最終更新日:2024年1月30日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 群馬県には13,000基を超える古墳があり、探訪した古墳の数も多いため、下図の通り3ブロックに分けて紹介します。古代の地域的なまとまりとは完全に合致するわけではありませんが、ご了承ください。
 本ページでは、中央部をご紹介します。

  

目次

伊勢崎市

渋川市

前橋市

吉岡町

 

 

伊勢崎市

125
お富士山古墳

関東・東北で「王者の石棺」と呼ばれる長持形石棺の安置が確実に認められるのは太田天神山古墳と本墳のみだが、そのうち現在目で見られるのは墳頂の覆屋の中に展示してある本墳の石棺のみ。

長持形石棺の使用から畿内の有力者と同等の力を持った被葬者像が伺える。

墳丘前方部の先端はJR両毛線の線路建設のため破壊されており、古墳を見学していると稀に電車を見ることができる。

 
 
 
 

5期

20170402
20170701C
20180331C
20180912C
20181021C
20190209C
20221120A


赤堀歴史民俗資料館

 
 
 

20190818

 

 

渋川市


瀧沢石器時代遺跡

 
 

20220612P
20220903A


渋川市赤城歴史資料館

 
 

20220612P
20220903A


渋川市北橘歴史資料館

 
 

20220612P
20220903A


金井東裏遺跡

 
 

20220612P
20221120A
20240129A

黒井峯遺跡

 
 
 

20220612P


空恵寺

20240129A

 

 


長尾氏累代の墓

空恵寺本堂の裏を登って行くとある。

20240129A

 

 

 

 

 


雙林寺

そうりんじ

20240129A

 

 


白井城跡

20240129A

 

 

 

 

 


箱田城跡

20240129A

 

 


群馬県埋蔵文化財調査センター 発掘情報館

平日に行くと収蔵庫の見学ができるため、平日に行くことをお勧めします。

20220612P
20240129A

 

 

 

【食事】お食事処 辰麿

赤城歴史資料館から近く、この近辺の遺跡めぐりの際に便利な食事処。

渋川市赤城町上三原田917-7
0279-56-3356

メニューがたくさんあって迷ったがカレーうどんをチョイス。ご飯が付いて880円という良心的な価格設定。美味かった

 

【食事】一本松食堂

リーズナブルでヴォリュームがある。焼きまんじゅうもお勧め。

渋川市北橘町真壁1626-3
0279-52-2612

 
 
群馬のソウルフード・焼きまんじゅう

 

 

前橋市

130
前橋八幡山古墳

まえばしはちまんやまこふん
朝倉・広瀬古墳群

前方後方墳としては東日本最大で、全国でも4位の規模。登れる前方後方墳としたら全国2位になる。

 

130m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)
2期

20150505
20190818
20190825C
20220521A


129
前橋天神山古墳

まえばしてんじんやまこふん
朝倉・広瀬古墳群

危うく完全隠滅するところを地元の高校生の通報で助けられ、後円部の主体部付近だけが四角く削り残されている。2018年に訪れた時には東屋は撤去されていた。

この東屋は現在ない
 

2期

20150505
20190818
20190825C
20220521A


50
文殊山古墳

もんじゅやまこふん
前橋市山王町77
朝倉・広瀬古墳群

前期としてはかなり大きな規模になる円墳

 

50m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)

20150505


39
飯玉神社古墳

いいだまじんじゃこふん
朝倉・広瀬古墳群

 
 

39m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)

20150505

25
阿弥陀山古墳

あみだやまこふん
朝倉・広瀬古墳群

 

25m(『朝倉・広瀬古墳群』前橋市教育委員会)

20150505


60
亀塚山古墳

かめづかやまこふん
朝倉・広瀬古墳群

 
 

帆立貝形古墳ともいわれる

60m(説)

20150505

104
前橋二子山古墳

まえばしふたごやまこふん
別称:天川(あまがわ)二子山古墳
前橋市文京町3-26
朝倉・広瀬古墳群

6世紀末頃の築造だが、その時点で104mもの大型前方後円墳を築造している点が驚きであり面白い。

 
 

10期

20150505
20190818
20190825C
20220521A

54.5
不二山古墳

ふじやまこふん
前橋市文京町3-2
朝倉・広瀬古墳群

墳丘長が前橋二子山古墳のちょうど半分であるが、相似形とされる説明は間違いで相似形ではない。

 
 

10期

20190818
20220521A


52.5
山王金冠塚古墳

さんのうきんかんづかこふん
前橋市山王町1-13-3
朝倉・広瀬古墳群

 
 

