【gooブログから】金南寺・小仏関跡・浅川小学校上長房分校跡【甲州道中を歩く⑬】

 2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。

 当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。

 基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。

 ※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。

 ※本記事は、2017年6月3日に投稿した記事です。


2017年6月3日(土)の探訪レポート

 ⇒ 【gooブログから】寶泉禅寺・井上源三郎墓【甲州道中を歩く⑫】

 朝8時に高尾駅北口に集合。

 

 S源寺さんは高尾までそんなに近い場所に住んでいるわけではないですが、朝早くから出張ってきていただきました。

 今日はここを出発して山を越えて相模湖駅まで歩く予定ですが、途中の山道はハイキングコースとして整備されているとは聴いているものの、それでも山道なので臆病な私は万が一山賊に襲われた場合のことを考え、戦闘力の高いS源寺さんに同行を願ったのでした。

 さて、普通であれば高尾駅北口を出たらまっすぐ現在の甲州街道に出ると思いますが、私は一応地元の人間なので最初から少し違う道を歩きます。

 現在の高尾駅北口の甲州街道は江戸期の甲州道中と重なりますが、実は17世紀半ばの浅川の流路変更工事よりも前は浅川の河道だったのです。

 ということは、五街道が整備され始めた当初の道は違う場所を通っていたんですね。

 そこはどこか。

 今のところ私は2つのルートを想定しているのですが、そのうちの一つは中央線と京王線が走っているラインで現在は完全に道の形跡が残っていない場所で、もう一つはつとむ薬局から入って行く道です。

 なので、その道を歩いて行きます。

 歩いて5分ほどで、千体地蔵尊が現れます。

 

 現在は墓地となっており、お地蔵さんは千体もいらっしゃいませんが、17世紀半ばに地元の設楽杢左衛門という人が私財を投じて浅川の流路変更工事をした際に、千体の地蔵を河岸に造営したそうです。

 なお、千体地蔵のあたりからは昔は金比羅山に登る参道がありました。

 現在は線路があって通行不可能になっており、そのために金比羅神社はいつの間にか高尾町の神社から初沢町の神社のようになってしまいました。

 鳥居が残っていたはずですが、なんか見えないなあ・・・

 千体地蔵から西へ進むと、両界橋に出ます。

 中央線の向こう側に住んでいる方々は、このレンガ造りのトンネルを利用しています。

 

 なかなか素敵ですね。

 

 両界橋からは以前、お猿さんを見たことがありますよ。

 

 両界橋の北側には金南寺(こんなんじ)というお寺さんがあるので行ってみます。

 

 観音堂がありますね。

 

 観音様。

 

 馬頭観音が2基。

 

 

 参道は緩い上り坂になっています。

 

 

 登りつめて振り返ると高尾の町が見えます。

 

 本堂。

 

 金南寺は真言宗智山派の寺院で、創建は貞治3年(1365)ということなので、八王子市内でも古刹の部類に入りますね。

 額。

 

 そしてなぜか象さん。

 

 

 S源寺さんが、「あ、着生ランだ」と言ったので見てみると、木からランが生えています。

 

 私は植物にはまだあまり配慮できないので気が付かなかったのですが、こんなところにもランが生えてるんですね。

 甲州街道に戻ります。

 あ、猫ちん!

 

 残念、藪の中に入ってしまいました。

 小名路(こなじ)児童遊園。

 

 この辺の小名は小名路というのですが、「こなじ」は金南寺から来たという説があります。

 甲州街道に戻ると、小名路バス停が。

 

 古い地名は現在の住所表記に使われなくなっても、このように公園やバス停で残っていることがありますので、歴史歩きをする際は公園とバス停のチェックは必須ですよ。

 小名路バス停のところで道が追分になっています。

 

 直進が現在の甲州街道で大垂水峠へ向かい、右に入る道が甲州道中です。

 私たちはもちろん右に向かいますよ。

 

 ここからは緩い上り坂になります。

 前方には八王子城跡が見えますね。

 

 お地蔵さん。

 

 S源寺さんがまた面白いものを発見しました。

 

 馬頭観音かと思ったら、これはどう見ても馬ではなく牛ですね。

 

 これはかなり珍しいんじゃないでしょうか。

 何だかんだで、高尾駅を出発して50分掛かってようやく小仏関跡へやってきました。

 

 高尾に住んで13年になりますが、何と小仏関跡を探訪したのは初めてなのです。

 そういえば、国史跡でしたねえ。

 

 これが、手形石と手付石ですね。

 

 往時の様子。

 

 でも江戸時代の人がもし関所の横でこんなスケッチを描いていたら逮捕されますよね。

 共謀罪だ!

 いや、治安維持法違反だ!

 あ、私たち歴史マニアも新しい法律ができたら注意しましょうね。

 カメラをぶら下げて歩いてるだけで捕まるような世の中になるのはイヤですね。

 知らない人が見たら普通の公園。

 

 碑があります。

 

 またもやお地蔵さん。

 

 隣の碑には「念珠坂」と刻されています。

 

 考えてみれば、今までずっと緩い上り坂だったのが、ここでは下り坂になりますね。

 ということは、小仏関は地形的には理に適った場所にあることになりますね。

 少し歩くと右手に「みどり幼児園」が現れました。

 

 これは少し前まで浅川小学校の上長房分校だった建物です。

 私の娘は浅川小学校出身なのですが、上長房分校は当時すでに都内で唯一の分校で、廃校になったのは平成19年のことです。

 ちなみのこの辺りの住所は現在では裏高尾町と言いますが、江戸期は上長房村といい、もともとは一つだった下長房村の東端は水瀬橋のあたりなので、上長房村の西端が小仏峠だとすると、元の長房村は東西約9kmの広大な村になります。

 おっと、またもやお地蔵さん。

 

 お地蔵さんって見た目は可愛いですけど、凄い力を持ってるんですよ。

 お地蔵さんは釈迦が入滅した後、56億7千万年後に弥勒菩薩が現れるまで六道(地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道)にて衆生を救済してくれる存在なのです。

 私たちの間近にはお地蔵さんがたくさんいらっしゃいますが、交番のお巡りさんのように私たちの生活を守ってくれているのがお地蔵さんなんですよ。

 しかし、56億年後は相当先ですね。

 頭だけ新しい感じが妙に生々しいですね。

 

 梅郷橋。
 

 

 梅郷って青梅にもありますが、青梅の梅は病気のために滅亡の危機に瀕していると聞いています。

 あ、圏央道の八王子ジャンクションだ。

 

 圏央道はここ高尾でも建設反対運動があったりして、確かに自然破壊はしてしまったものの、このお陰で私も雷電號を駆って関東一円に歴史めぐりに繰り出すことができています。

 ⇒ 【gooブログから】小山神社・小下沢砦跡・寶珠寺【甲州道中を歩く⑭】

 

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