最終更新日:2023年10月14日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
伊賀市
190
御墓山古墳
190m(三重県教育委員会HP)
180m(説)
188m(DB)
三重県で大きさ1位
5C前半(説)
20230419
20230721A
20231007A
121
石山古墳
現地はフェンスで囲まれており墳丘へは立入ができないかもしれない(周囲をくまなく歩いたわけではないので不詳)。
展示解説は城之越学習館にある。また、見つかった埴輪は京都大学総合博物館に展示してある。
4C末(京都大学総合博物館の展示による)
三重県で大きさ3位
説明板・標柱なし
20230419
20230721A
20231007A
48
王塚古墳
前方後円墳データベースでプロットされている場所には残土のようなものがあるが、これが王塚古墳か?
説明板・標柱なし
20230419
城之越遺跡
古墳時代の4世紀後半から5世紀を盛期として「水辺の祭祀」が行われた形跡が分かった貴重な遺跡。入口近くには建物跡の柱列表示があり、奥には祭祀場の跡が復元されている。現在でも湧水が豊富な場所。
当時の支配者は、こういった湧水が豊富な場所などで水に対するお祀りをして、支配下の農民たちに水を配っていた。それを水分(みくまり)という。
20230722A
20231008A
城之越学習館
城之越遺跡以外にも古墳についての展示解説がある
20230722A
20231008A
都美恵神社
つみえじんじゃ
倭姫の阿閉柘植宮跡の伝承地(元伊勢)。倭姫はここに滞在した後、伊勢方面へは向かわず、近江の甲賀方面へと山を越えた。
都美恵神社がある場所は、木津川支流の柘植川の最上流域で、近くには目立った古墳はないが、8kmほど下流へ行くと、東海地方最大の前方後円墳・御墓山古墳がある。
20230721A
20231007A
神戸神社
かんべじんじゃ
倭姫の伊賀穴穂宮跡の伝承地。本殿は、伊勢神宮の式年遷宮の際に古材を譲られ遷宮することを恒例としている。
20230722A
20231008A
比自岐神社
ひじきじんじゃ
由緒書きによると、比自岐神社の主祭神は、比自岐神で、比自岐神は、比自岐別(ひじきわけ)の祖神。
比自岐別の娘は、垂仁天皇の皇子・円目王(つぶらめおう)に嫁いだと伝承されている。
円目王は記紀には登場しませんが、『令集解』(りょうのしゅうげ)という9世紀に編纂された律令(養老令)の注釈書に記載がある。
20230721A
20231007A
大村神社
おおむらじんじゃ
主祭神は、大村の神と呼ばれ、神社の由緒では、垂仁天皇の子・息速別命(いこはやわけのみこと)。
20230721A
府中神社
20230419
敢国神社
伊賀国一宮
20231007A
積殖の山口
つみえのやまぐち
日本書紀によると、672年6月24日に吉野を出発した大海皇子一行は、夜になっても進軍を止めず、夜半に大和国から国境を越え、伊賀国の隠(なばり)駅家に到着。隠駅家の場所は不明。
つづいて、横川、伊賀駅家を経るが、これらの比定地も不明。伊賀の山中に至ったところ、郡司たちが兵を率いて加勢に現れ、ようやくにして大海皇子の一行は軍隊の体裁が整った。
その後も休む間もなく進み続け、明け方にタラノに着き、ここで吉野を出発以来、初めての食事を兼ねた休憩をした。つかの間の休息の後、再び進みだした一行は、積植(つむえ・現在の柘植)の山口で高市皇子率いる軍勢と合流。大海皇子には多くの男子がいましたが、幼い子が多く、唯一長男の高市皇子だけが一軍を率いる将として期待できる子だった。
20230721A
20231007A
伊賀国庁跡
御墓山古墳のすぐ近くにある。このことから、古墳時代のみならず、律令時代もこの地が伊賀の中心であったことが分かる。
20230419
伊勢市
豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)
延暦23年(804)成立の「止由気宮儀式帳」によると、雄略天皇22年、天皇の夢のお告げによって、丹波国比治の真名井に祀られていた「ト由気太神」(トは、草冠に寺)を天照大神に食事を供する担当として招いたが、それが祭神の豊受大御神である。現・丹後一宮・籠神社の摂社・天真名井神社は、「ト由気太神」が元々祀られていた(つまり元伊勢)の候補の一つ。
20170514
20230723A
20231009A
せんぐう館
写真撮影NG
20231009A
皇大神宮(伊勢神宮 内宮)
『続日本紀』文武天皇2年(698)12月乙卯(29日)条によると、この日、多気大神宮を渡会郡に遷して成立。
