最終更新日:2024年7月7日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

安芸国

安芸高田市

広島市安佐北区

広島市中区

広島市東区

東広島市

府中町

 

備後国

世羅町

福山市

三原市

三次市

 

 

安芸高田市

77.5
甲立古墳

こうたちこふん

安芸高田市甲田町上甲立

🅿あり
🚻なし

平成20年に発見された墳丘長 77.5mの前方後円墳。広島県では2番目の大きさを誇る。

4世紀後半の築造で、この時期の前方後円墳としては安芸国最大(同じ広島県内では備後の辰の口古墳が同時期の築造で77mある)。前期の古墳らしく、前方部と後円部との比高差が大きい。

後円部墳頂からは墓壙1基を検出。円筒埴輪列も見つかり、5個の家形埴輪が一列に配置された石敷区画も検出された。畿内的な古墳として評価されている。

ウェルカム度が非常に高い古墳で好感が持てるが、墳丘上には、まるで大規模な発掘調査が行われているかのようにブルーシートが広範囲に敷かれ、景観を大きく損ねているのが残念。発掘調査の途中で予算が尽きたか?

出土遺物は、安芸高田市歴史民俗博物館に展示している。

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後円部から前方部を見る

 

前方部から後円部を見る

 

古墳に上る途中からの眺望

 

 

 

18
戸島大塚古墳

安芸高田市向原町戸島

🅿あり。古墳までは5分ほど歩く。軽なら古墳の前まで行けるかもしれないが2024年7月の探訪時は道が荒れていてワンボックスだと車に傷が付きそうだったため大人しくPに停めて歩いた
🚻なし

築造時期は6世紀末から7世紀。終末期古墳らしい山寄型の古墳。

一辺約18mの方墳で、滝川古墳群で最大の古墳。2段築成の上段は傾斜角度が強く、細長いドーム状を呈している。

南西側に開口する約12m の横穴式石室を備える。

300基ほどからなる古墳群ということなので、車に戻りつつ歩きながら林の中を凝視したが、墳丘らしきものは確認できなかった。

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玄室の床には大きめの礫が散乱している

 

 

 


安芸高田市歴史民俗博物館

安芸高田市吉田町吉田278-1
0826-42-0070
火曜休館
9:00~17:00

毛利元就の中世郡山城などの中近世の展示がメインだが、原始・古代の展示が廊下部分にある。廊下部分だけだが意外とちゃんとしていて、甲立古墳についての展示もある。

展示室は写真撮影NGだが、幸いなことに廊下部分はOKなので、古代史関連は撮っても大丈夫。

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世羅町


神田第一号古墳

じんでんだいいちごうふん

神田古墳群は2基の古墳からなり、1号墳は遺物が見つかっていないが石室の形状から6世紀後半と考えられている。形状は外見から円墳だろうとされる。

なお、神田古墳群を探訪する際は、国道432号線沿いにある京丸会館の駐車場に車を停めて歩こう。会館駐車場には付近の遺跡地図も掲げられており、中世の宝篋印塔などの石塔もたくさんあるようだ。

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京丸会館

 

 

 

 


神田第二号古墳

終末期の方墳で、横穴式石室の玄室に「軸式片開き石扉」を付けている珍しい古墳。

軸式片開き石扉の本物が現存するのは日本でここだけだが、現地に設置してあるのは復元品。実物は、世羅郷土民俗資料館にある(稲用は未見)。

軸式片開き石扉の形跡のある古墳は他に畿内に2基あるそうだ。

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広島市安佐北区


西願寺山墳墓群

弥生時代終末から古墳時代初頭にかけての地域的な特色の強い集団墓。墳墓群が5か所にわたって点在する。地山を方形台状に削り出し、その下端部2か所に設けた竪穴式石室6基、箱式石棺1基、土壙14基が保存されている。竪穴式石室は、河原石で構築しているが、蓋石はない。石室内や墓域内から鉄器類や土器類が出土しており、扁平に鋳造された鉄斧は、わが国では類例が少ない。

