最終更新日:2024年4月11日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
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昭島市
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浄土古墳
浄土1号墳。瀬戸岡古墳群と同様、地表下に石室を備えた古墳で、半地下式というより、まったくの地下式。
周辺には合わせて5基の古墳が見つかっており、1号墳以外は、周溝が見つからず、主体部は竪穴式で、ほとんど遺体を納める分の大きさに掘っているだけ。説明板に掲載されているように、4号墳戸5号墳は天井石が残った状態で検出された。
多摩川左岸で確実に古墳と言えるものとしては、最上流に位置する。
20170217D
五日市鉄道 東京都昭島市大神町2丁目のモニュメント

説明板無し
20161227D
あきる野市

前田耕地遺跡
全国的に見ても貴重な縄文時代草創期の住居跡が見つかった遺跡で、縄文草創期から奈良時代に至る複合遺跡。
縄文時代の遺物としては、クマなどの動物の骨とともに、サケ科魚類の骨が約8000点出土し、縄文時代には多摩川上流にサケ科の魚が遡上していたことが分かる。
現地には、縄文時代後期の敷石住居跡(柄鏡形)の床面の移築と弥生時代の住居跡(四角形)の床面の復元がある。
本遺跡からは、旧石器時代から縄文草創期に移行する時期の本ノ木型尖頭器が出土しており、神子柴・長者久保文化と違う系統の人びとがいたことがわかる。当該石器は佐倉の歴民にある。
なお、「本ノ木論争」で有名な本ノ木型尖頭器の名前のもとになった本ノ木遺跡は新潟県津南町にあり、2019年に「本ノ木・田沢遺跡群」として国指定史跡となった。
20220427A

雨間大塚古墳
周溝が見つかっていないこともあって、古墳としての決定打が欠けるように思えるが、真土大塚山古墳も周溝は無い。また、亀のような形だったという地元民の証言もあり、そうだとすると、前期の前方後円墳あるいは前方後方墳の可能性もあり、ごく初期の古墳であれば、周溝は全周していないケースも多い。
20131111D
20190414T
20220427A

瀬戸岡古墳群
石室が見られるのは7号墳。
瀬戸岡古墳群は、7世紀に築造され、奈良時代まで再利用された群集墳。多摩川流域の群集墳は、多くても10基とか20基程度だが、瀬戸岡古墳群は50基ほど見つかっており、多摩川流域最大の群集墳である。
6世紀後半から周辺で急激に集落が増加し、東海からの移住が考えられるが、馬牧の発達と併せて考えると渡来系の要素も考慮しなければならない。
現在は目で見られる墳丘は無く、墳丘が地膨れ程度で、積石塚のように見えるのは、築造された場所が礫が多かったためであるが、土石混合墳として評価できるのではないか。
石室は多摩川流域で見られる半地下式であるが、半分どころか完全な地下式に見えるようなものもある。
各石室を細かく見るとバラエティーに富んでいることから古墳群全体が丸々一つの文化の人びとの墓域であったと見ない方がいいかも知れない。
20150915D
20190414T
20220427A

阿伎留神社

20131111D
20220427A

二宮神社(二宮城跡)

20131111D
20220427A

二宮考古館
20131111D

五日市郷土館

20170519D
20220427A
青梅市
勝沼城跡

20181111
今井城跡
20181111
大山(稲荷塚)
青梅市には、今現在、公には古墳と断言できるものは残っていない。この大山も古墳の様に見えるのだが分からない。なお、青梅市河辺町3丁目には、河辺古墳群と呼ばれる3基の古墳があったが湮滅しており、詳しいことは分かっていない。
20160616

青梅郷土博物館


20140930D
20190414T

吉川英治記念館



20150418D
国立市
19
四軒在家1号墳(移築)
しけんざけいちごうふん
玄室の高さは不明。奥壁は大型の河原石を積んでおり、2段残っている。下谷保1号墳では奥壁が6段残っていたため、四軒在家1号墳も少なくとも6段はあったと想定でき、玄室は大人がかがめば動ける高さであったと考えられる。
20170406D
20170611T
20200426
20240406A
下谷保2号墳

説明板無し
20200426
石塚古墳
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、形状を円墳とし、「周囲を削られているが、東西約10m、南北約15m、高さ約1.8㎞で残存」とある。また、1993年に国立市がレーダー探査を行い、石室と周溝の存在の可能性が高いとされ、翌年には多摩地区所在古墳確認調査団が墳丘の測量調査をしている。

説明板無し
20200426
谷保古墳
民家の敷地にある。

説明板無し
20200426
谷保天満宮内の古墳
民家の敷地にある。

説明板無し
20200426
南養寺古墳
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、一覧ページには墳丘は「残存」とあるが、個別ページでは「消滅」とあり、主体部は河原石乱石積による横穴石室的竪穴式石室とあり、石室の写真も掲載されている。発掘調査まで行われたのに、『国立の古墳』(くにたち郷土文化館/編)には「所在不明」となっており、国立市も東京都も把握していないようだ。
フェンスの向こうに見える築山が古墳のような感じがするが、よく分からない。

説明板無し
20200426
三田氏館跡(谷保の城山)

20170611T11
20200426

くにたち郷土文化館


20150428
20170611T11
20240406A
立川市
15
沢稲荷古墳
立川市内で唯一墳丘が残っている古墳。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)によると、直径15mほどの円墳。同書が引く『立川市教育資料Ⅰ』によると、ボーリング調査によって石室の存在が確認されているとある。

説明板無し
20200426
立川市No.16遺跡
古墳跡。

説明板無し
20200426

諏訪神社

20170611T11

立川市歴史民俗資料館


20170207D
福生市
羽村市

羽村市郷土博物館


20160603D