谷遺跡出土品を展示)、縄文時代草創期から人びとが活動していたことが分かりますが、旧石器時代の遺跡は見つかっていないようです。

 早期になると遺跡が増えます。中国山地では早期には押型文土器が流行します。関東地方では押型文は主流ではないので、あまりお目にかかることはありませんが、こちらでは一般的です。

 前期はまた人の痕跡が少なくなるようですが、中期になると盛り返してきて、後期の遺跡は多いです。西日本では土器に縄文を施文することはあまり流行りませんでした。展示の説明を読むと、多可町の場合は中期から後期には縄文が見られるとありますが、展示されている土器を見る限りでは、縄文も希薄です。

縄文土器片の展示

 

 多可町は山間部ではありますが、弥生時代に灌漑稲作を行っていた証拠となる大陸系磨製石斧が出土しています。弥生時代中期後葉から遺跡が増えます。西安田・宮ヶ谷遺跡では、可愛らしい動物の絵が描かれた絵画土器が出土しています。

西安田・宮ヶ谷遺跡出土・絵画土器

 

 多可町で見つかった古墳は約300基ですが、前方後円墳や前方後方墳は1基も見つかっておらず、そのほとんどが後期から終末期の古墳です。ただし、前期に遡る古墳も見つかっています。

 前期末の築造である岡山1号墳は、18~20ⅿ×23ⅿの方墳で、4基の竪穴式石室が見つかっています。

岡山1号墳出土の管玉とガラス玉

 

 というわけで、安平館長、お忙しいなか1時間に及ぶ解説ありがとうございました!

 

夕食:BAR1986

 今晩泊まるホテルは加古川プラザホテルですが、その1階に「BAR1986」というバーがあったので、そこで皆と夕飯を食べました。

 

 ホテルにある食事処は値段が高いイメージがありますが、ここはハッピーアワーが設定されているので、早めに入ればかなりリーズナブル。しかもヴォリュームがあってナイスです。

 

 加古川プラザホテルに泊まった際、外に食べに行くのは面倒だという時はちょうどよいですね。

 ※かつめしも頼み、美味しかったのですが、身体の調子が良くなく食べきれませんでした。せっかく作ってくれたお店の方には申し訳なかったです。

 

宿泊:加古川プラザホテル

 加古川駅近くの大型のホテルです。

 

 有料駐車場はホテルにもあるのですが、ホテル北西側の道路向かいにある「Dパーキング」だと800円で駐車できてホテルの駐車場よりも安いです。「ホテル提携」と書かれていますが、ホテルでサーヴィス券がもらえるわけでもなく、「提携」の意味が分かりません(笑)

 部屋は奇麗なビジホ。

 枕はデフォルトで普通のと堅いのが置かれています。

 

 ちなみに私は枕やベッドについてはまったく頓着ありません。

 テレヴィは小さ目で、枕元にコンセントはなくちょっと遠い。

 

 チェックイン時にはまだ完全に日は暮れておらず、カーテンを開けたら紫色に染まった加古川の町を望めました。

 

 バスタブは広めで、シャワーは温度調整の楽なワンハンドル形式です。

 

 個人的には良いホテルだなあと思います。

 シルバーウィーク中ですから、昨晩泊った姫路は物凄い人でしたがこちらは静かなので、姫路に観光に行く人は、新快速で1駅(10分)の加古川に泊るというのも良いと思います。

 ホテル内には漫画コーナーがあります。

 私は漫画はほぼ読まないのですが、何となく棚を見たら「ゴールデンカムイ」がありました。

 AICTのメンバーから「読んで!」とお勧めされていたので、1~3巻を借りて部屋に戻り、2時間かけて読みました。

 

 面白いですね。

 アイヌの風習についてきちんと書かれているので、アイヌ文化を知るために読んでみるのも良いかと思います。

 続きが気になる。

 ところで、加古川プラザホテルは無料朝食が付いていて、定食形式です。

 

 朝食はビッフェ方式のホテルが多いですが、好き嫌いがなく何でも食べられる私は意外とこういう定食形式も好きで、考える必要がないから楽ちんですね。

 

【3日目・9月21日(月・祝)】

 

※以降は、募集ページを公開したときのままです。


㉗ 神納塚古墳跡(27ⅿ)|加古川市

 日岡山古墳群をめぐる際の起点となる古墳です。というか、古墳「跡」です。

 神納塚古墳は、前期末頃に築造された径27ⅿの円墳でした。気づく人は気づきますが、駐車場に周溝の跡が表示されているのです。

 

