最終更新日:2024年3月26日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
 ※小美玉市は現在の区分けでは県央に入りますが、歴史的には霞ヶ浦沿岸の文化圏ですので本ページに記載します。

 

目次

石岡市

潮来市

小美玉市

鹿嶋市

かすみがうら市

古河市

桜川市

筑西市

つくば市

土浦市

取手市

行方市

坂東市

美浦村

結城市

 

地図

 茨城県内の各自治体の位置はこちらでご確認ください。

 

 

石岡市


常陸風土記の丘

ひたちふどきのおか
石岡市染谷1646
0299-23-3888
公式サイト

有料エリアに遺物の展示室である展示研修施設や鹿の子遺跡を復元した鹿の子史跡公園などがある。

9時~16時(11月~2月)or17時(3月~10月)
月曜休館
一般310円

 

20220122P
20220204A

【蕎麦】お食事処曲屋

常陸風土記の丘の有料エリアにある。

 
 

 


宮平遺跡

みやだいらいせき
石岡市染谷

常陸風土記の丘は、縄文時代の宮平遺跡の上にあり、出土遺物は風土記の丘の展示研修施設に展示してある。土器を始めとして優品が多い。

 

20220122P
20220204A

 

55
丸山古墳(丸山1号墳)

まるやまこふん
丸山古墳群
石岡市柿岡4123

集成編年4期。

崇神天皇皇子・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の墓の伝承がある前方後方墳で4世紀後半の築造。昭和27年に後藤守一が発掘調査を行ない、後方部粘土床から銅鏡、
鉄剣、鉄槍、銅鏃、玉類などの豊富な副葬品が出土。遺骸頭部と推定される場所には水銀朱がまかれていた。

20170415
20240325A

 

 

 

 

 

 

46
長堀2号墳

ながぼり
長堀古墳群
石岡市柿岡4691

集成編年4期以前。昭和47年と平成22年に測量調査が行われたが、発掘調査はされていな
いようだ。

説明板には、佐自塚古墳より後出するとあるが、平面形を見ると前方部が短いため、むしろ丸山古墳よりも古い古墳に思える。ただし、説明板にあるように前方部の高さは前期にしては高めのため微妙。

20170415
20240325A

 

 

 

 

58
佐自塚古墳(佐久2号墳

さじづか
佐久古墳群
石岡市佐久170

集成編年3~4期。昭和38年に発掘調査が行われ、後円部の粘土槨+木棺と思われる主体部からは玉類などが見つかっている。三日月形や水滴形といった非常に珍しい透かし孔の円筒埴輪も見つかってい
る。

20170415
20240325A

 

 

 


佐自塚古墳の前方部側の小円墳

石岡市佐久

詳細不明。

20170415
20240325A

 

 


丸山5号墳

詳細不明。

20170415
20240325A

 

 


丸山6号墳

詳細不明。

20170415
20240325A

 

 

37
長堀6号墳

ながぼり
長堀古墳群
石岡市

前方後円墳DBによると墳丘長37m。時期不明。

20170415

 

 

舟塚山古墳群

 舟塚山古墳群は、霞ヶ浦の高浜入りに展開する41基からなる古墳群。5世紀前葉には墳丘長186mの舟塚山古墳(16号墳)が、6世紀初頭には墳丘長97mの府中愛宕山古墳(6号墳)が造られ、周囲には舟塚山古墳の陪塚のほか、後期・終末期の小円墳が築造され群集墳を形成している。

『石岡を掘る文化財調査報告会関連展示・発掘調査速報展』(石岡市教育委員会 文化振興課/編)より転載

186
舟塚山古墳(舟塚山16号墳)

舟塚山古墳群
石岡市北根本597

県道118号線沿いに駐車場があり安心して行ける。トイレもあるが故障中の場合もあるので当てにしないように。

東日本で2番目の規模を誇る前方後円墳。5世紀前葉の築造。主体部の発掘調査はされていないが、物理探査によって後円部墳頂に東西14m×南北6mの主体部の反応があり、木棺+粘土槨の可能性がある。前方部墳頂でも反応あり。

20170415
20190323
20220123P
20220205A
20220402A
20220405A
20240324A

 

 

 

 

10
舟塚山13号墳

舟塚山古墳群
石岡市

 

