2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年5月2日に投稿した記事です。
2017年4月29日(土)の探訪レポート
17時過ぎに海老名市立郷土資料館を出ると、夕刻らしいオレンジ色の陽の光が国分寺跡を照らしていました。
さっそく説明板。

では、ぐるっと一周してみましょう。

南面廊跡(南側の廻廊)。

真中には中門がありました。

中門から内部を見ます。

あそこに見えるのは金堂(こんどう)跡ですね。

金堂というのは一般的なお寺でいうところの本堂で、本尊が祀られている建物です。
礎石が残ってますね。

古い石柱。

七重塔方面を見ると見事に逆光。

七重塔の説明板。

こんなのが建ってたんですよ。

地方に高層建築がほとんどない奈良時代にこのような塔が建っていたわけで、例えば相模国の中でも田舎の人が何らかの用事で国府へ向かったときに、このような塔を見たらさぞかし驚いたことかと思います。
さっき、資料館に展示してあったパーツは「水煙」。

正確にはその一部。
礎石が並んでますよー。

塔の柱を載せていた心礎。

ひときわ立派な礎石ですね。
国分寺マニアや古代官衙マニアは礎石を大変喜びます。
建物はもちろん見ることができませんが、その建物を載せていた礎石があれば、マニアだったら自分の脳内で礎石の上に建物が建っている様子が映像化されるのです。
つぎに北方建物の方へ行きます。
道路傍に古い説明板がありました。

道路を挟んで北側に僧坊跡があります。

僧坊というのは僧侶が生活した建物です。

最後に北側から。

国分寺跡には多くの若者や親子連れが訪れており、なかなか賑やかです。
昔の国分寺は地域住民を救う寺ではなく、国家鎮護のための寺でしたので地域住民が気軽に集う場所ではなかったのですが、今ではこうして地域の人びとの憩いの場になっています。
ところで、さきほどは「相模国の中でも田舎の人が何らかの用事で国府へ向かったときに、このような塔を見たらさぞかし驚いたことかと思います」と言いましたが、実はこの国分寺の近くに国府があったという証拠はないのです。
通常、どこの国でも国府と国分寺は至近の距離にあります。
ところが、遺跡の発掘成果を見る限りでは、相模の国府は本日の昼に訪れた平塚市内にあったことが確実視されているのです。
なので、当初はこの国分寺の近くに有ったのが平塚に移転したと考える人も多いわけです。
ただ、残念なことにここ海老名市内からはそれを証拠づける遺物は出ていません。
こういう謎にも古代史のロマンが潜んでいて、いろいろ考えると楽しいですね。
なお、私はこんな本の執筆に加わっています。
| 国分寺を歩く (日本六十余州 全国分寺を完全収録) | |
| 稲用章ほか | |
| イカロス出版 |
全国の国分寺のガイドブック的な本は私の知る限り最近ではこの本以外に出版されていませんので、列島中の国分寺を知るにはとても良い本だと思いますよ。
さて、次は尼寺へ行きましょう。
⇒ 【gooブログから】相模国分尼寺跡|神奈川県海老名市 ~一部だけでも保存されていることが嬉しい~【相模古代史紀行⑧】
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