最終更新日:2022年9月22日

※本稿はドラフトです。

是川遺跡

 世界遺産「北海道・北東北の縄文遺跡群」の構成資産の中に青森県八戸市の「是川石器時代遺跡」があります。国指定史跡にもなっていて、史跡名称も「是川石器時代遺跡」です。ところが、現在は、単に「是川遺跡」と呼ぶことが多く、しかも正確には、中居遺跡、一王寺遺跡、堀田遺跡という3つの遺跡があって、その総称として「是川遺跡」とか「是川石器時代遺跡」と呼んでいるのです。その際には頭に「是川」を付けて、「是川中居遺跡」などと呼ぶこともあります。

 では、世界遺産全制覇を目論んで現地に赴いた場合、どこへ行けば構成資産の「是川石器時代遺跡」に行ったことになるのでしょうか。上記3遺跡の中で、説明板がしっかりと設置してあるのが、中居遺跡です。ところが、中居遺跡はいま長期の整備期間に入っており、遺跡内に立ち入ることができません。一王寺遺跡や堀田遺跡は現地に行くことは可能ですが、とくに何もないはずです。

 ということで、是川縄文館を訪れればひとまずは構成資産をクリアしたと考えていいと思います。

 その是川縄文館は後期のページでも述べた通り、後期の風張1遺跡(国宝の合掌土偶が出土)と晩期の是川中居遺跡の展示がメインとなっています。是川中居遺跡出土の遺物は赤漆塗り製品など、伝統工芸品のように優れたものが多く、ここを訪れて初めて見た人が驚嘆する姿を何度も見ています。

是川縄文館にて撮影

 また、土偶も非常にユニークなものが多く、土偶マニアの方も喜んでくれます。

 こういったことは遺跡の地主だった泉山兄弟が発掘した遺物をしっかりと守り続けてきて、またそれを引き継いだ行政や地元の方々の努力の結果だと思います。是川縄文館は本当に素晴らしいミュージアムですから、ぜひ訪れてみてください。

 さて、風張1遺跡については後期のページで述べましたが、ここでは晩期の是川中居遺跡について述べます。と、その前に「是川遺跡」の仲間である他の2遺跡についても簡単に紹介しておきますが、中居遺跡では縄文時代草創期の爪形文土器が見つかっており、ごく少数ではありますが、この周辺には古くから人びとの痕跡が見えます。

 前期の十和田中掫(ちゅうせり)テフラ降下(今から5900年前)のあとのちょうど三内丸山遺跡が登場する時期と同じ頃、集落遺跡である一王寺遺跡の形成が始まりました。一王寺遺跡では、その時期の円筒上層a式からd式までの土器が出土しています。貝塚も造られました。また、令和3年度の発掘調査では円筒上層c式期の土面が出土しており、国内では最古級のものです。

 一王寺遺跡は中期まで続き、次第に大木式土器(「縄文時代の伊達政宗」)の影響を受け始めます。一方、堀田遺跡は中期の遺跡です。