2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年10月6日に投稿した記事です。
2017年10月6日(金)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】旗洗池跡 ~幡ヶ谷の地名の由来は八幡太郎だったのね~【甲州道中を歩く③】
旗洗池で八幡太郎と東郷平八郎閣下とのコラボを実見しましたが、その折に、旗洗池の湧水が神田川に注いでいたということを話しました。
明治時代の地図で確認すると、往時の様子が想像できますね。

それではつづいて、近辺の面白地形をもっと歩いてみましょう。
まずは「本町一丁目」交差点あたりの地形からです。

交差点を南側に渡り、南東方向へ伸びる道路を見てみましょう。

落ちているのが分かりますか?
落ちているというのは、地形が低くなっていっているということです。
この部分をさきほどの地図で確認してみてください。

本町一丁目交差点あたりがちょうど谷頭となっており、代々木本村と書かれている台地と代々木八幡の乗っかている台地の間に水の流れがあるのが分かりますね。
この図の範囲だけで、代々木八幡の台地をはじめ3つの舌状台地が見えますが、これらの舌状台地は中世城郭マニアからすると、城を築きたくてウズウズする地形じゃないでしょうか。
代々木八幡へ行ったことがある方は分かると思いますが、周囲は結構急な崖だったと思います。
かなりの要害性を誇っているんですね。
台地上にある代々木八幡へ登る石段はこの通り。

登って振り返ると結構高い。

そして社地の東側の切り通しもご覧の通り。

ただ、代々木八幡の台地は城郭を築くには幅が狭いですね。
それならば、代々木本村の台地の方がちょうど良いように思えます。
私の手元には多分15年くらい前の仕業かと思いますが、地形図上の城館跡にシールが貼られており、代々木本村の台地にも貼られてるんですよね。
これは私が貼ったのに違いないのですが、なんでここに貼ったのか思い出せないのです。
城郭の伝承とかあったっけなあ・・・
でも地形を見ると自然の形で本丸・二の丸・三の丸というふうに区切れるんですよね・・・
さて、話を戻します。
ここからは玉川上水跡を歩いてみましょう。

上水跡はずーっと帯状の公園になっているようです。
新台(しんだい)橋。

こちらのお宅の木が立派で気になる・・・

お、猫ちん。

スレンダーだねえ。
幡ヶ谷駅の近くまで来ました。

ここには玉川上水について書かれた説明板があります。

西原通り。

ひきつづき上水跡を歩きますよ。
美寿々橋。

代々幡橋。

この辺りには、戦前には井村病院という精神病院があったのですが、戦災で被害を受けたまま閉院してしまったそうです。
分かれ道。

これ以上上水跡を歩いて行くと、甲州道中からだいぶ離れてしまうので、右手の道を行きたいですが、ちょっとだけ上水跡を歩いて地形が落ちているのを望見してみましょう。
ふふふ・・・、落ちてる・・・

さきほどの分かれ道に戻り、右手の道を行きます。

明治時代の地図を見るとこの辺りには阪川乳牛場があるので、牧場があったのかもしれません。
こちらの道もやはり少しずつ落ちて行きます。
というのも、笹塚駅へ向かいたいので中野通りへ出ようとしているのですが、中野通りの道筋は谷底だからです。

中野通りとの十字路に出ました。
北の笹塚駅方面を見ます。

京王線が見えますが、京王線の高架は勾配を登っていますね。
南側を見ます。

これが谷底の道です。
ここでまたまた地図を見ましょう。

左側の「牛窪地蔵尊」と書かれている辺りを見てください。
現在地はそこのすぐ南側です。
さきほどの本町一丁目を谷頭とした谷は南の渋谷方面へ向かって流れていましたが、こちらの谷は北の神田川方面に向けて流れていますね。
そして面白いのは玉川上水です。
この辺りでは大きく「U字」を描いていますが、谷を避けて台地上の尾根筋のような箇所に構築していますね。
あ、そろそろ甲州道中歩きに戻りましょうか。
⇒ 【gooブログから】大橋場跡・烏山神社・新一里塚【甲州道中を歩く⑤】
