最終更新日:2025年9月21日
※一つのページに記載できる分量には限りがあるため、本ページでは、下図のうち、北部地域・利根地域・県央地域について記します。
※自治体ごとに示し、自治体の並び順は五十音順です。
※一覧の見方に関しては、こちらをご覧ください。

※埼玉県内の他の地域に関しては、以下をご覧ください。
伊奈町(いなまち)
小貝戸貝塚
こがいとかいづか
伊奈町小室
🅿小室観音堂
🚻なし
縄文時代前期の貝塚で清光寺の境内にあるが、清光寺は現在、住職が常駐しておらず、境内に入ることはできない。そのため、外から説明板を見る程度しかできない。
水子貝塚と同様、ヤマトシジミが多く見つかっており、それ以外にはアサリ、ハマグリ、ハイガイなどの貝殻が見つかっている。
20250503A
20250608A
神川町(かみかわまち)

金鑚神社
かなさなじんじゃ
主祭神は、天照大神と素戔嗚尊で、日本武尊も配祀する。現在は武蔵二宮。武蔵国総社である東京都府中市の大國魂神社では武蔵五宮金佐奈大神として祀っている。ヤマトタケルが「火打ち」を御室山に納めたのが神社の始まりとされており、本殿がなく、御室山を神体山として崇拝している。この形式としては、大神神社や諏訪大社が有名だが、全国的に見ても大変珍しい。多宝塔(天文3年<1534>造立)は国の重要文化財に指定されている。
20171025
20250915A
行田市(ぎょうだし)
120m
稲荷山古墳
埼玉古墳群(以降、浅間塚古墳まで)の墳丘規模に関しては、最新のデータが掲載されている『史跡埼玉古墳群 総括報告書Ⅰ』(埼玉県教育委員会/編・2018年)から転載
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
105m
丸墓山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
132.2m
二子山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
73.4m
瓦塚古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
66.4m
奥の山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
90m
将軍山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
54.7m
愛宕山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
107.6m
鉄砲山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
79m
中の山古墳
20150314
20170806T
20171203C
20180113C
20200222C
20201010C
20210206
20210522A
20210523A
20220305C
20230604A
久喜市(くきし)
熊谷市(くまがやし)

塩古墳群
熊谷市塩
🅿14号墳の南側にスペースあり
🚻なし
比企丘陵北側に築造された前期から後期にかけての古墳群。7つの支群に分かれ、全部で98基の古墳が確認されており、本来的には一体の古墳群と考えられる西側嵐山町の古里古墳群を加えると151基となる。県内でも特に古い時期の古墳が含まれていることが特徴の一つだ。
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塩古墳群は、いくつかの支群に分かれているが、丘陵最高所のⅠ支群には前期古墳が集中して築かれており、本ページで説明する古墳はⅠ支群の古墳である。
※本項の記述は、基本的に『埼玉県指定史跡「塩古墳群」の調査』(熊谷市教育委員会/編・2011)を元にしている。

