2022年4月15日(金)から3日間開催した標題のツアーでめぐった場所をご紹介します。
かねてより、軽登山と古代史めぐりを融合させたいと考えていて、その第1段として企画しました。三輪山と龍王山と、それに以前から気になっていた奈良県と大阪府の県境近くの大和川の「亀の瀬」を組み合わせてみました。
ところが、後述する通り、コロナの影響で三輪山に登れず、結局完全な成功を収めることはできませんでしたが、その代わり、亀の瀬と龍王山古墳群は予想以上に楽しめたと思っています。
1日目
13時にJR王寺駅を出発。電車に乗って隣の三郷駅で下車し探訪開始。途中から龍田古道に合流し、奈良県から大阪府へ侵入。
① 亀の瀬1号排水路
地すべりを防ぐために作られた排水用のトンネル。トンネルだがどこかと繋がっているわけではなく、少し歩くと行き止まりになる。常時入れるわけではないので、地すべり資料室に連絡して確認してから行くとよい。
② 亀の瀬地すべり資料室
大阪府柏原市峠地先
072-971-1381(大和川河川事務所 調査課)
土日祝休館
9時半~16時半
入館無料
※事前申し込みで、旧大阪鉄道亀瀬隧道も見学できるため、訪問する際は一度確認の連絡をしてから訪れよう。また、下記ページでも確認できる。
⇒亀の瀬地すべり見学会のページ
亀の瀬は古来より地すべりが多発した場所で、もしそれによって亀の瀬が閉ざされてしまった場合は、奈良盆地は昔のように湖になってしまう。それを防ぐために亀の瀬周辺には巨大な杭を打ち込んだり、排水施設を作ったりして地すべりを防ぐ工事が行われているが、その工事や亀の瀬周辺の地形や歴史について説明した資料館。
パネル展示がメインだが、実際の杭の3分の1のモデルも展示してある。また、JR線がなぜ、現在のように川の右岸と左岸をわざわざ行き来するようになったのか、その理由もわかる。
③ 亀の瀬
古代史が語られる際、大和川は、大和と瀬戸内海を結ぶ重要な交通路であったと説明されることが多いが、奈良県と大阪府の県境の大阪側にある亀の瀬は舟航する際の難所であったと言われ、名前の通り、亀の形に見える大きな石がある。
川岸から見ると実際の大きさはよく分からないが、人間が20人ほどが乗れる大きな岩だそうだ。
古代と現代では水量が違うはずだが、現代の水量ではとてもではないが船は通れない。江戸時代の文献に亀石が見えることから、すでにその頃には水深が浅くなっていたことが分かる。
古代もここを通過する際はいったん人や荷物を陸揚げして運んだと考える研究者もいる。
なお、大和と瀬戸内海を結ぶ河川交通ルートは、他に淀川~木津川と奈良山の陸送をミックスしたルートと、葛城地方と和歌山平野を結ぶ紀川ルートがあった。
④ 河内国分寺跡
大和川左岸の河内国内最奥部に立地し、四神思想に合致していないが、ここで見つかった塔跡が河内国分寺跡といわれている。
⑤ 河内国分尼寺跡推定地
河内国分寺跡の西側住宅街に「尼寺」という地名が残っており、そのあたりが河内国分尼寺跡と推定されるが、遺構などは見つかっていない。ただ、地形を見ると、住宅街の場所は僧寺跡から一段下がった川に近い場所であるので、僧寺跡と同じ段丘上にあったように思える。
⑥ 松岳山古墳
まつおかやまこふん
柏原市国分市場
墳丘長130mを誇る前期の前方後円墳で、大和川を河内方面から遡上してくると、平野が終わる狭隘な地形の左岸側の丘の上に前方部を下流方面に向けてその威容を示すように築造されている。
後円部墳頂には、長大な組合式長持形石棺が露出しており迫力がある。登頂して確認しよう。
また、墳頂には板石が多数散乱しており、おそらく竪穴式石室の壁や天井に使用した石と思われ、石棺の短辺両側には穴の開けられた板石が立てられているが、何の石でいつ立てられたのかは不明。
