最終更新日:2023年3月8日

 

 カブトやヨロイを表す漢字はいくつかありますが、古墳時代の場合はルールがあって、頭にかぶるカブトには、「冑」の字を使い、胴に着装するヨロイには、「甲」の字を使います。ちなみに、武器の「たち」に関しては、「大刀」と表します。「太刀」と表すと平安時代以降のいわゆる日本刀になってしまうので注意しましょう。

 甲(ヨロイ)に関しては、大きめの鉄板を繋げたいかにも動きづらそうな短甲(たんこう)と呼ばれるグループと、小札を繋げ合わせた柔軟な動きができそうな挂甲(けいこう)と呼ばれるグループがあります。

 また、冑(カブト)に関しては、野球帽のうような庇が付いていて天辺にフサフサを付けるお皿が載っている眉庇付冑(まびさしつきかぶと)と、正面が尖った機能的な感じがする衝角付冑(しょうかくつきかぶと)に大別できます。

 最低でも以上のことを覚えておけば、博物館の展示を見てちょっと得意げな気持ちになれるでしょう。

 甲冑の種類や造られた時代を知るには、近つ飛鳥博物館の図録に掲載されている下の図が分かりやすいです。

『4世紀のヤマト王権と対外交渉』(近つ飛鳥博物館/編)より転載

 以降では順番に実際の遺物を見て行きましょう。

 

小札革綴冑

 弥生時代の防御武装に関しては、木製の甲や盾が見つかっていますが、いまだ鉄製品は見つかっていません。木などの植物か動物の革で造った被り物もあったかもしれませんが、動植物製の場合は遺存はあまり期待できないでしょう。

 現在みつかっている鉄を素材とした最古の冑は、3世紀後半から使用された、小札革綴冑(こざねかわとじかぶと)です。文字通り、小札(小さな鉄片)を革紐で綴じて造ったヘルメットで、椿井大塚山古墳や黒塚古墳、西求女塚古墳、雪野山古墳など、全国で10例ほど見つかっています。

 例えば椿井大塚山古墳から出たものは接合して元の状態にかなり近くまで復元されています。手元には自分で撮った写真が無いため、書籍から転載します。

『黒塚古墳のすべて』(橿原考古学研究所附属博物館/編)より転載

 椿井大塚山古墳や黒塚古墳は三角縁神獣鏡が大量に出た古墳として名高いですが、このような貴重な遺物も出ることから、普通ではない特異な古墳であったことが分かります。

京都府木津川市・椿井大塚山古墳

 では、同じ時期の3世紀後半の甲が気になると思いますが、小札革綴冑が出土した古墳からは、例外はあるものの基本的には、鉄製の甲は共伴せず、3世紀後半の時点では、いまだ弥生時代以来の甲(実態不明)を使用するのがポピュラーだったと考えられています。

 鉄の武装もない状態で朝鮮半島の国ぐにと戦争でもしたらまったく歯が立たなかったと思われますが、古墳時代前期は、日本が外国と戦争をした形跡はありません。

 なお、この当時の日本には小札革綴冑を作る技術はなかったと考えられており、また見つかったものの作風も系統だっていないため、ヤマト王権が一括入して各地の勢力に配布した訳ではなく、各地の勢力がそれぞれ独自に大陸製のものを入手したと考えられています。

 

竪矧板革綴短甲

 弥生時代からの伝統を打ち破り、4世紀半ばになると鉄製の甲が古墳から見つかるようになります。その第1号モデルが、竪矧板革綴短甲(たてはぎいたかわとじたんこう)です。文字通り、縦に細長い鉄板を革紐で綴じ合わせて造られています。

 ようやく鉄製の甲が登場したと言っても、全国で3例しかありません。その中で、状態が良いことで有名なのは、山梨県甲府市の大丸山古墳から出土したもので、地元の山梨県立考古博物館にはレプリカが展示してあり、上野の東京国立博物館の平成館には本物が展示してあります。

山梨県甲府市・大丸山古墳出土の竪矧板革綴短甲(東京国立博物館平成館にて撮影)

 大丸山古墳は4世紀後半に築造された墳丘長100mの前方後円墳で、山梨県立考古博物館のエントランスに向かう時、その後ろの山の頂上にある古墳です。考古博物館には10回くらい行っていますが、いまだ大丸山古墳には登ったことが無く、ずっと気になっている古墳です。ただ、整備はされておらず、国史跡ではあってもまだ私有地ですので、無断立入は止めておいた方がいいでしょう。

 他には、大阪府茨木市の紫金山古墳からも出ています。

 

長方板革綴短甲

 鉄板を革紐で綴じて造る甲は、4世紀後半以降も造られます。この時期のものは、鉄板の形が長方形のもの(長方板革綴短甲)と三角形のもの(三角板革綴短甲)があります。

大阪府高槻市・岡本山A3号墳出土の長方板革綴短甲(今城塚古代歴史館にて撮影)

 岡本山A3号墳は、5世紀前半に築造された前方後円墳です。

 

三角板革綴短甲

 一方、こちらは三角板革綴短甲です。鉄板に三角形のものが含まれているのが分かりますね。

群馬県高崎市・長瀞西古墳出土の三角板革綴短甲(東京国立博物館平成館にて撮影)

 埴輪には、様々なものを象ったものがありますが、群馬県藤岡市の白石稲荷山古墳からは三角板革綴短甲のリアルな埴輪が見つかっています。

群馬県藤岡市・白石稲荷山古墳出土の短甲埴輪(東京国立博物館平成館にて撮影)