Ⅰ支群にある上の現地説明版の図で4号墳とプロットされている土盛りは古墳ではなく、第二次大戦のときに穴を掘った際に出た土を盛ったもので、その左上の小さいのが4号墳で、その隣の小さいのが21号墳(下図参照)。33号墳は藪に覆われていて、県史跡の範囲外になっている。
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塩古墳群の築造開始時期に関しては、吉見町の山の根古墳(54.8m)よりも後と考えられている。
塩古墳群を造った人びとの集落は、塩西遺跡、諸ヶ谷遺跡、丸山遺跡などが相当すると考えられており、塩西遺跡や明賀遺跡からは元屋敷系の土器やS字甕など東海西部系の土器が少なからず出土しており、塩古墳群の築造を開始した集団は、東海西部に出自を持つ可能性が高い。
12.6m
塩7号墳
塩古墳群最古の古墳と考えられている。見つかった二重口縁壺は、口縁部外面に棒状付文装飾があり、廻間Ⅱ式(庄内Ⅱ~Ⅲ式)と考えられている。1号墳や3号墳に先行して築かれたと考えられているが、7号墳、5号墳、1号墳、3号墳の4基はほぼ同時期ではないだろうか。
なお、東松山市の諏訪山29号墳出土の大廓式系の有段口縁壺は、棒状付文装飾が退化して沈線となっている。
20210206
20230604A
19m
塩3号墳
狸塚3号墳
墳頂の標高は83.3mで、1号墳後円部墳頂と並んで古墳群中最も標高が高い。1号墳よりも先に築かれたとされているが、既述した通り築造時期はあまり変わらないかもしれない。
20210206
20230604A
35.8m
塩1号墳
狸塚1号墳
塩古墳群最大の古墳。3号墳に次いで築造された。3世紀後半の築造だろう。
古墳を築造するにあたって土を掘り下げ、標高80.5mの地点を基底面とし、そこに最低2.78mの盛土をして築造している。本墳を前方後方形周溝墓と考える向きもあるが、通常、周溝墓は2mも盛土しないので、本墳は明らかに古墳である。
新旧2種の二重口縁壺が見つかっている。旧い方は小型で頸部が屈曲する初期のもので、庄内Ⅱ~Ⅲ式段階とされ、1号墳を構築した際に設置されたと考えられる。同様に屈曲する頸部片は3号墳でも見つかっている。
新しい方は、大型でハケメ調整が施されており、口縁に円孔が一対ある。同様の円孔を持つ二重口縁壺は、本庄市の鷲山古墳出土のものが知られ、それは、廻間Ⅲ式1の古段階(庄内Ⅳ式~布留式0)に比定されている。後で出現する円筒埴輪のように墳丘上に多数並べること意図して製作されたもののようだ。
実年代を添えて考えると、例えば250年に築造され、最初の埋葬がされたあと、270年になって改めて墳丘全体に二重口縁壺を飾り立てて儀式を行ったという面白いストーリーが思い浮かぶ。
後方部墳頂にはかつて神様が祀られていたという。
20210206
20230604A
30.1m
塩2号墳
狸塚2号墳
墳丘構築の際の元々の基底面の標高は80m。前方部と後方墳の比高差が顕著。
布留式Ⅱ~Ⅲ以降の特徴を示す有段口縁壺が見つかており、それが築造時のものの場合、4世紀中葉になってしまい、1号墳の築造からだいぶ間が空いてしまう(例えば80年)。
20210206
20230604A
23.4m
塩10号墳
Ⅰ支群で唯一、横穴式石室を備えた円墳。埴輪は見つからず、7世紀前半の須恵器平瓶破片が出土し
ていることから、7世紀前半の築造と考えられる。
10~12号墳は、2号墳の前方部側(南側)に東西方向に一列に並んでいる。
20210206
20230604A
24×17m
宮塚古墳
熊谷市広瀬
国内に10例ほどしかない珍しい上円下方墳。ただし、武蔵国内には4基もある。
一見するとぶっ壊れている感じがするが、下段の方形はしっかり確認することができる。葺石もかなり残っている。発掘調査はされておらず、主体部を含めて詳細は不明。
20210206
20230604A
90m
甲山古墳
径90mの2段築成の円墳で、円墳の大きさとしては全国4位タイ。近くで見ると墳丘の大きさに驚くが、高さは11mで、19mもある丸墓山古墳のような異様な高さは感じない。
低位置突帯埴輪と呼ばれる円筒埴輪が見つかっており6世紀第3四半期の築造と考えられている。
20200126T
20230604A
鴻巣市(こうのすし)
蓮田市(はすだし)

綾瀬貝塚
蓮田市貝塚
縄文時代前期の貝塚で、3か所の貝塚がある。ヤマトシジミが主体。昭和3年には大山史前学研究所が若干の発掘をしている。現地の住所は貝塚と言い、貝塚神社という素敵な名前の神社があり、貝殻の散布が確認できる。
20240503A
20250608A

