最終更新日:2024年6月6日
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。
目次
大田原市
48.5
上侍塚北古墳
かみさむらいづかきたこふん
大田原市湯津上
🅿なし
🚻なし
吉田温泉神社古墳と同じ頃に築造された墳丘長48mの前方後方墳。
その名の通り、上侍塚古墳の北側に築造されており、両者とも南向きで、後から造られた上侍塚古墳は、まるで上侍塚北古墳を意識して造っているように見える。詳しい調査がされておらず、実態がよく分かっていない古墳。
説明板なし。
20170520
20190526C
20211016C
20240601A
114
上侍塚古墳
かみさむらいづかこふん
大田原市湯津上
🅿なし
🚻なし
墳丘長114mを誇る大型前方後方墳。下侍塚古墳と合わせて、侍塚古墳という名称で国の史跡に指定されている。
那須地域では6基の前方後方墳が知られているが、その中でもっとも大きく、前方後方墳としては栃木県で2番目、全国では7番目の大きさ。
全国前方後方墳大きさランキング
元禄5年(1692)、下侍塚古墳とともに水戸光圀の命で発掘調査がされた。
なお、2024年6月1日に訪れた際、発掘調査が進行中だったが、元禄の際に埋めたとされる遺物の入った木箱は見つかっていない。ただし、新たに見つかった土器によって編年観が以前よりも明確になってきた。研究者によっては、上侍塚と下侍塚の築造順に関する考え方が異なるのだが、上侍塚古墳の方が早いことがほぼ明確になった。正確なところは、報告書の完成を待ちたい。
20170520
20190526C
20211016C
20240601A
84
下侍塚古墳
しもさむらいづかこふん
大田原市湯津上
🅿なし(湯津上資料館の駐車場を利用するとよい)
🚻なし
墳丘長84mの前方後方墳で、前方後方墳としては全国で20番目の大きさ。上侍塚古墳と合わせて、侍塚古墳という名称で国の史跡に指定されている。
全国前方後方墳大きさランキング
昭和50年の発掘調査により葺石や土師器壺などが見つかっているが、有名な割には詳しいことは分かっていない。故森浩一氏は著書の中で「日本で一番美しい古墳」と紹介している。
元禄5年(1692)に水戸光圀の命で発掘調査された古墳として著名で、その調査は我が国の近代的な発掘の先駆けとなった。
元々那珂川の左岸は水戸藩の領地だったが、右岸にある那須国造碑の存在を知った徳川光圀が、那須国造の墓が近辺にあるはずだ!と考え、下侍塚古墳と上侍塚古墳の発掘を命じたのだ。その際、この地域を水戸藩に組み込んだ。
歴史好きの光圀のことなので、おそらく、光圀自ら掘ってみたかったと想像するが、光圀にはそんな時間が無かったため、現地の大金重貞らと連絡を取りながら発掘作業を行った。その連絡役となったのは、ドラマ水戸黄門の助さんのモデルになった佐々宗淳(さっさむねきよ)だ。
光圀は発掘調査中は視察に来なかったようだが、終わった後に一度現地に来ている。
なお、最近の子供の世代は「ドラマ水戸黄門」を知らないことが多いようなので、侍塚古墳のためにも新たに「ドラマ水戸黄門」を制作することを望む。
20170520
20190508
20190526C
20211016C
20240601A
侍塚古墳群
下侍塚古墳の北東側には、小規模な古墳が8基残っており、侍塚古墳群と呼ばれている。8号墳は前期の方墳で、下侍塚古墳と親しい関係にありそうだが、それらの中で唯一の前方後円墳である1号墳は後期古墳。他の円墳は時期が分かっていないものがほとんどだが、おそらく後期の群集墳ではないだろうか。
17
侍塚8号墳
20170520
20190526C
20240601A
40
侍塚1号墳
20170520
20190526C
17.5
侍塚2号墳
20170520
20190526C
18
侍塚3号墳
20170520
20190526C
16
侍塚4号墳
20170520
20190526C
27
侍塚5号墳
20170520
20190526C
12
侍塚6号墳
20170520
20190526C
15
侍塚7号墳
20170520
20190526C
40
那須観音塚古墳
なすかんのんづかこふん