 駐車場を作る際に破壊されたのではなく、駐車場を作る際に新たに発見された古墳です。周溝の西半分が検出されたため、その部分を表示しています。出土した円筒埴輪や家形埴輪の破片から築造時期を前期末としています。

 さて、日岡山古墳群の古墳配置は下図の通りです。

現地説明板を撮影

 

 地図の下の方に「神納塚古墳」がありますが、ここからスタートして、西車塚古墳、南大塚古墳、西大塚古墳とめぐり、そこから少し山を登って、ひれ墓古墳へ行き、また戻ってくる予定です。

 


㉘ 西車塚古墳(23ⅿ)|加古川市

 現状見ると径23ⅿほどの円墳に見えますが、実際の墳形およびサイズは分かっていません。

 


㉙ 南大塚古墳(90ⅿ)|加古川市

 4世紀後半に築造された南西向きの前方後円墳です。後円部と前方部でそれぞれ古墳の中軸線と直交する配置で竪穴式石室があり、後円部墳頂に散らかっている角礫は、竪穴式石室の裏込め石と考えられています。

 

 昭和51年の調査中に、三角縁神獣鏡の小さな欠片が採集され、福岡県の一貴山銚子塚古墳出土鏡と同范であることが確認されました。加古川総合文化センター博物館に、元の形に復元した物と並んで展示されています。

見つかった鏡片と復元した銅鏡(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 なお、すでに消滅している東車塚古墳出土の三角縁神獣鏡は、神戸市のヘボソ塚古墳出土鏡と同范で、仿製の方格規矩鏡は栃木県の桑57号墳と熊本県の豊水若宮古墳と同范であることが分かっています。

東車塚古墳出土・三角縁神獣鏡(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

東車塚古墳出土・仿製方格規矩鏡(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 さらに付け加えると、今回は訪れませんが、日岡山古墳群を構成する近くの勅使塚古墳の墳丘上で拾われたと伝わる三角縁神獣鏡があり、これも一貴山銚子塚古墳の同范鏡であり、過去に露出していた南大塚古墳の前方部主体部から持ち出されたものが勅使塚古墳に捨てられたのではないかとする考えもあります。

伝勅使塚古墳出土・三角縁神獣鏡(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 


㉚ 西大塚古墳(74ⅿ)|加古川市

 4世紀後半に築造された南西向きの前方後円墳です。墳丘は一部分が削平されており、現状の墳丘長は74ⅿですが、実際はもう少し大きかったと考えられています。墳丘の周囲をめぐっていた周溝は完全に埋没しています。発掘調査をされたことがなく、埴輪片が採集されています。葺石については不明です。主体部はすでに大部分が削平されてなくなっていると考えられています。

 


㉛ ひれ墓古墳(85.5m)|加古川市

 日岡山古墳群を構成する一基。前期に築造された前方後円墳。宮内庁により景行天皇の后・播磨稲日大郎姫命(ヤマトタケルの生母)の陵に治定されています。

 


㉜ 日岡神社|加古川市

 加古川市加古川町大野1755 079-422-7646

 式内社。主祭神は、天伊佐佐比古命(あめのいささひこのみこと)で、第7代孝霊天皇の皇子。吉備津彦命と同神であるともいわれています。

 

 景行天皇の后・稲日大郎姫命が双子を身籠もった際、主祭神である天伊佐佐比古命が七日七夜祈願をし、無事安産で出産したと伝わっています。

 ヤマトタケルにもこんな可愛い頃があったのです。

 


㉝ 行者塚古墳(99ⅿ)|加古川市

 西条古墳群は、印南野台地から北の加古川左岸に向けて延びる丘陵上に所在する3基の大型古墳からなります。

現地説明板を撮影

 

 西条廃寺の東側にある駐車場で車を降りて練り歩く予定です。

 3基ある古墳の1基である行者塚古墳は墳丘長99ⅿの前方後円墳で、兵庫県で8番目に大きい古墳です。中期初頭に築造され、北西向きの墳丘は前方部2段、後円部3段で、葺石を備えます。大きな特徴としては、4つも造出があることです。

行者塚古墳のジオラマ(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 平成7年(1995)から翌年にかけて史跡整備のための発掘調査が行われ、後円部墳頂の3つの副葬品庫が調査され、多くの遺物が出土しました(本ページ内の加古川総合文化センター博物館の項参照)。