国分神社の石段を上がり、社殿に向かって左に行くと説明板と墳頂への登り道がある。
130m(説)
3期
2日目
⑦ 天理市トレイルセンター
崇神天皇陵の北側にあり、龍王山を登る人や山辺の道を歩く人、それに古墳歩きをする人などの拠点として使える。
少しだけだが古墳コーナーがあり、パネル展示によって近辺の古墳を紹介してるほか、西殿塚古墳、東殿塚古墳、櫛山古墳の埴輪片を展示しているので古墳マニアは忘れずに見てみよう。
龍王山に登るときはここでハイキングマップをもらってから登れば道に迷わない。
⑧ 龍王山城跡
中世の土豪・十市氏が築城した城で、龍王山の二つのピークを縄張しており、南側のピークからは、奈良盆地が一望できる。すなわち、大和三山を見下ろし、葛城・金剛、二上山、生駒山などの山々を望み、遠くには瀬戸内海と六甲の山並みが見える。コンディションが良いと明石海峡大橋も見えるという。
なお、龍王山へ登るには、長岳寺の北側から登る北ルートと、崇神天皇陵の後円部近くから登る南ルートがあるが、龍王山古墳の項で述べている通り、古墳が見られるのは南ルートであり、お勧めは北ルートで南側ピークの見晴らし台まで登り、休憩をした後、南ルートで山を下りながら古墳を見るルート。
⑨ 龍王山古墳群
龍王山の斜面に数知れない古墳が築造されており、その数は墳墓が300基以上、横穴墓も300基以上と言われ、実数は不明。
南ルートのハイキングコースから近い場所に無数の横穴が口を開けており、多少の危険を伴うものの「穴めぐり」を楽しむことができる。ただし、説明板や立札などはまったくないので、詳細な分布図がないと、自分がいったい何号墳に入っているのか分からない。まあ、分からなくても面白いから問題はないかも。
夏はマムシやら虫やらなんやらが普通にいるため、冬に訪れた方がそういった敵にやられることはない。
危険な個所もあるため、2名以上で訪れるようにしよう。
⑩ 櫛山古墳
くしやまこふん
柳本古墳群
非常に珍しい双方中円墳。
150m(説)
4期
⑪ 行燈山古墳
あんどんやまこふん
柳本古墳群
墳丘長は242mを誇る。宮内庁は第10代崇神天皇の陵に治定している。
なお、古墳時代前期(3世紀半ばから4世紀後半まで)の大王墓の可能性が高い古墳は築造順に以下の6基である。
①箸墓古墳
②西殿塚古墳
③外山茶臼山古墳
④メスリ山古墳
⑤行燈山古墳
⑥渋谷向山古墳
242m(説)
3期
⑫ 南アンド山古墳
みなみあんどやまこふん
柳本古墳群
崇神天皇陵飛地は号
65m(DB)
⑬ アンド山古墳
あんどやまこふん
柳本古墳群
域内陪冢
120m(DB)
⑭ 渋谷向山古墳
しぶたにむかいやまこふん
柳本古墳群
墳丘長300mの巨大前方後円墳で、奈良県内では330mの五条野丸山古墳についで大きい。ただし、4世紀後半では日本最大の古墳。
宮内庁は12代景行天皇の陵に治定しており、その通りだと考える研究者が多いが、築城時期に関してはまだもう一歩、確実性に欠ける。
なお、古墳時代前期(3世紀半ばから4世紀後半まで)の大王墓の可能性が高い古墳は築造順に以下の6基である。
①箸墓古墳
②西殿塚古墳
③外山茶臼山古墳
④メスリ山古墳
⑤行燈山古墳
⑥渋谷向山古墳
300m(説)
3期
⑮ 上の山古墳
うえのやまこふん
景行天皇陵飛地い号
125m(説)
⑯ 大和天神山古墳
やまとてんじんやまこふん
天理市柳本町
柳本古墳群
墳丘長103mで南北に主軸を持つ前方後円墳だが、道路によって東側半分が完全に破壊されたほか、西側も損傷が激しい。
出土遺物で特筆すべきは41㎏もの多量の朱が出たこと。
未盗掘の状態の竪穴式石室が発掘され、33枚の三角縁神獣鏡が見つかったことで有名になった古墳。古墳時代前期前半に築造された墳丘長130mの前方後円墳で、大王の墓ではないが、かなりの有力者の墓と考えられる。