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恵下山・山手遺跡群

えげやま・やまていせきぐん

弥生時代終末から古墳時代初頭にかけての集落跡で、丘陵上に選地することから高地性集落の範疇に入る。

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恵下山城跡

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広島市中区


広島城跡

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広島大本営跡

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【ラーメン】ばくだん屋 ekie店

広島駅に直結しているekieの中にある広島つけ麺のお店。

広島つけ麺は、辛いのが好きな人には特にお勧め。麺はストレートの細麺で、つけ汁には白ゴマがふんだんに入っている。トッピングのキャベツを辛いつけ汁に浸して食べるとなお美味い。

 

 

広島市東区

42
長尾1号墳

広島市東区戸坂長尾台

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25
長尾2号墳

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13
長尾3号墳

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東広島市


東広島ニュータウン遺跡群の墳墓

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胡麻古墳群

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92
三ツ城古墳(三ッ城1号墳)

東広島市西条中央7-24

国史跡の三ツ城古墳は、広島県最大の三ツ城1号墳を含む3基の古墳の総称だが、単に三ツ城古墳といった場合は、1号墳を指す。

1号墳は、5世紀前半に築造された墳丘長92mの前方後円墳。3段築成で葺石・埴輪あり。埴輪は古墳全体では1800本以上立っていた。左右に造出があり、盾形の周溝がめぐる。

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25
三ツ城2号墳

1号墳と同じ5世紀前半の築造だが、1号墳よりも先に築造された径25mの円墳。葺石が施されていたが、埴輪は検出されていない。墳頂には昔は箱形石棺が置かれていたようだが、発掘調査時には無くなっており不明。

 
 

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8
三ツ城3号墳

2号墳とその南側の丘陵とを区切る溝の中に築造
された長径約8m×短径約4mの楕円形をした古墳。6世紀前半頃の築造。

 
 
 

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13
助平古墳

径13mの円墳で、北方約 270mの丘陵先端にあっ
たものをここに移築した。

展示は竪穴に見えるが横穴式石室。入口は斜めに入るようになっている。6 世紀中頃から後半にか
けて2度の埋葬が行われた。

 
 

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東広島市立中央図書館 三ッ城古墳ガイダンスコーナー

東広島市西条中央7-25-11
082-422-9449
月曜休館
9:00 ~ 18:00

古墳近くにある図書館内の三ッ城古墳について詳しく解説したコーナーで、ジオラマや遺物の展示がある。

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古墳

本宮八幡神社から宮ヶ迫古墳へ向かうと、宮ヶ迫古墳の直前に道の右手の一段高い場所にある。

まだ調べていないが、これが1号墳か?

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14
宮ヶ迫古墳(宮ヶ迫2号墳)

最初、西側からアプローチしたが到達できず。しかも豪雨の後だったため悪路となっていた。Uターンのできない林道のような道だったため、操縦する車が装甲車だと思って突撃して突破した。

そのあと、本宮八幡神社に車を停め、神社前から西へ延びる舗装されていない道を早足で7分歩いて到達(一段低い位置にある舗装されている道からは行けない)。

林の中を歩いていると「本当に古墳があるのか?」と不安になるがとにかく突き進め。そのうち、道の左手に墳丘と説明板が見えてくる。

なお、2024年7月に訪問した際には、石室内には大量の土砂が流入していた。

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本宮八幡神社

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安芸国分寺跡

 
 

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真言宗安芸国分寺

 

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西条酒蔵通り

 

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広島大学総合博物館 埋蔵文化財調査部門

東広島市鏡山1-1-1
0824-24-6198
土日休館
10:00~17:00

広島大学の敷地内の遺跡から出土した遺物を展示している。

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東広島市出土文化財管理センター展示室

東広島市河内町中河内651-7
082-420-7890
土日祝休館
9:00~16:30

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【ホテル】ベッセルホテル東広島

東広島駅前のホテル。バス・トイレは一緒だが、洗面台だけ室内に独立してあって意外と便利。

無料の朝食は郷土料理もあり内容が豊富で美味しい。駐車場代も無料。

ただし、徒歩圏には夕飯を食べる場所が絶望的にないため隣にあるセブンイレブンで買うか、もしくはホテル内でも夕食サービスがあるので、それを利用すると良いだろう(私は食べていないが、ハンバーグ定食などが食べられるようだ)。