 西造出と北東造出の発掘調査では、多数の埴輪や遺物を検出して大きな成果をあげています。西造出では、方形埴輪列の中に祭殿のような家形埴輪が設置され、その前面には土で作った魚や木の実などが供物として置かれているという興味深い状況が明らかになりました。

行者塚古墳のジオラマの西造出部分(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 北東造出では埋葬施設も見つかっており、造出にも埋葬を行うケースがあったことを示しています。

行者塚古墳のジオラマの北東造出部分(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 北東造出やそれ以外からも行者塚古墳からは優れた形象埴輪が出土しています。

行者塚古墳出土埴輪(北東造出出土以外も含む=加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 

 現地でもレプリカの埴輪が並べられています。

 

 播磨の古墳は本ページの各所で述べている通り、石棺を使用することが多いです。ところが、行者塚古墳は大型墳であるにも関わらず、木棺と粘土槨の組み合わせでそれを3本並べているのです。同時期の同規模な古墳を近畿地方で探すと、大阪府の心合寺山古墳や和泉黄金塚古墳、三重県の石山古墳などがありますが、皆、石棺を使用できなかった(許可されなかった)グループとして考古学者は分類しています。

 なぜ石棺を使えなかったのでしょうか?

 なお、行者塚古墳から出土した埴輪などは、大手前大学史学研究所が3D化した画像を公開していて、グルグルと様々な角度から見れるようになっています。こちらをご覧ください。

 


㉞ 人塚古墳(61.5ⅿ+)|加古川市

 人塚古墳は、行者塚古墳とほぼ同時期に築造された墳丘長61.5m以上の造出付き円墳で、帆立貝式古墳と考える人もいます。造出あるいは前方部のほかに、小型の造出も付属しています。墳丘は2段築成で、上段にのみ葺石が施されていました。

 造出付き円墳とするか帆立貝式とするかは微妙な問題ですが、現地説明板では造出付き円墳とし、加古川総合文化センター博物館に掲示してある古墳編年では帆立貝式としています。

 周溝の外側斜面からは瓦窯跡が1基確認され、西条廃寺の瓦を焼いていたことも分かっています。

 


㉟ 尼塚古墳(51ⅿ)|加古川市

 尼塚古墳は、行者塚古墳や人塚古墳からやや遅れた5世紀中葉頃に築造された古墳です。墳丘長は51mで、こちらも人塚古墳と同様に造出付き円墳あるいは帆立貝式古墳です。墳丘は2段築成で、上段にのみ葺石が施されていました。テラス面からは埴輪列が検出されています。

 人塚古墳と同じく、現地説明板では造出付き円墳とし、加古川総合文化センター博物館に掲示してある古墳編年では、帆立貝式としています。

 


㊱ 西条廃寺|加古川市

 加古川市西条山手二丁目(県指定史跡西条廃寺公園) ※トレイあり

 7世紀末頃に造立された古代寺院です。昭和55年から57年の発掘調査の結果、塔を西に、金堂を東に置くいわゆる「法隆寺式伽藍配置」であることが分かりました。

加古川総合文化センター博物館にて撮影

 

 塔・金堂・講堂の基壇は、外側に瓦を積み重ねて化粧する瓦積基壇です。現状は、塔と金堂の基壇は瓦積基壇として復元されていますが、講堂は違います。

塔跡の瓦積基壇の復元

 

講堂

 

 塔跡に残る塔心礎は竜山石製です。やはりこの地域は古代寺院にも竜山石なんですね。調査時には原位置に無かったものを整備にあたって元の位置に戻しました。

 

 すぐ西側には人塚古墳の森が見えます。

手前が金堂基壇、奥が塔基壇、そのさらに奥の森が人塚古墳

 

出土した水煙片(加古川総合文化センター博物館にて撮影)

 


割愛:焼山古墳群|小野市

 ※時間の都合で割愛しましたが、参考までに募集ページに記載した内容をそのまま掲載します。

 小野市二葉町

 元々は200基以上からなる後期を中心とした群集墳で、現在は県史跡となっている22号墳~25号墳の4基を見ることができ、そのうち、24号墳と25号墳の2基は帆立貝式古墳です。昭和33年に発掘調査が行われ、主体部は木棺直葬でした。