52.5m(説)
10期

20150505

93.7
前二子古墳

まえふたごこふん
大室古墳群

MT15併行。MT15は、FA降下時で497年(+3/-6)。『埼玉』P.279

 
 
 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A

111
中二子古墳

なかふたごこふん
大室古墳群

 
 
 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A

85
後二子古墳

うしろふたごこふん
大室古墳群

 
 
 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A

38
小二子古墳

しょうふたごこふん
大室古墳群

 
 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A


M-1号墳

大室古墳群

 
 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A


M-4号墳

大室古墳群

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A


大室はにわ館

 

20170402
20170701C
20190818
20190825C
20200926C
20201017C
20201107C
20201129C
20201212C
20211123C
20221120A


梅木遺跡

目で見られるものはない。遺跡の場所には説明板が無く、大室古墳群の中の説明板が集まっている場所に解説がある。

 
  

20170402
20190818

36
荒砥富士山古墳

あらとふじやまこふん

 
 

20190818

70
遠見山古墳

総社古墳群

 
 
 

20150504
20210320A
20211126A

75.6
王山古墳

総社古墳群

発掘当初は積石塚とされたが、最近ではそういう話題が出てこない不思議な古墳。

県内における最初期の横穴式石室を備えており、その長さは16.4mで東国では最長級。

そのうち、羨道は12mもあり、初期横穴式石室の羨道は細いのだが、墳丘上の川原石による石室平面の表示を見ると細いにもほどがあるほど幅が狭くてこれもまた不思議。

なお、狭くて長い石室の実物は、長野県飯田市の飯沼天神塚(雲彩寺)古墳で見ることができる(築造時期も王山古墳とほぼ同じ頃)。

 
石室の平面形の表示
 

20150504
20210320A
20211126A

60
王河原山古墳(湮滅)

総社古墳群

墳丘完全湮滅。王山古墳と総社二子山古墳の築造時期の間が少し空いているため、機械的にそこに編年されることがあるが、そんな安直な考え方でよいのか疑問。無理して首長墓系列を設定する必要は無い。

古墳跡の近くから望む赤城山

20210320A
20211126A

90
総社二子山古墳

総社古墳群

6世紀後半に築造された墳丘長90mの前方後円墳で、2段築成。葺石と埴輪が確認されている。

後円部と前方部にそれぞれ南側に開口する横穴式石室を備えており、後円部の石室は、全長9.4m(残存値)、玄室長6.8m、天井が崩落しているが、大きさは県内最大級。壁面は角閃石安山岩を使用。

前方部の石室は、全長8.7m、玄室長4.2m、頭椎大刀が出土している。なお、後円部の石室が先に造られている。

 
 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A

56
愛宕山古墳

総社古墳群

7世紀前半に築造された一辺約56mの方墳で、2段築成。葺石が施され、周堀は一重。墳丘は地元の方の墓地になっている。

横穴式石室は羨道・玄室からなるが、羨道は土砂で埋まっており正確な全長は不明。全長約7mの玄室には凝灰岩製の割抜式家形石棺が安置されている。

現在は石室の入口がかなり狭いため、しゃがまないと入れないが、中に入れば余裕で立てる天井高がある。

 
 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A

66
宝塔山古墳

総社古墳群

7世紀中葉に築造された一辺66mの方墳で、3段築成。葺石が確認されており、周堀は一重だが幅が広く、周堀を含めた一辺は102mで、この時代の方墳としては国内最大級。

石室は羨道・前室・玄室からなる複室構造で、全長12.04m、羨道長は3.56m、前室長は3.9m、
玄室長は3.32m。見事に整形された切石積みで組まれてる。

前室と玄室の入口には門柱状の石を設置して区画しており、壁面は漆喰を厚く塗り白く仕上げている。

玄室には輝石安山岩製の割抜式家形石棺が安置され、石棺の底面付近は格狭間様に割り込まれており、仏教の要素が垣間見られる。

 
 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A

44
蛇穴山古墳

総社古墳群

7世紀後半に築造された一辺44mの方墳で、2段築成。葺石が施され、二重堀を完備してる(ただし、外堀は規模が小さいため遠慮して「溝」と呼ばれる)。墳丘はかなり削られている。

石室は玄室のみのワンルームのような構造だが、「ハ」の字に開いた前庭部を持っている。玄室長は3m、幅は2.6mで、壁面と天井は一枚の巨大な石で組まれており、その精巧さには圧倒される。玄室壁面を白い漆喰で塗布しており、今でもその形跡が見られる。玄室入口の天井部分には、格狭間状の割り込みが施されている。棺は見つかっておらず牛伏砂岩製の棺台らしきものがあるのみ。

