2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2019年7月4日に投稿した記事です。
2018年10月2日(火)の探訪レポート
⇒【gooブログから】西条酒蔵通り|広島県東広島市 【安芸・備後古代史探訪 ⑦】
偶然紛れ込んだ西条酒蔵通りと安芸国分寺跡とは至近距離にあるようです。
ナヴィに言われた通りの道を進むと、線路を渡るときに自転車が通るような跨線橋を通らされてビックリしましたが、細い道を通るのは好き。
到着!
あ、電車!

自転車で通りかかったおじさんが不審そうな表情をしています。
また来た!

電車も気になりますが、背後の神奈備ティックな綺麗なお山も気になります。
はい、本題はこちらですね。

安芸国分寺跡は立派な公園になっていますね。
立派な説明板もあります。


お、パンフレットは最後の1枚だった!

濡れてよれていますが。
では行きますよ。
今回は反時計回りに行きましょう。
ファースト遺構は溝跡です。


ここは資料館とか有人のガイダンス施設が併設されているわけではないですが、無人のちょっとしたガイダンスがあります。

ここにたくさんあった。

しかも、キレイ。
ジオラマ。


東大寺式伽藍配置で、塔は西側にありました。

国師院建物が気になります。
パネル展示もあります。

今いる場所はガイダンス施設というよりかは「休憩舎」という位置づけなんですね。
この場所にあった掘立建物跡と同じ規模で建てています。



では、お外へ出ましょう。



ゴミ捨て場は考古学者にとっては遺物の宝庫です。


あれが国師院跡ですね。


と、その前に東側の築地塀跡。


鳥さん、こんにちは。

では、国師院跡へ。


おや、遺物が散布されていますよ。

金属器が使用できる人は限られますので、これを使っていた人物はかなりの高位の人物だと考えられます。
というか、ゴミは持ち帰りましょう。
今度は井戸跡。


基壇がありますね。

2つ並んでいます。

今見た基壇は僧房と講堂の基壇ですが、基壇の周りには板塀があったことが確認されており、一部復元されています。


僧房の基壇はきれいに整形。

一方、講堂の基壇は・・・
猫ちん!

いやー、元気かい?
ちょっと礎石を見させておくれ。


礎石に関心があるふりをして猫ちんに近づこうとしましたが失敗!

逃げられた・・・

いやー、また会ったね。

僧房と講堂とは軒廊で結ばれていました。

礎石が配置されていますが、本物かどうかは・・・
講堂にも礎石が配置されています。


講堂の西側へ回ってきました。

こちらは僧房。

さてここで再度位置を確認しましょう。

※この図の「現在地」という場所は気にしないでください。
図の左上に神社の敷地のような一角が描かれていますが、名前が書かれていませんね。
でも気になるので行って見ようと思います。
こちらです。

拝殿があります。

いや、拝殿じゃないのかな?
その後ろには立派な社殿が。

絵が飾っていますよ。

古い写真も良いですが、こういう風景画もいいですね。
氏子さんが描いて奉納したようです。


いくつも境内社が祀られていますが、大年も祀られています。

参道。

展望所がありますよ。


ここに来た時に気になった山は白鳥山というんですね。
このお山です。

辛うじて賀茂鶴酒造の煙突が見えます。

天気が今一なのが残念ですがこればっかりは仕方がないです。

では再び国分寺歩きです。
と、ここで携帯にメールが着信しました。
母からです。
訃報でした。
伯父が亡くなったそうです。
昭和12年生まれですから、数えで言うと享年82歳。
入院もしていなかったので急です。
とにかくビールが好きな伯父で、従弟によると最盛期は毎晩大瓶を5~6本飲んでいたそうです。
伯父と言うのは母の実兄で、私は母方の苗字を名乗っているので、これで数少ない稲用さんが一人また減りました。
ちょうど今夜は稲用家発祥の地で泊まり、明日は先祖が治めていた土地をめぐる予定なのですが、おそらく伯父はこちらに来たことは無いと思います。
ですので、今度会ったときに今回の旅のことを話そうと思っていたのですが間に合いませんでした。
※結果的には私がこの旅から帰った翌日が葬儀だったのでそれには間に合い、従兄弟たちには先祖の土地の話をすることができました。
さて、続きを歩きます。
西側の築地塀跡。


ようやく七重塔までたどり着きました。

本来はお寺で一番重要な建物は塔なんですよね。

火災で倒壊したとありますが、ありがちなのは雷ですね。
礎石が並んでいます。

皆が大好きな塔心礎もありますよ。

五輪塔が建っています。


そういえば先ほどの神様はどなたか確認していませんでしたが、八幡様だったんですね。

平安時代には国府近くに国府八幡があり、昨日行った備前国分寺跡には国分寺八幡がありましたね。
こちらも国分寺八幡と称することが可能かと思いますが、どうでしょうか。

さて、これで古代の安芸国分寺跡の探訪は終わりますが、ここには現代の国分寺が建っています。
現代の国分寺に参拝しましょう。
⇒【gooブログから】真言宗安芸国分寺|広島県東広島市 ~律令時代の国分寺の法灯を受け継ぐ~ 【安芸・備後古代史探訪 ⑨】
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