2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2016年4月30日に投稿した記事です。
2016年4月29日(金)の探訪レポート
昨日は埼玉県入間市に住んでいる従姉から夕飯に招待されたので、訪問するついでというか、行き掛けに隣の飯能市の歴史めぐりをしてきました。
なので今日はその概報をお届けします。
飯能市は律令国家の支配が当地に及んだ頃は入間郡の領域だったのですが、政府は霊亀2年(716)に日本に住んでいた高句麗の遺民のために入間郡の一部を割いて高麗郡を建置しました。
そういう興味深い歴史もあることから実は以前から気になっており、今回は「これ幸い」ということで探訪したわけです。
昨日は夜中まで働いていたので、就寝が4時でした。
そのため9時半くらいまで寝てしまい、昨日は会社の車で帰宅していたため、まずはお店まで車で行って車を置いて、それから八王子へ向かい、12時18分の八高線に乗りました。
東飯能駅まではだいたい40分くらいで近いです。
車窓から飯能の町が見えてきました。

手前に入間川が流れ遠くには山々、そして全体的に新緑で覆われた風景がとても瑞々しいですね。
東飯能駅に降りたらまずは腹ごしらえ。
駅前を見渡してみると、おっとつけ麺屋を発見!

「飯能つけ麺」、どんなのか楽しみです。
私は辛いのにしました。

大盛(300g)が780円。
基本は豚骨で、それに魚介が加味された濃厚なスープ、私の最も好きなタイプです。
辛さはそれほどでないです。
チャーシューはゴロゴロタイプで、トロットロ系ではなく肉々しくて「肉を食ってる感」が味わえ、また結構多めに入っているのが嬉しいです。
そしてテーブルに置いてある「エビ油」を麺に垂らすと、エビの風味が豊かに広がり、これもまたグッド。
お腹一杯幸せ気分になったあとは、いよいよ探訪開始です。
おっと早速猫ちん!

なかなか良い風格をしています。
逃げる態勢にはなっていますが、私が話しかけると留まったまま聴いてくれました。
江戸期からある古い街道を歩くと近代の古い建物が結構残っており、写真を撮りつつ付き進んで喰い違いの道の先にあったのは観音寺。

観音寺は般若山長寿院と号す真言宗のお寺で、弘仁元年(820)創建と伝わります。
ついで、諏訪八幡神社&飯能恵比寿神社。

そして飯能市郷土館。

現在は「飯能の西川材関係用具」という展示をやっています。
この辺りは東京から見て川の西側にあることからこの地で取れた木材のことを「西川材」と呼んだそうです。
正直言うとあまり興味が無かったのですが、展示を見てみると異様に面白い!
面白いとか言ったら命を掛けて林業にいそしんでいる方に失礼かもしれませんが、非常に興味深い展示でした。
木を育てるところから、最終的に東京へ向けて川を下って運搬するところまで、実際の道具やパネルを使って説明されています。
例えば、鉈(なた)。

これは枝打ちにも使うのですが、林業においては万能の道具でした。
そして枝打ちと言っても高い木の上の方でやるわけで、このような梯子を皆さん自作するのです。

見れば分かる通り普通の梯子と違って、一本の軸から足を掛けるところが左右に出ていますね。
「自分の命は自分で守る」が林業の鉄則のようで、高所から落ちたら死ぬこともあるため自分の責任においてきちんとした梯子を作るわけです。

道具類は保守管理も大事で、例えば刃物類であれば良く切れるように常に研いでおきます。
私も掃除の仕事をやっているので類推できるのですが、道具を大事にして常にメンテナンスを怠らない人は仕事が上手にできるのだと思います。
さらに言えば、林業は道具のメンテナンスを怠ったことにより大けがや事故死の可能性もある仕事なので相当気を使ったことでしょう。
そして展示を見て一番驚いたのは、切った木を運搬する作業です。
運搬用にこのようなソリが通る道を作るわけです。

そしてこの写真!

こんなものを作っていたわけですから、想像するだけで作業の大変さが分かります。
私も「NPO法人 滝山城跡群・自然と歴史を守る会」で滝山城の景観維持をやっており、プチ林業みたいな作業をすることがあるため、このような展示は非常に興味深いのですが、本物の林業は私の経験していることの1000倍くらいは大変だろうと想像できました。
そして入間川をこのような筏で東京に向けて運んだわけですね。

今回の展示は図らずも私にとってはストライクな内容でしたが、常設展示もあり、縄文土器や板碑などが展示されています。

板碑は飯能市内に1000基ほど見つかっているそうです。
30分かけて展示をゆっくり見て、次は能仁寺へ向かいます。

能仁寺は武陽山と号する曹洞宗のお寺で、文亀年中(1501~4)に中山家勝によって創建されました。
この辺りは八王子城で奮戦して討ち死にした中山勘解由家範の故郷で、武蔵七党の一つ丹党に属する中山氏は古代末期からこの地の土豪として代を重ねており、家勝は家範の父です。
このお寺さんは素晴らしく雰囲気が良い!

新緑の季節のお寺って実は一番好きかも知れない。
境内を写真を撮りながらゆっくりとめぐっていると気が付けばもう14時20分を過ぎています。
この調子だと約束の時間までに従姉の家に行けないのでちょっと急ぎます。
今日は快晴で気温も高くて半袖で歩いていますが、家を出た時から風が強く、それがだんだん酷くなってきました。
おっと鉄腕アトム!

世界で唯一の鉄腕アトムの銅像だそうです。
そして能仁寺から図書館の横を通り歩いて行くと、道の分岐点にお地蔵さんを発見。

鶴舞地蔵尊です。
以前はこういったお地蔵さんはノーマークだったのですが、ヤマセミさんの影響で今は必ずチェックするようにしています。
このお地蔵さんも台座が道標になっていますが、文字は判読できませんでした。
古道らしき道を進み真言宗の常寂山蓮華院智観寺に到着です。

中山家は家範の次男信吉が水戸藩の付家老になり家が続くわけですが、智観寺には信吉以降の類代の墓があります。
古墳のようになっているのが信吉の墓です。

中山家は身分的には付家老ですが、その石高は何と2万5千石で普通に大名級です。
八王子市民としてみたら、八王子城で討死した中山勘解由家範および丹党中山氏はどうしても調べてみたい対象で、実はそれもあって今日の飯能めぐりは楽しみだったのです。
ついで、中山氏の居館があった場所へ行きます。
この道が空堀跡のようです。

しかし館跡は完全に住宅地となっており、かろうじて空堀のようなものが見える場所もありますが、普通のお宅の敷地内なので立ち入りはできません。
そして次は泉ヶ城跡です。

こちらも遺構は確認できず。
おっと、16時までには従姉の家に行くと伝えておきながら、16時15分になってしまいました。
ここからさらに歩いて行くと確実に17時半にはなってしまうので、従姉に近くまで車で来てもらうことにします。
以上、簡単ですが昨日の飯能探訪のレポートを終えます。
昨日のヒットは飯能市郷土館、それに能仁寺ですね。
訪れたい場所はもっと沢山あるので、飯能中心で一日の歩くコースを設計して歩いてみたいです。
