【gooブログから】柳田布尾山古墳および古墳館|富山県氷見市 ~日本海側最大の前方後方墳~

 2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。

 当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。

 基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。

 ※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。

 ※本記事は、2021年7月25日に投稿した記事です。


2021年7月20日(火)の探訪レポート

 ⇒ 【gooブログから】富崎千里古墳群|富山県富山市 ~前方後方墳をはじめとして17基の古墳からなる四角形が優勢な古墳群~

 つづいて柳田布尾山古墳へ向かいますが、公園内にある古墳館は16時に閉まるので急ぎます。

 15時50分に駐車場に到着。

 駐車場には公園の全体図を示す案内板が立っています。

 

 まずは古墳館だな。

 階段を上ると、右手に柳田布尾山古墳があり、左手には山と海を背景に従えた古墳館の建物が佇立していました。

 

 入館料は無料です。

 

 

 残念ながら遺物の展示はなく、パネル展示で構成されていますが、柳田布尾山古墳をはじめとした氷見市の古墳について分かりやすく解説しています。

 このあと見学する柳田布尾山古墳のジオラマ。

 

 今日は本当に前方後方墳祭りですな。

 北陸の「四角い墳丘の世界」は非常に興味深いです。

 柳田布尾山古墳はこの図が示すように日本海側を代表する大型前方後方墳で、墳丘長は107.5mあり、前方後方墳としては日本海側最大規模を誇ります。

 

 また、日本海側ではこの古墳より東側には100m以上の古墳は存在しません。

 ところで、100mという単位は現代のもので、古代はメートルなんで単位はなかったわけですが、不思議なことに100mってひとつの基準に思えて、古代人的にも同じような感覚があったような気がします。

 なお、この図には記されていませんが、島根県松江市にある前方後方墳の山代二子塚古墳は島根県最大の古墳で、墳丘長は92mあるので、おそらく日本海側の前方後方墳としては2位になると思います。

 ※2018年10月4日撮影

 ただし、山代二子塚は6世紀に築造されているため、一般的な古墳時代前期(3世紀半ば~4世紀後半まで)に築造された前方後方墳と歴史背景を同じに考えてはいけません。

 その話はまたどこかですると思いますが、今日は柳田布尾山古墳ですね。

 古墳の立地はとても大事です。

 

 海に臨む古墳では、海からの眺望を気にして造られていることが多く、この古墳の場合は、さらに二上山丘陵というのがキーになっているようですね。

 主体部の説明。

 

 副葬品は盗掘のためほとんど残っていなかったような記述ですが、一般的には前方後方墳は前方後円墳と比べて副葬品が貧弱です。

 ただし、愛知県犬山市の東之宮古墳(墳丘長72m)のように例外もありますから、柳田布尾山古墳の規模からして立派な副葬品が収められていたかもしれませんね。

 ※2020年12月25日撮影

 氷見市は結構古墳が多いです。

 

 古墳館の最上階は展望ルームになっています。

 

 各方角ごとに眺望の説明があっていいですね。

 例えば北側の眺望の説明。

 

 こういうのって特に私のような外から来た人にとっては重宝するのです。

 

 柳田布尾山古墳も見えますよ。

 

 ところで、古墳館はエアコンがないため今の季節(夏)は暑いです。

 ハチが入ってくるために窓が開けられないそうで、夏はそんなに長く滞在できませんのでそのつもりで来るといいですね。

 なお、受付では氷見市博物館で刊行している各種図録などの資料類が販売されているので、氷見市博物館に行く予定がない方はここで購入するといいでしょう。

 では、古墳へ行きますよ!

 あー、外が涼しく感じる。

 墳丘に取りつく前に、説明板などを見ていきましょうか。

 まずは、ジオラマ!

