最終更新日:2024年5月5日

 ※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
 ※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

 

目次

出雲市

雲南市

松江市

安来市

 

 

出雲市


猪目洞窟遺物包含層

いのめどうくついぶつほうがんそう

出雲市猪目町1338

🅿なし
🚻なし

『出雲國風土記』記載の「黄泉の穴」比定地。夢でこの洞窟を見ると死ぬと言われている。

縄文時代から古墳時代にかけての洞窟遺跡で、洞窟は、幅、奥行きともに30mほどある。

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青木遺跡

あおきいせき

出雲市東林木町

🅿なし
🚻なし

弥生時代から近世初頭にかけての複合遺跡。

青木4号墓は、弥生時代中期後葉に築造されたよすみで、島根県では最古。ただし同じ頃、広島県三次市では9基ほどのよすみがみつかっている。

弥生時代の土壙墓などから11体分の人骨が出土したが、その1体の頭部付近から近畿式銅鐸の破片が見つかった。銅鐸片を副葬品とした一例である。

20240422A

 

 

 

滅亡状態

 

井戸の表示

 

 

奈良・平安時代の掘立柱建物跡の表示

 

 


荒神谷遺跡

こうじんだにいせき

出雲市斐川町神庭

🅿荒神谷博物館にあり
🚻荒神谷博物館にあり

1984年に358本の銅剣が発見され、その直後にはさらに銅鐸6個と銅矛16本が見つかり、古代出雲の奥ゆかしさが神話だけでなく考古遺物によって具体的に証明された記念すべき遺跡。

銅剣・銅鐸・銅矛の三種の青銅器が同じ場所から見つかった遺跡は荒神谷だけだ。

発掘現場は対岸や側面のデッキから見学できるようになっている。

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
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リニューアル後(2024年4月20日)に撮影

 

 

 

 

 

出土した銅剣と銅矛(古代出雲歴史博物館にて撮影。なおこの日はすべて実物だった)

 


荒神谷博物館

出雲市斐川町神庭873-8
0853-72-9044
公式HP

火曜日休館
9時~17時

🅿あり
🚻あり

荒神谷遺跡について詳しく紹介した博物館。青銅器全般についての詳しいパネル展示があり、遺跡発見のきっかけとなった須恵器片も展示してある。

荒神谷での青銅器埋納状況の模型があり、間近で詳細に確認することができる。銅剣の向きは最初同じ方向を向いていたが、そのうち互い違いに納めて収納スペースを節約した様子も分かる。

また、荒神谷遺跡が発見された経緯や、最初の発掘の時のフィーバーぶりなどを紹介したビデオを見ることができて必見。

展示してある青銅器はレプリカ。実物は出雲大社の隣にある古代出雲歴史博物館にあるため、そちらもあわせて見学するとよい。

書籍を始めとしてグッズも販売する小さなミュージアムショップもある。

 

 

 


西谷1号墓

2020年11月14日撮影
2020年11月14日撮影

20181027C
20191026C
20201114C
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50
西谷2号墓

西谷墳墓群のよすみのなかで、現在「西谷墳墓群史跡公園 出雲弥生の森」で見られるものには、1号墓、2号墓、3号墓、4号墓、6号墓があり、近くの三谷神社の境内で9号墓を見ることができる。

各よすみの築造順を『西谷3号墓発掘調査報告書 本文編』(島根大学考古学研究室・出雲弥生の森博物館/編・2015)を参照して述べると以下の通りとなる。

弥生後期後葉(草田3期)の間に、3号墓第 4 主体、続いて3号墓 第1主体、そして、2号墓(第2主体)の埋葬が行われた。

1号墓の築造は3号・2号と同じころ(草田3期)。

4号は2号よりも新しく草田4期、6号墓はさらに新しく草田5期。

9号墓は複合口縁壺が出土しておらず時期決定は難しいが、草田4~5期と推定。

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

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20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
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50
西谷3号墓

西谷墳墓群形成の端緒となったよすみ。

弥生後期後葉(草田3期)に、第 4 主体部が初葬となり、つぎに第1主体部に埋葬が行われた。

3号墓の被葬者は、吉備の楯築墳丘墓の被葬者と同じ時代に生きた。

 
 
 
 
 
2022年5月28日撮影

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
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西谷番外3号墓

 
 

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20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
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40
西谷4号墓

 
 

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
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西谷5号墓