130m(説)
2期
黒塚古墳に隣接した施設で、黒塚古墳の竪穴式石室の実物大レプリカが素晴らしく、竪穴系の石室の本物が見られる場所は少ないが、レプリカであっても貴重。黒塚古墳から出土した画文帯神獣鏡と33枚の三角縁神獣鏡のレプリカも展示してある。
3日目
⑲ 大神神社
おおみわじんじゃ
桜井市三輪1422
0744-42-6633
日本最古級の神社の一つで、拝殿はあるが本殿はなく、背後の三輪山が御神体。
ヤマト王権とも非常に結びつきが強い神社と考えられるが、祭神は出雲系であるのでそれが古代史の謎とされることが多い。ただし、祭神に関しては長い歴史の中で変わることもあるし、実際の神様は変わらずとも名前が変わることもあるので、出雲との関係は表面だけをなぞっていてはその核心に至ることはできないだろう。
なお、境内は国指定史跡となっており、東京渋谷の國學院大學の博物館では境内出土の遺物が見られる。
⑳ 狭井神社
さいじんじゃ
桜井市三輪1422
0744-42-6633
大神神社の摂社で、三輪大神の荒魂を祀っている。「狭井の御神水」をいただくことができて、以前はフリーのマグカップが置いてあってそれを使って飲んでいたが、現在では紙コップに置き換わっている。
三輪山へ入山する場合は狭井神社境内にて手続きを行い登る。
※なんとここで予想外の出来事が発生。コロナのため三輪山に入山できなかったのだ。急遽予定を変更して、天理の古墳めぐりをすることにした(結果的には皆様昨日の龍王山登山のダメージが大きく普通の古墳歩きになって良かったかもしれない)。
㉑ 石上神宮
㉒ 西山古墳
杣之内古墳群
列島最大の前方後方墳だが、3段築成のうちの1段目(下段)が前方後方形で、2段目と3段目は、前方後円形というミックス墳。
前方後方墳からは東海系の土器が出土することが多く、とくに東日本の場合は弥生時代末期から古墳時代初頭にかけて進出した東海勢力が築いた可能性が高いが、その一方でこの地は物部氏の本拠であることから、ヤマト王権の中で東海勢力を束ねるような職掌にあったのは物部氏ではないだろうか。
私は4世紀になり東海勢力がヤマト王権の影響下に本格的に参画したことを記念して、前方後方墳と前方後円墳とのミックス墳を物部氏の本拠地に築造したのではないかと考えている。
なお、古墳の近くに天理大学馬術部の厩舎があるため、タイミングが良ければ可愛いお馬さんに会えるぞ。
190m(説)
3期
㉓ なら歴史芸術文化村
2022年4月にオープンした施設で、道の駅でもある。食事処はとんかつ屋のみだが、遺跡めぐりの際の休憩ポイントにも使えるだろう。
㉔ 西乗鞍古墳
にしのりくらこふん
杣之内古墳群
墳丘はかなり損傷が激しく、全体的に森におおわれているため麓から見ても形状を楽しむことはできない。
後円部墳頂には、昭和7年の陸軍特別大演習の際に大元帥陛下、すなわち昭和天皇が墳頂で視察したことを顕彰する「大元帥陛下駐蹕之處(だいげんすいへいかちゅうひつのところ)」の石碑が立っている。
118m(説)
8期
㉕ 東乗鞍古墳
ひがしのりくらこふん
杣之内古墳群
横穴式石室が開口しているが、崩落の危険性があるようで、現在は柵が設置してあって入ることができない。できる限りカメラを突っ込んで撮影したところ、安置された石棺が写りこんでいた。
75m(説)
8期
㉖ 天理大学附属天理参考館
天理大学に附属する博物館で、アジアや南太平洋の民俗関連や日本、朝鮮、中国、中東の考古遺物の展示がある。3フロアに渡って展示室があり、しかも1フロアが広いため、ゆっくり見たら半日必要で、好きな人なら1日中ここで過ごせるだろう。とても素晴らしい博物館だ。