 

 

 
 

 

 

福山市


亀山弥生式遺跡

🅿なし
🚻なし

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池ノ内第2遺跡

🅿あり
🚻あり

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20
石鎚山第一号古墳

🅿なし
🚻なし

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16
石鎚山第二号古墳

🅿なし
🚻なし

築造時期は、第一号古墳より少し後。

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28
亀山第一号古墳

🅿なし
🚻なし

亀山弥生式遺跡の敷地内にある。5世紀前半の築造。

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亀山第二号古墳

🅿なし
🚻なし

亀山弥生式遺跡の敷地内にある。

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68
二子塚古墳

🅿あり
🚻あり

後円部の横穴式石室は開口しているが、施錠されていて覗けるだけで奥には行けない。

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21.5
迫山第1号古墳

6世紀末の築造。

備後最大級の横穴式石室。

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大迫古墳

🅿なし
🚻なし

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14
大坊古墳

7世紀初め頃の築造。

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北塚古墳

🅿なし
🚻なし

7世紀後半の築造で封土がないため墳形は不明。

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荒神社

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備後国分寺跡

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唐尾山醫王院国分寺

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神辺城跡

かんなべじょうあと

🅿あり
🚻あり

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福山城跡

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水野勝成之像

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福山市神辺歴史民俗資料館

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府中町


安芸国庁跡(田所明神社)

 
 

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下岡田遺跡

 
 

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安芸国総社跡

 
 

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多家神社(多祁理宮跡比定地その1)

 
 
 

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松崎八幡宮跡(多祁理宮跡比定地その2)

 
 

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府中町歴史民俗資料館

 
 

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三原市


貞丸号墳

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貞丸第2号古墳

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梅木平古墳

ばいきひらこふん。

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玄室天井石(天井石は玄室・羨道共に4枚)

 

側壁が孕んできており少し危ない 

 

 

 


御年代古墳

7世紀中頃の築造。

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山王社

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大日堂

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三原市歴史民俗資料館

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三次市


陣山墳墓群

三次市

🅿あり
🚻なし

丘陵尾根から東側斜面にかけて5基の四隅突出型墳丘墓が造られている。2~5号墓は直線
状に並んいるが、最初に築造された1号墓のみそれらと主軸が異なる。3号墓には明瞭な突出部が見られるが、5基の墳丘墓は貼石の手法や四隅の突出のあり方などに違いがみられる。

どの墓からも弥生時代中期後半の塩町式土器が見つかっていることから、5基の築造時期は近接していると考えられる。

現地には小型の円墳のようなものが見られるが、遺構は埋め戻されているということなので、それの正体は分からない。

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円墳状の物体

 

眺望

 

逆光で撮影するとブレてしまうことがある

 

 


花園遺跡 第1号墳丘墓

三次市十日市町

🅿あり
🚻なし

弥生中期から後期に至る極めて短期間に築造された墓域。3基の台状墓域と3基の方形周溝墓状の遺構が見られる。

周辺地形は削られており、現状では、2基の台状墓域が残るのみだ。現地説明板では、それぞれを第1号および第2号墳丘墓と呼んでいる。

第1号墳丘墓は、花園丘陵の最高所を占め、東西 32m ×南北 18m の巨大な物。

墳丘の北側斜面には濃密に、東西斜面にはややまばらに貼石が見られ、南側には浅い溝が見られる。

墳丘上には土壙40、石囲い土壙23、石棺23の合計86基が見られる。石棺に極めて小規模なものが相当数存在しているのも特徴の一つ。

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石棺の蓋石が散見できるほか動物の巣穴も多い

 

 

 


