最終更新日:2024年4月7日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
※便宜上、横芝光町と芝山町は上総のページに記載しています。
目次
香取市
120
三之分目大塚古墳
20191208
富田1号墳
20191208
香取神宮
20191208
栄町
42
龍角寺21号墳
栄町龍角寺
20180525
13
龍角寺52号墳
栄町龍角寺
20170503
31
龍角寺53号墳
栄町龍角寺
20170503
32
龍角寺54号墳
栄町龍角寺
20170503
12
龍角寺55号墳
栄町龍角寺
20170503
48
龍角寺57号墳
栄町龍角寺
20170503
25
龍角寺58号墳
栄町龍角寺
20170503
17
龍角寺62号墳
栄町龍角寺
20170503
17
龍角寺63号墳
栄町龍角寺
20170503
20210502A
龍角寺65号墳
栄町龍角寺
20170503
20210502A
龍角寺66号墳
栄町龍角寺
20170503
20210502A
18
龍角寺67号墳
栄町龍角寺
20170503
30
龍角寺68号墳
栄町龍角寺
20170503
20210502A
28
龍角寺69号墳
栄町龍角寺
20170503
27
龍角寺71号墳
栄町龍角寺
20170503
20
龍角寺72号墳
栄町龍角寺
20210502A
19
龍角寺73号墳
栄町龍角寺
20170503
20210502A
22
龍角寺75号墳
栄町龍角寺
20170503
龍角寺78号墳
栄町龍角寺
20170503
12
龍角寺80号墳
栄町龍角寺
20170503
龍角寺81号墳
栄町龍角寺
20170503
16
龍角寺82号墳
栄町龍角寺
20170503
22
龍角寺84号墳
栄町龍角寺
20170503
龍角寺85号墳
栄町龍角寺
20170503
15
龍角寺86号墳
栄町龍角寺
20170503
12
龍角寺99号墳
栄町龍角寺
20170503
16
龍角寺100号墳
栄町龍角寺
20170503
25
龍角寺101号墳
栄町龍角寺
6世紀第2四半期に築造された当初は二重の周堀を持つ径25mの円墳だったが、のちに周堀の一部を埋め立て、そこに埋葬施設を作ってしまったため、造出付きの円墳のような変な形の古墳になってしまったという面白い経歴を持つ古墳。
20170503
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
20230827A
34
龍角寺104号墳
栄町龍角寺
20210502A
20230827A
78
岩屋古墳(龍角寺105号墳)
栄町龍角寺
浅間山古墳に続いて7世紀に築造された一辺78m、高さ13.2m、3段築成の方墳で、方墳としては奈良県橿原市の舛山古墳(96×90m)、小山田古墳についで全国で3位。
なお、二重の周堀までを含めた兆域は、東西108m、南北96mとなる。
岩屋古墳は1段目頂部テラスに南側に開口する横穴式石室が2つ設けられており、2つともハの字に開く前庭部を持っている。石室同士は9m離れており、両室ともに短い羨道の付く単室構造となってる。石材は貝化石を多く含む砂岩で、よく見ると10万年前に堆積した貝の化石が含まれている。 石室規模は、東石室が全長6.5m、西石室が4.8m。
20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
20230827A
35
みそ岩屋古墳(龍角寺106号墳)
栄町龍角寺
20170503
20210502A
浅間山古墳(龍角寺111号墳)
栄町龍角寺
20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
20230827A
龍角寺
栄町龍角寺
天竺山寂光院と号する天台宗の寺院。寺伝では和銅2年(709)に天から龍
が降りてきて一夜にして伽藍を建て並べ、龍閣寺と呼ばれたとあるが、調査の結果から、さらに古い7世紀後半に創建された寺院だということがわかった。本尊の薬師如来像は国の重要文化財に指定されている。
伽藍配置は、法起寺式伽藍配置で、中門をくぐると、左手に金堂、右手に三重塔が建ち、その奥に講堂が建っていた。
創建時の軒丸瓦は、周縁に三重園文のある単弁八葉蓮華文で、奈良県桜井市の山田寺と同系統の瓦。風土記の丘資料館に
は、山田寺の仏頭のレプリカが展示してある。
龍角寺には聖武天皇の御代、日照りに苦しんでいる人びとのために、大龍の許可を得ずに雨を降らせた結果その怒りをかって死んだ小龍の伝説が残っており、小龍の頭のミイラといわれるものが祀られている。
20170503
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
20230827A
瓢塚41号墳石室移築
栄町龍角寺
20170503
龍角寺108号墳石室移築
栄町龍角寺
20170503
房総のむら 風土記の丘資料館
栄町龍角寺
20170503
20180602C
20190306C
20190317C
20230827A
佐倉市
飯郷作遺跡
20191208
飯郷作1号墳
20191208
桔梗塚(将門1号墳)
将門の妻・桔梗の塚との伝承がある
20231018
20231203A
将門口ノ宮神社
将門と佐倉惣五郎を祀る神社
20231018
20231203A
八幡神社
勝胤創祀の神社と伝わるが、将門の父・良将の館跡で将門はこの地で生まれたという伝承もある
20231018
20231203A
麻賀多神社
麻賀多十八社の一社
20231018
20231203A
勝胤寺
千葉氏第3代勝胤開基の寺
20011123
20231018
20231203A
千葉家供養塔
20011123
20231018
20231203A
宝珠院
近世における佐倉五山筆頭寺院
20231018
印旛郡市文化財センター
20220726
国立歴史民俗博物館
19990327
20220726
20230827A
酒々井町
上岩橋貝層
20231018
20231203A
35
