2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2017年5月7日に投稿した記事です。
2017年4月29日(土)の探訪レポート
⇒ 【gooブログから】相模国分尼寺跡|神奈川県海老名市 ~一部だけでも保存されていることが嬉しい~【相模古代史紀行⑧】
相模国分尼寺跡を出て急いで秋葉山古墳群へ向かいます。
実はあまり正確な場所に着いては知らないのですが、上今泉4丁目というところまでは分かっているのでとりあえずそこへ行きますよ。
秋葉山古墳群は尾根の上に古墳が並んでいることも知っていますので、上今泉4丁目まで来たら、あとはひたすら高い場所を目指したことろ・・・
見つけました!

お、親切な説明板ですね。
左半分。

右半分。

もうだいぶ陽が傾いていますが日没までにこの古墳をすべて見ましょう。
秋葉山古墳群は座間丘陵の細尾根に乗っかっているのですが、古墳群のある場所は海老名市内で最も高い位置であり、標高は80mほどあります。
まずは1号墳。

墳丘長59mの前方後円墳で、古墳群では一番新しい古墳ですね。
前方部に登って後円部を見ます。

後円部から前方部を見下します。

墳丘から東側の眺め。

つづいて2号墳。

墳丘長50.5mの前方後円墳です。

前方部に登って後円部を見ます。

後円部から前方部を見下します。

って、さっきと同じ動作をしていますね。
墳頂には碑が建っています。

説明板によるとこの古墳を秋葉山と呼んでいるようです。
秋葉神社でもあったのでしょうか。
墳丘から石段を見下すと意外と高いですよ。

ついで3号墳。

現況を見ると円墳なんですが、本当は前方後円墳でした。

3号墳は細尾根の屈曲部にあるのですが、この部分だけやや尾根が広くなっており、それをうまく利用して前方後円型のデザインにしています。
ただし、前方部は短めで、いわゆる帆立貝型のようになっており、元々の墳丘長は約50mだったようです。
墳丘長は1号墳や2号墳と同じくらいですが、3号墳の後円部の直径は40mもあるので、この直径で普通の前方後円墳を築造していたら古墳群でもっとも大きな古墳になったことでしょう。
墳頂にはどなたかの銅像の台座のようなものがありますね。

戦時中に供出されてしまったのでしょうか。
それと、3号墳のみ墓壙(竪穴式石室)の調査が実施されており、北東から南西に主軸を持つ長辺が9m、短辺が6~7mほどの大きな墓壙があるそうです。
また、墓壙のスコリア層からは高坏と台付鉢が見つかっており、高坏は在地化が進んだ東海系の高坏です。
やはりどうしても東国の初期古墳には東海地方の勢力の影が見え隠れしてしまいます。
ただし、周溝から見つかった5つの壺は弥生時代後期からの地元の系譜をひく土器でした。
説明板の編年では一番古い古墳となっており、前方後円墳の3号墳と同時期に前方後方墳の4号墳が築かれていることになっていますが、さきほど郷土資料館の方とも話したのですが、一般的に見た場合は前方後方墳の4号墳の方が古いと考えられますね。
ただもし、同時期に造られたとなるとこれは日本の初期国家と東国との関係を考える上で非常に面白い素材になり、いろいろな歴史ロマンを想像してしまいます。
墳丘から西側の眺め。

今日散々見てきた大山です。


ここで一旦道路に出ます。

つぎに5号墳。

一辺が20mの方墳です。

尾根の上に古墳が並んでいる様子は、以前訪れた同じ神奈川県内の稲荷前古墳群に雰囲気が似ています。

そして最後は、もっとも楽しみにしていた4号墳。

秋葉山古墳群でもっとも古い墳丘長37.5mの前方後方墳です。

でも残念ながら墳丘は住宅開発のために少し削れていました。

後方部から前方部を見ます。

墳丘から東側の眺望。

既述した通り、秋葉山古墳群があるこの尾根上は海老名市内で最も標高の高い場所で、東西ともに眺望に優れています。
ここよりさらに北にも6号墳があるらしいですが、これにて駐車場へ戻ります。
今知りましたが、ここは「上今泉自然公園」って言うんですね。

日没までにギリ間に合いました。


駐車場はこんな感じで結構広いです。

秋葉山古墳群は海老名市内にある3つの古墳群の中で最も古い古墳群です。
秋葉山古墳群の中でも最も古い4号墳は3世紀後半の築造とされており、これは関東地方の古墳の中でも最初期に当たります。
私はとくに初期古墳が大好きで、先日のクラツーのツアーでも群馬県高崎市の元島名将軍塚古墳をご案内しました。
関東地方の発生期古墳は前方後方墳が多く、遺物を見ても前方後方墳の聖地である東海地方の影響がかなり強いです。
ところが、その20~30年後には前方後方墳を築いた勢力も畿内の勢力の影響の強い前方後円墳を造ることになるのです。
ということは、関東地方はヤマト王権の支配下に入るより前に、東海地方の政権の影響下にあった可能性が濃厚になります。
東海地方の政権とはいったい何か。
ロマンが膨らみますね。
ということで、帰途に着きます。
帰りは下道で帰っても良かったのですが、何となく圏央道に乗ってしまいました。
せっかくなので厚木PAに寄って夕飯を食べます。

お、B級グルメか、美味そうですねえ。

勝浦タンタンメンに決定!

実は勝浦タンタンメンはカップラーメンはしょっちゅう食べていましたが、こうしてお店で食べるのは初めてなのです。
やっぱり辛いラーメンは美味しいですねえ。
お腹一杯になったし、早く家に帰ろうっと。