 
 

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
20240420A


西谷6号墓

 
 

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西谷17号墓

 
 

20181003
20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
20240420A

西谷横穴墓群 第2支群

 
 

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20181027C
20191026C
20201114C
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西谷横穴墓群 第3支群

 
 

20201114C
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西谷9号墓

三谷神社の駐車場を利用可能

西谷墳墓群のよすみの中で最大規模を誇り、現状は三谷神社の社殿が載っている。4つの突出部のなかで、社殿奥左側の突出部のみ藪の中にその姿を見ることができる。

築造時期を決定する遺物の出土はないが、西谷墳丘墓の首長墓の中では最後の築造と推定され、その時期は2世紀末だと考えられる。

境内にはとても詳しい説明板が設置してあり歴史への熱い思いを感じる。

 
 
 
 
 
 
 

20220528A
20240420A

94
今市大念寺古墳

 
 
 
 
 
 

20191026C
20201114C
20220528A
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46
上塩冶築山古墳

駐車場あり

 
 
 
 
 
 
 
 
 

20220528A
20240421A

築山古墳群

駐車場あり

7基の円墳が見つかったが現在はすべて隠滅

 
 

20220528A
20240421A

上島古墳

駐車スペースあり

 
 
 
 
 

20240422A

国富中村古墳

駐車スペースあり

 
 
 

20240422A


宝塚古墳

たからづかこふん

🅿あり
🚻なし

規模・形状不明。葺石はない。円筒埴輪あり。

玄室長は3.6mで、横口式家形石棺が安置されている。

20240421

 

 

 

49
妙蓮寺山古墳

みょうれんじやまこふん

🅿妙蓮寺にあり
🚻なし

6世紀後半の築造。円筒埴輪を検出。玄室には家形石棺が安置されている。築造時期は、出土遺物から今市大念寺古墳と同じ頃と推定。

玄門の閉塞は板石を観音扉状に起き、円柱状の石で閉塞するという極めて珍しい形態。

なお、古墳は妙蓮寺の墓地を抜けた場所にあってちょっと分かりづらい。墓地の上の山ではないので注意。

20240422

 

 

 

 

 

 


放れ山古墳

はなれやまこふん

🅿なし
🚻なし

埴輪・葺石なし。石室全長約5.3m。単室構造。玄室に石棺はなく、石床が設けられている。

20240422

 

 

 


大梶古墳

おおかじこふん

🅿あり
🚻なし

墳形不明。石棺式石室の下部らしきものが展示してある。

20240422

 

 

 


塚山古墳

つかやまこふん

🅿なし
🚻なし

20240422

 

 

 


小坂古墳

こさかこふん

🅿なし
🚻なし

切石積みの石室は全長5.4m。長さ2.2mの玄室内に石櫃が安置されている。生の石櫃が見られる古墳は珍しい。

石櫃があるということは火葬が行われていたということだが、通常石櫃を置く7世紀後半には、昔ながらの横穴式石室は作らず、石槨のようなものを作るがここはちゃんと石室を造っている。

蕨手刀(奈良・平安時代)が見つかっているというのも興味深い。

いろいろ不思議な古墳。

20240424A

 

 

 

 


女夫岩遺跡

めおといわいせき

🅿なし
🚻なし

山の中に巨石が佇立している。古代祭祀場で、今でも信仰の対象。地元では『出雲国風土記』記載の「猪石(ししいし)」はこれではないかと言われている。

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出雲大社

いずもたいしゃ

大社町杵築東195
0853-53-3100
公式HP

🅿あり
🚻あり

言わずと知れた我が国で最も著名な神社の一つ。

祭神の大国主は、様々な別名を持っていて複雑極まりない。国主(くにぬし)というのは古墳時代の列島各地にいた王の尊称。つまり、大国主は王のなかの王なのである。

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20201114C
20220528A
20240421A

 

 

柱列跡の表示

 

画像は加工しています

 


稲佐の浜

いなさのはま

🅿あり
🚻あり

神在祭(かみありさい)の初日の夜、列島各地から集まった神々は、稲佐の浜に上陸する(神
迎祭<かみむかえさい>)。

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20240422A

 

 

 


屏風岩

びょうぶいわ

🅿なし
🚻なし

大国主が高天原から派遣されてきたタケミカヅチを迎えて交渉に及んだ場所。

交渉の結果、大国主は天孫族に国を譲り政治の舞台から降りることになった。

20240422A

 

