2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年10月18日に投稿した記事です。
2017年10月17日(火)の探訪レポート
ここのところ雨が続いていますが、今日は爽やかな秋晴れです。
こういう日はお掃除&お洗濯日和ですが、私も朝からマンションの共用部をいい気分でお掃除していますよ。
東京はまた明日からしばらく天気が悪いようなので、今日の晴れ間は貴重ですね。
ところで、そんな雨予報が出ている今週の土曜日は、クラブツーリズムの甲州道中歩きをガイドしてきます。
先々週は、内藤新宿から高井戸までをご案内しましたが、今回はその続きの高井戸から府中です。
パンフレットに記載された歩行距離は15㎞となっており、実際にそれくらいは歩くと思います。
さて、その甲州道中歩きですが、一度下見をしておきたいので、昨日の火曜日、お掃除をお休みして下見に行ってきました。
今日は、その模様を簡単にお伝えします。
* * *
今日も朝から雨ですが、予報によると昼くらいには上がるそうなので、6時に起床した後は少し下調べなどをして9時過ぎの京王線で出発です。
前回の甲州道中歩きは新宿駅を出発して京王線の芦花公園駅まで歩きました。
土曜日は芦花公園から再開して府中まで歩くので、まずは芦花公園駅へやってきました。

駅を出て、旧甲州街道へ向かいます。
旧甲州街道は歩道が狭くてちょっと危ないですね。
お、なんかあのアーケード街、惹かれるなあ。

今日は探訪する時間はありません。
そして最初のポイントにはすぐに到着しました。
甲州道中から北を眺めます。

東京でこういう細いニョロニョロ道があると、河道が暗渠になっている場所の可能性が高いです。
南側を眺めます。

ここもその推測通り、烏山川の河道です。
石仏が並んでいますね。

ここにはかつて、石橋が架かっていました。

大正12年に起きた関東大震災の直後、朝鮮人が騒動を起こすとの風説が流れ、震災後の混乱状態で人びとがピリピリしているなか、この場所で地元の自警団によって朝鮮人労働者を乗せたトラックが襲撃され、死傷者が出たということがありました。
つづいて、今日はこのまま甲州道中を進まず、烏山川を南下してちょっと寄り道してみましょう。
こういう立派な木を見ると、烏山川の往時の風景が想像できます。

おっと、踏切に捕まった。
コンデジで走っている電車を撮るのは難しいですね。

踏切を渡って一方通行の道をニョロニョロと歩いていきますが、結構車が飛ばして走っていますよ。
車に引かれないように歩くと、薬師堂が現れました。

境内にお邪魔します。
石仏がありますね。


説明板もあります。

道路を挟んだ向こうには烏山神社があります。

以前このブログにも記事を再アップしましたが、2000年3月19日にここを訪れています。
当時私は三鷹市民で、世田谷の吉良氏などを調べつつ東京の街歩きを始めた頃でした。
そのときに、世田谷吉良氏の砦跡を調べて歩くとともに、北条氏綱の家臣であった高橋氏の居城跡を探しにこの辺をウロウロしていたのです。

さすがに17年も経っていると、当時の探訪の記憶はほとんどないです。

高橋氏について刻された石碑がこんなふうに立っていたことも覚えていません。

石碑の後ろに隠れるように置いてある社が気になります。

なんか訳がありそうな・・・
本番でも烏山神社まで足を延ばそうかなあと考えています。

ところが、ここから線路の南側を歩いて次の目的地である給田観音堂を目指すのはちょっと道が悪いです。
多くのお客さんを引き連れて歩くには適していません。
なので、甲州道中へ戻ろうと思います。
おや、この自転車置き場も怪しいですね。

旧河道か?

甲州道中まで戻ってきました。
甲州道中を歩き、江戸期の烏山村から給田村に入ってほどなく、新一里塚跡を発見。

江戸初期の一里塚ではなく、明治時代に作られた「新」一里塚ですよ。

現存するのはこれだけなので、かなり貴重ですよ。
そしてここから南側を見ると、地形が落ちていますね。

仙川へ向けて土地が低くなっているのです。
⇒ 【gooブログから】給田観音堂・昌翁寺・仙川一里塚 ~ハローウィン仕様のキューピーちゃんだ!~【甲州道中を歩く⑥】