時期不明
10m(『石岡を掘る4』)

20220123P

11.5
舟塚山14号墳

舟塚山古墳群
石岡市

 

11.5m(『石岡を掘る4』)

20220123P

23.8
舟塚山17号墳

舟塚山古墳群
石岡市

短甲・直刀・盾などの副葬品が多数出土。

 

23.8m(『石岡を掘る4』)

20220123P

 

96.6
府中愛宕山古墳(舟塚山6号墳)

舟塚山古墳群
石岡市北根本694

県道118号線沿いに駐車場があり安心して行ける。トイレもあるが故障中の場合もあるので当てにしないように。

6世紀初め頃の築造。形象埴輪が出土したというが詳細不明。また、明治30年に坪井正五郎が発掘し、無文の壺7個を見つけたと言われている。

霞ヶ浦沿岸の人びとは古墳を船に見立てて、舟塚山古墳の入舟に対してこちらを出舟と呼んだ。

20190323
20220123P
20220205A
20220402A
20220405A
20240324A

 

 

 

 

 

35
二子塚古墳(丸山4号墳)

ふたごづかこふん
丸山古墳群
石岡市柿岡4118-2

丸山4号墳。主軸は筑波山を向いている。円筒埴輪列のほか、人物や馬などの形象埴輪が見つかっている。

横穴式石室墳としては、県内では初期のものと考えられている。横穴式石室の開口部は見えているが入室はできない。

20170415
20240325A

 

 

 

 


染谷古墳群

石岡市

常陸風土記の丘に隣接して存在する群集墳で、かなりの広範囲に古墳が散在

 
ふるさと歴史館の展示パネルを撮影

20220122P

 

舟塚山9号墳の箱式石棺

舟塚山古墳群
石岡市

ふるさと歴史館の横に設置してある。古墳自体は終末期の一辺約10mの方墳。

 
 

20170415
20220123P
20220204A
20220402A
20220405A


古墳跡?

佐自塚古墳の南側の田んぼの中にポツンと田んぼ化されなかった一画があり、横穴式石室の天井石のような巨石や裏込めに仕えそうな石がまとめておいてある。土器片も落ちているので古墳の残骸ではないだろうか。

20240325A

 

 


染谷佐志能神社

そめやさしのじんじゃ
石岡市


 
 

20170415

 


柿岡佐志能神社

かきおかさしのじんじゃ
石岡市


 

20170415
20240325A

 


鹿島神社(舟塚山古墳)

石岡市

舟塚山古墳の後円部に鎮座する。


 

20170415
20190323
20220123P
20220205A
20220402A
20220405A
20240324A


鹿島神社と佐久の大杉

さくのおおすぎ
石岡市

物凄い存在感を醸し出している

樹高28.6m
推定樹齢1300年

 
 

20170415

 


常陸國總社宮

石岡市

 

20170415


常陸国府跡

石岡市

石岡小学校の校庭がまさに国庁跡だが目で見られる遺構はなく、復元も全くない。学校敷地内にあるふるさと歴史館内に詳しいパネル展示がある。

 
 

20170415
20220123P
20220204A
20220402A
20220405A

 


常陸国分寺跡

石岡市

浄瑠璃山東方院国分寺の境内が古代国分寺の伽藍中心。現在薬師堂が建っている場所が金堂跡で、その北側には講堂跡、反対側の駐車場側には中門跡が残る。塔跡は住宅街の中に推定場所があるが、こちらの境内に塔心礎が安置されている。

 
 

20170415
20220123P
20220204A
20220402A
20220405A

 


常陸国分尼寺跡

ひたちこくぶんにじあと
石岡市

西に筑波山を望む心地良い空間に金堂、講堂、中門、南門の基壇が復元され、回廊も位置が分かるようになっており、北方建物跡は短い柱列によって表示されている。ただし、説明板は全体をまとめるものが一基のみで、各ポイントには設置されていない。桜が美しい時期に訪れるのがとくにお勧め。

 
 

20170415
20220123P
20220204A
20220402A
20220405A

 


瓦塚遺跡

かわらづかいせき
石岡市

 
 

20170415

 


