2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2021年7月30日に投稿した記事です。
2018年11月7日(水)の探訪レポート
山梨県立考古博物館は面白かったー。
博物館内では縄文土器を堪能しましたが、今度は古墳を見ます。
博物館に隣接して、4世紀の時点では東日本で最大規模の銚子塚古墳という大型前方後円墳があるのです。
なお、「銚子塚」という名前の古墳は全国にいくつかあるので、こちらのものは「甲斐銚子塚」と呼ばれることがあります。
おや、いきなり古墳のようなものがありますよ。

右側は「かんかん塚」という5世紀後半の円墳ですが、左側は「さかづき塚」という中世の塚だそうです。

説明板に書いてある通り、かんかん塚古墳は5世紀後半に築造された円墳で、径26mの大きさです。
注目すべきは、県内の古墳から見つかった馬具としては最古のものが見つかっていることですね。

※2019年3月21日のCTのツアーの際に撮影
さかづき塚も説明板に書いてある通りです。

※2019年3月21日のCTのツアーの際に撮影
それでは当初の予定に戻り、銚子塚古墳を目指しましょう。
* * *
2021年5月28に山梨県立考古博物館を訪れましたが、企画展で県内の古墳について詳しく解説していました。
職員の方々の展示にかける強い意気込みが感じられるとても面白い展示でした。
かんかん塚に関する写真を以下に示します。


この被葬者は普段から乗馬をしていたということが伺えて面白いです。
5世紀は国内に馬が一気に普及した時代ですが、甲斐ではそれ以前から馬が飼われていたのではないでしょうか。

この日のかんかん塚とさかづき塚は、緑のもしゃ子ちゃんでした。


大型円墳の丸山塚古墳が築造されたのが4世紀半ばで、それをもってこの中道地域の大型墳の築造は終わりを告げます。
その後、約100年くらい経ってかんかん塚が築造されるのですが、かんかん塚と同じ頃か少し前には、考古博物館の裏山にある大丸山古墳のさらに裏手に、東南山遺跡に属する東山南1号・2号墳(あるいは墓)という、低墳丘墓が築造されます。
ただし、そちらは『山梨県埋蔵文化財センター調査報告 第64集 東山南(B)遺跡』(山梨県教育委員会/編・1991年)によると、石室が造られた形跡もない土着性の強い集団の築造で、畿内色の強いかんかん塚とは異なる系譜の人びとの古墳だと考えられるといいます。
ですから、かんかん塚は規模はかなり小さくなってしまいましたが、実際の血縁関係があるかないかは別として、もしかするとこの地で古墳時代前期に繫栄した「甲斐の王」の系譜をひく人物の墓なのかもしれません。
