【gooブログから】白鳥古墳および白鳥山法持寺|愛知県名古屋市熱田区 ~ヤマトタケル伝承を持つ後期の大型前方後円墳~

 2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。

 当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。

 基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。

 ※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。

 ※本記事は、2021年1月3日に投稿した記事です。


2020年12月26日(土)の探訪レポート

 熱田神宮の境内を散策した後は、白鳥古墳へ行きます。

 ツアーでは、熱田神宮から白鳥古墳、そして断夫山古墳は歩いて案内するため、道もしっかり覚えておかないとなりませんね。

 熱田神宮の西門から出て広い国道22号線を渡ろうと思いますが、歩道橋がありますよ。

 すなわち「歩道橋チャンス」ですぞ!

 歩道橋は面倒くさがる方が多いと思いますが、歩道橋に登ると少し高い場所から望見できるので、遺跡の近くに歩道橋があったときは登ることをお勧めします。

 お、古墳の森のようなものが見えます。

 位置的にこれから目指す白鳥古墳でしょう。

 歩道橋を進むと位置的には白鳥塚の右方向のさらに遠い場所にもう一つ古墳の森らしきものが見えます。

 こちらは断夫山古墳かな?

 歩道橋を降りて住宅街の中を歩いて行くと、白鳥古墳の森が眼前に現れました。

 

 地図で確認すると白鳥古墳は法持寺の境内にあるように見えるので、まずはお寺に詣でてみようと思います

 法持寺は白鳥山(はくちょうざん)と号する曹洞宗の寺院です。

 尾張名所図会の説明。

 この辺りではこの看板もよく見ますよ。

 織田信長が桶狭間へ向けて進軍したルート上に置かれているようで、そのルートをたどって人生の大逆転を成就させようという面白い試みですね。

 しかし私は小学6年の時に歴史に興味を持ち、中学生以降は光栄のシミュレーション・ゲーム「信長の野望」をプレイしまくったこともあり、信長に関しては思い入れは半端無いんですよね。

 ところが、今はすっかり「古墳のおじさん」になってしまったこともあり、今回もせっかく信長の本貫地に来ているのに、信長関連で見たものはさきほどの熱田神宮にある「信長塀」くらいです。

 いずれはゆっくり、古代史と関係なく個人的に信長ツアーをやってみたいものです。

 では、境内にお邪魔します。

 本堂。

 詳しい由緒書があるので説明しないで楽だ。

 信長も桶狭間の戦いの際、こちらにも立ち寄って戦勝祈願をしたとありますね。

 イメージ的には信長は神仏を恐れぬ人のような感じがありますが、普通に信心深い人だったのではないかと思います。

 ただし、天下人(畿内とその周辺を統治したため、当時の感覚では天下統一は完了している)として行動するにはすべては「政治ベース」でなければならず、後に信長が仏教に対して酷い仕打ちをしたことも、私はその背景に天下人としての政治観があったのではないかと考えています。

 あ、今日は古墳だった。

 なるほど、境内の西側に南北方向の墳丘が見えますね。

 でも、お寺からは墳丘には入れないようです。

 このお堂は墳丘のために屋根の後ろがありません。

 墳丘チラリズム。

 古墳へは境内からは行けないため、古墳の周りをグルっとめぐってみましょうか。

 南側の道を歩いて行くと墳丘が見えますね。

 白鳥古墳は主軸が南北方向で、こちらの前方部側はバッサリと切断されてしまった様子が分かります。

 南側からも入れないようです。

 では西側の堀川沿いの道を北上します。

 お、入口発見!

 「白鳥公園」の石碑がありますよ。

 こちらの石碑には「白鳥御陵」とあります。

 この地域で白鳥と言えばやはりヤマトタケルなわけですが、それはそうと、普通に公園になっていたんですね。

 簡単な説明板もあります。

 ヤマトタケルに関しては一時期少し調べたことがあって、都内にも結構伝説が残っていて、浅草近辺では悪者を退治した伝承が残っていますよ。

 ところで、墳丘内には入れないようになっていますね。

 柵の外から墳丘を見ます。

 ちょうど鞍部あたりから前方部にかけてのラインかな。

 そのやや北寄り。

 私が入ってきた公園の入口方向(西側)を望みますが、この先は、往時は現在の堀川の辺りまで海が迫っていたということで、白鳥古墳は海に横腹を見せる形で築造された古墳です。

 さらに先ほど歩いてた南側も往時は海が迫っており、そちらの方向は万葉集にも出ている「年魚市(あゆち)潟」と呼ばれる入海が広がっていました。

 あゆち潟からは前方部側が見えたことでしょう。

 なお、今回は訪れませんが、白鳥古墳からあゆち潟を挟んだ南方向約7㎞の場所には、かつて兜山古墳という直径45mの前期の円墳がありました。

 三角縁神獣鏡も出土しており、尾張南部では数少ない前期の古墳として注目されますが破壊されてしまったのが残念です。

 前期の円墳で45mというのは結構大きいですよ。

 つぎに訪れる断夫山古墳は白鳥古墳の北側にありますが、公園の出入り口が北側にもありますので、後円部の墳丘を観察しながら公園を出るとしましょう。

 後期の前方後円墳ではオーソドックスな2段築成かな?

 墳丘内に入れなかったのは残念ですが、断夫山古墳を見るにあたっては必ず一緒に見ておきたい古墳ですね。

 では、つづいて尾張最大の古墳、断夫山古墳へ行きます。

 

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