最終更新日:2024年5月18日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
宇佐市

川部・高森古墳群
🅿大分県立歴史博物館ほか複数
🚻あり
川部・高森古墳群というのは国指定史跡としての名称で、宇佐風土記の丘の敷地内に所在し、6基の前方後円墳のほかに、方形周溝墓などが合わせて120基ほど見つかっている。
地形を見るとそれらがすべて一つの政治勢力の墓域であったようには見えず、とくに、赤塚古墳や赤塚方形周溝墓群があるエリア、鶴見古墳周辺、そしてその他の4基の前方後円墳があるエリアは別個の古墳群と見て良いように思う。
ただし、時期的にはそれぞれ明確に違うので、一つの政治勢力が一定期間ごとに墓域を少しずつ移動させながら累代の墓を築いていったようにも見える。
宇佐風土記の丘の敷地は広く、初めて訪れたときは効率よく上手にめぐれないと思うが、ザッと見ながら歩いても1時間半かかり、ベンチなどの休む場所があまりないので、それなりの覚悟をもって見学に臨もう。

57.5
赤塚古墳
あかつかこふん
川部・高森古墳群
3世紀後半に築造された九州全体でも古い部類に入る前方後円墳。墳丘長は57.5m。周溝あり。
三角縁神獣鏡が5面出土し、その中には椿井大塚山古墳出土鏡と同范のものも含まれる。
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赤塚方形周溝墓群
あかつかほうけいしゅうこうぼぐん
赤塚古墳の西側から南西部側では20基ほどの方形周溝墓群が検出された。築造時期は4~5世紀。原位置上に想定復元されている。
外見が東日本の方形周溝墓と異なり、関東の方形周溝墓は主体部が見つからないことが多いが、ここはかなり残っていたようだ。
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51
免ヶ平古墳
めんがひらこふん
川部・高森古墳群
4世紀前半の築造。現状は円墳に見えるが、本来は墳丘長51mの前方後円墳。後円部頂部から割竹形木棺と組合式箱式石棺を検出。周溝は東側だけか。葺石あり。
墳頂に埋葬施設が見られる施設のようなものがあるが、2022年5月と2024年5月の2度ともブルーシートがかかっていた。
出土遺物の一部は、風土記の丘内の博物館に展示してあり、川部・高森古墳群に関する展示の中ではもっとも豊富。
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80
福勝寺古墳
川部・高森古墳群
川部・高森古墳群の中で最大規模の墳丘長80mの前方後円墳。5世紀前半頃の築造。3段築成で葺石あり。
後円部北西に幅10m×奥行8m程の低い造出がある。
周溝なし。主体部不明。
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58
車坂古墳
川部・高森古墳群
墳丘長58mの前方後円墳。主体部不明。葺石あり。周溝は南側から東側にかけて構築。
築造時期は、福勝寺古墳より後出と考えられている。
南側の平地では、5世紀中頃から後半にかけて造られた数基の方形周溝墓が検出されている。
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46
角房古墳
川部・高森古墳群
現状は円墳のようになっているが、本来は復元長46mの前方後円墳。主体部不明。葺石・周溝あり。
遺物の採取が乏しいようで築造時期に関しては確定できないが、外形からして車坂古墳や福勝寺古墳より後出と考えられている。
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小部遺跡
こべいせき
古墳時代前期の集落遺跡。2ヶ所の突出部が付属する環濠と柵に囲まれた方形区画が見つかり、豪族居館の可能性がある。近畿や吉備の土器が多く出土。豪族居館らしき建物は、赤塚古墳と同時期で、被葬者の生前の居館か。

宇佐神宮
宇佐市南宇佐2859
全国に4万社以上ある八幡社の総本宮。本殿は国宝。
『続日本紀』によると、天平勝宝元年(749)、八幡大神が託宣して上京。奈良では新たに神宮を造営し、僧40人が悔過の行を7日間行った。天皇と同色の紫色の輿に乗った八幡大神の禰宜・杜女(もりめ)が東大寺に参拝し、同時に孝謙天皇・聖武太上天皇・光明皇太后も行幸し、百官が勢ぞろいし、各種の舞、僧5000人による読経など、盛大な催しが行われ、大神に一品、比咩神に二品、杜女には従四位下が授けられた。
八幡大神の上京は、当時、日本と新羅との関係が悪化していたという国際情勢が背景にある。藤原仲麻呂は新羅征伐を計画するが、その際に北部九州の神々の協力を得る必要があり、また神の力がバックにあることを朝廷の人びとに知らしめる必要もあり、この頃から急に八幡大神がクローズアップされてきたわけだ。
八幡大神は宝亀8年(777)に出家し、天応元年(781)には、「大自在王菩薩」と称した。八幡神と応神天皇が合体するのはもう少し後の時代。
また、神護景雲3年(769)の「宇佐八幡宮託宣事件」は著名。
平安時代末頃には九州にある荘園の3分の1以上は宇佐神宮の所有。
国内に16社しかない勅祭社の一つで九州では他に香椎宮のみだ。
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大分県立歴史博物館
宇佐市高森
0978-37-2100
宇佐風土記の丘にある博物館。川部・高森古墳群について詳しく解説しているほか、県内の遺跡から出土した遺物が展示してある。
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【うどん】元禄うどん 宇佐店
宇佐市辛島9-1
0978-32-5052
大分市に本店がある。うどんは少し平たくて、ウエストや資さんよりも腰がある。讃岐うどんは嫌だけど、少し歯ごたえがあるうどんが食べたいときはナイスな店だ。セルフのおでんもあって嬉しい。


