2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年8月25日に投稿した記事です。
2017年8月20日(日)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】【宗像古代史探訪その2】素晴らしい国宝の数々【宗像大社辺津宮および神宝館】
宗像大社の参拝を終えると、気になる施設へ向かいます。
宗像大社の大駐車場を挟んで北西側にある「海の道むなかた館」です。

ここは宗像大社のみならず、宗像の歴史全体を紹介する施設のようです。
おっと、レンタサイクル。


電動アシスト付きのレンタサイクルを利用するというのも歴史めぐりでは有効ですね。
公共交通機関で宗像大社まで来た場合はもちろんのこと、車で来た場合は駐車場に車を駐めさせていただいて(もちろん混雑時は遠慮しましょう)自転車で近辺をめぐるのも楽しそうです。
宗像の観光マップ。

それでは中に入りましょう。
やはり、関連する最近のニュースと言えばこれですね。

世界遺産決定おめでとう!

展示をじゅんぐり見て行きます。
普通の博物館と同じように原始時代の遺物の展示から始まります。
最近気になっている物が展示してありますよ。

講座では「縄文人は美味いものを食べていた」とよく話します。

人間も動物である以上は毎日食べて行かないとなりません。
この展示に書いてある通り、そういった衣食住(衣はウエイトが低そうですが、入墨や装飾品も範疇に入るでしょうか)がまず基本にあって、そこから信仰や文化が芽生え、そして社会が成立して行ったのでしょう。
つづいて、これまた興味のあるものが。


もう少し時代が下って8世紀の頃にも国分寺の瓦なんかはこんな登り窯で焼かれていました。
5世紀くらいには朝鮮半島からカマドが移入されて、古代におけるキッチン革命が起きたのですが、なんと移動式のカマドがあったんです。

これがあれば、キャンプに行っても美味しいご飯が食べられますかね?
あ、でもこの時代はお米は炊くのではなく蒸すんですよ。
もっと前の弥生時代は、おかゆのような状態で食べていたので、カマドの上陸によってさらにお米が美味しく食べられるようになり、お母さんたちもよりお料理が楽しくなったのではないかと思います。
あれれ、あまり宗像とは関係ないものばかりを紹介してしまいました。
では、宗像大社関連で、沖津宮のヂオラマをどうぞ。


沖津宮での祭祀が始まった4世紀後半から5世紀にかけては巨石の上で祭祀が行われていました。
日本列島全体を見渡しても、新しい宗教である仏教の影響により社殿ができる前の神社は、巨石を信仰していたものが多いです。
ちなみに、4世紀後半は倭国が朝鮮半島で高句麗と頻繁に交戦している時代ですよ。
※註:頻繁だったかどうかは分かりません(2025年8月25日追記)
5世紀後半から7世紀には巨石の岩陰での祭祀に変わりました。


そして、8世紀から9世紀頃には、露店の祭祀に変わります。


これで社殿があれば普通の神社ですね。
9世紀以降の宗像大社は国家からそれほど重用されないようになってしまいます。
金ぴかの靴。

これは復元品ですが、もちろん実用品ではなく、権力者が儀式のときに穿いたのではないかと思います。
構造船もあります。
※註:準構造船です(2025年8月25日追記)

宮崎県西都市の西都原170号墳から出土した埴輪をもとに造ったそうですが、古墳時代にはこういった船で朝鮮半島と日本列島を行き来していたんですね。

関東ではまず見られない、圧巻の銅剣コレクション。

銅矛・銅剣・銅戈といったらまるで三国志の世界みたいですね。

館内ではガイドの方と話していろいろなことを教えていただきました。
残念ながら、9月30日~10月1日の宗像大社ツアーの時はここはルートに入っていませんが、いずれ皆さんをご案内できればと思います。
館内から出ると駐車場に珍しい車がトレーラの上に積まれていました。


「TOYOTA」って書いてありますが、外国のナンバーが付いています。

可愛いですね。
むなかた館から大鳥居を見ます。

では、神湊で乗るフェリーの時間まで少し余裕があるので、鎮國寺へ行ってみましょう。
