2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2020年12月11日に投稿した記事です。
2015年11月4日(水)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】足利公園古墳群|栃木県足利市 ~近代日本初の学術的発掘調査が行われた古墳群~ 【足利・太田歴史探訪 ③】
5時に起床。
早速スタンバイです。
まだ暗いですね。

ちょっと明るくなってきました。


遠くに見える山は筑波山です。

電車が走りだしました。

筑波さんはそんなに高い山ではありませんが、関東平野の多くの場所から見ることができます。

明るさが増して、太田天神山古墳の姿が分かってきました。

電車が気になる。

カラスさんは朝から忙しいですよ。

お、良い場所にとまってくれた。

鳥がいるから「鳥居」。
もしかしてわざと演出してくれた?

そしてまた電車。


お、旭日が昇り始めましたぞ。

時刻は6時ちょっとすぎです。
ということは、もう1時間もこうして眺めているわけだ。



眩しかー。


太陽は、完全に地平線を離れました。

とりあえずここまで確認できればいいでしょう。
朝食後、7時半に再度確認。

今日はあなたに会いに行きますよ。

では、本日の探訪に出発します。
偶然予約した東横インでしたが、良いお部屋に泊まることができました。

多分、ホテルの従業員の方は古墳マニアに喜ばれる立地にあるなんてことは知らないでしょうね。
この立地を生かして古墳マニア向けに部屋を提供するのも手かもしれませんよ。
太田駅の北口にまわってきました。

新田義貞の像。



太田といえばスバルですね。

スバル、すなわち富士重工は昭和の初めは中島飛行機といって、名機の数々を生み出してきました。
日本でもっとも有名な戦闘機である零式艦上戦闘機(ゼロ戦)は機体は三菱ですが、エンジンは中島ですよ。


※上の2枚は河口湖自動車博物館・飛行舘にて撮影(ガレージ内はデジカメでの撮影が禁止で携帯ならOKなためガラケーで撮影)
あの丘にこれから目指す八幡山古墳があります。

町の中をテクテク歩きます。

目指す丘が近くなってきました。


ありました。

鳥居の脇には八幡山古墳の標柱もありますね。

石段を登ってみましょう。


拝殿が墳丘の上に乗っている系ですね。

説明板を読んでみましょう。

ここに書いてある通り、墳丘長80mは大型古墳に辛うじて分類できるくらいの大きさで、時代的には太田天神山古墳より1~2世代前と考えられます。
ただし、若狭徹氏は、八幡山古墳の築造は寺山古墳に続いて4世紀前半とし、八幡山古墳と太田天神山古墳の間に朝子塚古墳と別所茶臼山古墳を入れています。
こうすると、寺山古墳あるいは藤本観音山から始まる渡良瀬川流域の首長墓が世代ごとにきれいに太田天神山まで繋がります。
もちろん、そんなに綺麗に繋がるかどうかは分かりませんが、渡良瀬川流域の王の権勢は古墳時代が始まって以来、利根川流域の王と伯仲していたことは事実でしょう。
八幡山古墳は、神社への石段を登ってくると知らないうちに前方部に登ることになるんですね。
登ってくるときに、いったいどこからが墳丘なのか気づかなかったです。
自然地形を生かして地山を削り出し、後円部を盛土で仕上げた古墳という印象があり、前期古墳にありがちな立地と築造方法です。
なお、この図を見ても段築らしい表現はありません。

後円部にある社殿へ行ってみます。

社殿。

後円部側から前方部側を見ます。

こちらにも道が付いています。

辛うじて太田駅前が見える。

脇の階段から降りてみます。


朝の一発目として八幡山古墳を見ました。
今日は太田天神山古墳にも行きますが、その前に太田に来たらぜひ訪れて起きたい金山城跡へ行ってみます。
⇒ 【gooブログから】太田天神山古墳|群馬県太田市 ~墳丘長210mを誇る東日本最大の前方後円墳~
