旧石器時代の歴史① 前期旧石器時代

最終更新日:2025年9月11日

はじめに

 過去も現代も、そして未来もそうだと思いますが、人類の歴史は宇宙の運動に左右されます。宇宙というと大げさかもしれませんが、人知の及ばない天体としての地球自身の環境の変化(温暖化や寒冷化)にプラスして、たまに起こる突発的で大規模な火山の噴火などによって大きく環境が変化して、それにより植物や動物が変化を強いられて、当然人間もその影響を大きく被ります。そのため、歴史を勉強するときは、自然環境の変化(とくに気候変動)に敏感にならないといけません。

 地球には一定の周期で氷期が訪れ、氷期と氷期の間には温暖な間氷期が存在します。これについては、間氷期には奇数番号を、氷期には偶数番号を付けて、海洋酸素同位体ステージ(MIS: Marine Isotope Stage)と呼んでいます。下の図は、青色の線が気温です。日本でホモサピエンスが活動を開始した4万年前から縄文時代の始まりの頃までは、きわめて寒冷であったことが分かります。1~9の数字がMISです。

『列島の考古学 旧石器時代』(堤隆/著)より加筆転載

 そして、歴史は人間の営みですが、その人が何を考えているのかは、他の人には分かりません。推測はできても本当のことは本人しか分かりません。例えば、本能寺の変で信長が自害したのは事実としても、本能寺を攻めた光秀の心の内は誰にも分からないのです。

 だからこそ、歴史の解釈をめぐっていろいろな説が登場しますし、自分でもあれこれ考えたりして、私たち歴史好きはそれを楽しむことができるのです。真実の追及に全力を尽くすのもいいですが、その気持ちが行きすぎて、例えば恣意的な考えをもとに「邪馬台国は奈良にあった」と決めつけて、その考えを他人に押し付けるとか、そういう恥ずかしいことはせず、他人の考えを尊重しつつ、様々な可能性を考えながら「分からない状態」でいることをもっと楽しみましょう。

 本稿で述べることは、稲用の説なのか、それとも誰かの説なのか、そして内容は客観的な事実なのか、推測なのかということをなるべく分かるように留意しながら論を進めます。

 

旧石器時代とは

 世界史的な呼び名としての「石器時代」というのは、文字通り人類が石を素材に自作した「石器」を主たる道具として活用して生活をしていた時代で、青銅器の使用が始まると「金属器時代」と呼びます。

 石器時代は、「旧」と「新」に分けますが、日本の場合は、旧石器時代と言った場合は、土器がまだ使われていなかった時代を指します。そして土器が使われ始めると縄文時代と呼び、縄文時代は、世界史的にいうところの新石器時代なのです。今はあまり使いませんが、旧石器時代のことを先土器時代と呼ぶこともあります。案外この呼び方がいいかもしれません。また、日本では、弥生時代には青銅器や鉄器を使い始めますが、それを「金属器時代」と呼ぶことはしません。

 紛らわしいのは、日本中にある「〇〇石器時代遺跡」というような名称の遺跡です。

 有名なところでは、青森県つがる市の国史跡・亀ヶ岡石器時代遺跡があります。世界遺産にも組み込まれており、有名な国指定重要文化財の遮光器土偶(東京国立博物館所蔵)が出土した遺跡ですが、そこは旧石器時代の遺跡ではなく、縄文時代の遺跡です。

青森県つがる市・亀ヶ岡石器時代遺跡

 

 戦後すぐの時期までは、日本には旧石器時代は存在しないと考えられており、そのため大正時代や戦前に見つかった縄文時代の遺跡に「〇〇石器時代遺跡」と名付けられたのは、世界史水準でいうところの新石器時代の遺跡という意味なのです。

 さて、旧石器時代はさらに前・中・後期に分けます。日本における中期の始まりをいつにするのかは研究者によって考え方に違いがあります。また、日本の場合は前期と中期をひっくるめて前期と呼び、前期と後期の2期区分で呼ぶ研究者もいます。

