牛伏古墳群は、水戸市内の友部丘陵上に所在する前方後円墳6基、帆立貝形(または造出付円墳)1基、円墳9基から構成される古墳群で、茨城県内では大規模な部類に入る古墳群です。現地は、くれふしの里古墳公園として整備され、整備された古墳を見ることができます。

1.所在地

茨城県水戸市牛伏町201-2 くれふしの里古墳公園
駐車場あり
トイレあり

2.諸元

古墳一覧

名称形状・時期・墳丘長備考
1号墳 28m(復元)未整備
2号墳(十二所神社古墳) 45m
3号墳 44m
4号墳(唐櫃塚古墳) 52m
5号墳 28m
6号墳 30m
7号墳 18m
9号墳 34m(推定)未整備
10号墳 20m
17号墳(お富士様古墳) 60m
古墳アイコンの色は、青は中期、黄色は後期を示していますが、時期に関しては、4号墳以外推定です。

牛伏4号墳

6世紀後半の前方後円墳
周濠を含めた長さ:72m
墳丘長:52m
後円部径:30.5m、後円部高:6.8m、前方部幅:35.4m、前方部高:6m
段築:2段築成
埴輪:3条の円筒埴輪、形象埴輪
横穴式石室(見学不可)
花崗岩使用
太刀・鉄鏃・鎌・雲珠、6世紀後半の須恵器・土師器
2か所に陸橋を伴う楯形周溝

3.探訪レポート

 本古墳群には、2019年3月23日(土)、2019年3月31日(日)、2022年2月5日(土)の3回訪れています。レポートは2019年3月23日に訪れた時のものを基本とし、それに加筆しています。

全体構成

 牛伏古墳群は公園になっているため見つけやすく、駐車場に侵入すると早速墳丘が出迎えてくれます。

 説明板を読んでみましょう。

 説明板に書いてある通り、「くれふしの里」という名前は「常陸国風土記」からとった名前で、古墳群の名前は「うしぶし」ですよ。

 狭い範囲に前方後円墳が6基も密集しているのは面白いですし、それ以外にも帆立貝形が1基と円墳が9基あり、発掘調査をされたのは4号墳のみなので、各古墳の築造時期や築造順は分からないものの、中期の後半から後期末にかけて築造された古墳群であると考えられています。

 前方後円墳の向きがあっち向いたりこっち向いたりで、まるで仲が悪かったように見えますが、決してそうではなく、台地の下から見上げたときに見える台地縁の部分だったり、後期だと横穴式石室が普及してきますから、石室開口部の向きを考えた結果こうなってしまったのでしょう。

 説明板の全体図に加筆したのが下図です。

 台地を降りたところにある(図の下側に書かれている)舟塚古墳群へはこのあと行ってみます。

 こちらは公園の案内図で、公園として整備されている状態の古墳を示しています。

 

4号墳(唐櫃塚古墳) 

 まずはさきほど駐車場からも見えていた4号墳です。

 こちらは古墳群で唯一発掘調査が行われており、そのためか個別に説明板があります。

 墳丘長52mの二段築成の前方後円墳で、6世紀後半の築造です。

 横穴式石室の石材がことごとく抜き取られていたというのは盗掘した人の凄まじい欲望を想像させられますが、花崗岩自体現代でも高価な石です。

 ただ、硬くて加工が大変ということもあり、畿内では横穴式石室は当初は花崗岩で造っていましたが、そのうち凝灰岩がスタンダードになっていきます。

 墳丘長は52mなのに後円部径が30mあってポッチャリしていますね。 

 周溝が描かれていなくて残念だ。

 では、墳丘へ行きましょう。

 円筒埴輪も並んでいていい感じですねえ。

 鞍部墳頂から後円部を見ます。

 円筒埴輪が並ぶ様子はやっぱりいいですねえ。

 後円部から東側の眺望。

 後円部から前方部を見ます。

 後円部・前方部ともに2段築成です。

 前方部の1段目を見下ろします。

 下に降りて前方部裾エッヂ部分からのいつものアングル。

 

2号墳

 2号墳には前方後円墳の形状をした案内板が立っています。

 こうやって案内板の形で古墳の形状を表すという工夫は、千葉県の龍角寺古墳群などでも見たことがありますが、いいアイディアですよね。

 案内板に書いてある通り、2号墳は、墳丘長45mの前方後円墳です。

 前方部側からの眺め。

 後円部の墳頂には社があります。

 

3号墳

 ところで、今日は天気があまりよくないせいか、公園内には人がいません。

 墳丘長44mの前方後円墳である3号墳の看板がありました。

 整備の際の際立った成形の跡は見られず、土を盛って自然な形で保護をしているような雰囲気です。

 

1号墳

 台地縁の部分にはもうひとつ墳丘らしきものが見えます。

 前方後円墳の1号墳ですが、これは最初に見た公園の案内図にはありませんでしたね。

 状態がよくないため、敢えて目立たせようとしていないのかもしれませんし、28mというのは現在値ではなく、復元値です。

 

5号墳

 こちらはどなたかな?

