【gooブログから】川角古墳群・延慶の板碑・堂山下遺跡・苦林野古戦場跡・大類古墳群|埼玉県毛呂山町 【歴史を歩こう協会 第2回歩く日 その6<最終回>】

 2011年に開始し、2022年以降は開店休業中の私のgooブログですが、gooブログ自体が2025年11月18日にサーヴィスを終了することになりました。

 当初は、何千本も書いた記事はそのまま消えていってもよいと思ったのですが、自分で書いておきながら個人的に興味深い記事は、ひとまずこちらにコピペしておくことにしました。

 基本的には当時書いた文章の修正はしないので、知識・経験不足からくる奇妙な点もあると思いますが、ご了承ください。

 ※画像は2025年11月19日以降は表示されませんが、もし時間があれば表示できるように再アップします。

 ※本記事は、2019年4月18日に投稿した記事です。


年月日()の探訪レポート

 毛呂山町歴史民俗資料館には史跡めぐりのコースマップがいくつか置いてあって、そのうちの一つがまさしくこれから歩こうと思っているコースでした。

 なので、そのリーフレットをいただいて、それを見ながら周辺を歩いてみようと思います。

 では出発!

 傘を差しながらなので歩きづらいですが、好奇心が先に立っていると意外と大丈夫。

 まずは資料館西側の鎌倉街道を歩きますよ。

 なかなか雰囲気の良い道ですね。

 おや、何か石碑のようなものが見えますよ。

 庚申塔ですね。

 気が付けばこの辺一帯にはすでに古墳が散見できます。

 川角(かわかど)古墳群に侵入しているようです。

 さきほど資料館で延慶の板碑のレプリカを見ましたが、本物を見てみたいので板碑が建っている場所へ行ってみましょう。

 林の向こうにも墳丘が見えます。

 おー、ここは「古墳ポコポコ地帯」だ。

 『埼玉の古墳 北足立・入間』(塩野博/著)によると、川角古墳群には38基の古墳が現存していますが、すべて円墳で直径20mを越える中型以上のものはなく、すべて小円墳です。

 先ほど訪れた大寺廃寺跡の礎石にも黄色い石がありましたが、いろいろな石ころが落ちていますよ。

 安斉さんがこの辺の古墳の墳丘は石で覆われていることを確認して知らせてくれました。

 葺石という感じではないのですが、石を多用していますね。

 あったー!

 延慶の板碑。

 はい、オーメンさん出番ですよ!

 これもでかいですねえ。

 ラーメンを食べる前に見た嘉元の板碑とどちらが大きいか話します。

 親切な人が補記してくれていますね。

 資料館のパネル展示にはこう書かれていました。

 嘉元の板碑は3.4mとありましたが、こちらは3.64mで、こちらの方がわずかに大きいですね。

 しかしまあ、この大きさには驚くばかりです。

 そしてさらに驚きなのは、このような巨大な板碑でも横から見るとこんない薄いのです!

 中には折れてしまったのを補修して展示してあったりすることがありますが、さきほどの嘉元のもこの延慶のも折れていないのが凄いですね。

 ここからは舗装された道路を北上していきます。

 越辺(おっぺ)川に架かる橋があったので少し川面を覗いてみます。

 上流。

 下流。

 「おっぺ」というのは何か現代の日本語っぽくないですね。

 この辺には堂山下遺跡があるはずですが・・・

 オーメンさんが説明板を見つけたと呼ぶので行ってみます。

 関東ではほとんど見つかっていない室町時代の集落跡ですぞ!

 今まさしく、この説明板に書かれているルートを歩いています。

 つづいて大類古墳群に入って行きます。

 大類古墳群は坂戸市側の塚原古墳群と一体のもので、苦林古墳群と総称されており、古墳跡を含めて52基の古墳で構成されています。

 畑の中に古墳らしき土盛りが散見できますね。

 ※不可解なのは、Web上(「Googleマップ」や「古墳マップ」など)で、この2基は「大類積石塚」とネーミングされていることですが、現在のところ詳細は分かっていません。

 ※積石塚だとしたら渡来系の人びとの墓の可能性が濃厚です。

 神明台の庚申塔と馬頭観音はこちらです。

 この辺りが苦林野古戦場跡です。

 そこら中に古墳がありますね。

 十社神社に到着しました。

 おっと、ここは親切だ。

 手水の作法が分からない方向けに写真付きのマニュアルが掲示してあります。

 いいですか、15度ですぞ!

 社殿。

 そして境内も古墳ポコポコ。

 さきほどの川角古墳群はオール円墳ですが、『埼玉の古墳 北足立・入間』(塩野博/著)によると、苦林古墳群には5基の前方後円墳がありますので、せっかくなのでそれを見るためにもう少し先まで歩いてみましょう。

 先導役の私としては、歩く距離や道などは一緒に歩く人のスキルを見て決めますが、今日は少数精鋭で皆さん歩けるのでもう少し無理をしてもらいますよ。

 十社神社の裏からぬかるんだ畑の隅を強行突破して舗装された道路に出ました。

 可愛らしい前方後円墳ですね。

 大類1号墳です。

 削られてしまっているような印象がありますが、『埼玉の古墳 北足立・入間』によると、地元では「長塚」、「将軍塚」、「観音塚」などと呼ばれている古墳で、見ての通りかなり破壊されており、復元すると墳丘長は24mになるようです。

 そろそろこの古墳群内で絶対に見ておきたいポイントに近づいてきました。

 今まで見てきた古墳と比べるとやや大きい墳丘が現れました。

 墳頂に登ると説明板があります。

 はい、今登っている古墳が大類2号墳、すなわち苦林古墳です。

 よし、ここに来れば大類古墳群の探訪は果たしたと考えてOKでしょう。

 こちらも『埼玉の古墳 北足立・入間』によると、かなり破壊されており原型がよく分からないのですが、墳丘長は26mで6世紀前葉の築造とされています(説明板には現存長が23mとあります)。

 市境を越えて坂戸市側に行くと大類古墳の続きである塚原古墳群が展開していますが、今日のところは引き上げだ!

 ちなみに、塚原古墳群の前方後円墳は今日見たのよりもう少し大きいですが、おそらくイメージ的にはこの古墳群は大したことがないと思われるかもしれません。

 ところがどっこい、埼玉県内で前方後円墳を5基以上擁する古墳群は、他には埼玉古墳群しかないのです。

 つまり、埼玉古墳群と比べるとだいぶスケール感が劣るかもしれませんが、苦林古墳群は埼玉県内で2番目の大勢力になるわけです。

 ですので、今後はそういう観点からこの越辺川流域の勢力をきちんと考察してみたいと思います。

 では、雷電號が停めてある郷土資料館に戻りますよ。

 稲荷神社。

 お堂が一つポツンと建っているだけのように見えますが、大楽寺というお寺さんです。

 境内に板碑が立ててありますが、下の方は土に埋まっていますし、折れてもいますので、本来はどれも結構な大きさだったのでしょう。

 16時40分、資料館に戻ってきました。

 結局、雨の中2時間歩いてしまいましたね。

 ということで本日の探訪はこれで終了です。

 今日は雷電號で来ているので恒例の打ち上げは無しですよ。

 雨の中、オーメンさん、安斉さん、金子さん、お疲れさまでした!

 

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