時代区分実年代特徴
前期260万年前~13万年前アフリカで私たちホモ属の祖にあたるホモ・ハビリスが登場し、石器を自作して旧石器時代の幕が開く
大分県丹生遺跡が唯一この時代の日本人の足跡である可能性が高い(40万年前)
中期13万年前~4万年前日本各地で見つかる石器からホモサピエンスではない人びとがごく少数住んでいたことが分かる
後期4万年前~1万6500年前ホモサピエンスが日本列島に渡海してきて、中期に比べると遺跡数が増加
多くの研究者は日本の歴史は後期旧石器時代からと考えている

 

前期旧石器時代の石器

 ホモサピエンス以前の人びとの痕跡を探すには、ホモサピエンスではない人びとが作った石器を見つければいいです。彼らはどのような形の石器を作ったのでしょうか。

 彼らは私たちホモサピエンスとは脳の構造が異なるため、作られる石器が異なります。そういう石器はアフリカやユーラシア大陸ではたくさん出ており、稀に国内の博物館などに展示されているものを見ると、かなり大振りです。

 例えば東京大学総合研究博物館には、シリアのラタムネ遺跡で表採された約70万年前のハンドアックス(握り斧)が展示されています。

シリア・ラタムネ遺跡表採のハンドアックス(東京大学総合研究博物館にて撮影)

 

 かなり精巧にできていて美しいですね。

 また、明治大学博物館には多くの前期・中期旧石器が展示されており、 実年代は分かりませんが、前期とキャプションされた石器としては以下のものがあります。

中国・周口店出土レプリカ(明治大学博物館にて撮影)

 

中国・丁村遺跡出土レプリカ(明治大学博物館にて撮影)

 

スペイン・マルビエール遺跡およびビラベルデ遺跡出土(明治大学博物館にて撮影)

 

インド・マドラス遺跡出土(明治大学博物館にて撮影)

 

 石器を見始めたころの方は、これらの石器を見ても何の感慨も湧かないかもしれませんが、日本の後期旧石器時代の遺跡から出土する多くの石器を見ていけば、それらとは随分と違うものであることが分かってくるはずです。

 どんなジャンルでもそうですが、違いが分かると面白くなりますので、ひたすら、たくさんの石器を観察しましょう。

 

日本の前期旧石器時代遺跡 

 2000年に発覚した「前期・中期旧石器遺跡捏造事件」の影響で、それ以来、多くの研究者が日本列島に人が住み始めたのは約4万年前のホモサピエンスの渡来以降と考えるようになりました。ただし、最近の若い研究者はその事件自体をリアルタイムで知らず、変な先入観の無いことから純粋に遺跡・遺物について研究することができることもあって、今では日本における前期・中期旧石器時代の研究が再び活発化している様子が感じられます。

 それに実際、冷静に各地の遺跡を見てみると、ホモサピエンス以前の古い人類の痕跡を見つけることができるのです。最近のニュースとしては、広島県廿日市市の冠遺跡から出土した4万2300年前の石器が物議を醸しだしており、その遺跡を残した主が、ホモサピエンスなのかそうでないのか、それを含めて今後評価が下されることになるでしょう。

 ホモサピエンス以前の日本人の足跡について一般向けに書かれた書籍としては、竹岡俊樹氏が著した『旧石器時代人の歴史』(講談社選書メチエ・2011年)があり、その内容に関しては、次の中期旧石器時代のページで説明します。

 日本国内において、前期旧石器時代にまでさかのぼる可能性がある遺跡は、上の表に書いた通り、大分県の丹生遺跡のみです。

 


丹生遺跡|大分県大分市 ~40万年前の石器が出土した日本最古の遺跡~

 大分県大分市の丹生(にゅう)遺跡は、既述した通り、国内で唯一前期旧石器時代の可能性がある遺跡です。

 『旧石器時代人の歴史』によると、1962年に前期旧石器時代のインドのソーアン文化やインドネシアのパジタン文化の石器に類似しているチョッパーチョッピングツールが出土しました。それらの石器については、人工品であると考える研究者と偽石器(ぎせっき=自然石)と考える研究者がいましたが、人工品と考える研究者が大多数でした。多くの研究者が人工品として認めるのであれば、ホモサピエンス以外の人類が日本にいたことは決定的となります。

丹生遺跡周辺(2022年5月現在遺跡の場所は非常に分かりづらくなっている)

 

