吉岡神社古墳|香川県丸亀市【AICT開催レポート】第193次現地講座「四国最大の前方後円墳・富田茶臼山古墳と前期積石塚ワールド」その5

 

青ノ山山頂古墳群|香川県丸亀市【AICT開催レポート】第193次現地講座「四国最大の前方後円墳・富田茶臼山古墳と前期積石塚ワールド」その4

 

54m
吉岡神社古墳

 青ノ山1号墳は、古墳としてはアレでしたけど、景色はとても良かったです。

 次は、青ノ山から南に延びる丘陵の先端に所在する吉岡神社古墳を目指します。

 神社から南側に延びる参道からアプローチし、神社境内まで車で入ることができました。

 

 南向きの社殿の背後に古墳があります。

 

 吉岡神社古墳は北向きの前方後円墳ですから、後円部を登って行かなければなりません。

 

 その前に説明板を読みましょう。

 

 築造時期は4世紀前半とされており、墳丘長は54m。段築はなく、前方部墳端はバチ形に開くと考えられており、説明板の墳丘図でもそのように描かれていますね。バチ形云々はトレンチを開けた結果なので、実際にそうなのでしょう。葺石は確認されていないようです。

 山側に前方部があり、平野側に後円部があるのは讃岐の前期古墳の特徴ですが、主体部を讃岐流の東西軸ではなく、南北軸に造っているところや前方部墳端がバチ形に開くところが、説明板に「被葬者はヤマト政権との関係性が考えられます」と記されていることの根拠なのでしょう。

 主体部は江戸時代に盗掘を受けており、珍しい遺物としては、すでに筒形銅器の出土が知られていました(説明板の③ですね)。

 平成3・4年の発掘調査では後円部中心にある長さ5.5mの竪穴式石室(説明板では石槨とする)が調査され、見つかった江戸期の壺の中には水銀朱を塗布された被葬者の頭蓋骨片が入っていました。

 江戸時代に盗掘した人が気まずく思って遺骨を丁重に葬ったのでしょう。

 盗掘というと現代人は犯罪行為に思うのですが、江戸時代の人がどこまで悪気があったのかは分かりません。

 では、後円部に登りますよ。

 後円部はまあまあモシャ子ちゃんでした。

 北側を見ると、前方部が伸びているのが分かります。

 

 前方部はそんなに歩きづらいわけではないので、墳端まで行ってみます。

 ただ、バチ形云々というのは、さすがに分からないですね。

 前方部から後円部を見ます。

 

 もう少し後円部側に進んで後円部を見ます。

 

 あーなんかこういう古墳って落ち着くな。

 夏場なのにそれほど状態が悪くなくて良かった。

 吉岡神社古墳は良い古墳でした。

 なお、出土した銅鏃などは丸亀市立資料館に展示しているようですが、私は未探訪で、今回もどうしても行程に入れることができませんでした。

 いずれ行ってみたいと思っています。

 (つづく?)

 

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