最終更新日:2023年9月15日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

上山市

酒田市

高畠町

鶴岡市

南陽市

山形市

米沢市

 

 

上山市


上山城

 
 

19981230

06001-00004

 

 

酒田市


城輪柵

きのわのさく
酒田市城輪

 
 
 

20190922


堂の前遺跡(出羽国分寺跡比定地)

 
 

20190922


松山城跡

 
 
 

20190922


松山文化伝承館

 
 
2019年11月に訪れた時は、「縄文時代の庄内展」が開催されていた(普段は近世の展示がメイン)

20190922


酒田市立資料館

酒田市一番町8-16
0234-24-6544
公式HP
4~11月は無休、12~3月は月曜休館
入館料200円

 
 

城輪柵跡の遺物の展示がある。
20190922

 

 

高畠町


安久津古墳群

 
 
 

2号墳は石室が開口しており入室可能


20190922


山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館

東置賜郡高畠町大字安久津2117
0238-52-2585
公式HP
月曜、祝日休館

 
 
 

山形県内の遺跡から出た考古遺物を展示しており、見どころ満載。職員の方々がとても親切。
20190922

 

 

鶴岡市


大山柵跡

 

説明板はおろか標柱も無し。具体的にどの場所にどんな建物があったのかもよく分からず情報がほとんどない謎の古代城柵跡。

20190922

 

 

南陽市

96
稲荷森古墳

 
 

山形県を代表する前方後円墳できれいに整備されている。

96m(説)
20190922

 

 

山形市


山形城

山形市霞城町

日本100名城。

 
 
最上氏といえば伊達政宗の伯父さんの義光(よしあき)
 
 

19981230
20190922

06002-00005

山形開祖 斯波兼頼公碑

最上氏の祖(最上義光の先祖)。

斯波氏は足利氏一族。父・家兼は、延元3年(1338)、北朝側の有力武将として、兄・高経らと共に北陸へ赴き、新田義貞を討ち取った。観応の擾乱では尊氏に味方し、引付頭人を務め、文和3年/正平9年(1354)、奥州管領に任じられて下向、中新田城を拠点とした。この際に、兼頼も父に従って下向し、その後兼頼は山形城を築城し、名字を山形に改めた。

子の直持は、大崎氏の祖となった。最上氏と大崎氏は奥羽を代表する勢力に成長して戦国時代を迎える。

 
 

19981230


山形県立博物館

山形市霞城町1-8(霞城公園内)
023-645-1111
公式HP
月曜休館

 

国内に5つある国宝土偶の一つ「縄文の女神」が展示してある

20190922

 

 

米沢市


米沢城

続日本100名城。

謙信は米沢とは直接関係はないが、上杉氏といえば謙信
政宗は米沢出身
 

19981230

 

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