鬼塚古墳
説明板なし
20231018
20231203A
カンカンムロ横穴群
酒々井町内で唯一の横穴墓群。真冬に行くと横穴墓が見られるそうだがどうだろうか。
20231018
20231203A
下宿麻賀多神社
20231018
伝説 酒の井の碑
20231018
白山大神社
20231018
玉光大神
20231018
妙胤寺
寺号は勝胤の「胤」を取り、山号の常勝山は、勝胤の「勝」から取った。加藤清正を祀る。
20231018
20231203A
吉祥寺
20231018
清光寺
天文年間、家康の父・松平広忠の葉骨を安置供養
20231018
本佐倉城跡
20011123
20231018
20231203A
国史跡本佐倉城跡案内所
20231018
20231203A
白井市
河原子台Ⅱ-3遺跡
20170503
千葉市中央区
千葉市埋蔵文化財センター
20220213P
千葉市若葉区
加曽利貝塚
20220213P
20230827A
千葉市立加曽利貝塚博物館
20220213P
20230827A
成田市
85
船塚古墳(公津原8号墳)
公津原古墳群
6C前半(「印旛のはにわ」根本岳史)
前方後方墳説があったが、珍しい大型の長方形墳ということで確定。
周堀は二重にめぐっていたとされています。なお、すぐ近くには円墳の9号墳があります。
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
13
公津原9号墳
公津原古墳群
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
33
公津原10号墳
公津原古墳群
20210502A
33
石塚古墳(公津原16号墳)
公津原古墳群
6C前半(「印旛のはにわ」根本岳史)
天王・船塚古墳群にある3基の前方後円墳のうちの1基で、墳丘長は40mとの説もあります。主体部は不明で、
埴輪が多く採取されています。
近くには10号墳から15号墳もあり、10号墳は径33mの大型の円墳。また、吾妻小学校の校庭には17号墳から20号墳の4基の円墳が保存されています。
20210502A
公津原20号墳
公津原古墳群
吾妻小学校の校庭にある中の1基。
20210502A
63
天王塚古墳(公津原21号墳)
公津原古墳群
6C前半(「印旛のはにわ」根本岳史)
天王・船塚古墳群に残る3基の比較的大きな古墳のうちの1基で、墳丘長63mの前方後円墳
です。この大きさは、公津原古墳群で2番目の大きさを誇ります。主体部は不明。
20191208
20210502A
8
公津原22号墳
公津原古墳群
20191208
20210502A
公津原23号墳
公津原古墳群
20191208
20210502A
11
公津原24号墳
公津原古墳群
20191208
20210502A
公津原30号墳
公津原古墳群
20210502A
12
公津原31号墳
公津原古墳群
20210502A
12
公津原32号墳
公津原古墳群
20210502A
12
公津原33号墳
公津原古墳群
20210502A
13.5
公津原34号墳
公津原古墳群
20210502A
12
公津原35号墳
公津原古墳群
20210502A
14.5
公津原36号墳
公津原古墳群
20210502A
12.5
公津原37号墳
公津原古墳群
20210502A
23
公津原38号墳
公津原古墳群
20210502A
35×36
伝伊都許利命墳墓(公津原39号墳)
公津原古墳群
39号墳は公津原古墳群に含まれますが、国指定史跡ではありません。
船形麻賀多神社の境内にある一辺が36mの大型方墳で、印波国造伊都許利命(いつこり)の墓との伝承のある終末期古墳です。
公津原古墳群の他の古墳が集中する地域から少し離れた場所に築造されており、規模から見ても特
別な古墳であることは間違いなく、実際に印波国造が埋葬されている可能性はあるでしょう。
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
公津原埴輪窯跡
千葉県ではたくさんの埴輪が見つかっており、ここ印旛地域やここより南側の山武地域では、とくに多くの形象埴輪が見つかっている。ところが、埴輪窯跡は県内ではここ公津原埴輪生産遺跡と、木更津市の畑沢埴輪生産遺跡の2ヵ所しか見つかっていない。
現地は完全に市街地化されており、当時の地形もほとんど分からない状態。
20210502A
八代玉作遺跡
やつしろたまつくりいせき
八代玉作遺跡は東日本ではじめて発見された玉作遺跡で、玉作遺跡というのは一般的には装身具あるいは祭祀具として用いる勾玉や管玉などの玉類を製作していた遺跡のことを言う。
八代玉作遺跡の場合は、玉作の工房跡が谷を囲むように10軒見つかっており、4世紀後半から5世紀前半にかけて、主として緑色凝灰岩を材料とした管玉の生産が行われていた。
4世紀後半から5世紀前半というと、公津原古墳群で盛んに古墳が造られた時期と違う。
20191208
20210502A
吾妻神社
20191208
船形麻賀多神社
麻賀多神社の祭神は和久産巣日神(わくむすひのかみ)ですが、奥宮である船形の麻賀多神社は、稚日霊命(わかひるめのみこと)を祀っています。
麻賀多神社は印旛郡内に「麻賀多十八社」と呼ばれる独自の信仰圏を持っ
ており、現在は上述のヤマトの神を祀っていますが、こういった独特な神社には、現在の主祭神
とは異なる「本来の主祭神」がいらっしゃるかもしれません
20180525
20180602C
20190306C
20190317C
20210502A
台方麻賀多神社
本宮である台方の麻賀多神社は、戦争末期に岡本天明が自動書記によっ
て「日月神示(ひつきしんじ)」を成した場所として有名です。境内には樹齢1300年で東日本一といわれる樹高40mの大杉が生えており神秘的な場所です。境内社の中には、馬来田郎女神社がありますが、上総には馬来田(まくた)国造が存在し、もしかするとイツコリの妻は馬来田国造から迎えたのかなと、想像が膨らみますし、そもそも「まかた」と「まくた」は音が似ているので何かありそうです。
20180525