関山貝塚
蓮田市関山1丁目
埼玉県選定重要遺跡。縄文前期前半の羽状縄文系土器である関山式土器の標式遺跡。みつかった貝は汽水域に生息する貝で、ハイガイが8割近くを占め、残りは主としてヤマトシジミ。
昭和3年に大山史前学研究所が発掘調査し、出土土器を蓮田式とし、昭和13年には山内清男が蓮田式を細分化して関山式を提唱し、それが定着して現在に至る。説明板あり。
なお、不思議なことに蓮田市文化財展示館には、関山貝塚の出土遺物の展示はほとんどない。
20250417
20240503A
20250608A

黒浜貝塚
蓮田市黒浜
🅿あり(蓮田市文化財展示館)
🚻あり
縄文前期前半の羽状縄文系土器である黒浜式土器の標式遺跡。国史跡「黒浜貝塚」の範囲は、谷を挟んで北側の椿山遺跡(椿山ムラ)と南側の炭釜屋敷貝塚(宿浦ムラ)を含む。両遺跡はほぼ同時期であるが、椿山遺跡では貝塚が確認されておらず、炭釜屋敷貝塚には13箇所の地点貝塚がある。
関山Ⅱ式の頃から盛期が始まり、諸磯a式期までは存続しなかったようだ。
炭釜屋敷貝塚集落は環状に近い状況を呈しており、この後本格化する環状集落の初期段階を観察することができる。
出土遺物のうち44点が県指定重要文化財で、それらは蓮田市文化財展示館に展示している。
20250417
20240503A
20250608A

蓮田市文化財展示館
蓮田市黒浜2801-1
048-764-0991
9:00~17:00
月・祝休館
黒浜貝塚に隣接し、そのガイダンス施設としての機能も果たしている。黒浜貝塚から出土した遺物はもちろんのこと、市内の旧石器時代から歴史時代に至る遺跡から出土した遺物も展示。
展示している縄文土器の型式は、早期前半の撚糸文系土器では、井草式のほか、夏島式や早期後半の条痕文系土器である野島式、鵜ヶ島台式(破片での展示)、茅山上層式がある。
前期は黒浜式がたくさんあり、珍しい花積下層式も展示している。ところが、なぜか関山式がない。
市内の遺跡から出土した黒浜式土器と同時期の近畿地方の北白川下層式や東海地方の有尾式、南東北の大木式土器の破片も展示している。
中期以降の土器や弥生・古墳時代の土器などの遺物の展示も充実している素晴らしい施設。
20250417
20240503A
20250608A
本庄市(ほんじょうし)
60m
鷺山古墳
墳丘長60mの南南西向きの前方後方墳。築造時期は3世紀末から4世紀半ばの間で研究者による考えの違いがある。主体部・墳丘は未調査。葺石・埴輪なし。前方部は大きく損なわれているようだ。
出土した底部穿孔壺は、本庄早稲田の杜ミュージアム展示している。
20250915A
70m+
前山1号墳
本庄市早稲田の杜1-14-1
大久保山古墳群として県選定重要遺跡となっている中の一基。以前は円墳と見られていたが平成16~18の調査によって墳丘長70m以上
の前方後円墳であることが判明した。葺石・周溝あり。主体部は未調査のため不明。築造時期は4世紀後半と推定されている。
20250915A
67m
金鑽神社古墳
本庄市児玉町入浅見819 金鑚神社
5世紀前半に築造された径67mの大型円墳。2段築成で下段は地山成形、上段は盛土で、上段にのみ葺石を施す。周溝あり。
昭和5年の金鑚神社社殿の現在地への移転に伴い、墳丘南側が削平された。その際に主体部も掘られ、取り出された緑泥片岩の石材が社殿前の参道や社殿改修記念碑などに用いられている。ただし、主体部の詳細は不明で、石材から見て箱式石棺で、石材に赤色が残るものがあることから内面が赤で彩色されていたと考えられている。もう1基の主体部らしきものが墳頂下1.5~2mにあることが確認されたが、掘らなかったと伝わっている。石製模造品が墳丘上で表採されている。
また、みつかった円筒埴輪に見られる「格子タタキ技法」は、朝鮮半島由来の技術といわれており、5世紀前半にこの地に半島系の工人が存在して作業をしていた可能性が高い。当該円筒埴輪は、本庄早稲田の杜ミュージアムに展示している。
20250915A
32m
長沖32号墳
長沖古墳群は、小山(こやま)川左岸の東西1700m×南北500mの範囲に、平成28年の時点で前方後円墳5基、帆立貝形古墳1基、円墳202基の計208基からなる埼玉県最大級の群集墳。元々は400基ほど
はあったと推定されている。32号墳は、6世紀に築造された墳丘長32mの前方後円墳。
20250915A
34m
秋山庚申塚古墳
本庄市児玉町秋山757
6世紀後半に築造された径34mの円墳。秋山古墳群を形成する1基。昭和62年に発掘調査が行われ、二重周溝が明らかにされ、円筒埴輪のほか人物・動物・家などの形象埴輪が出土。
南南西向きに横穴式石室が開口しており、全長は7.7m。側壁は河原石積みで、模様積になっている。奥壁には結晶片岩の巨石を使用。金銅装馬具のほか、武器類や装飾品などの豊富な副葬品を検出した。遺物から見て、7世紀前半までに3回程度の追葬が行われたと推測されている。石室入口が施錠されているため、中には入れないが、観察することはできる。また、石室上部も開いており、そこからカメラを突っ込むと玄室内が撮影できる。出土遺物は、本庄早稲田の杜ミュージアムに展示。
20250915A