20170514
20230723A
20231009A
磯神社
倭姫・玉岐波流磯宮候補地
20230723A
亀山市
90
能褒野王塚古墳
のぼのおうつかこふん
宮内庁が管理している日本武尊の3つある古墳の内の一つ。日本武尊は最初ここに埋葬されたが、白鳥になって飛んで行ってしまった。棺には衣類だけが残されていたが、衣類を残して遺体がなくなるのは、実は死んでいないということを示唆しているという考えもある。
4C末頃(説)
20170515
20230721A
20231007A
能褒野神社
のぼのじんじゃ
20170515
20230721A
20231007A
亀山駅の日本武尊と弟橘媛の銅像
20231007A
鈴鹿市
78
白鳥塚古墳
しらとりづかこふん
5C前半(説)
20230721A
20231007A
63
鈴鹿王塚古墳
6C初頭
20230721A
加佐登神社
かさどじんじゃ
主祭神は日本武尊。歩いてすぐの場所に白鳥塚古墳がある。
20230721A
20231007A
忍山神社
おしやまじんじゃ
東京湾で入水した弟橘媛の実家にして、倭姫の河曲鈴鹿小山宮跡の伝承地。延喜式内社。
20230721A
20231007A
伊勢国庁跡
鈴鹿市広瀬町
20170515
伊勢国分寺跡
鈴鹿市国分町
20170515
20230721A
20231007A
鈴鹿市考古博物館
鈴鹿市内の遺跡から出土した考古遺物を展示している。旧石器・縄文・弥生・古墳・律令とあり、伊勢国の考古遺物の特徴を掴むことができる。基本、月休館。
20230721A
20231007A
【洋食】レストラン スオー
鈴鹿市自由ヶ丘1-10-2
059-374-0327
最高に美味い洋食屋さん。近所にあったら通いたい。
津市
81
明合古墳
あけあいこふん
造出が2方向にある大型方墳
5C初頭から前半(説)
20230722A
加良比之神社
からひのじんじゃ
倭姫・壱志藤方片樋宮候補地
20230722A
津市安濃郷土資料館
20230722A
【食事】みやた
津市白山町中ノ村120-7
059-262-0777
洋食も和食も種類が豊富で迷う。多分、何を食べても外れなしだと思う。
名張市
90
殿塚古墳
美旗古墳群
4C末~5C初頃
20231008A
100
女良塚古墳
じょろうづかこふん
美旗古墳群
帆立貝形なのに100mもある古墳で、おそらく帆立貝形としては、全国で4位になるんじゃないかと思います。ただし、墳丘はフェンスで囲まれており入れません。
5C前半頃
三重県で大きさ5位
20230419
20230722A
20231008A
毘沙門塚古墳
美旗古墳群
5C中頃
20231008A
142
馬塚古墳
美旗古墳群
美旗古墳群を構成する一基で、三重県で2番目に大きい墳丘長142mの前方後円墳。
5C後半
三重県で大きさ2位
20230419
20230722A
20231008A
55
貴人塚古墳
美旗古墳群
後期の前方後円墳。墳丘は多少モシャ子ちゃんかもしれませんが登れると思います。
6C初頭
20230419
20230722A
20231008A
桜町中将城
20230722
名張市美旗市民センター歴史資料館
名張には別に郷土資料館がありますが、こちらもミニ郷土資料館と言った感じです。第3日曜日休館。
20230419
20230722A
20231008A
名張市郷土資料館
縄文・弥生・古墳時代の名張市の遺跡から出た遺物が展示してあります。基本、月・木休館。
20230419
20230722A
20231008A
松阪市
43.6
西山古墳
20231008A
52.5
久保古墳
20231009A
111
宝塚1号墳
5C初頭(説)
20230419
20230722A
20231009A
89
宝塚2号墳
5C前半(説)
20230419
20230722A
20231009A
15
天保1号墳(移築)
20231008A
松阪市文化財センター はにわ館
20230419
20230723A
20231008A
神山神社
倭姫・飯野高宮候補地
20230723A
20231009A
松阪城跡
20230723
明和町
坂本古墳群
20230723A
20231009A
塚山1号墳
20231009A
塚山2号墳
20231009A
塚山3号墳
20231009A
塚山古墳群
20231009A
大溝
20231009A
竹佐々夫江神社
倭姫・多気佐々牟江宮候補地
20230723A
斎宮跡
20230723A
20231009A
三重県立斎宮歴史博物館
20230723A
20231009A