 ところが、問題はそれらの出土場所です。考古学では「層位は型式に優先する」という鉄則があります(だからこそ前期・中期旧石器遺跡の捏造が悪化したのですが)。つまり、出土した地層が最重要なのですが、これらの石器の場合は、地表や攪乱された土層からの出土だったのです。見た目には本物の古い石器であることは確実であるものの、真実の製作年代が確定できないのです。そのため、古い石器を追い求めていた芹沢長介(せりざわちょうすけ)でさえ、縄文時代の石器であると主張したりして、結局はそのうち話題にも上らない遺跡となり、歴史の闇へと葬り去られてしまった感のある遺跡となってしまいました。

 それをなぜ竹岡氏が前期に遡る石器であると主張しているかというと、ある一点のチョッパーが採取された第10地区A地点の崖面は、間違いなく一時堆積の志村砂礫層だからです。そしてその地層は、ミンデル・リス間氷期(MIS11)に比定され、40万年前の地層なのです(MISに関しては、「はじめに」の図を参照していただきたいのですが、40万年前は古すぎてその図にはMIS11まで記されていません)。

 竹岡氏はその石器を実見して間違いなく人工品であるとしており、出土層位も明確であるため、この地に40万年前くらいにホモサピエンス以前のホモ属の人びとが滞在したことは確かと主張します。しかし、その石器は無視され続けているそうです。

 なお、松藤和人氏はその著書『日本列島人類史の起源』のなかで、上述の石器(礫器)に注目しているのは竹岡俊樹氏だけとしています。そして松藤氏は「気になって仕方がない」ため、2010年にその礫器を所有している古代学協会に問い合わせたのですが、実見は叶わなかったそうです。

 


早水台遺跡|大分県日出町 ~幻の前期旧石器遺跡~

 丹生遺跡からそれほど離れていない同じ大分県内の日出町に早水台(そうずだい)遺跡があります。早水台遺跡を発掘した芹沢長介は、今から40万年から30万年前の遺跡で、この遺跡から出土した石器を周口店文化(北京原人の文化)の系統の石器と主張しました。芹沢の最初の発掘は1964年のことで、芹沢が前期旧石器時代の石器と認めなかった丹生遺跡の発掘から2年後のことです。

早水台遺跡(墓石のような標柱が「幻の遺跡」への供養を想起させる)

 

早水台遺跡の説明板

 

 『旧石器時代人の歴史』(竹岡俊樹/著)を引用すると、芹沢が発掘した石器はソ連などの海外の研究者は人工品と認めましたが、国内の多くの研究者は認めませんでした。1967年には芹沢の明大時代の先輩で6歳年長である杉原壮介(すぎはらそうすけ)が、芹沢がこの頃発掘した栃木県の星野遺跡や、群馬県の岩宿遺跡ゼロ文化層の石器とともに、芹沢の主張する石器には人工品は存在しないと批判し、それにより当時芹沢が籍を置いていた東北大学と杉原の明大の亀裂は決定的となり、考古学専攻生の交流は途絶えたそうです。

 その後、芹沢は早水台遺跡出土の石器を含めて、自らが前期にさかのぼる石器と考える遺物に関してその証拠を提示し続けましたが、1976年になって芹沢の一番弟子と言われていた岡村道雄氏が、早水台遺跡の石器は約6万年前のものとし、また、星野遺跡や岩宿ゼロ文化層の石器を否定し芹沢から破門されています。なお、さきほど「芹沢の明大時代」と述べましたが、芹沢には杉原と対立したために明大を追われて東北大学に移ったという過去があります。

 現在では早水台遺跡出土の石器は前期まで遡らないと考える研究者が大多数ですが、松藤和人氏は著書『日本列島人類史の起源』の中で、芹沢が石英製の石器として発表したものに関しては、「世にはびこる否定的な評価を離れて白紙の状態から再検討すべきだ」と述べています。

 岡村氏がいうようにもし6万年前の石器だとしても、ホモサピエンス以前の人類が作ったことになりますからその重要性に変わりはありませんが、松藤氏が述べている通り、もっと積極的にこういった遺跡を再検討するべきだと考えます。

 

旧石器時代の歴史② 中期旧石器時代

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