 

 こういうのはいいですねえ。

 今はありませんが、古墳時代には布勢水海があり、その後は十二町潟と呼ばれます。

 日本海側には今でもラグーンやその形跡が多く残っていますが、弥生時代や古墳時代にはもっとたくさんあって、その時代の人たちは船での移動を多用していましたから、こういう地形は大好きだったと思います。

 古代において日本海側が太平洋側と比べて文化の移入に有利だったのは、こういう地形が多くあったことが原因の一つです。

 角度を変えてみます。

 

 古墳の主軸のラインで後方部の先にある少し高く表現されている山が二上(ふたがみ)丘陵で、高岡市と氷見市にまたがっており、最高峰の二上山は標高274mです。

 つづいて説明板。

 

 平成10年に発見されたということで、結構最近デビューした古墳なんですね。

 デビュー早々、その高いポテンシャルによって一躍日本海側を代表する前方後方墳に躍り出たというわけです。

 測量図を見ると、後方部は2段築成になっているのが分かり、後方部墳頂にはかなり大きな盗掘孔がありますね。

 

 でもそれ以外はかなり原型が残っているのではないでしょうか。

 あとは、後方部の東側には円墳か方墳のようなものもあります。

 墳丘の立体模型もありますよ。

 

 カッコいいねえ。

 地域の古墳。

 

 これらのうち、今日は稚児塚、王塚、勅使塚を探訪しました。

 このあとは桜谷1号墳へ行きますよ。

 ※後日註:この2日後には朝日長山古墳を探しに行き玉砕しました。

 では、いよいよ古墳ちゃんに登ります。

 

 季節柄、「モシャ子ちゃん」になっているので美容室に行った方がいいかもしれませんが、墳丘登頂用の階段がありますので心配はいりません。

 ※註:墳丘に下草が生えてモシャモシャになっている古墳のことを「モシャ子ちゃん」と称し、下草刈りが終わると「美容室に行った来た」と称す。

 西側。

 

 前方部底辺を進みます。

 

 砂利が敷いてある箇所は周堀の跡を示しています。

 

 

 では、前方部に登ってみましょう。

 

 海が見える古墳っていいですねえ。

 

 夏は古墳めぐりには向いていませんが、海の青さと山の緑色を古墳と同時に楽しむには一番いい季節かもしれません。

 

 前方部から後方部を見ます。

 

 樹木が遮っていますが、奥には二上丘陵が見えます。

 海側にちょっとパン。

 

 モシャ子ちゃんなので、くびれ部分のエッヂは確認できません。

 

 後方部から前方部を見ます。

 

 主体部の表示。

 

 説明板。

 

 粘土槨は2.5m下から見つかったということですが、通常より深いのではないでしょうか。

 今まで気にしたことがありませんが、もしかして前方後方墳は前方後円墳よりも主体部を深い場所に造るのかな?

 それとも北陸の地域性か?

 これからは気にするようにします。

 後方部からの眺望。

 

 

 

 

 お隣の古墳ちゃんが見下ろせますね。

 

 

 行ってみましょう。

 柳田布尾山古墳とかなり近接しており、これだと周堀が切りあいそうです。

 

 先ほど古墳館で見たジオラマを確認してみましょう。

 

 これだと柳田布尾山古墳の周堀は一周していませんが、もう少し詳しく知りたい。

 私の知る限りでは関東の古墳は畿内の古墳ほどしっかりとした周堀を造らず、意外と形状も深さもラフなのですが、北陸もそうなのでしょうか。

 

 説明板を読んでみましょう。

 

 方墳かと思いましたが、意外に円墳でした。

 でも主体部は調査していないということなので詳しいことは分かりませんが、柳田布尾山古墳との関係が気になりますね。

 柳田布尾山古墳の築造は、3世紀末から4世紀前半頃ということですが、円墳だったらこれよりも後になるのではないでしょうか。

 ※後日註:四角形が優勢な地域なので円墳のほうが後だと考えたのですが、この2日後に訪れた石川県中能登町の雨の宮古墳群では、大型墳としては古墳群最古の1号墳(墳丘長64mの前方後方墳)のとなりに円墳があり、円墳のほうが古いと言われているため、柳田布尾山古墳の場合も前後関係は保留しておきます(ただし、雨の宮1号墳の築造は4世紀後半なので柳田布尾山古墳の築造時期とは歴史背景が違います)。

 ということで、柳田布尾山古墳は姿も美しく、周囲の景色もこれまた美しい古墳で、こちらに来たときは絶対に訪れるべき古墳ですね。

 さて、つづいては桜谷古墳群へ行ってみましょう。

 ※註:この日の探訪記事は当時これ以降アップしておらず、この次の記事は、翌日訪れた真脇遺跡になります。

 ⇒ 【gooブログから】真脇遺跡および真脇遺跡縄文館|石川県能登町 ~イルカ漁や環状木柱列で有名な北陸を代表する縄文集落跡~

 

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