最終更新日:2025年1月17日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
※便宜上、横芝光町と芝山町はこのページに記載しています。
目次
一宮町

玉前神社
一宮町一宮3048
0475-42-2711
上総国一宮。祭神は玉依姫命。貞享4年(1687)に造営された社殿は、黒漆塗りの権現造りで、赤のラインが入り、メタルな感じがしてカッコいい。
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市原市
47.5
神門3号墳跡
神門古墳群

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20191222C
20220325A
20220326A
46.8
神門4号墳跡
神門古墳群

20190616
20191222C
20220325A
20220326A
42.6
神門5号墳
神門古墳群
3世紀前半に相次いで築造された3基の前方後円墳の中で最古の古墳。その時期は3世紀初頭と考えられ、纒向石塚古墳とほぼ同時期の築造です。
20190616
20191222C
20220325A
20220326A
38.4
諏訪台9号墳
諏訪台古墳群
諏訪台古墳群と天神台遺跡の範囲内では唯一、諏訪神社社殿周辺にて9号墳、10号墳、11号墳の3基の古墳が現状保存されている(『市原市諏訪台古墳群・天神台遺跡Ⅱ』)。

草刈Ⅰ式期(3世紀前半)
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20220326A
40
諏訪台10号墳
諏訪台古墳群

20220325A
20220326A
38
諏訪台11号墳
諏訪台古墳群

草刈Ⅱ式期(3世紀半ば)
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20220326A
60
新皇塚古墳
菊間古墳群

60(DB)
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90
東関山古墳
菊間古墳群
標柱には中期とあるが、市原市埋文センターのHPでは、後期としている
墳丘の発掘調査は行われていないが、周辺の調査によって墳丘は90mほどで、周溝を含めた全長は120m以上と推定されるようになった
61m(標柱)
90m(市原市埋文センターHP)
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菊間若宮神社

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上総国府推定地

20190616
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郡本遺跡(市原郡衙推定地)/郡本八幡神社
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20230204A

上総国分尼寺跡展示館


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神門瓦窯跡

20190616

阿須波神社

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市原八幡神社

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20230204A

戸隠神社

20190616
91
釈迦山古墳
姉崎古墳群

91m(姉崎天神山古墳の説明板)
4期?
20190616
80
原1号墳跡
姉崎古墳群

80m(姉崎天神山古墳の説明板)
円筒Ⅴ式
10期初頭
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20220326A
45
堰頭古墳
姉崎古墳群

20190616
20220326A
45.4
六孫王原古墳
姉崎古墳群
終末期の前方後方墳とされているがそれが事実だとすると極めて異例。前期の前方後方墳の墳丘を再利用したものではないか?
7世紀前半
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20220326A

姉埼神社

20190616
20220325A
20220326A
21
御社古墳
大山祇が祀られている

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20220325A
20220326A
18
御社2号古墳

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20220325A
20220326A
10.5
御社3号古墳
富士塚になっている

20190616
20220325A
20220326A
45
吉野1号墳
市原市西国吉
🅿なし
🚻なし
吉野古墳群最大の前方後円墳。周囲には前方後円墳や円墳が十数基展開している。住宅街にあるが、墳丘は綺麗な状態で保たれている。
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65
佐是9号墳
市原市佐是1097 光福禅寺
🅿古墳専用はない
🚻なし
佐是古墳群最大の前方後円墳。光福禅寺に向かっていくと、お寺の駐車場の手前左側に墳丘の横腹が見えるのですぐにわかる。
発掘調査はされておらず詳細不明。中期の古墳とされているようだが、後円部と前方部との比高差が大きい。説明板なし。
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佐是古墳群
市原市西国吉
佐是9号墳の周りには円墳がいくつか見られる。「ちば情報マップ」によると、佐是9号墳以外に19基の古墳があるようだ。ただし、古墳というよりかは、中世の塚のように見える物もある。
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【ラーメン】みちのくラーメン
市原市姉崎2406-5
0436-61-7174