鹿の子遺跡

かのこいせき
石岡市

律令時代に朝廷が東北へ進出する際にその武器などを生産した工房などが見つかっており、長屋形式の連坊式竪穴遺構は非常に珍しい。

現地には目で見られる復元などは何もないが、風土記の丘に建物の復元展示があり必見。


 
 

20220123P
20220204A

 


府中城跡

石岡市

常陸国府跡は戦国時代には大掾氏の府中城となり、大規模な土塁が残っている。

 
 

20170415
20220123P
20220204A
20220402A
20220405A


柿岡城跡

石岡市

 
 

20170415


片野城跡

石岡市

 
 

20170415


高友塁跡

石岡市

 

 

 

 

20170415
20240325A

 


千代田の一里塚

石岡市

 

20170415

 


石岡の一里塚

石岡市

多少削られてはいるは、両側の2基とも残っており貴重。

 
 

20220122P
20220402A

 


石岡市立ふるさと歴史館

石岡市総社1-2-10(石岡小学校敷地内)
0299-23-2398
公式サイト

石岡市内の郷土資料館的な位置づけの施設で、石岡市の歴史を知るためには必ず訪れるべき施設。係の方から地元の方ならではの話を聴くことができるため、時間に余裕をもって訪れよう。

10時~16時30分
月曜休館
無料

20170415
20220123P
20220402A
20220405A

 

 

【食事】オリーブの丘 石岡店

お手頃価格で美味しい洋食が食べたいときはお勧め。とくに平日ランチはお店の経営が心配になるほどの低価格。店内が広いため、グループでの遺跡めぐりでは重宝するだろう。

石岡市八軒台4-1
0299-57-3950

 

 

 

潮来市


71.5
子子前塚古墳(大生西部1号墳)

まごまいづかこふん
潮来市大生

110基以上の古墳からなる大生古墳群を構成する4つの支群の一つ・大生西部支群の盟主墳的古墳。「子子」と書いて「まご」と読ませる昔の人のセンスがいい。

 

10期とあるが、茨城県は中期とする

20220402A
20220405A

58.1
鹿見塚古墳(大生西部2号墳)

潮来市大生

 
 

58.1m(DB)

20220204A
20220402A
20220405A


63
天神塚古墳(大生西部4号墳)

潮来市大生

 

63m(DB)

20220204A
20220402A
20220405A



大生西部8号墳

潮来市大生

やや大型の円墳

 

20220402A
20220405A


大生神社

おおう/おうじんじゃ
潮来市大生

 
 

20220204A
20220405A

 

 

稲敷市

【食事】レストラン吉野

稲敷市内だが、美浦村の陸平貝塚からも近い。美味しい洋食がリーズナブルな価格で食べられて、お店の方も親切でお勧め。

 
 
 

 

 

小美玉市


南坪貝塚

みなみつぼかいづか
小美玉市与沢

 

縄文時代後期の大規模貝塚。現地には説明板も標柱もない。

20220123P


部室貝塚

へむろかいづか
小美玉市上玉里

 

縄文時代中期後葉~後期中葉の頃の貝塚。現地には説明板も標柱もない。

20220123P

72
玉里舟塚古墳

小美玉市

 
 

20220123P

70
雷電山古墳

小美玉市

 

70m(DB)
20220123P

89.5
権現山古墳

小美玉市

 
 

20220123P

83
滝台古墳

小美玉市

 
 

20220123P

53
桃山古墳

小美玉市

 
 

20220123P

50
妙見山古墳

小美玉市

 

墳頂に神社がある

20220123P

※大井戸古墳と間違って紹介していたのを訂正します


小美玉市玉里資料館

小美玉市高崎291-3(生涯学習センター コスモス内)
0299-26-9111
公式サイト

 

「生涯学習センター コスモス」内にあって、見学できるのにオープンしていないことがあるため、その場合はセンターの受付に行って開けてもらおう。

9時半~18時
月曜休館
入館無料

20220123P


小美玉市小川資料館

小美玉市小川1664-2
0299-58-5828
公式サイト

 

図書館の2階にあって、図書館の閉館時間まで見学できるためありがたい。

9時半~20時(祝日は17時)
月曜休館
入館無料

20220123P

  

 

鹿嶋市

107.5
夫婦塚古墳(宮中野73号墳)

めおとづかこふん
宮中野古墳群

 
 

