最終更新日:2024年1月25日

 河内国は、現在の行政では便宜上、北・中・南の3つの領域に分け、19の自治体が含まれています。そのうち中河内には、以下の3つの自治体があります。

 ・柏原(かしわら)市
 ・東大阪(ひがしおおさか)市
 ・八尾(やお)市

 また、歴史的に見ると中河内と同じ領域には大阪市の一部も含まれますので、本ページでは、大阪市平野区も紹介します。
 

 

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

大阪市平野区

柏原市

八尾市

※現在のところ、東大阪市の紹介はありません。

  

 

大阪市平野区


加美遺跡

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柏原市

110
小松山古墳(玉手山1号墳)

 
西日がもろに反射してしまった 
西日がもろに反射してしまった

110m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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70
玉手山2号墳

 

70m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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96
勝負山古墳(玉手山3号墳)

 
 

100m(説)

96m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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110
後山古墳(玉手山7号墳)

玉手山公園のなかにあるため、公園が閉まってしまうと見学できないので注意

 
 

110m(『玉手山7号墳の発掘調査』<大阪市立大学日本史研究室・柏原市教育委員会/編>)

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玉手山6号墳竪穴式石室

 
 

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東ワカ山古墳家形石棺

 

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後藤又兵衛基次之碑

 
 
 

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柏原市立玉手山公園 ふれあいパーク 歴史館

 

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130
松岳山古墳

まつおかやまこふん
柏原市国分市場

墳丘長130mを誇る前期の前方後円墳で、大和川を河内方面から遡上してくると、平野が終わる狭隘な地形の左岸側の丘の上に前方部を下流方面に向けてその威容を示すように築造されている。

後円部墳頂には、長大な組合式長持形石棺が露出しており迫力がある。登頂して確認しよう。

また、墳頂には板石が多数散乱しており、おそらく竪穴式石室の壁や天井に使用した石と思われ、石棺の短辺両側には穴の開けられた板石が立てられているが、何の石でいつ立てられたのかは不明。

国分神社の石段を上がり、社殿に向かって左に行くと説明板と墳頂への登り道がある。

 
 
 
 

3期

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河内国分寺跡

大和川左岸の河内国内最奥部に立地し、四神思想に合致していないが、ここで見つかった塔跡が河内国分寺跡といわれている。

 
 

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河内国分尼寺跡推定地

河内国分寺跡の西側住宅街に「尼寺」という地名が残っており、そのあたりが河内国分尼寺跡と推定されるが、遺構などは見つかっていない。ただ、そこの地形を見ると、住宅街の場所は僧寺跡から一段下がった川に近い場所であるので、僧寺跡と同じ段丘上にも何かがあったようにも思える。

 

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高井田横穴

 
 

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白坂神社

 
 

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柏原市立歴史資料館 

 
 

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亀の瀬

 
 

古代史が語られる際、大和川は、大和と瀬戸内海を結ぶ重要な交通路であったと説明されることが多いが、奈良県と大阪府の県境の大阪側にある亀の瀬は舟航する際の難所であったと言われ、名前の通り、亀の形に見える大きな石がある。

川岸から見ると実際の大きさはよく分からないが、人間が20人ほどが乗れる大きな岩だそうだ。

古代と現代では水量が違うはずだが、現代の水量ではとてもではないが船は通れない。江戸時代の文献に亀石が見えることから、すでにその頃には水深が浅くなっていたことが分かる。

古代もここを通過する際はいったん人や荷物を陸揚げして運んだと考える研究者もいる。

なお、大和と瀬戸内海を結ぶ河川交通ルートは、他に淀川~木津川と奈良山の陸送をミックスしたルートと、葛城地方と和歌山平野を結ぶ紀川ルートがあった。

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亀の瀬1号排水路

 
 

地すべりを防ぐために作られた排水用のトンネル。トンネルだがどこかと繋がっているわけではなく、少し歩くと行き止まりになる。常時入れるわけではないので、地すべり資料室に連絡して確認してから行くとよい。

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亀の瀬地すべり資料室

大阪府柏原市峠地先
072-971-1381(大和川河川事務所 調査課)

土日祝休館
9時半~16時半
入館無料

※事前申し込みで、旧大阪鉄道亀瀬隧道も見学できるため、訪問する際は一度確認の連絡をしてから訪れよう。また、下記ページでも確認できる。

⇒亀の瀬地すべり見学会のページ

 
 
 

亀の瀬は古来より地すべりが多発した場所で、もしそれによって亀の瀬が閉ざされてしまった場合は、奈良盆地は昔のように湖になってしまう。それを防ぐために亀の瀬周辺には巨大な杭を打ち込んだり、排水施設を作ったりして地すべりを防ぐ工事が行われているが、その工事や亀の瀬周辺の地形や歴史について説明した資料館。

パネル展示がメインだが、実際の杭の3分の1のモデルも展示してある。また、JR線がなぜ、現在のように川の右岸と左岸をわざわざ行き来するようになったのか、その理由もわかる。

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八尾市


中田遺跡

駐車場なし。目で見られるものは特になく、公園内に説明碑が立っている。

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55
向山古墳および向山瓦窯跡

むかいやまこふん
楽音寺・大竹古墳群

55m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

楽音寺・大竹古墳群では最古の前方後円墳で、前期前半の築造。

真冬でも墳丘上は藪が酷くて登頂は難しい。

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55
西ノ山古墳

楽音寺・大竹古墳群

55m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

熊野神社拝殿北側の森の中に墳丘が隠れている。真冬でも藪が酷く登頂は難しい。

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73
花岡山古墳(湮滅)

楽音寺・大竹古墳群

73m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

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160
心合寺山古墳

しおんじやまこふん

楽音寺・大竹古墳群

しおんじやま古墳学習館と連動していて、同館の休館日は墳丘内に立ち入れないので注意。駐車場は同館にあり。

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八尾市立しおんじやま古墳学習館

心合寺山古墳に隣接。駐車場あり。展示室内は写真撮影NG。

展示室では主に心合寺山古墳について解説しているが、説明が丁寧で分かりやすく、他の施設では意外と説明がない盲点を突いた説明もあり(例えば、鶏形埴輪は雄と雌でトサカの大きさを分けて表現しているなど)、学芸員の熱意を感じることができる。

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28
鏡塚古墳

楽音寺・大竹古墳群

28m(『大阪の前期古墳』所収「北・中河内の前期古墳の特質」秋山浩三/著)

説明碑には中期末の築造とあるが、八尾市は現在は後期としている。

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25
愛宕塚古墳

全長16.76mを誇る大阪府内最大級の見事な横穴式石室が開口しており、いつでも見学できる。

石室は巨石によって構築され、玄室の天井高は4.1mもある。とても見学しやすい素晴らしい石室だ。

八尾市は、楽音寺・大竹古墳群にも高安古墳群にも属さないとしている。

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15
俊徳丸鏡塚古墳

横穴式石室が開口しているが、入室禁止となっている。

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佐麻多度神社

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熊野神社

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