大田原市小船渡
🅿古墳近くに空き地あり
🚻なし
道路側に二ツ室塚古墳があり、その奥に那須観音塚古墳が隣接して存在する。
那須観音塚古墳は、6世紀後半に築造された径40mの円墳で二段築成。築造時期は、二ツ室古墳よりも古いと考えられている。幅約10mの周溝がめぐる。下段の平坦面では埴輪列が確認されており、墳頂からは鶏の形象埴輪が出土したといわれている。
段築のテラス部分はまるで下野型古墳のように広くて、下から見上げても2段築成であることがはっきりと分かる。とても素敵な古墳だ。
説明板なし。
20240601A
46.5
二ツ室塚古墳
ふたつむろづかこふん
大田原市小船渡
🅿古墳近くに空き地あり
🚻なし
道路側に二ツ室塚古墳があり、その奥に那須観音塚古墳が隣接して存在する。
6世紀後半に築造された前方後円墳で、前方部と後円部の双方に横穴式石室を持つ双室墳。葺石あり。
昭和49年に発掘調査を実施し、くびれ部の土層断面から後円部は前方部より先に造られたことが判明。横穴式石室は、いずれも側壁が川原石小口積みで奥壁には1枚ないし2枚の巨石を積んでいる。
後円部の石室は以前は見学できるように整備されていたようだが、現在は土嚢がギュウギュウ詰めにされて見られなくなっている。
20240601A
26
銭室塚古墳
ぜにむろづかこふん
大田原市北滝918
🅿なし
🚻なし
6世紀末頃に築造された径26mの円墳で二段築成。墳丘の裾と斜面に川原石による葺石が見られる。幅5mの周溝を持つ。
横穴式石室の規模は、全長9.3m、玄室長6.3m。高さ1.45mの奥壁は、花崗岩の一枚石。玄室の形状はドーム状。玄室の側壁は乱石積。床面は川原石の礫床。
20240601A
那須国造碑
なすくにのみやつこひ
笠石神社の御神体として祭られている。拝観には笠石神社に申し込む必要がある。
那須国造碑は、群馬県高崎市の多胡碑や宮城県多賀城市の多賀城碑とともに日本三古碑と呼ばれている。
那須国造碑の写真撮影はできないので、湯津上資料館に展示してあるレプリカを撮影しておこう。
20170520
20190526C
20211016C
20240601A
笠石神社
かさいしじんじゃ
大田原市湯津上430
0287-98-3758
水戸光圀によって那須国造碑を御神体として創建された神社。祭神は、那須國造直韋提命(なすくにのみやつこのあたいいでのみこと)。
那須国造碑の参観をする際は宮司さんが詳しく説明してくれるが、あらかじめ時間を予約しておいた方がいいだろう。
20170520
20190526C
20211016C
20240601A
大田原市なす風土記の丘 湯津上資料館
おおたわらしなすふどきのおか ゆづかみしりょうかん
大田原市湯津上192
0287-98-3322
那珂川町なす風土記の丘資料館とともに、那須地域の歴史を紹介している。
こちらはすぐ近くにある侍塚古墳や那須国造碑に関する解説が豊富で、複製ではあるが、侍塚古墳の発掘を指揮した佐々宗淳(さっさむねきよ)の文書も展示されている。
20170520
20190508
20190526C
20211016C
20240601A
大田原市歴史民俗資料館
なす風土記の丘 湯津上資料館と同じ敷地内にある。
20170520
【ラーメン】百個ラーメン
湯津上資料館や下侍塚古墳から歩いても行ける距離にある。美味い白河ラーメンが食べられるぞ。
大田原市湯津上154-1
0287-98-2526
那珂川町
60.5
駒形大塚古墳
こまがたおおつかこふん
那珂川町小川2965
🅿あり
🚻なし
3世紀後半、那須地方で最初に築造された墳丘長60.5mの前方後方墳で、現況は前方部がかなり削平されて低くなっているが、辛うじて前方後方墳の態をなしている。
葺石・埴輪はないが、後方部墳頂からは底部穿孔有段口縁壺がみつかっている。
昭和49年の発掘調査では、舶載鏡の画文帯四獣鏡などが見つかり、後方部の中央地表下1.5mからは、長さ3.2m、幅75cmの木炭槨が確認され、割竹形木棺が埋納されていたと推定されており、多量の朱がみつかっている。
前方後方墳は、前方後円墳に比べて副葬品が貧弱なことが多いが、画文帯四獣鏡が1面出土していることは特筆できる。