 

 

 

 


伊那西波岐神社

いなせはぎじんじゃ

出雲市大社町鷺浦102

🅿あり
🚻あり

出雲大社摂社。『出雲国風土記』記載。延喜式内社。祭神の稲背脛命(いなせはぎのみこと)は、天
穂日命(あめのほひのみこと)の御子神。

国譲りの交渉時、大国主は美保関で猟漁中の事代主に稲背脛命を遣わせて呼び戻した。

20240422A

 

 

 

 

 


日御碕神社

ひのみさきじんじゃ

出雲市大社町日御碕455

🅿あり
🚻あり

『出雲国風土記』に「美佐伎社」として現れる神社。日御碕神社は、下の本社・日沉宮(ひしずみのみや)と上の本社・神の宮(かむのみや)との総称。

日沉宮の祭神はアマテラス、神の宮の祭神はスサノオ 。

江戸初期に建てられた社殿群は、境内に14棟と2基の鳥居からなり、それらは国の重要文化財に指定されている。両宮の建物は似た造りだが、日沉宮の方が一回り大きく造られている。

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下の本社・日沉宮

 

下の本社・日沉宮

 

上の本社・神の宮を見上げる

 

上の本社・神の宮

 

上の本社・神の宮

 

上の本社・神の宮から境内を見下ろす

 

 


隠丘神社

かくれだけじんじゃ

出雲市大社町日御碕

🅿あり(日御碕灯台駐車場を利用)
🚻あり(日御碕灯台駐車場トイレを利用)

日御碕神社の神の宮の元宮とされている。出雲の国を造ったスサノオが、根の国(黄泉国)で「吾
が神魂はこの柏葉の止まる所に住まん」と柏の葉を投げて占ったところ、柏葉は隠丘神社背後の隠ヶ丘に舞い落ちた。その後、スサノオ五世の孫である天葺根命(あめのふきねのみこと)がスサノオを奉斎。

20240422A

 

 

 


長浜神社

ながはまじんじゃ

🅿あり
🚻未確認

20240422A

 

 

 


韓竈神社

からかまじんじゃ

出雲市唐川町字後野408

🅿あり
🚻あり

延喜式内社。『出雲国風土記』記載の「韓銍社(からかまのやしろ)」に比定。「カマ」は、溶鉱炉を意味するとの説がある。

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岩船

いわふね

スサノオが新羅から渡ってきた際の乗船といわれている大岩。

韓竈神社の登り口の鳥居の先にある。

20240422A

 

 


鰐淵コミュニティセンター

韓竈神社の御朱印はこちらでいただける。

20240422A

 


宇美神社

うみじんじゃ

出雲市平田町宮ノ町688-1

祭神は事解男命(ことさかおのみこと)で、縁切の神社として信仰されているが、同時に縁結びのご利益もあるという。

20240422A

 

 


阿須伎神社

あすきじんじゃ

出雲市大社町遙堪

『出雲国風土記』に記載されている神社。主祭神は、阿遅須伎高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)。

20240422A

 

 


三谷神社

さんたにじんじゃ

西谷9号墓の墳丘上に社殿がある。

20220528A
20240420A

 

 


比布智神社

20240420

 

 


妙蓮寺

みょうれんじ

境内墓地の先に妙蓮寺山古墳がある。

20240421

 

 


旧大社駅

 
 

20191026C


出雲弥生の森博物館

大津町2760
0853-25-1841
公式HP

 
2022年5月28日撮影
 

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20181027C
20191026C
20201114C
20220528A
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島根県立 古代出雲歴史博物館

大社町杵築東99-4
0853-53-8600
公式HP

9時~18時
第3火曜日休館
一般620円
大学生410円

古代出雲について紹介した博物館で、古代出雲大社の社殿の想定復元モデルの展示があり、出雲国風土記に関する展示解説も豊富。

国宝である荒神谷遺跡の銅剣と加茂岩倉遺跡の銅鐸の実物が展示してあり、358本の銅剣に関しては、すべて金ぴかの復元品も一緒に並べてあり圧巻。

ミュージアムショップは書籍類も充実しており、過去の展示図録も販売されているため、予算をふんだんに準備して臨もう。

ちゃんと見たければ最低でも2時間は必要。

 
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

20181003
20191026C
20201114C
20220528A
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雲南市