木更津市
120?
稲荷森古墳

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きみさらずタワー




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20190617
20230205A

木更津市郷土博物館


20190617
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君津市
56
道祖神裏古墳
確認調査にて周溝内から五領式土器が検出されている。

56m(DB)
説明板無し
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三直城跡

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君津市八重原公民館(金井崎遺跡)
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20190617
鋸南町
山武市
70
旭ノ岡古墳
円筒Ⅴ式
10期前半
2014年に山武市指定史跡となった際に、表記が旧来の「朝日ノ岡」から現在の表記に変わった。
旭ノ岡古墳は、19基の古墳からなる蕪木古墳群の主墳で、蕪木1号墳とも呼ばれる。
墳丘長70mの前方後円墳で、後円部径は47m、前方部前端幅は42m、墳高は後円部、前方部ともに7mを測り、長軸はほぼ東西方向。殿塚古墳と並んでこの地域に築造された最初の大型墳である。
昭和27年の発掘調査の報告では、埋葬施設は墳丘くびれ北側に開口する横穴式石室とされているが不確実。
埴輪に関しては、埴輪列が墳丘の中段と裾部に合計3列確認されており、後円部には円筒埴輪のみを立て並べ、前方部には円筒埴輪と形象埴輪を交互に立て並べていた。
形象埴輪は、人物、馬、鶏、水鳥が確認され、墳丘北面はすべて馬形および人物埴輪が配され、昭和27年の調査で主体部とされた場所の周辺は、円筒および形象埴輪によって垣根状に囲まれていたという。
発掘された埴輪は、芝山古墳・はにわ博物館で鑑賞することができる。
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20241222A
115
大堤権現塚古墳
10期後半
前方後円墳2基と円墳7基(2基は消滅)の計9基からなる大堤古墳群の主墳で、墳丘長115mを誇る大型の前方後円墳。千葉県で6番目の大きさ。
後円部径60m、高さ12m、前方部前端幅53m、高さ10m。外堀までを含めた総長は174mにおよぶ。千葉県内では極めて珍しい三重の周堀を持つ。
築造時期に関しては、埴輪が見つかっていないことから、6世紀末から7世紀初頭と言われ、当該期の前方後円墳としては日本列島全体を見渡しても屈指の大型墳となる。
石室は玄室と前室からなる複室構造で、砂岩を使った切石積となっており、後円部くびれ近くで南側に向かって開口している。
玄室奥壁に向かって右手に蓋石を有した石棺が造り付けられており、頭椎大刀、圭頭大刀、翡翠製勾玉、水晶製勾玉、ガラス玉、小玉など多数の玉類、それに鉄鏃が見つかっている。石棺内では大臼歯も3 個確認されており、被葬者は頭を南に向けて安置されていたことが分かる。なお、頭椎大刀と圭頭大刀の2振りの飾り大刀が副葬されていたことは千葉県内では珍しく、被葬者の権威の高さを表している。
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20210501A
20241222A
63
不動塚古墳
6世紀後半に築造された前方後円墳で、板附古墳群を構成する一基。墳丘は西向き。横穴式石室は単室の切石積みで、線刻画が見られるという(ただし、現在は石室は埋められている)。
板附古墳群で残存している古墳は21基で、前方後円墳が4基、方墳が2基、円墳が21基。
古墳群最大の古墳は墳丘長93mの前方後円墳である西ノ台古墳。
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64 ~66
山室姫塚古墳
17基の円墳によって構成されている大塚古墳群の一基で、7世紀初頭の築造と考えられている。
山室姫塚古墳は古墳群中最大の古墳で、径64~66m。円墳としては千葉県最大。周溝と周堤を備え、周堤を含めた径は85m。発掘調査は行われていない。
20241222A
62
駄ノ塚古墳
西暦610年から620年の間に築造された千葉県を代表する方墳の一つで、県内では、龍角寺岩屋古墳につづいて2番目に大きな方墳。3段築成、周溝あり。横穴式石室は複室構造だが、現在は埋められている。普通に考えたら武社国造の墓。説明板はない。
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芝山町