 この埴輪は、胴を守る部分だけでなく、草摺まで表現されているのがいいですね。

 白石稲荷山古墳は、5世紀前半に築造された墳丘長155mの前方後円墳で、関東地方を代表する美しい古墳の一つです。

群馬県藤岡市・白石稲荷山古墳

 三角板革綴短甲には、襟が付いたものもあり、百舌鳥古墳群の大塚山古墳から出土しています。

大阪府堺市・大塚山古墳出土の三角板革綴短甲と三角板革綴衝角付冑(堺市立博物館にて撮影)

 ご覧の通り、展示では三角板革綴衝角付冑とセットになっています。三角板革綴衝角付冑は別の個体も展示してあるので、それを横から見てみましょう。

大阪府堺市・大塚山古墳出土の三角板革綴衝角付冑(堺市立博物館にて撮影)

 甲冑の各部名称はこちら。

堺市立博物館にて撮影

 なお、大塚山古墳は5世紀前半に築造された168mの前方後円墳でしたが、完全に隠滅しています。

大塚山古墳跡

 

横矧板鋲留短甲

 5世紀に入ると、短甲では鉄板を革紐ではなく、鋲で留めるものが現れます。

広島県三次市・三玉大塚古墳出土の横矧板鋲留短甲(東京国立博物館平成館にて撮影)

 上掲した革紐綴の短甲と比較してみてください。違いが分かりますね。

 鋲で留める短甲には、三角板鋲留短甲と横矧板鋲留短甲があります。5世紀前半の内には列島各地に普及しますが、各地の勢力が独自に造ったものではなく、ヤマト王権が製造し、各地に配布したと考えられています。

 衝角付冑とセットで、トーハクにも展示してあります。

熊本県和水町・江田船山古墳出土(東京国立博物館平成館にて撮影)

 これは襟の部分のパーツもあります。

 江田船山古墳は5世紀末に築造された墳丘長62mの前方後円墳で、有名な国宝・銀象嵌銘大刀が出土した古墳です。

江田船山古墳

 平成館には江田船山コーナーがありますよ。

 福岡県うきは市・塚堂古墳では、上掲した短甲埴輪のように草摺とともに見つかりました。

福岡県うきは市・塚堂古墳出土の横矧板鋲留短甲(東京国立博物館平成館にて撮影)

 このような状態の良い草摺は珍しいです。

 先ほど紹介した衝角付冑と別のタイプに眉庇付冑があります。小札鋲留眉庇付冑と三角板鋲留短甲がセットになったイメージとしては、古市古墳群の野中古墳から出土したものの複製がアイセルシュラホールに展示してあります。

野中古墳出土の複製(アイセルシュラホールにて撮影)

 野中古墳は5世紀前半に築造された一辺37mの方墳ですが、下の写真の通り11組の甲冑のほか大量の遺物が出た古墳として有名です。

アイセルシュラホールにて撮影

 古市古墳群では少数派の登れる古墳です。

野中古墳

 同様に、眉庇付冑と短甲の組み合わせとしては、仁徳天皇陵の前方部から出土したものが、珍しく金メッキされていたことで著名です。堺市立博物館には、みつかった遺物の絵図をもとに再現したものが展示してあります。

堺市立博物館にて撮影

 さすが天皇陵は違いますね。でもこれは前方部からの出土ですから、つまり本来の古墳の主が持っていたものではありません。

堺市立博物館にて撮影

 世界最大の墓に葬られた初葬者の副葬品はいったいどのようなものだったのか、想像もつきませんね。

大山古墳(仁徳天皇陵)

 

挂甲

 鋲留短甲が普及し始めた頃からは、新型の甲も出始めていました。それが挂甲です。挂甲は短甲に比べて身体をねじりやすく、馬上での動作が改善されました。朝鮮半島では、以前から普及していたのですが、ようやく日本でも普及し始め、このタイプが古墳時代が終わるまで主流となります。

 こちらは、継体天皇の真陵とされる今城塚古墳から出土した甲冑をもとに復元したもので、継体天皇もときにはこんな格好をすることがあったかもしれません。

今城塚古代歴史館にて撮影

 形状を見ると、その後の武士が身に着ける甲にかなり近くなってきた印象があります。

 私も着装したことがあるのですが、動きやすいですよ。

岐阜県各務原市歴史民俗資料館にて学芸員さんが手作りしたものを着装

 いや、実際は着装しようとしたらサイズが小さくて前の紐が結べなかった・・・

 こんな珍妙な写真よりも遥かにカッコいいのはこちらです。

愛知県名古屋市守山区・しだみ古墳群ミュージアムにて撮影

 6世紀くらいにはこのようなイメージの武装になっていたと思いますが、既述した通り、後の世の武士のような雰囲気で、中世前期の大鎧のような大袈裟なものよりかはより実戦的な機能美を感じます。

 挂甲は小さなパーツでできているため、出土するときはこのような状態になっています。

岡山県真備町・天狗山古墳出土の籠手と挂甲(東京国立博物館平成館にて撮影)

 これはトーハクに展示されるくらいですから、まだ状態が良い方です。

 挂甲を着た武人埴輪も各地で見られますね。

栃木県真岡市・鶏塚古墳出土の武人埴輪(東京国立博物館平成館にて撮影)

 挂甲というよりかは、ワンピースを着ているように見えますが、キャプションにはちゃんと「挂甲の武人」とあります。 

 

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