那須地方の弥生時代は、遺跡の数が非常に少ない。つまり、あまり人が生活していた痕跡がないのだが、そのような場所に古墳時代になると突如として駒形大塚古墳が築造された。
20170520
20190508
20190525C
20240601A
47
吉田温泉神社古墳
よしだゆぜんじんじゃこふん
那珂川町吉田
🅿神社社殿近くにスペースあり
🚻なし
駒形大塚古墳につづいて築造された墳丘長47mの前方後方墳。駒形大塚古墳や那須八幡塚古墳とともに「那須小川古墳群」として国の史跡に指定されている。
後方部は湮滅しており、前方部には吉田温泉神社の社殿が建っている。
平成2年に墳形確認調査が行われたが、主体部の調査はしていない。その際に周溝内などから遺物が採取されている。
20170520
20240601A
60.5
那須八幡塚古墳
なすはちまんづかこふん
那珂川町吉田
🅿国道沿いの古墳への入口にスペースあり
🚻なし
墳丘長60.5mの前方後方墳。葺石が確認されており、不整形な周溝がめぐる。昭和28年の発掘調査では、後方部墳頂下1mの地点に木棺直葬(おそらく割竹形木棺)が認められ、夔鳳鏡(きほうきょう)が出土した。
夔鳳鏡は、鳳凰が翼を広げた意匠があしらわれた鏡。おそらく中国で2世紀に製作された銅鏡で、夔鳳鏡自体、全国でも二十数面しか出土していない珍しい鏡であり、東日本では4面、関東地方ではこの1面のみだ。なお、被葬者は頭位を東に向けて安置されていたと考えられている。
前方部は削られてしまったが、現在は往時の形に復元整備がされている。
20170520
20190508
20190525C
20240601A
32
観音堂古墳
20240601A
50
吉田富士山古墳
20170520
20190508
20190525C
20240601A
鹿島前遺跡
観音塚古墳と那須八幡塚古墳の間の場所に、四隅が突出した形状の遺構が見つかっており、古墳時代前期の豪族居館あるいは祭祀に関わる遺構と考えられている。
説明板なし。
20190508
20190525C
20240601A
40
首長原古墳
那珂川町三輪
🅿なし
🚻なし
6世紀後半に築造された40mの円墳。かつて周囲には他に6基の古墳があったというが今はない。
石室は全長5mの川原石小口積みで無袖式。墓道は階段状であったと推定されている。
以前の資料を見ると、那須では珍しい二重周溝を持つと記されているが、小川館の現在の展示パネルでは特にその点については触れられていない。二重ではなかったのか?
20240601A
49
川崎古墳
那珂川町久那瀬川崎
🅿なし
🚻なし
6世紀末頃に築造された墳丘長49mの前方後円墳。前方部と後円部に横穴式石室が築かれ、後円部側の石室は羨道が失われているが、玄室の全長は8.2mあり、県内最大級。石材は那珂川支流・武茂川系の石が使用されている。
石室内で見つかった耳環の組合せにより、数回の追葬があったと推定されている。
石室入口の扉は鍵が掛かっており中に入ることはできない。肉眼で観察するのも難しいが、なす風土記の丘資料館小川館には、出土した遺物の展示と共に実物大のレプリカも設置してあるので、それでスケール感を確かめてみよう。
20240601A
50
梅曽大塚古墳天井石(移築)
なす風土記の丘小川館の敷地内に置かれている。
20190508
20240602A
唐御所横穴墓群
からのごしょよこあなぼぐん
🅿あり
🚻あり(休憩所の中)
和見・北向田・永瀬・小口の4つの支群からなり、合計93基の横穴墓が確認されている。
唐の御所
前庭・羨道・玄室に分かれ、奥壁から羨門までは4.78m あり、玄室長は2.75m、玄室中央幅は2.34m、奥壁の高さは1.9mある。
石室の規模や造りの精巧さは、唐御所横穴墓群の中でも随一とされるが、さらに興味深い特徴としては、墳丘を伴う横穴墓であることだ。墳丘横穴墓は全国的に見ても珍しい。
唐の御所の名前の由来は、平将門の娘がこの地に逃れてきて、中国から来たお姫様という触れ込みで隠れ棲んだとの伝承による。
20170520
20190508
20190525C
20240601A
姫穴
20170520
20190508
20190525C
20240601A
厩穴