 それら4基のうち、自由に見学できる24号墳と25号墳を探訪します。

24号墳

  

25号墳

 

 大変地味な古墳群ですが、可愛らしいですよ。

 焼山古墳群から出土した玉類は、小野市立好古館に展示されています。

小野市立好古館にて撮影

 


㊲ 王塚古墳(50m)|小野市

 小野市王子町

 5世紀中頃に築造された径50mの円墳。この地域では最大規模の円墳です。王子古墳群を形成する一基で、その主墳と見られていますが、他の古墳はほとんど消滅してしまいました。

 


㊳ 小野市立好古館|小野市

 小野市西本町477 0794-63-3390 9:30~17:00(16:30) 月曜休館(祝の場合は翌日休館)

 

 小野市の歴史を解説した施設。考古系の展示もありますが、旧石器時代と縄文時代の展示はほぼ無く、弥生土器がいくつか展示されています。

 古墳時代の遺物でユニークなのは、勝手野6号墳から出土した装飾付須恵器です。

 

 右手の奥の方に取っ組み合いのケンカをしているような人たちがいますが、相撲を取っているのです。

 

 この須恵器は、石室の入り口の両サイドに1つずつ立てられていました。

 王塚古墳の出土遺物は、兵庫県の重要有形文化財に指定されていますが、銅鏡の複製品は展示されているもののあとは写真展示です。

 

 そのほか、古代寺院に関する展示があり、あとは中近世の展示です。

 なお、小野市内にある浄土寺は、鎌倉時代のはじめに重源上人が建立した寺院で、浄土堂と堂内の阿弥陀三尊立像は国宝です。当館の1階には浄土寺の内陣柱の実物大模型があります。

 

 間近で見ると迫力がありますよ。

 


㊴ 加古川総合文化センター 博物館|加古川市

 加古川市平岡町新在家1224-7 079-425-5300 10:00~17:00 第2・4月曜休館(祝の場合は翌日休館)

 

 加古川市の歴史について多くの遺物を交えて紹介した施設。かなり本格的な施設ですが、入館無料という加古川市の度量を見せつける施設で、総合文化センターの中にさりげなく存在します。

 

 旧石器時代や縄文時代の遺物の展示はほとんどありませんが、弥生時代は前期から後期までの土器の展示があります。

 

 とくに古墳時代の展示が素晴らしく、権現ダムに水没するはずだった中山1号墳の横穴式石室を館内に移築復元しています。

 

 小さな石室ではなく、全長は9.9ⅿもあります。やや両袖式の横穴式石室です。

 

 全国のミュージアムを見渡すと館内に横穴式石室を移築復元している施設はたまにありますが、ここまで本格的なものはあまりないです。

古墳コーナー

 

 古墳に関する展示の中では、行者塚古墳の遺物の展示が最も充実しており、西副葬品箱(副葬庫)や中央副葬品箱(副葬庫)から見つかった遺物についてはコーナーを設けて展示。中央副葬品箱から見つかった金銅製帯金具は、複製品と復元品を展示。

複製品

 

復元品

 

 墳頂部西副葬庫からは巴形銅器も出ており、4点展示されています。

行者塚古墳墳頂部西副葬庫出土・巴形銅器

 

 平荘湖古墳群の一基で現在では平荘湖底に水没しているカンス塚古墳の出土品コーナーもあり、中でも金製垂飾は俊逸で、重要文化財になっていないのが不思議です。

カンス塚古墳出土遺物

 

カンス塚古墳出土・金製垂飾

 

 池尻2号墳からは、「はそう」が2つ合体した双(もろ)はそうが出ています。

池尻2号墳出土・双(もろ)はそう

 

 


㊵ 兵庫県立考古博物館|播磨町

 播磨町大中1-1-1 079-437-5589 9:00~17:00(16:30) 月曜休館(祝の場合は翌平日休館)

 

 その名の通り県立の考古博物館ですから、本当は現地講座の始めに訪れるべきかもしれません。でも行程の都合上、最後の方になってしまったので、ここで今回の現地講座の総復習をしましょう。

 兵庫県は令制播磨国だけでなく、摂津、但馬、丹波、淡路の合計5つの国を含みます。日本海側と瀬戸内海側と瀬戸内海に浮かぶ島が含まれる文化的に多様な兵庫県の歴史について考古遺物をもとに紹介しています。とても見ごたえのある施設です。

 