花園遺跡 第2号墳丘墓

第2号墳丘墓は、東西15m ×南北9m。現状では第1号墳丘墓より1段低くなっているが、高さに関しては当時の様子とは違うかもしれない。

埋葬施設は、石棺4、土抗墓17のほか、円形遺構が2基見つかっている。

花園遺跡の埋葬施設は、1号・2号墳丘墓以外の物を含めると、215基に及ぶ。

説明板に記されているA号墓域に関しては、現状では良く分からない。

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岩脇古墳南側の墳丘墓群

三次市粟屋町

🅿かどうかは分からないが駐車スペースがある
🚻なし

現在は「岩脇古墳公園」として整備されている。

4世紀に築造された径31mの岩脇古墳の南側斜面では、4基の弥生墳丘墓が見つかっており、その中には四隅突出型墳丘墓もある。現在は、埋め戻されて保存されているが、墳丘墓の貼石のような石材が無数に見られる。

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矢谷古墳(矢谷弥生墳丘墓)

三次市東酒屋町306-32

🅿あり
🚻なし

3世紀という微妙な時期に築造された四隅突出型墳丘墓(よすみ)。よすみとしては、最終段階のもの。

国史跡名は「矢谷古墳」だが、古墳と認めない勢力がいるため、現地説明板ではカッコ書きでそれらの勢力に歩み寄る姿勢を見せており、みよし風土記の丘資料館内での表記は「矢谷墳丘墓」で統一している。

古墳と呼んでも良いように思えるが、いろいろ勘案するとやはり弥生的であるので、墳丘墓と呼んだ方が無難かも。

昭和52年に発掘調査が行われた。よすみではあるが、前方後方形にも見える特殊な形状。築造時期を考えると、汎列島的規模で見れば前方後方墳の影響を受けたとしても時代的には合わなくもないが、当地方にはまだ前方後方形の墳墓は見られないため、たまたま前方後方形のようになったか。

貼石あり。主軸長は 18.5m で周溝がめぐる。周溝内からは約10個体分の特殊器台・特殊壺が出ており、吉備勢力が葬儀に訪れたのであろう。

埋葬施設は11基あり、最大のものは4m四方の墓壙を持ち、組合式木棺が安置されていたと推測されている。

この古墳の西側には、半ば崩壊した形で2基の方形区画墓があり、北側の方形区画墓で見つかったガラス小玉を平成24年に分析したところ、ローマガラスに特有なナトロン(蒸発塩)が含まれていることが分かった。

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埋葬施設の表示(最大の埋葬施設の部分を東から見る)

 

埋葬施設の表示埋葬施設の表示(最大の埋葬施設の部分を南西から見る)

 

東側突出部

 

 

矢谷墳丘墓模型(みよし風土記の丘資料館にて撮影)

 

矢谷墳丘墓出土・特殊器台と特殊壺(みよし風土記の丘資料館にて撮影)

 

矢谷墳丘墓出土・ローマガラス玉(みよし風土記の丘資料館にて撮影)
※3個体見つかっており上の物は割れており、現在では展示の並べ方が変わっている

 

 

31
岩脇古墳

三次市粟屋町

🅿かどうかは分からないが駐車スペースがある
🚻なし

現在は「岩脇古墳公園」として整備されている。

4世紀に築造された径31mの比較的大きな円墳。墳頂部からは長さ2.4 m、幅0.7mの竪穴式石室1基と、箱式石棺が4 基、石蓋土壙墓が1基の合計6つの埋葬施設が見つかった。

また、古墳の南側では四隅突出型墳丘墓が見つかっており、埋め戻されて保存されている。

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竪穴式石室

 

箱式石棺

 

箱式石棺

 

古墳に登る途中から見た景色

 

 

 

36
若宮古墳

三次市十日市南 4-4

🅿隣の神社駐車場を利用
🚻なし

築造時期は特定できていないが、前期の可能性がある。25 基からなる花園古墳群の主墳。葺石あり。埴輪は未確認で、埋葬施設は不明。

とても状態の良い古墳で、形も綺麗で小型ということもあって可愛らしい古墳。

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墳丘からの眺め

 

 

 

65
糸井大塚古墳

三次市糸井町

5世紀前半に築造された墳丘長 65mを誇る県内最大の帆立貝形古墳。円筒埴輪のほか、方形部からは家形埴輪が見つかっている。

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46
三玉大塚古墳

みたまおおつかこふん

三次市吉舎町

馬洗川に向かって延びた丘陵先端に位置する5世紀後半に築造された帆立貝形古墳。墳丘長46mで3段築成。葺石が施され、周溝の外側に外堤を持つ。外堤の幅は7.6mある。

