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最終更新日:2023年12月23日
ATについて
後期旧石器時代は、鹿児島県の姶良(あいら)カルデラの噴火の前後でさらに前期と後期に分けます。姶良丹沢火山灰(AT)の降下の年代は、書籍や博物館の展示によって区々ですが、最新の研究では3万年前とされます。南九州のカルデラの位置は下図をご覧ください。

ATは偏西風に乗ってほとんど列島全体を覆うくらいの分布を示すため、それが堆積した層は、考古学的には時代を知る上での重要な地層となり、こういう地層のことを鍵層(かぎそう)と呼びます。

姶良カルデラの噴火では大規模な火砕流も発生し、鹿児島県や宮崎県南部の地形を一変させ、この火砕流によってできた台地をシラス台地と呼び、場所によっては200mもの高さになっています。例えば西都原古墳群に行くと地形が平坦だと気付くと思いますが、ああいった平坦な台地はこのときの噴火によって造られたのです。

余談ですが、青森県つがる市にある出来島埋没林は、AT降下直前に起きた急激な温暖化による海面高度上昇によって森林がパックされたものです。AT層を目で見たくて現地に行って見たものの、パックされた3万年くらい前の樹木は散見できましたが、その上に数センチはあると思われるAT層は私の目ではよく分かりませんでした。

旧石器時代の日本列島は、既述した通り冷涼で雨が少なく、対馬海峡が非常に狭かったため暖流が日本海側に流れ込んでくることがほとんどなく、そのため雪は少なく、針葉樹林がまばらに生えている寒々とした景観で、列島ほぼ全域がこのような状況でした。しかも火山活動は活発で、噴火も多かったため、人びとが生きて行くには過酷な時代でした。
日本における旧石器時代の発見
前項では、ホモサピエンス以前の日本人について述べましたが、今度はホモサピエンスの遺跡について述べます。まず最初に、日本の旧石器時代発見の経緯からです。
以下、後日文章化。
日本に渡ってきた最初期のホモ・サピエンスは以下のような独特な文化を持っています。
・台形様石器を使用 ・・・ 同様なものが中国や半島で見つかっておらず日本オリジナルの可能性がある
・刃部磨製石斧を使用 ・・・ オーストラリアにも最古級の物があるが文化的には違う
・環状ブロック群を作る ・・・ こちらも同様なものが大陸や半島で見つかっておらず日本オリジナルの可能性がある
・世界最古の落とし穴を造営 ・・・ 国内では50以上の遺跡から400ほどの落とし穴が見つかっている(種子島では3万5000年前頃、静岡県の箱根・愛鷹山麓では3万3000年前頃に掘られた落とし穴が見つかっている)
台形様石器は、台形状をしていますが、槍の先に付けたと考えられ、その際は辺の広い方を先端にしました。刃部磨製石斧は、局部磨製石斧とも呼ばれます。磨かなければ打製石斧と呼ばれます。磨くには砥石として砂岩が用いられていたといわれています。砂岩にはガラス成分である石英が多く含まれており、石英のモース硬度は7。石斧はその名の通り植物の伐採に使われたほか、動物の解体にも使われたと考えられています。この時代はまだしっかりとした住居を作って住むことはなかった。環状ブロック群は、キャンプ(村)の跡とも石器の制作工房の跡とも言われています。
ところで、Y染色体やミトコンドリアDNAの研究をもとに日本列島に大陸から人びとがやってきた時期を解説する書籍がありますが、考古学的な成果と合致する場合もあればそうでない場合もあります。DNA方面から切り込むのはとても面白いのですが、現段階では参考程度と考えておいた方が良く、まずは現実に遺跡から見つかる考古遺物に着目して日本人の歴史を考察してみましょう。