大分市
116
亀塚古墳
かめづかこふん
🅿あり
🚻あり
5世紀初頭に築造された墳丘長116mの前方後円墳で、県内では小熊山古墳に僅差の2番目の大きさの古墳。
3段築成で、斜面には葺石、テラス部分には玉砂利を敷設。多数の埴輪が出土。
主体部は後円部で2基見つかり、第1号主体部は緑泥片岩を使用した箱式石棺。
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海部古墳資料館
あまべこふんしりょうかん
大分市里646-1
亀塚古墳に隣接してある。亀塚古墳や大分市周辺の古墳全般について、展示パネルやジオラマを駆使して詳しく解説。もちろん、遺物の展示もある。
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98
築山古墳
つきやまこふん
🅿あり
🚻なし
5世紀初頭に築造された墳丘長98mの前方後円墳で、後円部で検出された2基の埋葬主体の内、南側の棺からは3体の遺体が見つかり、北側の石棺からは女性の人骨1体のみが見つかり、貝輪をはめたその人物は女王と目されている。
古墳の築造時期は合わないが、卑弥呼の墓と考えている地元研究者がいるようだ。
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丑殿古墳
うしどのこふん
🅿なし
🚻なし
6世紀後半から7世紀初頭に造られた円墳。横穴式石室内には家型石棺が安置されているが、石室内に入ることはできない。
石室の羨道部長は4m、玄室長は2.5mで高さ2.1 m。
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12
古宮古墳
ふるみやこふん
🅿あり(古墳までちょっと遠いが駐車場があることはありがたい)
🚻なし
終末期の方墳。石棺式石室を内蔵した九州で唯一の古墳。石室内には入れないが、それほど奥行きがないため柵越しにしっかり観察できる。大分市歴史資料館に模型がある。
被葬者は壬申の乱で活躍した大分君恵尺(おおきだのきみえさか)の可能性が高い。
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25
千代丸古墳
ちよまるこふん
🅿ないが近くに道路が広くなっている場所がある
🚻なし
終末期の円墳で、石室に石棚が設けてある。石棚には線刻画があ、市内で唯一の装飾古墳。
石室内は見学できないが、大分市歴史資料館に実物大のレプリカがある。
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大分市歴史資料館
大分市国分960-1
097-549-0880
大分市の歴史について解説した施設。豊後国分寺跡に隣接しているため同遺跡についても詳しい。


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大分県立埋蔵文化財センター
大分市牧緑町1-61
097-552-0077
大分県内から出土した考古遺物が展示してあり、中世大友氏関連が充実しているが、古代史関係ももちろんある。


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杵築市
116.5
小熊山古墳
国東半島の南東側突端において3世紀後半頃に築造された墳丘長116.5mの大型前方後円墳。大分県最大の古墳。
後円部は3段、前方部は2段ないし
は3段で、葺石が施され、九州最古級の円筒埴輪が並んでいた。
ヤマト王権は、筑紫の旧邪馬台国連合を降す前に豊の国の調略に出たのではないか。
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国東市

安国寺集落遺跡


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国東市歴史体験学習館


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中津市

相原山首遺跡
主として古代の墓域からなり、それらは風の丘葬祭場の敷地内に公園として整備されている。4~5世紀の方形周溝墓(9号「墳」といっているが方形周溝墓)から造営が始まり、5世紀の造出付き円墳の1号墳や、終末期の方墳の2~8号墳が造られた。
公園自体は常にオープンしているが、葬祭場自体には営業時間があるため注意。



相原山首4号墳
2・4・5・6・8号墳は横穴式石室の前面に長い溝状の遺構があり、現地説明板では排水溝としているが、排水溝にしては立派過ぎないだろうか。横穴墓で見られる墓道のように見える。
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日出町(ひじまち)
日田市

ダンワラ古墳跡(ダンワラ遺跡)
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33
朝日天神山1号墳

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63
朝日天神山2号墳
日田地方最大の前方後円墳。

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ガランドヤ古墳ガイダンス棟

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日田市埋蔵文化財センター
日田市友田2893-44
0973-26-3211
日田市内の遺跡から出土した考古遺物が展示してある。小迫辻原遺跡についてはジオラマと共に解説している。
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豊後高田市
100
真玉大塚古墳
🅿なし
🚻なし
5世紀中頃に築造された墳丘長100mの前方後円墳。大分県では3番目に大きい古墳となる。
前方部・後円部共に3段築成でほとんどを盛土で構築し、葺石を施し、淡輪系円筒埴輪がめぐっていた。二重の盾型の周溝がめぐりそれを含めた全長は135mとなる。
前方部は致斎神社の社殿により破壊されており、後円部もえぐれており、墳丘上は全体的に荒れている。
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穴瀬横穴群
🅿なし
🚻なし
走行中にたまたま見つけたため、看過できず戻って確認した。
訪れた時は、まだ九州の横穴墓を見ていなかったため、こんなに綺麗な造りの物が本当に古代の物か不審に思ったが、これが当地方の横穴墓の特徴なのだ。
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別府市