前方部からは、円筒埴輪・朝顔形埴輪のほか、人物・馬・家・蓋の形象埴輪が出土。明治時代に最初の発掘が行われ、出土物のほとんどは東京国立博物館に所蔵され、一部は、レプリカを含め吉舎歴史民俗資料館に展示してある(2024年7月現在、平成館に本墳出土の横矧板鋲留短甲が展示中)。

出土遺物の中に鉄製の鎹(かすがい)が見つかっていることが特筆され、当時、木棺を鎹によって留めるやり方は日本にはない。

また、通常の古墳よりも深い位置で主体部が見つかっていることも考え併せて、渡来系要素の強い古墳と言える。

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後円部から前方部を見る

 

墳丘からの眺め

 

 

三玉大塚古墳の墳丘模型(三次市吉舎町歴史民俗資料館にて撮影)

 

三玉大塚古墳出土・筒形銅器(複製品・三次市吉舎町歴史民俗資料館にて撮影)

 

三玉大塚古墳出土・横矧板鋲留短甲(東京国立博物館 平成館にて撮影)

 

 


浄楽寺・七ツ塚古墳群

 広島県立みよし風土記の丘にある古墳群で、浄楽寺古墳群と七ッ塚古墳群を併せて国指定史跡となっている。現地を歩くと良く分かるが、両古墳群は別個のものとして考えた方が良いが、造営された時期は両者とも5世紀から6世紀にかけてであるので、相互的に何らかの関係はあったであろう。

 集中して作られた時期が5世紀の群集墳を初期群集墳と呼び、それが6世紀の場合は後期群集墳、7世紀の場合は終末期群集墳と呼ぶ。

 その定義からすると、浄楽寺・七ツ塚古墳群は初期群集墳に入る。全国的に見ると、群集墳が盛行するのは古墳時代後期からであるので貴重な古墳群。

 風土記の丘ミュージアムを出て山を登って行くと、最初は七ツ塚古墳群に入る。七ツ塚古墳群には、前方後円墳1基、帆立貝形古墳2基、円墳55基、方墳2基の合計60基がある(みよし風土記の丘リーフレットによる)。

現地説明板を撮影

 

 七ツ塚古墳群とは浅い谷を挟んだ北側に浄楽寺古墳群が展開している。浄楽寺古墳群には、帆立貝形古墳1基、円墳97基、方墳18基の合計116基の古墳があり、両者を合わせると176基となる(みよし風土記の丘リーフレットによる)。

 

 これらのうち、発掘調査が行われているのは、浄楽寺 1・12・37・61・63号墳の5基だ。

 広島県内では1万1000基を超える古墳が確認されているが、中期に古墳の造営が急増した。そして、総数の3分の1にあたる約4000基の古墳が三次盆地にあり、古墳急増を象徴するのが浄楽寺・七ツ塚古墳群といえる。ヤマト王権の政治的な動きと浄楽寺・七ツ塚古墳群の造営はリンクしていたと考えられるが、ヤマト王権が朝鮮半島に出張って戦った際に活躍した武人たちの古墳群との考え方もある。

 なお、見学に要する時間は、ミュージアムを出てからメインの園路から大きくそれずに、園路近くの古墳だけを見学して、浄楽寺12号墳まで行って元来た道をミュージアムまで引き返すという最もミニマムな歩き方で1時間15分くらい掛かる。

 


七ツ塚20号墳

七ツ塚古墳群に入ると最初にお出迎えしてくれるウェルカム墳。

円墳ということだが詳細不明。

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29.5
七ツ塚9号墳

浄楽寺・七ッ塚古墳群の特徴は、被葬者たちが高祖と仰ぐような人物が眠る大型前方後円墳が古墳群内あるいは至近に無いことで、比較的小さな古墳で構成されているところ。

176基もあるのに前方後円墳は本墳のみだ。前方後円墳というと偉そうなイメージがあ
ると思うが、本墳は斜面を少し下った場所にあり、立地上、左右対称に造ることも周溝を全周させることもできていない。大きさも飛びぬけているわけではない。でも、176 基の中で唯一の前方後円墳。これは一体何を意味するのか。

