2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2013年9月18日に投稿した記事です。
2013年9月18日(水)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】廿里古戦場跡・廿里砦跡 ~戦国時代の高尾で戦われた後北条vs武田の合戦場の跡~【高尾の歴史散歩③】
私が企画している高尾の歴史めぐりで回る史跡のうち、金比羅山砦と高乗寺はこのブログではまだご紹介していませんが、今日はまず金比羅山砦をご紹介します。
金比羅山砦は、その名の通り金比羅山にあります。
金比羅山と言うのは、浅川金刀比羅宮がある山で、京王線の高尾駅のホームから高尾山口方向に向かって線路のすぐ左側にある山です。
すみません!
写真はないです。
南側の高乗寺の参道から見た金比羅山砦はこちらです。

写真1 高乗寺の参道から見た金比羅山砦
私は「金比羅山砦」と呼んでいますが、手元にある考古学者の十菱駿武さんの資料を良く見ると、「金比羅砦」と、「山」を抜いて書かれています。
まあ、どちらでも良いですが、今回はとりあえず「金比羅山砦」と最初に言ってしまったので、その名前で呼びます。
金比羅山は標高256メートルで、比高はだいたい70メートルくらいです。
山の南側は、三和団地という住宅街があり、斜面が削られています。
行き方としては、高尾駅南口を出てから浅川中学校の脇の高乗寺参道入り口をまず目指しましょう。

写真2 高乗寺参道入口
参道入り口から少し歩くとT字路があり、右折すると登り坂になっており、三和団地があります。
この三和団地は急峻な金比羅山の斜面にあるので、坂を登るのが慣れていない私は、この坂を登るだけで結構バテるのだ。
三和団地にお住まいの方はきっと心肺機能が強化されているのではないかと想像できますね。
坂の途中の3つ目の角を右折し、さらに坂を登っていくと、ようやく浅川金刀比羅宮の下に着きます。
そしてさらに階段を上っていき、山の斜面を登っていくと、やっと鳥居が現れます。

写真3 浅川金刀比羅宮一の鳥居
鳥居をくぐると、また石段です。

写真4 石段
石段を登りきると、ようやく社殿が見えてきました。

写真5 浅川金刀比羅宮
やっと頂上に着きました!
境内は狭いので一杯に引いて写真を撮ってもこんな感じになってしまいます。

写真6 浅川金刀比羅宮社殿

写真7 神社額
浅川金刀比羅宮の創建年代は不明ですが、北側の元参道には安政2年(1855)銘の石燈篭があるようです(未確認)。
金比羅山砦は、十菱駿武さんが1992年に竪堀を発見し、「金比羅砦」として公表し、砦と言われるようになりました。
十菱さんは、廿里合戦のあった永禄12年(1569)から八王子城築城までの間に初沢城を修築したと考えており、その折金比羅山にも八王子城の支城網の一つとして築砦されたと考えています。
なおこの場所は、東京都教育委員会の東京都遺跡地図には「金比羅山」という遺跡名で載っていますが、同じく東京都教育委員会発行の『東京都の中世城館』では、「当該地には数箇所に竪堀状の地形が存在しているけれども、林業や戦時中の軍需施設に伴うものである可能性も否定できず、現状では城郭遺構との判断は保留する」としています。
金比羅山は本当に砦だったのか?
この問題は、初沢城や八王子城の問題とも絡んでくるので、個人的にはもう少し深く研究してから考えをまとめたいと思っています。
それでも今考えられることをお話すると、初沢城から見た場合は、地理的には初沢城を攻める場合の向城として利用することはできないので(この山を向城にすると南浅川によって背水の陣になってしまう)、初沢城からするとこの山を敵に取られる心配はありません。
八王子城から見た場合は、南浅川の対岸になってしまうので、この位置まで支城網に取り入れる必要はないように思えます。
なんか微妙な感じですが、高尾の戦国時代を考える上では、一度は見ておく必要があるでしょうね。