 円墳の5号墳でした。

 9基ある円墳の中では最も大きくて直径が28mあります。

 

7号墳

 今度も円墳の7号墳。

 径18mの円墳です。

 7号墳と並ぶようにほとんど古墳と分からないような小円墳のようなものが3基並んでいます。

 でも、これらは最初に見た地形図上にプロットされた古墳分布図でも番号が振られていないですし、円墳が全部で9基という数を勘案すると、古墳として認定されていないのでしょう。

 まれにですが、古墳群に中世の塚が混じることがあるのですが気になります。

 

6号墳

 こちらは少し大きい。

 小さい円墳のようなものの奥に見えます。

 手前の小円墳のようなものも、さきほどのものと同様に古墳としては認定されていないようです。

 その後ろが唯一の帆立貝形古墳である墳丘長30mの6号墳です。

 全長30mのうち、後円部の径が25mありますから、造出付きの円墳に思われなくもないです。

 

はに丸タワー

 お、例のアレが見えてきましたよ。

 実はここに来る前の事前調査の段階から気になっていたんですよね。

 バーン!

 はに丸タワーです!

 登れるようなので行ってみましょう。

 日本一の埴輪!

 確かにおっしゃる通りです。

 でも、もしこんな大きな埴輪の存在をヤマトの大王が知ったら激怒して牛伏の王はヤマトに呼び出しを食らいますよ。

 階段を登って行くと内部にも顔がありますが、どういう装置なのか良く分かりません。

 てっぺんに到着!

 さすが良い眺めだ。

 

※2022年2月5日に撮影(逆光でした)

 次に見に行く前方後円墳の17号墳。

 東屋の屋根も前方後円形なんですね。

※2022年2月5日撮影
※2022年2月5日撮影

 

17号墳

 では、17号墳を見にいきましょう。

 墳丘長60mで、「お富士様古墳」の通称があるということは、古くから神様が祀られて地元の人たちから大事にされていたことが想像できます。

 現在の墳丘の高さは低いですが、往時はもっと高さがあったのでしょう。

 後円部墳頂に祠があります。

 「お富士様古墳」の名称のもととなった神様でしょう。

 麓の方を見下ろすと鳥居も見えます。

 この古墳はいまでも信仰の場となっているのでしょう。

 17号墳からみるはに丸タワー。

 17号墳の前方部から後円部を見ます。

 17号墳は、前方部側から見るとあまり高さを感じないのですが、後円部の裾側から見上げると高低差があってヴォリューム感を得ることができるため、後円部にある神社参道の階段を降りて駐車場へ戻るときは、西から北へ回って見てみることをお勧めします。

※2022年2月5日撮影
※2022年2月5日撮影
※2022年2月5日撮影

 記述した通り、牛伏古墳群は4号墳しか発掘されていないため、築造時期を明確にすることはできないのですが、『茨城県教育財団文化財調査報告第398集 下遠田遺跡』(茨城県水戸土木事務所・公益財団法人茨城県教育財団/編)によると、形状から見て17号墳が最初に築造されたと考えられ、その時期は5世紀後半で、その後、台地上を東へ向けて古墳が築造されていったと推測しています。

 また、該書によると牛伏古墳群は、同じ水戸市内の愛宕山古墳から継承される那賀(仲・那珂とも)国造の墓域とする説や国造一族が任命された伴造の墓域とする説があるそうですが、水戸愛宕山古墳の築造時期は5世紀ですので、その時代はまだ国造は任命されていないと考えます。私的には伴造の墓説に魅力を感じます。

 公園の一番奥まで来たので駐車場へ戻りますよ。

 

10号墳 

 おっと、この古墳はまだ見てなかった。

 円墳の10号墳で、径は20mあります。

 以上で公園の案内図に書いてあったすべての古墳と壊れかかった1号墳を見ることができました。

 古墳群には森の中などにまだ数基の古墳がひっそりと存在するようですが、主たる古墳はすべて見たので今日のところはこれで良しとします。

 おや、水道だ。

 千葉県で魚の形の埴輪を見たことがありますが、それを模しているのかな?

 ところで、こういう公園の水道って最近は水が出な・・・

 うわ、ちゃんと出た!

 滾々と湧き出る水に生命の尊さを感じます。

 4号墳に戻ってきました。

 古墳ゾーンに隣接して遊具ゾーンもあるんですね。

 でも結局今日は公園内で誰とも会わなかった。

 仕事の一環としてトイレをチェックします。

 チェックって、別に掃除の仕事の一環ではなくてツアーの仕事の一環ですよ。

 楽しい公園でした。