2021年度に発掘が行われ、墳丘の作り(外観)は従来の説とは違う知見がもたらされた模様(詳細は発掘調査報告書の刊行を待つ)

 
 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A


熊谷稲荷神社

 

20210320A
20211017
20211126A


山王廃寺跡

東国最古の寺院の一つで、創建は総社古墳群最後の首長墓である蛇穴山古墳とほぼ同時期。このことから、総社では古墳の築造から仏教の導入への時代の流れを見ることができる。

この寺跡は山王廃寺と呼ばれていたが、出土した瓦に「放光寺」の文字があることから本来の名前は放光寺だったと考えられ、上野三碑の一つである山上碑は、放光寺の僧長利が建立したことがその碑文から分かるため、山上碑の造立とリンクして面白い。

 
 
 

20150504
20190206
20190214C
20211017
20220522A


総社城跡

総社古墳群

 

20150504

天狗岩用水

 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A

五千石堰用水

 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A


秋元山江月院光厳寺

秋元氏の菩提寺で墓域もある

 

20150504
20171025
20171028C
20190214C
20210320A
20211017
20211126A


前橋市総社歴史資料館

総社古墳群や山王廃寺跡、それに江戸期の秋元氏と天狗岩用水について詳しく解説した資料館で、たくさんの無料パンフレットが入手できるのも嬉しい。

展示の中でも必見は、総社二子山古墳から出土した頭椎大刀(かぶつちのたち)の復元だが、総社古墳群以外にも、山王廃寺跡や近世領主・秋元氏についての展示も豊富。

入館無料。

 
総社二子山古墳出土・頭椎大刀の復元

20171025
20171028C
20190206
20190214C
20210320A
20211017
20211126A


上野国府跡

区画整理に従って少しずつ発掘調査が進められ、徐々にその内容が明らかになってきている。現状では目で見られる復元や説明板の設置はないが、宮鍋神社に国庁の想像図が掲げられている。

 
宮鍋神社境内にて撮影

20150504
20190206
20190214C
20220522A


宮鍋神社

「みやなべ」という発音に近い神社は、武蔵国や下野国の国庁跡近くにもあり興味深い。

 
 

20150504
20190206
20190214C
20220522A


大友神社

 

20150504


上野総社神社

 
 
 

20150504
20190206
20190214C
20220522A


蒼海城跡

総社神社近辺は、中世の蒼海城跡で、総社神社に平面図が掲げられている。
縄張的には近世城郭のように計画的なプランで造られておらず、家臣たちの力が強かったために郭の寄せ集めのような全体最適がされていないプランになっている。戦国時代前期の縄張の面影が濃厚。

 

20150504
20190206
20190214C
20220522A


石倉城跡

 

20150504
20210320A
20211126A


前橋城跡

 
 
 
 
 

20150504


前橋八幡

 

20150504

 

24
上庄司原1号墳

横室古墳公園

20240129A

 

 

 

 

20
上庄司原2号墳(移築)

横室古墳公園

20240129A

 

 

16
上庄司原4号墳(移築)

横室古墳公園

20240129A

 


塩売原古戦場

横室古墳公園

20240129A

 

 

 

吉岡町

53
大藪城山古墳および桃井城址

 
 

6C後半(説)

20221120A

23.8
三津屋古墳

 
 
 

20221120A

15
南下C号墳

 
 
 
 

6C中葉~後半(説)

20221120A

13
南下D号墳

 
 

形状不明
7C前半(説)

20221120A

30
南下B号墳

 
 

7C中頃

20221120A

20~27
南下A号墳

 
 

7C末葉(説)

20221120A

or 17
南下E号墳

 
 

20221120A

21
南下F号墳

 
 
石室の天井石か

時期不明
石室部分は破壊されてしまった模様

20221120A


吉岡町文化財センター

 
 

20221120A

 

探訪懸案箇所

・水上石器時代住居跡 みなかみ町大穴 縄文後期
・矢瀬遺跡 みなかみ町月夜野2936(道の駅 矢瀬親水公園) 縄文後期~晩期
・みなかみ町月夜野郷土歴史資料館 みなかみ町月夜野1814-1 土日祝のみ開館 0278-62-3088
・茅野遺跡 榛東村長岡1192 縄文後期~晩期
・榛東村耳飾り館 榛東村大字山子田1912 月曜休館 0279-54-1133
・結城屋分店

 

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