最終更新日:2022年6月24日


ところいせき
北海道北見市常呂町

 国指定史跡「常呂遺跡」は、以下の4つの地区に分かれている。

 A.常呂竪穴群
 B.栄浦第二遺跡・栄浦第一遺跡
 C.岐阜台地西部竪穴住居群
 D.常呂川右岸台地竪穴群(トコロチャシ跡遺跡群)
 (D-1)トコロチャシ跡とトコロチャシ跡遺跡
 (D-2)トコロチャシ南尾根遺跡

 ところ埋蔵文化財センターの展示パネルで場所を示す。

ところ埋蔵文化財センターにて撮影

 上記のうち、Bの栄浦第二遺跡側に説明板が設置してある。

 また、Cは、「ところ縄文の森」として住居の復元を含め整備されており、そのすぐ近くには、常呂遺跡を総合的に紹介する「ところ縄文の館」、常呂遺跡や道東の遺跡から出土した遺物が展示してある「東京大学常呂資料陳列館」、それに「ところ埋蔵文化財センター」があり、3か所すべてお勧めの施設なのでぜひ訪れよう。

 本稿では、Bの栄浦第二遺跡とCの「ところ縄文の森」について紹介する。

栄浦第二遺跡

 遺跡脇の道路をサロマ湖方面から網走方面へ走っていると左手にはずっと森が続いているが、その森の中に無数の竪穴があるのだ。

 「西5線」バス停のところに説明板が設置してある。

 駐車場は無いが、普通乗用車であれば、説明板の前のスペースに駐車可能。

 説明板には、2500軒余りの竪穴住居跡が観察できるとあるが、北見市のHPによると、国指定史跡の範囲内に約2700基の竪穴住居跡があるという。

 常呂遺跡の驚異的な点は、これだけの数の竪穴が現在でも普通に地表面に残っていて観察できることである。よく、縄文時代の大規模集落跡に行くと、「住居跡が500棟見つかっています」というような説明があったりするが、そういう場合は、発掘調査の結果その数が分かっただけであり、現状ではそれを目で見ることはできないわけだが、常呂遺跡ではその膨大な数の竪穴を目で見ることができるのだ。

 と言っても、よっぽどのマニアでもない限り、「全部見てやろう」と思う偏執的な人はいないと思うが、その数にはただただ呆れるばかり。

 このバスは、1日1本で潔い。

 このバス以外にももう1本路線があるが、常呂遺跡にバスで来ようとするのはそれはそれでアドヴェンチャーだ。

 ところ縄文の館の展示パネルによって周辺の状況を示すとこうなる。

 オホーツクの海岸沿いの丘の上にたくさんの竪穴があり、青が縄文晩期、赤が続縄文(柄鏡形になっている)、緑がオホーツク(五角形や六角形になっている)、そしてオレンジが擦文の住居跡だ。

 上図は常呂遺跡の一部だが、既述した通り2700基もの住居跡が見つかっており、縄文晩期から擦文時代までとすると、千数百年の期間に造られたことになる。

 全然時代が違うので比較してもあまり意味は無いが、三内丸山遺跡も存続期間は千数百年で、見つかった建物跡は800棟ほどである。

 埋蔵文化財センターのジオラマを見ると地形もよく分かると思う。

 では、森の中へ入ってみよう。

 説明板の脇から歩いて行くと少し登り坂になっており、すぐに竪穴群が目に入ってきた。

 この竪穴は大きい。

 分布図を見ると、登り始めてすぐのところにある大きめの竪穴は、緑色に塗っているので、オホーツク時代の竪穴だろう。多角形になっているかどうかまでは、はっきりしない。

 一段上がると、道路の跡が残っており、その道路に分断されているような竪穴がある。

 埋文センターの方の話によると、いま普通に車が走っている下の道ができる前は、こちらの道を使っていたということで、上の分布図にも道路として記載してある。

 さきほど見かけた竪穴よりも小規模なものがたくさんある。

 分布図によると、擦文時代の竪穴のようだが、どれも結構深さがあるのは驚きである。

 住居は縄文時代晩期から続縄文時代へと作り続けられ、オホーツク人もやってきて生活しているし、その後は擦文時代にも作り続けられており、現状では形状が四角形の擦文時代のものが目立つが、おそらく新しい時代の住居は古い時代の住居跡を壊して(竪穴を再利用して)作っているため、擦文時代のものが目立つのではないだろうか。

 そしてその場合は、実際に建てられた家の数はもっと増えることになるが、そもそも擦文人が、既存の家の跡を再利用して家を建てる文化を持っていたかどうかは私は知らないので、その辺を勉強してみようと思う。 

 また、丘の最も高い位置に大型の建物が目立つため、もしかしたらそれは身分を反映しているかもしれないし、オホーツク人たちの住居跡は比較的低位置にあるのも興味深い。

 いま我々が彷徨っているのは、1000年くらい前のこの丘の最後の住民となった擦文人たちの居住区だ。

 しかし、穴がたくさん開いていて楽しいね。

 今は6月だが、下草はそれほどなくて快適に歩ける。

 ただし、森の奥の方に行くとクマさんに出会うかもしれないので、あまり遠くに行かないようにしながら散策しよう。

 散策していると、Oさんが、皆それぞれが竪穴に入って写真を撮ってみようと、ナイスアイディアを提案したでのでやってみる。

 よく、遺跡の写真で柱列に作業員が入って撮った写真を見かけるが、これだけ穴が多いと、もっとたくさんの人数でやったら面白いかも。

 ちなみに一番後ろのYさんの身長は184㎝なので、かなり竪穴が深いことが分かると思う。

 それでは、そろそろ引くとしましょうか。

 振り返って最後の一枚。

 いつもは群集墳に行って、ポコポコある古墳を見て皆で喜んでいるが、今回は逆パターンで、ポコポコ開いた多数の穴を楽しむことができ、我々は確実に新しい次元へと進むことができた。

 

ところ縄文の森

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