20220405A


鹿島神宮

かしまじんぐう

 
 

20220204A
20220402A
20220405A

 

 

かすみがうら市

80.2
富士見塚1号墳

かすみがうら市

 
 

5C末~6C初頭(説)

20190323
20220204A
20220402A
20220405A

25
富士見塚2号墳

かすみがうら市

 
 

20190323
20220204A
20220402A
20220405A

18
富士見塚3号墳

かすみがうら市

 
 

20190323
20220204A
20220402A
20220405A


富士見塚古墳公園展示館

かすみがうら市柏崎1553-3
029-896-0174
公式サイト

富士見塚古墳群を始めとしてかすみがうら市内の古墳から出土した埴輪などを展示してあり、パネル展示も丁寧なため見ごたえがあって楽しい。鹿の埴輪がとくに可愛い。

9時~16時30分
月曜休館
無料

 

20190323
20220204A
20220402A
20220405A

60
太子古墳

たいしこふん
かすみがうら市

元々は墳丘長60mの前方後円墳だったが現在は石室周囲の墳丘が残るのみとなっており、横穴式石室が随時開口している。玄室奥壁には朱色の丸紋が描かれており、装飾古墳の一つとして数えられる。現在でも赤い模様のようなものは見えるが壁画かどうかは分からない。

 
 

20190323
20220405A

78
風返稲荷山古墳

かぜかえしいなりやまこふん
かすみがうら市

富士見塚古墳公園展示館でもパネルによる説明がある

 
 

20190323


松山瓦窯跡

まつやまかわらかまあと
かすみがうら市

 

20170415


志筑城跡

かすみがうら市

 
 

20170415


かすみがうら市歴史博物館

かすみがうら市坂1029-1
029-896-0017
公式サイト

新しい時代の霞ヶ浦の歴史がメインで、考古系はあまりない。写真撮影は館内すべてNGだったため何の展示があったのか記憶がほとんどない。

9時~16時半
月曜休館
一般220円(水族館も見学する場合は430円)

 

20190323

 

 

古河市

40
駒塚古墳

 

20230504A

許我の渡り

万葉集に現れる古代からの渡良瀬川の渡河地点

 

20230504A

川戸台遺跡

平安時代の製鉄遺跡。砂鉄はすぐ近くの渡良瀬川河床から採取。兵士が携行する鉄鍋などを製造していたが、時代的には元慶の乱の時期に重なるため、征討軍が使用した物資を製造していた可能性が高い

 

20230504A


古河公方館跡

 
 

20161231
20230504A


長谷観音

 
 

20161230
20170416
20230504A


松月院御所塚

 
 
 

20230504A


古河城 獅子ヶ崎の土塁

近世古河城のジオラマが古河市博物館にあるのでそれを見ると全体のイメージが掴めるだろう

 
 
 

20161230
20230504A


古河城 桜門跡

 
 

20161230


古河城 本丸跡

本丸周辺の中枢部は渡良瀬川の川岸にあって今はまったく形跡が残っていない

 
 

20170416
20230504A


頼政神社

 
 

20161230


古河市歴史博物館および古河城 諏訪曲輪跡

古代・中世の展示は僅かしかないが、近世・近代は充実している。古河の歴史を知る上では必ず訪れるべき施設だが、今時写真撮影NGなのが残念。

敷地内周辺は古河城の諏訪曲輪跡で土塁が残る。

 

20161230
20230504A


鷹見泉石記念館

 

20230504A

【食事】うどん茶屋 俵屋

古河市茶屋新田50-4
0280-48-6611

歯ごたえのある美味しいうどんが食べられるお店
唐揚げで白いご飯を食べたいときは唐揚げ定食がお勧め(味噌汁を小うどんにチェンジできる)

  

 

桜川市


爪黒神社

永享12年(1440)3月3日(4日説もある)、持氏の遺児春王丸と安王丸が持氏の遺臣たちとともに常陸国の木所城で挙兵し、安王丸が総大将に奉じられた。

木所城の場所は判明していないが、桜川市の橋本城(別名吉所城)ではないかと言われており、爪黒神社はその麓にある。

爪黒神社の祭神は磐長姫命。神社の由緒によると、地頭太田伊勢守貞経が応永年中(1394~1427)に橋本山に城郭を構え、応永32年(1425)にその鬼門に当る大手先に静岡県松崎町の雲見浅間神社の磐長姫命を奉遷し城の守護神とした。


