2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。
当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。
基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。
※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。
※本記事は、2021年7月30日に投稿した記事です。
2018年11月7日(水)
おや、あちらにも墳丘らしきものが見えますよ。

※3号墓

※2号墓

※1号墓

おー、円形周溝墓!

「周溝墓」というのは弥生時代以降の墓制で、方形と円形があり、数基から数十基群集して造られることが多いです。
一般的には群集する中では方形周溝墓の方が多く造られる傾向があり、円形は少数派です。
ですから、円形周溝墓という表記を見てかなり興味を持ったのですが、どうも5世紀の墓ということで、ちょっと周溝墓のイメージと違います。
そこで、『山梨県埋蔵文化財センター調査報告書 第182集 岩清水遺跡』(大塚初重/著)を読んでみると、大塚先生は岩清水遺跡の3基の円形周溝墓のことを「円形低墳墓」と呼んでいます。
周溝墓ではないとしても、5世紀という古墳時代中期に、古墳以外の墳墓が見つかるのは、珍しいことじゃないでしょうか。
該書をもとに各低墳墓について簡単に記すと、県立考古博物館に近い側(東側)から1号、2号、3号と呼び、1号と2号は周溝の一部が切りあっており、1号の方が早く築造されています。
1号低墳墓は径約18mで、5世紀第2四半期の終わり頃から第3四半期の中頃の築造、周溝にはおおよそ北、西、東にブリッジが存在しています。
2号低墳丘墓は径約23mで、1号低墳丘墓よりも後ではあるものの 5世紀第3四半世紀の範囲に収まると考えられています。
3号低墳丘墓は、上の説明板では弥生時代の周溝墓のように書かれていますが、2001年に著された上述書では、5世紀第3四半期に築造された可能性を示唆しています。
大きさは東西の径が9.2m、南北の径が11.2mで3基の中ではもっとも小さいです。
これら3基の低墳丘墓と、先ほど見たかんかん塚古墳との関係ですが、上述書では、かんかん塚古墳には石室があり、類い稀な副葬品を持っていることから、かんかん塚古墳被葬者の下にこれら低墳墓群の被葬者が位置する関係であると推測しています。
また、かんかん塚古墳以降は、この地には後続する高塚古墳が見られないのと同じく、低墳墓もこれら3基以降はこの地には築造されず、銚子塚古墳に始まった中道地域のこの墓域も終焉を迎えます。
* * *
以下の4枚は2019年3月21日に撮影したものです。
1号墓。

1号墓の奥(西側)に2号墓が見えます。

さらにその奥には丸山塚古墳。

手前から1号墓、2号墓、丸山塚古墳。

つづいて、以下の9枚は2021年5月28日に撮影したものです。
今回は緑色ですね。

1号墓にはブリッジが北・西・東の3か所にありますが、これは東側のブリッジ。


西側から見た2号墓と奥には1号墓。


この可愛らしいのが3号墓。

一丁前に周溝があってブリッジまであるのがいじらしい。

奥には丸山塚が見えます。

1号墓側から見た2号墓。

* * *
駐車場まで戻ってきました。
駐車場の近くには古代の広場というのがあります。

石室。


竪穴式住居。


お、敷石住居もある。
でもちょっと見た目は・・・


博物館も古墳も楽しかった。
あ、もう15時だ。
冬なのでそろそろ時間が無くなってきましたよ。
急いで花鳥山遺跡へ向かいます。