表採された埴輪によって5世紀後半から6世紀前半の築造と考えられている。

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雨の中訪れたら水堀になっていた

 

 

 

 


七ツ塚10号墳

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28.5
七ツ塚11号墳

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28.5
七ツ塚15号墳

七ツ塚古墳群が選地している丘の再頂部に築造された円墳で径28.5m。2段築成で、周溝はほぼ一周していたと考えられている(ブリッジが検出されたか?)。

円墳ではあるが、前方後円墳の9号墳とほぼ同じ規模で、土量を考えるとこちらの方が大きい。立地的にみても、七ツ塚古墳群築造の端緒となった古墳と考えてよいだろう。

墳頂から周囲を眺めると可愛らしいポコポコ地帯が望めるので、コンディションが良け
れば登ってみよう。

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墳頂に見える石材

 

墳頂から周囲の古墳たちを見下ろす(右側奥に前方後円墳の七ツ塚9号墳が見える)

 

墳頂から周囲の古墳たちを見下ろす

 

 

 

27.9
浄楽寺1号墳

七ツ塚古墳を抜けて、数分間、古墳のない場所を歩くと、右手に浄楽寺古墳群の古墳たちが姿を現し、やがて浄楽寺1号墳が見えてくる。

1号墳は、造出部を南に向けた墳丘長27.9m の帆立貝形古墳。円丘部は2段築成。

発掘調査が行われており、主体部には箱形石棺が安置されていたと考えられているが、現在は抜き取られ、長さ 3.5m×幅2m、深さ1.5mの墓壙が残るのみ。

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45
浄楽寺12号墳

 浄楽寺古墳群の奥の方まで行くと、最高所に5世紀に築造された円墳の浄楽寺12号墳がある。径は45mあり、浄楽寺・七ツ塚古墳群で最大の古墳。

 群集墳の築造順は、一般的には丘の最高所に最初の古墳が造られ、その後、尾根上などに造られていくため、その法則を考えると本墳の被葬者はこの地域最初の王であったかもしれない。

 発掘調査が行われている。

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20240702A

 

 

 

 

29.5
浄楽寺37号墳

径29.5mの円墳。墳頂に箱形石棺が露出している。5世紀の築造と考えられている。

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19
浄楽寺61号墳

一辺19mの方墳で、浄楽寺古墳群の方墳の中では最大規模。5世紀の築造と考えられ
ている。

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矢谷古墳(須恵器窯跡)

三次市東酒屋町

矢谷古墳の東側斜面にある。6世紀後半の須恵器窯跡。

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下本谷遺跡

備前国三好郡衙跡

 
 

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茶臼城跡

 
 

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旗返山城跡

 
 

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三次市吉舎町歴史民俗資料館

三次市吉舎町吉舎546-1
0824-43-2231
月曜休館
10:00 ~ 17:00

旧吉舎町内の歴史を解説した施設。中世領主和智氏やその居城・南天山城の関する展示があるほか、三玉大塚古墳を中心とした古墳の展示コーナーもある。

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古墳コーナー

 

 

【ランチ】松月

三次市吉舎町吉舎737-1
0824-43-2935
※土日は定休日

吉舎町でランチを食べるならこちら。この日の日替わり定食は竜田揚げ。メインの竜田揚げはもちろんのこと、味噌汁が完全に好みの味で良かったし、ピリ辛のナスの煮びたしも美味しかった。

 
 

 


みよし風土記の丘ミュージアム(広島県立歴史民俗資料館)

三次市小田幸町122
0824-66-2881
通常月曜休館だが 7・8 月は水曜休館
9:00~17:00

県立の施設のため、広島県内各地の遺跡から出土した遺物が展示してあり、貴重な展示が多い。

三次盆地は令制では備後国、現在は広島県だが、江の川によって山陰地方(とくに石見地方)との結びつきが強く、山陰側と山陽側の文化が混ざっている場所であることが良くわかる展示。

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