加茂岩倉遺跡

かもいわくらいせき

🅿ガイダンスにあり(麓にもあるが登ってくるのがちょっと大変)
🚻ガイダンスにあり

荒神谷遺跡での世紀の大発見から12年後の1996年、今度はこの地で道路建設中に銅鐸39個が見つかり、出雲の古代史への注目がさらに高まった。

現地では遺跡発見当時の状況をレプリカを使って再現している。

加茂岩倉遺跡ガイダンスの横の駐車場の利用をお勧めするが、大型バスの場合は、そこへ行くのにテクニックが必要でドライバーによっては嫌がるため麓の駐車場に停めてもらうのが無難。

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20181027C
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20201114C
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20240420A

埋納抗のうち辛うじて破壊を免れた部分

 

 

第一発見者によって一か所にまとめておかれていた時の状況

 

 

隣では何も納められていない土坑も見つかっている

 

 

 


加茂岩倉遺跡ガイダンス

かもいわくらいせき

加茂町岩倉837-24
0854-49-7885

🅿あり(麓にもあるが登ってくるのがちょっと大変)
🚻あり

展示してある銅鐸の実物は出雲歴史博物館で展示してあり、こちらはレプリカであるが、落ち着いて観察するにはむしろこちらの方がいいだろう。もちろん、出雲歴史博物館も併せて見学して欲しい。

遺跡発見当時のビデオが数種あり、その中の一編では在りし日の佐原真氏が銅鐸について議論を交わしており興味深い。

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20181027C
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20201114C
20220528A
20240420A

 

2022年5月28日AICT探訪時

 

50
松本1号墳

麓に駐車場があり、そこから2~3分ほど山を登ると2号墳の前面に到達するが、乗用車であれば3号墳近くまで車で登ることができる

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

3期

20181003
20220528A

15
松本2号墳

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

20181003
20220528A

52
松本3号墳

2018年10月3日撮影
2022年5月28日撮影
2022年5月28日撮影

1~2期

20181003
20220528A

7
松本4号墳

 

20220528A

29×25
神原神社古墳の竪穴式石室(移築)

かんばらじんじゃこふん

🅿神社の駐車場以外にも赤川土手上の道のわきに若干のスペースあり
🚻なし

神原神社の境内にある。赤川の改修によって現在地に移築。

景初三年(239年)銘の三角縁神獣鏡が出土した方墳で、邪馬台国の問題と絡めて考えると非常に興味深い

20181003
20220528A
20240420A

 

 

神原神社古墳出土三角縁神獣鏡(古代出雲歴史博物館にて撮影)

 


神原神社

延喜式内社。赤川の改修によって現在に遷移。

20181003
20220528A
20240420A

 

 

松江市

24
岡田山1号墳

2019年10月27日撮影
2020年11月15日撮影
2018年10月4日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

10期

20181004
20181028C
20191027C
20201115C
20220529A
20240421A

44
岡田山2号墳

2019年10月27日撮影
2019年10月27日撮影
2022年5月29日撮影

前期末~中期頃(説)

20181004
20181028C
20191027C
20201115C
20220529A
20240421A

42
大庭鶏塚古墳

おおばにわとりづかこふん
山代・大庭古墳群

西側の南側の2辺に造出を備える珍しい後期方墳

 
 

20220529A
20240421A

94
山代二子塚古墳

山代・大庭古墳群

2018年10月4日撮影
2019年10月27日撮影
2020年11月15日撮影
2018年10月4日撮影
2018年10月4日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

20181004
20181028C
20191027C
20201115C
20220529A
20240421A

43×45
山代方墳

山代・大庭古墳群

 
 
 
 

20220529A


山代原古墳

山代・大庭古墳群

以前は永久宅後古墳と呼ばれていた

 

20220529A


ガイダンス山代の郷

松江市山代町470-1
公式HP

山代二子塚古墳の北側にも駐車場があるが、こちらに停めて周辺の遺跡を散策するのが良い

2019年10月27日撮影
2019年10月27日撮影
2019年10月27日撮影
2022年5月29日撮影

20191027C
20201115C
20220529A
20240421A


出雲国府跡

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

20181003
20220529A


出雲国府総社

2018年10月3日撮影
2018年10月3日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

20181003
20220529A


出雲国分寺跡

2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

20181003
20220529A


古道

出雲国分寺の南門から南に延びる幅6mの石敷道で、出雲国分寺跡とともに国指定史跡になっている

 

