2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2016年3月13日に投稿した記事です。
2016年3月13日(日)の探訪レポート
今日は「東国を歩く会」の番外編として、「探す日」という企画で埼玉県比企地方まで出張ってきたので概報をお伝えします。
7時半に高尾駅に集結したメンバーは私と生源寺さん、それに第1回「歩く日」に参加していただいたむらこしさん、さらに私とは何度か城歩きをしている国家権力のA村さんの4名です。
先週の木曜日に参加者募集を締め切ったのですが、大学生のむらこしさんから参加表明をいただいたので、私と生源寺さんよりも年齢的に近いA村さんだったらむらこしさんと感覚的に合うかなと思い、急きょメールして参加していただきました。
では、生源寺さんの赤い車に乗りこんでいざ出発です。
高尾山口ICから圏央道に入り、鶴ヶ島JCTで関越道に乗っかり、東松山ICには8時半には着いてしまいました。
吉見百穴にてシロキチさんとA井さんと待ち合わせをしていますが、少し時間があるのでまずは松山陣屋跡へ寄ります。

東松山には前橋藩の飛び地があり、もう江戸時代もラストオーダーの時間である慶応3年(1867)に、前橋藩によって現在の東松山市役所の場所に陣屋が置かれました。
しかしこの陣屋も明治4年(1871)には廃絶し、足掛け5年という短い命を終えてしまったのです。
松山陣屋跡を出て旧道を進み、妙賢寺に着きました。

鎌倉時代末期の創建だそうですが、来歴は不明です。
墓地には上田氏の宝篋印塔が2基ありますが、このお寺の歴史は今のところほとんど分かりません。
でも東松山の町の歴史はこのお寺付近から始まっており、現在の「松本町」という地名は、A井さんによると「上・中・下松」が元々あり、「松本」という古い地名は無いそうなので、私は「松山」の「本郷」という意味で「松本町」というネーミングをしたのかなと思っています。
そして9時に待ち合わせ場所の吉見百穴に到着。

ここでシロキチさんとA井さんと合流しました。
私は松山城は3回目で、前回は昨年の5月24日に「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」の「城郭学習会」で生源寺さんとともに来ており、その時にシロキチさんとA井さんと知り合ったのです。
むらこしさんは2度目で、A村さんは初めてということなので、私も復習したいため、松山城のガイドボランティアをやっていらっしゃるA井さんにお願いして松山城を一回りガイドしていただくことにしました。
前回来た時よりも下草が薄くて今日は見やすいです。

詳しくは後日レポートしますが、改めて見ても、横矢が効きやすいように(死角が無いように)結構細かく郭の形を整形させており、かなり技巧的に優れた城だと思います。

ただ、ほとんど虎口の内側に枡形が見られないのが面白いですね。

西側斜面には関東地方では珍しい畝状竪堀群があるので、それを見に生源寺さんと藪の中に突入して、少し探索して戻ったらみんなとはぐれてしまいました。
なので電話で連絡を取って、駐車場まで戻ります。
この時点で10時45分なので、だいぶじっくり見れましたね。
さて次が本日の主題となっている「探す日」のコンテンツです。
これについては、中田正光先生の密命であって、ちょっと公にはできない内容ですので、今回は黙秘させていただきます。
おっと、生源寺さんが凄いところから出てきた!

密命実行中に古墳発見!

直径21mの円墳・羽黒神社古墳です。
密命はある程度の成果が出ましたので、次は車に乗って青鳥(おおどり)城を目指しますが、途中でお昼休憩です。

なかなか美味しい手打ちうどんでした。
13時10分、青鳥城に到着。
まずは「虎御石」と呼ばれている巨大な板碑を見に行きます。
うわ、でか。
でも写真に撮ると大きさがあまり分からないと思いますので、生源寺さんにツーショットをお願いしました。

生源寺さんの身長は3m75cmですので・・・
あ、何か変ですね、間違いました。
確か、生源寺さんの身長ではなく板碑の大きさが3m75cmでした。
比企地方で最大です。
というか、私が今まで見た板碑の中では断トツ一位の大きさです。
板碑の超流行圏である比企で一番ということは全国的に見ても上の方じゃないかと思います。
あ、全国とか言っても、板碑は関東メインですよね。
さて、青鳥城の主郭は約1町(108m)四方で、室町初期の居館跡の面影を残し、周りはかなり高い土塁で囲まれています。

「かなり高い」って具体的な数値を示せよ!って言われそうなので、3mと言っておきます。
土塁の外側はお決まりの空堀で、こちらもかなり深いです。

「だからかなりって」って細かい御仁に怒られそうですが、怒ると身体に良くないですよ。
主郭の土塁を一週した後は、道路に出て大手方面へ向かいます。
西側の現在はラブホテルの建つあたりは「首切場(あるいは坂)」と呼ばれる場所で、二重の土塁が見事に残っていますが、それと同時に「良い匂い」もしています。
ラブホテルにこの「良い匂い」はなかなかミスマッチだと思いますが、「これくらいの匂いで萎んではいけない!」などと喧々諤々の議論を闘わせながら土塁を眺めます。

どんな匂いかは現地に来れば分かるので、二重土塁自体、武蔵の城跡では珍しいため、これを見るためにはぜひラブホテルに寄ったついででまったく不都合でないので、ぜひいらしてください。
二重土塁と言えば、この近くの場合は小川町の中城が一部二重土塁になっていますね。
規模は断然こちらの方が大きいですが、似た雰囲気もあります。
そして2の郭の外側をぐるっと回って駐車場に戻り、本日最後の目的地である小倉城を目指します。
小倉城に着いたのは15時10分。
小川町の腰越城に何となく似た佇まいですが、もちろん細かく見ると個性がちゃんとあるのです。

そしてこの城の目玉は何と言っても石積みですね。
随処に石積みは見られるのですが、郭3の法面にビシーっと残っている様は圧巻です。

小倉城は昨年シロキチさんと会った時に「連れて行ってください」とお願いしていたのですが、ようやく今日見ることができて非常に満足です。
時刻は16時15分、小倉城規模の山城だとだいたい1時間くらいあれば見れますので、ちょうど良いタイムです。
もちろん、細かく見ようと思えばもっと時間が必要ですが、全体的に満遍なく見て歩くには1時間くらいあれば大丈夫です。
というわけで、以上で本日の城めぐりは終了。
今日は車移動ですので飲み会は無しです。
その代わり、ファミレスでお茶会をやります。

あれ、飲み会は無しと言っておきながらビールが写ってる!
世の中には酷似しているものが溢れていますので多分気のせいだと思いますが、もちろん運転者は飲んでいませんよ。
以上、本日の概報をお届けしましたが、A村さんも比企地方に面白い城跡があることに満足してくれたようですし、むらこしさんの場合は、仮に同世代のお城好きと話すことがあったとしても、そのときに確実に彼らよりも一歩も二歩もマニアックな世界に足を踏み込んでしまっている現実を直視していただく心の準備ができたようですので、本日は小規模なイベントでしたがとても良い結果になったと思います。
シロキチさんとA井さんにはわざわざお付き合いいただきありがとうございました。
地元の方がおられたお陰で休憩場所の選定を含め、スムーズに見学することができました。
それと今回も快く車を出していただけた生源寺さんにも感謝いたします。
それでは次回の「歩く日」は4月10日ですぞ!
