2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年11月8日に投稿した記事です。
2017年11月5日(日)の探訪レポート
塚マニア(塚er)の私は、NEC府中事業場の中にある本宿の一里塚を見ることができて幸せな気分に浸っています。
次もクラツーの甲州道中歩きで訪れる場所ではないのですが、谷保天満宮がもともとあった場所へ行ってみたいと思います。
市川の暗渠の上はお散歩に最適ですね。

この辺のハケもまだそれほど比高差がなく、10mくらいでしょうかね。

あ、猫ちん!
逃げられた!

おや、あれは何でしょうか?

あー、以前東国を歩く会で立川から府中へ向けて歩いた時にもこういったものがありましたね。

市川緑道の看板発見。

ハケというと湧水を思い浮かべますが、なんと府中市内で湧水が確認できる場所は1か所しか残っていないんですね。

「唯一」という意味合いに弱い・・・
湧水マニアではありませんが、これは見てみたいです。
テクテクと歩いていると河道が分かれている場所に来ました。

左手。

湧水が見たいのでハケ沿いの右手を行きます。

府中市と国立市の境界あたりまでやってきました。
ここですね。

よし、府中市唯一の湧水発見!

結構水量があります。

飲んではいけないということなので、替わりに水筒の麦茶を飲みます。
では、つづいて谷保天満宮の故地へ行きましょう。
ハケから遠ざかります。

谷保天満宮の故地には稲荷神社があるそうですよ。
・・・ありました!

石碑もありますね。

でも、こういう石碑はゴージャスなのはいいですが、読み辛いし写真にも撮り辛い。

石碑にも書いてありますが、菅原道真が失脚して太宰府へ左遷させられたときに、子供たちも同様な処分を受けました。
ここ府中に流されてきたのは三男の道武で、彼の系統は津戸氏を称します。
そして、道武はこの地に天満宮を祀ったということですが、道真が没したのが903年で、太宰府天満宮の社殿造営が919年と言われています。
道武がこの地に父を祀る社を作ったというのは考えられることですが、果たして「天満宮」と呼べるものだったかどうかは、もう少し調べてみないとなりません。

ことの真相は不明ですが、この地にあった神社が現在地へ移転したのが1181年と伝わります。

谷保天満宮はこれから訪れようと思っていますが、あの神社の変わっているところは社殿が境内の低い場所にあることですね。
その奇妙な点に関しては、よく初めのころの甲州道中はハケの下を走っていたので、それに向かって社殿を造営したと説明されます。
確かに、中世の古甲州道やそれを踏襲した江戸時代初期の甲州道中は、ハケの下を通っています。
でもその場合も、普通だったらハケの最上段に社殿を設けるのが普通ではないでしょうか。

これも谷保天満宮の謎の一つでしょう。

ところで、『武蔵名勝図会』を見ると、この稲荷神社のあるあたりは天神島と呼ばれる微高地だったと書かれています。
気を付けないと真っ平な土地に思えるのですか、よく観察すると、確かに微高地になっています。

例え1mほどのわずかな比高差だったとしても、昔の人はこういう場所に住居を立てたり神社を祀ったりしたのです。
なお、この稲荷神社もクラツーの甲州道中歩きでは訪れませんので、この辺を歩くツアーを独自に考えようと思っています。
それでは、谷保天満宮へ向かいましょう。