宥勝寺裏埴輪窯跡
ゆうしょうじうらはにわかまあと
本庄市早稲田の杜1-12-16
本庄早稲田の杜ミュージアムに4本並んで展示されている靫形埴輪が出土した埴輪窯跡。大久保山丘陵の北側尾根の東側斜面に所在。平成13年の調査で5基の埴輪窯跡(登り窯)が見つかった。6世紀後半頃に操業していた。東日本では埴輪窯跡はそれほど多くみつかっていないので貴重な遺跡だが、なんと本庄市内では3か所も見つかっている。
20250915A

金鑚神社
かなさなじんじゃ
神川町の現・武蔵二宮である金鑚神社の周辺には、同じ信仰圏が展開しており、金鑚神社がいくつもある。本社もその一つ。
社殿は、金鑚神社古墳の墳丘を削られて建てられている。
20250915A

本庄早稲田の杜ミュージアム
本庄市西富田1011
0495-71-6878
9:00~16:30
月曜休館(祝の場合は翌日)
本庄市と早稲田大学が連携して設立したミュージアム。本庄市内の遺跡から出土遺物を展示。とくに埴輪のラインナップが俊逸で、縄文土器の逸品も展示している。
笑顔の人物埴輪が多いのが特徴だが、特に珍しいものとしては、長沖203号墳出土の重層ガラス玉がある。
20220612P
20250915A
美里町(みさとまち)
50m
長坂聖天塚古墳
美里町関2040-3
中期初頭から前半に築造された円墳。直径は、現地説明板によると50m、美里町のHPでは34mとする。地山を利用し1mほど盛土している。昭和49年の発掘調査により墳頂から6基の埋葬施設が発見され、粘土槨+木棺あるいは木棺直葬。粘土槨で長さ7mの1号主体部からは仿製(ぼうせい)の方格規矩鏡(ほうかくきくきょう)が出土し、美里町遺跡の森館に展示している。
20250915A

美里町遺跡の森館
美里町木部574
0495-76-0204
9:00~17:00
月曜休館(祝の場合は翌日)
町内の遺跡から出土した考古遺物を展示。縄文時代の土器や石器、弥生土器や古墳時代の土師器もそこそこあり、埴輪の展示が素晴らしく、全体的に見ごたえのある施設。
人物埴輪や機材形埴輪、馬形埴輪も俊逸で、馬形埴輪の中でもとくに珍しいのは、白石古墳群・久保2号墳から出土した馬形埴輪は、右側に輪鐙がなく、「短冊形水平板」と呼ばれるものが装着されており、馬にまたがらす、横向きに乗ったときに足を載せる台ではないかと言われている。
20250915A











































112m 






















































