観音教寺


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【閉館】
芝山ミューゼアム
写真撮影NG

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20180602C
20190306C
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芝山古墳・はにわ博物館
芝山町芝山438-1
0479-77-1828
9:00~16:30
月曜休館
埴輪の解説・展示に力を入れている博物館で、2021年4月に、観音教寺のミュージアムに展示してあった遺物を合わせてリニューアルオープンした。
入口廊下部分は龍角寺岩屋古墳の西石室を参考にして造られているので、入館の時から油断しないように。



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袖ヶ浦市

真里場古墳群
後期の群集墳で、現存するのは12基。
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袖ヶ浦市郷土博物館


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館山市

鳩谷八幡宮

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館山城跡

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館山市立博物館

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東金市

東金市役所1階ロビーの考古遺物展示
東金市役所の1階ロビーには、市内の遺跡から出土した遺物を展示するショーケースが一つだけ置いてある。
その中にある「とうがね土偶」と呼ばれているカッパ形土偶は、縄文中期前半の勝坂式土器文化圏で造られるもの。その頃の東金は、阿玉台式土器文化圏であり、その文化では土偶はほぼ作られなかったはずなので、この地の人びとはこの土偶を見て何を感じたのか、興味深いものがある。
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長南町
93
油殿1号墳
あぶらでんいちごうふん
長南町豊原
外房を代表する油殿古墳群最大の前方後円墳。昭和49年に早稲田大学が確認調査。墳頂部には底部穿孔の大型の壺形埴輪がめぐらされていた。周溝あり。早稲田大学は4世紀末から5世紀初頭の築造としたが、前方部と後円部の高さが極端に違い、現在では前期古墳と認識されている。
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73.5
能満寺古墳
のうまんじこふん
長南町芝原3848(能満寺)
能満寺境内の東側に所在。4世紀代の築造と考えられる前方後円墳。段築が認められず、葺石はないが、壺形埴輪が出土している。周溝は、後円部前面の一部に構築。
昭和22年に後藤守一を中心とする明治大学考古学研究室によって主体部の発掘調査がなされ、木炭槨が検出された。副葬品に重圏文鏡があった。
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長南町郷土資料館
長南町長南2127-1
0475-46-1194(中央公民館)
9:00~16:00
基本無休
能満寺裏遺跡出土の加曽利E式土器などの縄文土器や町内の弥生遺跡から出土した遺物、それに古墳や横穴墓に関する展示のほか、民俗関係の展示がある。
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【ランチ】お食事処 やちよ
長南町米満567-1
ランチ営業のみ
とくにラーメンが売りのようで、普通のラーメン(醤油)と揚州ラーメンがある。チャーシュー麵を食べたが、チャーシューが最高に美味い。麺は中太麺で、スープの味も良くて、刻み玉ねぎが入っているのも非常にナイス。2024年に食べた美味いラーメンのベスト3に入る思い出に残るラーメンだった。


長柄町

長柄横穴群
長柄町徳増小榎本地先
7 世紀末から8世紀初めに築造されたと考えられている横穴墓群。高壇式と呼ばれる特殊な形態を持つ横穴墓の代表例。線刻画のある横穴が数基あるが、見ることはできない。
20241221A

長柄横穴群資料館
長柄町徳増小榎本地先
9:00~16:30
月曜休館
長柄横穴群について解説した施設で、出土した須恵器などを展示するほか珍しい七重塔の線刻のある13号墓の玄室の実物大模型があり必見。他に、亀ヶ谷遺跡出土の縄文中期の土器なども展示している。
職員は常駐しておらず、到着したらインターホンを押して見学を申し込むと、10分くらいで職員が駆けつけてくれる。
20241221A
富津市
30
白姫塚古墳
内裏塚古墳群


標柱に説明が書いてあるが消えかかっている
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89
古塚古墳
こづかこふん
内裏塚古墳群