 
 

20231119A

 

 


鴨大神御子神主玉神社

祭神は主玉神、太田々根子神、別雷神。

挙兵した安王丸らは、同月4日には木所城にほど近い当社で戦勝祈願を行った。

奉納した人物の名は「御代衆景助」で、景助という名前の武士が代理を務めたことが分かるが、「助」を通字に持つ簗田氏の人物であると考えられている。簗田氏は、のちに古河公方の有力家臣となる一族。


 
 
 

20231119A

 

 


長方南の鎌倉街道

地元で鎌倉街道と呼ばれている古道跡。中世古道の雰囲気が残っている。

結城合戦の前段、春王・安王らはここを通過して西へ向かったはず。

 

20231119A

 

 

【蕎麦】魚勝

桜川市西小塙845-2
070-4105-4564

名前の通り海鮮関係もあるようだが、安くて美味しい手打蕎麦が食べられる。ただし、ご主人一人でやっており提供まで時間が掛かるため気長に待とう。

 
鴨つゆせいろそばの特盛

 

 

筑西市


小栗城跡

桓武平氏の小栗氏は、12世紀からこの地で代を重ねたが、応永30年(1423)、14代満重のとき、鎌倉公方持氏と戦い没落。

永享12年(1440)の結城合戦の前段では、木所城に10日間滞在した春王丸・安王丸らは、周囲にその存在を知らしめながら、4月13日には小栗城へ移動した。

タイミング的に、小栗氏没落の後なので、小栗城は空き家状態だったのだろう。

結城合戦後、小栗助重が結城城攻めの勲功により小栗城を回復した。


 
 
 

20231119A

 


伊佐城跡

『吾妻鑑』によると、文治5年(1189)8月の奥州藤原氏討伐における阿津賀志山の戦いで、常陸入道念西は、子息である常陸冠者為宗・同次郎為重・同三郎資綱・同四郎為家らとともに活躍しており、伊達家では、この確実に実在人物であることがわかる念西の名を朝宗とし、高祖としている。

念西の本貫地は、伊佐郡だと思われ、念西は伊佐を名字としていた可能性がある。伊佐氏は、平安時代には常陸国の在庁官人を勤める家系であった。

南北朝時代、伊達行朝は南朝側として戦ったが、伊佐城は興国4年(1343)に落城した。

結城合戦の前段で、春王丸・安王丸らが小栗城の次に移った場所が伊佐と伝わるが、それが今の伊佐城跡であったかは分からない。

 

20231119A

 


勸音寺

施無畏山延命院と号する天台宗の寺。

寺伝によると、中国梁の時代の580年頃に渡来した法輪獨守居士(ほうりんどくしゅこじ)が、この地に観音菩薩像を祀ったのが始まり。

646年には、阿部倉梯麻呂の姫の熱病を平癒させた霊験により孝徳天皇から「延命」の称を賜った。

源頼朝の平泉征伐の際に、当地の豪族・中村常陸介が武運を祈願。南北朝の戦いが激しかった1336年には、南朝方の伊達行朝が武運を祈念して本堂、仁王門、経蔵、鐘楼、五層塔を新たに造営し、比叡山より実相坊心海(じっそうぼうしんかい)が招かれ、中興開山された。

江戸時代になっても伊達家から篤く信奉されている。

 
 

20231119A

 


下館藩主 石川総管の墓

観音寺境内にある。


 
 

20231119A


八幡神社(諏訪八幡宮)

伊達氏の祖・伊佐氏の創建といわれる八幡と諏訪の両神を祀る神社。


 
 

20231119A

 

 

つくば市

90
沼田八幡塚古墳


 
 

20231028A

沼田八幡古墳西側の古墳

詳細不明


 

20231028A


金田官衙遺跡(河内郡衙関連遺跡)


 

説明板なし

20231028A


小田城跡


 
 

20231028A


つくば市桜歴史民俗資料館


 
 

20231028A

 

 

土浦市


上高津貝塚

土浦市

 
 
 