2019年5月に訪れた時に、現地学芸員から崩落の危険があるため近い将来見学ができなくなるかもしれないと聴かされていたが、2024年6月に訪れたときは、その通りになっていた。
20170520
20190508
20190525C
20240601A
遠見穴
北向田支群
20170520
20190508
20190525C
那須官衙遺跡(那須郡衙跡)
那珂川町小川3789
那珂川町なす風土記の丘資料館 小川館から見下ろせる那珂川と箒川の合流地点にある。戦前は廃寺跡と考えられており「梅曽廃寺跡」と呼ばれていたが、戦後の調査で郡衙であることが分かった。昭和15年に発見された銅印は国の重要文化財。
遺跡の範囲は南北200m×東西600mほどで、溝により4つに区画されており、郡衙の成立は7世紀末から8世紀初期、終焉は10世紀前半と考えられている。
20170520
20190525C
20211016C
20240602A
小川温泉神社
那珂川町小川2486
栃木県神社庁のHPによると歴史は以下の通りである。
創立年代は不詳。社伝によると往古は尾川大明神と称した。
天冶2年(1125)、藤原貞信が八溝山の賊徒を討伐する際に祈願し、速やかに平定。
建久4年(1193)4月、源頼朝の那須野狩の時、那須太郎資光が祈誓し、この時、温泉神社と改称。
20170520
吉田温泉神社
那珂川町吉田
吉田温泉神社古墳の前方部墳丘上に社殿が建っている。
20170520
20240601A
小川町旧役場
那珂川町小川2524-1
小川郷土館が入っているが、長期の休館状態。
20170520
那珂川町なす風土記の丘資料館 小川館
那珂川町小川3789
0287-96-3366
那須地域には那珂川町と大田原市にそれぞれ「なす風土記の丘資料館」があり、那珂川町にある「小川館」は、すぐ近くに那須官衙遺跡があることから同遺跡に関する展示が詳細なほか、縄文時代や古
墳時代についての展示も豊富。
20170520
20190508
20190525C
20211016C
20240602A
那須町
ハッケトンヤ縄文式遺跡
縄文時代中期以降の遺跡で、とくに加曽利EⅡ式やEⅢ式の土器が多く見つかるため、中期後半が盛期だったようだ。
遺跡の位置は、説明板のある場所ではなく、丘陵の突端部で現在の黒川発電所の崖の上あたり。
ハッケトンヤとは地名で、急な崖の上の小屋を意味する古語とされる。多摩川流域でも崖のことを「ハケ」と言ったり、「バッケ」と言ったりするので、それとの共通性が伺える。
20190508
20190526C
20240602A
舟戸1号墳
舟戸古墳群は、古墳群としては関東地方最北端。ハッケトンヤ遺跡下の那珂川の河岸段丘上に、3基の小さな古墳が見られる。最近では県道北側の林の中に、これらよりもさらに小さい円墳が2基見つかった。
主墳の1号墳は帆立貝形前方後円墳とされ、全長は10mほどしかないが、東側に開口する横穴式石室を備えている。
20190508
20190526C
20240602A
舟戸2号墳
説明板の直下にある。
20190508
20190526C
20240602A
舟戸3号墳
20190508
20190526C
20240602A
泉田の一里塚
20190508
享保地蔵尊
那須町稲沢
林の中に巨大なお地蔵さんが鎮座している。由緒不明。
背後には塚状の高まりがあり、古墳ではないかと思われる。
20190526C
20240602A
堂の下の岩観音
20240602A
那須歴史探訪館
那須町芦野2893
0287-74-7007
那須町は遺跡が多い町だが、その町内の遺跡について紹介している。遺物の展示はそれほど多くはないが縄文土器から一通りある。中世城郭についてのパネル展示は豊富。
和風の建物が面白い。
20240602A
【食事・お土産】道の駅 東山道伊王野
那須町伊王野459
食べ物屋さんが2つあって便利。
那須烏山市
長者ヶ平官衙遺跡附東山道跡
20190508
20190525C
那須塩原市
三島農場事務所跡
20240602A
石塚(石ぐら)再現
20240602A
那須野が原博物館
歴史専門の博物館ではないが、縄文遺跡や那須野が原の開拓の歴史など那須塩原市の歴史を知ることができる。
20240602A