 5つの令制国の中では播磨の比重が高いですが、淡路島の遺跡から出た遺物も展示しているので、以前の淡路島の現地講座に参加された方は本館を見学することにより知識がつながると思います。

  


㊶ 大中遺跡|播磨町

 本現地講座で唯一訪れる弥生遺跡。兵庫県立考古博物館や播磨町郷土資料館と同じく、大中遺跡公園内にあります。

 

 弥生時代後期の集落跡を主体とする遺跡で、昭和37年に播磨中学校の3人の生徒によって発見されました。遺跡がもっとも栄えた時代は、邪馬台国の時代です。国史跡となっている範囲は、約44,000平米ありますが、その中の5分の1ほどの範囲の発掘調査が行われました。その結果、古墳時代初頭までの約150年にわたって集落が存続し、80棟以上の建物跡を検出していますが、発掘していない場所を鑑みると、少なくとも250軒の住居が存在したと考えられています。

 大中遺跡は台地上にあり、水田跡や墓は見つかっていません。付近で焼き畑を行っていたのではないかという考えがあります。

 現地には弥生時代の竪穴住居が復元されています。

 

 弥生時代には銅鏡を割って、それを分配してペンダントにしたと思われるものが見つかることがあり、大中遺跡でも内行花文鏡の欠片が見つかっています。

 こういった「破鏡」の風習は、元々は北部九州で行われていたもので、それが徐々に東へ伝播していきます。つまり、弥生時代後期には、この辺りに北部九州の文化が及んでいるわけです。

 なお、今回の現地講座では縄文遺跡へは1か所も行きませんが、大中遺跡からは縄文時代草創期のとても美しい有舌尖頭器が見つかっています。

播磨町郷土資料館の企画展で撮影

 

 余談ですが、大中遺跡の西側の行政界を越えた加古川市・山之上遺跡では後期旧石器時代のナイフ形石器や縄文時代の石鏃が採集されています。

山之上遺跡で採集された後期旧石器(播磨町郷土資料館の企画展で撮影)

 

山之上遺跡で採集された国府型ナイフ形石器(播磨町郷土資料館の企画展で撮影)

 

 山之上遺跡と大中遺跡は一体のものと考えられていますから、この地は旧石器時代から人びとが生活の場にしていたということが分かります。

播磨町郷土資料館にて撮影

 


㊷ 播磨町郷土資料館|播磨町

 播磨町大中1-1-2 079-435-5000 9:30~17:00(10月~3月) 月曜休館(祝の場合は翌日休館)

 

 大中遺跡をはじめとして町内の遺跡や歴史について解説した資料館です。

 

 とくに大中遺跡に関しては丁寧なパネル展示によって分かりやすく説明しています。海岸から2㎞ほど離れていますが(弥生後期もほとんど変わらないと考えられています)、海まで出かけて行って、イイダコを捕ったりしています。兵庫県の瀬戸内海側の資料館に来るとよくイイダコ壺の展示を見かけますが、ここにもあります。

 

 しかも時期による形態の説明まである!

 

 こちらの地方の資料館に来てイイダコ壺の展示を見た時に、「あーこれは古墳時代のイイダコ壺ですね」などとクールに言えたらカッコいいですよ。

 なお、この施設では「弥生語」に拘っており、「大中村」を古代の発音に則って、「オポナカ村」と記しているところがユニークで面白いです。弥生語を聴くこともできます。

 播磨町内で唯一残っている古墳である愛宕塚古墳(径21ⅿの中期円墳)から出土した埴輪などの遺物も展示しています。

 

解散

 加古川のご当地グルメとしては、「かつめし」が有名です。ご飯の上に薄めの牛カツ(店によっては豚カツ)が乗り、特製デミグラスソースがたっぷりかかっています。

 姫路駅の「播州うまいもん処」にある「加古川かつめし亭」で食べられるので、新幹線に乗る前に食べることができます。

 

 私は当初は食べて帰ろうと思っていたのですが、シルバーウィーク中でとんでもない人混みだったので断念しました。

 

 

「【開催報告】2026/9/19~21【3日間】「石棺王国」播磨の古墳めぐり <第233次 AICT>」への2件のフィードバック

  1. 播磨は行っていなかったので行きたいです。日程を9月の連休に合わせていただけたら参加できそうです。

    1. 沖永紀子さん

      参加表明ありがとうございます。
      それでは、9月の連休で企画したいと思いますので、あとはメールでお話ししますね。

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