円筒Ⅴ式
10期前半
20190617
20230205A
106
青木亀塚古墳
内裏塚古墳群

20230205A
48
蕨塚古墳
内裏塚古墳群

20190617
20191222C
20230205A

古墳の里ふれあい館


20190617
20191222C
20230205A

東京湾観音




20190617
睦沢町
茂原市

宮ノ台遺跡
南関東における弥生時代中期後半の宮ノ台式土器の標式遺跡。宮ノ台式期は、関東の本格的な弥生時代の始まりの時期。
昭和10年と15年に台地上西側及び南側斜面の一部を杉原荘介が発掘
調査した。灌漑稲作をしていた証拠となる柱状片刃石斧、大型蛤刃石斧などの大陸系磨製石斧や碧玉製管玉などが出土。
三島神社前の道路沿いに説明板があるのみ。
20241222A

茂原市立美術館・郷土資料館
茂原市高師1345-1
0475-26-2131
9:00~17:00
基本無休
美術館と郷土資料館があり、郷土資料館は基本的には通年常設展示が見られるようになっている。
縄文時代の下太田貝塚から出土した遺物が俊逸で、多にも豊富な資料を展示している。
人車鉄道で使われた客車の実物の展示はかなり貴重。
20241221A
横芝光町
88.9
殿塚古墳
殿塚古墳と姫塚古墳は、中台古墳群の代表的な古墳。以前は、芝山古墳群と呼ばれていたが、現在では字名をとって中台古墳群と呼ばれることが多い。中台古墳群では、多くの古墳が確認されているが、小さい古墳たちの中には現在墳丘が確認できないものもある。一応は、4基の前方後円墳と13基の円墳の合計17基が芝山古墳群として国指定史跡になっている。
中台古墳群の主墳である殿塚古墳は、墳丘長88.9mを誇る大型前方後円墳。後円部径は57.4m、前方部前端幅は56m。築造時期は6世紀第2四半期で、山武地域の大型墳としては、旭ノ岡古墳とほぼ同時期となり、今までほとんど人が住んでいなかったこの地域に突如として現れた大型前方後円墳である。
二重の周堀がめぐり、その形状が長方形というのも特徴の一つ。関東地方全体を見渡しても長方形の周堀はそれほど多くなく、有名なところでは埼玉古墳群が挙げられる。
墳丘と北側中堤上では円筒埴輪列が検出されたほか、北側中段テラスには70体以上の人物・動物・器材形埴輪が立て並べられており、北側中堤で見つかった「異形人物埴輪」にも注目。
殿塚古墳と姫塚古墳の横穴式石室はともに切石積で、令制上総国内において一方の雄である内房の内裏塚古墳群を含めた県内および東京湾岸の他地域に先んじて切石積石室を導入している。
横穴式石室の構築は誰にでもできる簡単な技術ではなく、この地域における最初の広域支配者の墓である殿塚古墳の造営は、高度な技術を備えた集団のバックアップのもとに行われたことが分かり、中央政権(蘇我政権)との関わりを抜きに考えることはできないだろう。
石室の平面形を見てみると、殿塚古墳の石室は玄室のみの単室構造ではあるが、中央に仕切り石を設け、2つの区画を作っていることから単室構造から複室構造へ発展する段階と評価される。奥の方が屍床で、棺は見つかっていない。
一方、姫塚古墳の石室は、門柱石によって区切られた玄室と前室が明確化しており、複室化されたことが分かる。
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20180525
20180602C
20190306C
20190317C
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59
姫塚古墳
姫塚古墳は殿塚古墳と隣接して築かれた前方後円墳で長軸の方向もほぼ一緒。築造時期は殿塚古墳よりも後になる。
墳丘長は59.3m、後円部径は35m、前方部前端幅は36.4mで、周堀は殿塚と同様、二重の長方形。石室に関しては、殿塚古墳の項で述べた通り。
40体以上の九十九里B型の形象埴輪列が見つかっており、すべて北側を向いて立てられていた。
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20180525
20180602C
20190306C
20190317C
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