20220122P
20231028A


土浦市立考古資料館

土浦市

 
 

20220122P
20231028A



東台13号墳の箱式石棺

土浦市考古資料館の駐車場の隅にひっそりと置かれており、生垣に囲まれているため気づきにくい

 
  

20220122P
20231028A

 

56.2
后塚古墳

きさきづかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町

形状は前方後円墳説があったが、最近の調査で前方後方墳であることが確定した。霞ヶ浦沿岸では、この規模の前方後方墳は本墳と小美玉市の勅使塚古墳(64m)しか見つかっておらず、これらが最大規模。

 

56.2m(『王塚古墳・后塚古墳』)
4C中葉

20220122P

 

83
王塚古墳

おうつかこふん
王塚古墳群
土浦市手野町

 

83m(『王塚古墳・后塚古墳』)
4C中葉

20220122P

 

90
常名天神山古墳

ひたなてんじんやまこふん
土浦市常名町字西根

 
 

20220122P

 

60
今泉愛宕山古墳

いまいずみあたごやまこふん
土浦市今泉町原田
愛宕山古墳群

 

60m(DB)

20220122P

 


土浦城跡

 
 

20231028

  

 

取手市

32
糠塚1号墳

20240319A

 

 

 

 


取手市埋蔵文化財センター

20240319A

 

 

 

 

 

行方市

85
三昧塚古墳

さんまいづかこふん
行方市沖洲467-1

石岡駅方面から国道355号線を走っていくと道路左手に大きな前方部が現れるので見逃すことは無い。駐車場あり。

5世紀後半の築造。発掘調査により、後円部の箱式石棺から金銅製馬形飾付冠・金銅製垂飾付耳飾・変形四神四獣鏡などが見つかった。墳丘には円筒埴輪がめぐっており、形象埴輪では人物・鹿・牛・犬などが見つかっている。

20220204A
20220402A
20220405A
20240324A

 

 

 

 

 

 

 

 

【食事】ばんどう太郎 玉造店

茨城県に多いファミレス系のお店だが、三昧塚古墳から車ならすぐの場所に玉造店がある。冬でなくても味噌煮込みうどんは最高。

行方市玉造1824-1
0299-55-3971

 
 

  

 

 

坂東市

島広山 石井営所跡

 
 

20230504A

石井の井戸

 
 

20230504A


國王神社

 

20230504A

 

 

美浦村


陸平貝塚

おかだいらかいづか
美浦村

 
 

20220122P
20231028A


美浦村文化財センター

おかだいらかいづか
美浦村

 
 

20231028A

 

 

結城市


結城城跡

永享12年(1440)4月21日、春王丸・安王丸らは結城氏朝に迎えられ結城城に入り、盟主の安王丸は、結城城から各地へ檄を飛ばした。世に言う、結城合戦の始まりである。

結城氏は、藤原秀郷の子孫・小山政光の三男・朝光に始まり、鎌倉時代は代々結城を本拠地とた。

結城氏は南北朝時代には南朝側として戦い、その頃に結城城を築城したが、築城当時は本拠地ではなく、純粋な軍事的拠点だったと考えられる。

朝光以来の本拠地は、結城城の南南西約4㎞の地点にある「城の内」と呼ばれる館跡の可能性が高い。

1360~70年頃になると、結城氏は結城城を本城としたことが、周辺の寺院の創建年代から推測できる。

平城で、現在は周囲との高低差があまりなく、防御力は高そうには思えないが、実際には要害堅固な城だった。

 
 
 

20230506
20231119A

 

 


聡敏神社

そうびんじんじゃ。

 
 

20230506
20231119A

 


結城蔵美館

ミニ郷土資料館的な展示で、結城市内の遺跡から出土した考古遺物も少し展示してあり、意外と良いものがあるので考古系が好きな人もぜひ訪れよう。

 
 
 

20231119A

 

 

探訪懸案遺跡

新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡
新治郡衙跡
広畑貝塚
鹿島神宮境内 附 郡家跡
結城廃寺跡 附 結城八幡瓦窯跡
長者山官衙遺跡及び常陸国海道跡
芦間山古墳
長辺寺山古墳
要害山1号墳
鹿嶋市どきどきセンター
桜川市歴史民俗資料館
つくば市出土文化財管理センター