20181003
20220529A


出雲国分尼寺跡

 

20220529A


出雲国山代継遺跡群 正倉跡

 
 

20181003


出雲風土記の丘 展示学習館

松江市大庭町456
0852-23-2485
公式HP

2019年10月17日撮影
2018年10月4日撮影
2019年10月17日撮影
2019年10月17日撮影
2022年5月29日撮影
2022年5月29日撮影

20181003
20181028C
20191027C
20201115C
20220529A
20240421A

東光台古墳箱式石棺(移築)

出雲風土記の丘の公園内に展示

 
 

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20191027C
20201115C
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来美廃寺礎石(移築)

出雲風土記の丘 展示学習館の隣に展示

 
 

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20181028C
20191027C
20201115C
20220529A
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安来市

50
造山2号墳

造山古墳群
(史跡名称は荒島古墳群)

「古代出雲王陵の丘」という総称で、複数の地区のよすみや古墳が整備されているが、全体像がつかみづらい。

その理由の一つとして、通称や公園名で呼んでいる名前と国史跡としての名前が違うところがあげられる。

また、考古学的な縛りのために弥生墳墓は、「〇号墓」、古墳は、「〇号墳」というように呼び名を分けているため、初心者には意味が分かりづらい。いっそのこともう全部古墳と呼んだらいいのではないかと思う時もあるが、学問的には弥生時代と古墳時代は明確に分けるべきなので仕方がないだろう。

「古代出雲王陵の丘」の全体像を掴むにはまずは造山公園を訪れることをお勧めする。

造山公園のある場所は造山古墳群と呼ばれているが、現状では前方後方墳の2号墳と方墳の3号墳、4号墳のみ見学できる状態になっている。ただし、2号墳から3号墳へ行くには降り道を3~4分くらい歩く必要があるため、戻ってくるときは当然登り道になる。

60mの方墳である1号墳は見学できず残念。

説明板は多数設定されているが、かなり劣化が進んでおり読めないものもある。

最高所にある2号墳からの眺望は素晴らしいので、麓の駐車場から頑張って登ろう。

眼下には山陰本線が通っており、どうやら鉄道の撮影にも適しているようだ。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

9期
20220529A

40×30m
造山3号墳

造山古墳群

 
 
 

20220529A

13
造山4号墳

造山古墳群

 

20220529A

25×20
塩津山1号墳

塩津山墳墓群
(史跡名称は荒島古墳群)

よすみ築造の時代が終了し、いよいよ古墳時代に突入という時期に造られた方墳であるが、葺石ではなく貼石を備え、まだよすみの影響が残っている面白い方墳。

なお、貼石はその名の通り表面にペタペタと石を貼っていくイメージで重ねは1枚のみ。一方葺石は、古墳時代の用語として定着しているため、表面に石を1枚貼るだけでもそう呼ばれるが、中には数段の石積みのようになっているものもあり、奈良の中山大塚古墳では90㎝の厚さの葺石が確認されている。

紛らわしいが、近くには塩津1号墓という県史跡のよすみがあり、安来地方では最大の40mの規模を誇る。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

20220529A

8
塩津山2号墳

塩津山墳墓群

 
 

8m(説)
20220529A

塩津山4号墳

塩津山墳墓群

 

前期
20220529A


宮山Ⅳ号墓(宮山4号墳)

宮山墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

弥生時代に築造された「よすみ」の宮山Ⅳ号墓の上に、4号墳が築造されおり、復元は宮山Ⅳ号墓の状態が分かるようになされている。

丘ごと完全消滅した1号墳は57mの前方後方墳で、この地域では大型の部類に入るため消滅が惜しまれる。

 
 
 
 
 

20220529A


竪穴住居跡

 

20220529A

宮山2号墳

宮山墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

 

20220529A

23.7
宮山3号墳

宮山古墳群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

 

23.7m(DB)
8期
20220529A

27×22.5m
仲仙寺9号墓

仲仙寺墳墓群
(史跡名称は仲仙寺古墳群)

仲仙寺の丘の上には、8基の方墳と4基の円墳、それに3基のよすみが確認されている。

9号墓の築造時期は、現地説明板では3世紀と書かれているが、2世紀に上がると考えられる。

 
 
 
 

20220529A

 

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